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アンダートゥ  作者: ただの
第一章 なぜ夜闇は私を排するのか
18/33

4-6.雨はいつから

前回までのあらすじ:

 教父との交流はアルバにとって大変有意義なものだった。クロエドとの再会はそんな良い気分をぶち壊す。

 樹海の印象はひっくり返り、各々の思惑が混沌を呼ぶ。

 若返りの泉を探すジャック。存在すら疑わしい魔女を追うクロエド。失踪した父親の帰りを待つ少年ダァト。魔女の元手下を主張するパン。割と色々どうでもよくなってきたアルバ。

 全員何かを隠してる。


登場人物

アルバ:

救世主の少年。やる気はない。


クロエド:

竜族の青年。樹海の魔力にあてられたのか、クセの強い協力者に振り回されているせいか、色々考え込んで目に見えて疲弊してきた。


ジャック:

エンダーソンの町の商人。樹海にある若返りの泉を探している。長い付き合いの教父を言いくるめることができず、ちょっと落ち込んでいる。


ダァト:

アルバの友人。両親を樹海のせいで失った。マーシャリーの悩みの種。


教父ネアド:

教会の長。教義に則り樹海の遺体を取り戻すため長年頑張ってきた。その昔探索隊を立ち上げたのもこの人らしい。


マーシャリー:

教会の教導師見習いを称する少女。孤児院の先生役を務めており、年若い割にしっかりしている。かなりの子ども好きに見える。

 また夢を見ている。

 暗い部屋の暖炉。ずっと昔の、家の居間。


『クロエド!元気だったか』

『イ……』

『何だよ、まだ泣き虫治ってないのな』

『ッ……生きてたのか!』

『何言ってんだよ、とっくに死んだよ』


『み〜〜〜んな、あの女にぶっ殺されたの覚えてないのか?』


 泣きたいのに泣けない。まだ泣けないし、もう泣けない。


『いいなあ、お前は。外に出れて。自由になって。なんで幸せになれそうだったのに、戻ってきたんだよ?』


『クロくん……』


 小柄なシルエットが彼の名を呼んだ。懐かしかった。景色がガラッと変わっていて、覚えのある学徒時代の談話室にいた。


『ほら、学園であの子が待ってるじゃん。よかったな、いい子がいて』


 男の影が、彼の肩に腕を回す。


『お前のせいで死んだけど、恨んでないって墓の下で言ってるよ!』


 彼はたまらず後ずさる。

 墓の下から『もっと生きたかったよー』と聞こえた気がした。


『うう、ちが、違う……』

『何が違うんだよ?』

『ぜんぶ魔女の、魔女のせいだ』

『人のせいにすんなよ!』


『俺が!!全員殺すから。次はあの女を……帝都の魔女を!殺してみせる、だから――』


『やれるもんならやってみろ。強がりの、大嘘つきが』




 ……悪夢から醒めた時、最初に五感が感じとったのは人の寝息だった。


「……行かなきゃ」




 翌日、クロエドは酒場へ。

 がらんとした奥の小部屋に通される。昨日教会で出会った少女がジャックと話していた。


「昨日の……」

「教導師見習いのマーシャリーと申します、狩人さん」

「俺たちに協力してくれるって」

「……教父を裏切ってまで?」

「あらご挨拶ですね」



 マーシャリーは鼠の大群に襲われた日のことを話した。


『鼠の大群だ!!みんな、建物の中に入るんだ!!』

『何が……起きてる?

 せいぜい人を招く程度だった樹海が、こんなに明確に意図を持って牙を剥くなんて』


 広間のステンドグラス……不死鳥の前にひざまづき、彼女は祈る。


『(教会だけは私の魔法で守る……)ああ、神様……どうか……!』


 ドンドン!と教会の扉を激しく叩かれる。開けろ、と大きな声がした。

 声の主はジャックだった。子どもを脇に抱え、必死の形相で解錠を求めている。


『ジャックさん!早く入って!』


 マーシャリーは彼らを聖堂まで通す。

 そしてステンドグラスから差し込む陽光を、ザァーッとばらつきのある音を立てて覆い尽くすものを見た。


 まるで波の如く突き進む魔鼠たちに、二人は同時に息を呑んだのだった。




 マーシャリーは瞑った目を開いて言った。


「――あの日、ジャックさんは子どもを助けてくれました。できる限りのことをしたいのです」


 三人で円卓を囲む。


「できる限り、か。あんたが教父を説得してくれるのか?」

「そんなことしません。私がどうにかできるのは結界の方だけ。樹海の結界――『禁域(きんいき)』を張ったのは、私もなんですから」


 クロエドはマーシャリーの告白に一瞬驚く。


「……も?」

「技量が足りず、教父様と二人で協力して発動させてるんです。結界を解くことはできませんが、あなた方を通れるようにするくらいはできます」

「……」

「ただし、もちろん教父様を裏切るつもりはありませんから。一度きり、視察を手伝うだけです。

 個人的には助けを待つべきだと思いますし、派手に動いて樹海を刺激しては本末転倒ですから」


 マーシャリーの申し出はジャックにとっては狙い通りだったのだろうか。

 ジャックはこうなることを見越していたのか余裕綽々とした態度だ。やがて用事を済ませてくると言って席を外した。



 二人きりになった途端、マーシャリーが身を乗り出して話しかけてくる。


「魔女狩りにこられたと聞きましたが、どちらから?」

「東から」

「そうですか。ここらで魔女の噂は聞きませんが、何を頼りにされたのでしょう?」

「……」

「まさか勘とは言いませんよね。エンダーソンの魔女に心当たりがあるかの口ぶり。ぜひ聞かせてください。力になれるかも」


 露骨に素性を探ってこられたと感じ、クロエドは顔も合わせず無視するが、


「――私、魔女を知ってるわ」


 続くマーシャリーの言葉に、彼女の顔を凝視した。


「……何?」

「あなたの探しているエンダーソンの魔女は、邪教の魔法使いなんかじゃない。もっと穢れたもの……女の姿をかたどる、魔物なのよ」

「……」

「それは樹海にいる」


 クロエドは努めて冷静に問いかけた。


「なぜそんなことを知っている?あんたは何者だ?」

「私は……今はただの教導師よ。あなたと同じ、この町を助けたいと願ってる」


 マーシャリーの言葉は力強く、純粋な善の意志を瞳に宿していた。


「詳しく話せ」

「……妖精伝説を知ってる?」


 クロエドの頭の中をスープの姿がよぎった。


「不思議なことに、世界各地で語られる妖精の伝承は似通ってる。細かな点は違えど、必ず『美しい女の妖精』と『若返りの泉』が出てくるわ。

 エンダーソンの妖精伝説はね……とある王国の騎士と、森の海に棲む妖精の恋物語なの」


 マーシャリーは簡単な妖精伝説のあらましをかいつまんで語り始めた。



 ――とある罪を犯した王国の騎士は、森の海を彷徨っていた。追手をかわし海を越えて亡命するため、無謀にも森を抜けようとしたの。

 飢え死ぬところ、騎士は泉のほとりに辿り着き、そこに棲まう美しい女に救われた。

 その妖しい魅力のある女は、騎士を匿ったわ。彼は傷を癒すため泉にとどまることにした。

 騎士は彼女が人間ではないと勘付いていたけれど彼女を殺すことができず、自分では気付かぬうちにその魅力に溺れていくの……


 彼女は騎士の荒んだ心に優しく寄り添う。透き通る涙を流す彼女に、騎士はたずねた。


『なぜ泣く?』


『私はあなただから』


 その女――妖精は人の心を理解し、慰め、自分のことのように悲しんで涙を流す……そんな尊い生き物だった。

 騎士が、王殺しの汚名を被ったのは主君を庇ってのことだったと、彼女は知っていたのよ。


 そして……二人は愛し合うようになった。だけど、騎士はずっと疑問に思っていたことがあったの。いつのまにか姿を見なくなった追手はどこへ行ったのか、と……その理由を探るおり、騎士は彼女の秘密を知ってしまった。


 彼女が夜な夜な人間を喰らっているのを。

 泉の底に、おびただしいほどの白骨が沈んでいるのを。


 彼は全てを理解したわ。

 自分を匿い、救ってくれた妖精が、追手たちを密かに捕らえて喰らっていたことを。そして、泉は不老の源であり、人の血を吸い上げて永遠の命を与えるということも。

 彼女がその泉の力によって美しいままの姿を保っていることに気づいた騎士の心は、ひどく掻き乱された。そんな彼の心に気づいた妖精はただ微笑むだけ……


 目を醒ました騎士は苦悩したけど、最後には泉に背を向け、彼女の呼び声を振り切って去った。


 だけど、どうしても森を離れ海を越えることはできなかった。騎士は森のそばの町に住み着いた。ずっとずっと、森の奥から響く彼女の呼び声に耳を傾けて、長い長い時をひとりで暮らした……


「『森の海には人喰い魔が棲む。決して足を踏み入れてはならない』……

 彼はどんな心で、それを口にしたのだろう?……そんな話よ」


 クロエドは何か腑に落ちない感覚がしていた。所詮童話とはいえ、致命的な矛盾に気づく。


「教訓がとっ散らかってるな。樹海に立ち入るなと言いたいなら、若返りの泉なんて話を盛り込んだのは、どう考えても逆効果だろう」


 若返りなんて魅惑をちらつかせたら、樹海に入る者が出て来る。そんなバカを、クロエドはすでに一人知っている。


「その通りよ。だからこそ、この物語は実話ではないか言われてるわ」

「だったら……なんだ?この話と魔女に何の関連がある?」

「……あなた鈍いって言われない?私が言いたいのは、魔女は妖精のことなんじゃないかってこと」

「……はあ?」


 マーシャリーはクロエドの素っ頓狂な反応に「な、なによぅ……」と怯みつつもむっとした。


 クロエドからすれば、魔女を倒すようにと依頼したのは妖精自身なのだから、何ともおかしな話だ。


「あんたといいジャックといい、この町に住むと気でも狂うのか?うがちすぎだ」

「ってことは、あの人も私と同じようなことを考えているのね?あなたがあの人に協力するのは、その可能性を否定できないからじゃないの?」


 確かに、ジャックは『魔女が町にいるとは思えない』と言っていた。断言はしていないものの、樹海にいると考えていることは十分あり得る。


「俺が聞いたのは、奴の真の目的は死体集めでも人助けでもなく、若返りの泉ということだけだ」

「……何?それ」


 クロエドは吐き捨てたのち、彼女の表情を見て息を呑んだ。冷たい表情をしていた。



「――おおい、待たせたな。なんだお前ら見つめあって……随分仲良くなったんだな」


 パッと振り返ったマーシャリーは、ジャックを笑顔で迎えた。


「もう、からかわないでください。何してたんですか?遅いですよ」

「悪い悪い。じゃあ早速行くか!」


 ジャックは散々待たせた謝罪を軽く済ませて、クロエドの肩を叩く。


「何だよ、さらに顔色悪くなってるな」



 *



 森の奥に進むにつれて、雨が強くなる。


 町で魔女を見つけられないまま、樹海に逆戻り。クロエドは先走るジャックの後ろに続く。


「そんなに急がないでください!何があるか分からないんですよ……はあ、はあ……」


 マーシャリーは物おじせず進む二人を、浅い呼吸を繰り返しふらつく足取りで追っていた。


「付き合うことはねぇのに、お前も律儀だね」

「ゴホッゴホッ……すみませ……ここは空気が合わなくて……」

「魔力に敏感なのも困りもんだな」


 肩で息をするマーシャリーをよそに、クロエドは深呼吸する。樹海の空気に満ちる魔素を感覚で探った。


(前より薄い……?が、相変わらず質はいい。悪い感覚はしない。あいつのは過敏反応だ。魔術師には向かない……)


 広場に辿り着く。


「ここが最後の拠点。端から端まで結んだら、ちょうど3割の地点だ」

「そこで止まってください!この先の立ち入りに許可を出しますから……」

「この先?何だよ、結界の範囲ってこっから先なのか!?何もしなくてもここまでは入れたんだな!」


 マーシャリーは奥へ進み、彼らの方へ振り返った。


「それじゃ、名前を言ってください」


 一瞬間があき、二人は顔を見合わせてから言った。「ジャック」「クロエド」と、どこか投げやりに。


「二人とも……隠してるのも、ぜんぶの名前を教えてください!」 


 結界を抜ける方法とやらに、名前が必要なのだろう。ジャックは少しだけ迷ってから意を決して名乗った。


「ジャック……ジャック・シャウジャンニー!これでいいだろ?絶対人には喋るなよ」

「……生憎育ちが悪いのでこれで全部だ」

「……わかりました。私が許可します、どうぞお入りください」


 マーシャリーはそれだけ言って、どうぞと手を振った。


「……お前からかってねえだろうな?」

「お返事は?」



 二人は練った土を踏み締める。


「もっと何かあるのかと思ってたが、あんな問答ひとつだとはな……」


 ジャックが不満そうに頭を掻く。マーシャリーが俯いて「ジャックさんってあのシャウジャンニーだったのですね……」と呟くのに、


「家とは縁を切った」


 これ以上探るなと釘を刺すように、冷たく言い放つのだった。



「さて、こいつの出番だな」


 ジャックが取り出したのは白い魔石を加工した魔法道具だった。


「その()()()()()()……ダリアスが作った魔法道具ですか?」

「まあな」

「あの……ジャックさんが樹海へ入るのを急ぐのは……ダリアスを見つけるため?」

(ダリアス……?)


「そうだな」


 マーシャリーは一瞬安堵した。


「それは目的の一つだ」


 が、すぐ改めることになった。



 ジャックが何かを呟く。ペンデュラムから淡い光が樹海の奥へと伸びた。

 クロエドは教父の言葉……『お抱えの職人魔術師が死んで本業が危ういのでしょう。事実、質が落ちてとても使えたものではない』……を思い出した。


(恐らくジャックの本業は魔法道具に関わるものだ。

 あの振り子は地下水脈や鉱脈を探すための占い道具だったはずだが……あの光は……?)


 うまい具合に魔法道具に昇華されている。



「それで……見つかるんですか?いなくなった人たちみんな、取り戻せるんですか?」

「さあな」

「……まあ、そうですよね。だって、被害者は全員、ジャックさんが邪魔に思ってた人たちだもの。偶然にね」

「何だよ。はっきり言え」


 不穏な空気が漂う。雨雲が空を覆って、細い雨が静かに降り注いでいた。


「偶然……神様がそうしたって?私はそうは思えません」

「たとえ狙ってやったにしても、犯人は町の実情を知る相当高位な魔術師に限る。つまり、お前の上司しかいないだろ」

「ダリアスなら?」


「地底民のダリアスが……北から降ってきた相当に腕の立つ魔術師だということは知れたことですよね?」

「分かってんだろ、奴は侵攻の前に樹海に失踪した!」

「あはは、言ってて気づいたでしょ!生きてたら!?ダリアスは生きてるんですよ!」

「なぜダリがそんなことしなくちゃならない!?」

「復讐ですよ!!自分を殺そうとした、ジャックさんへの!」


 クロエドは二人の口争いを、息を潜めて聞いていた。


「……何を言ってんだお前は!?」

「私が知らないと思いましたか?

 ダリアスから聞いたんです。あなたが孤児を……大金で売り払ってるってことをね!」

「……!」

「教父様の慈善事業……子供に恵まれなかった家に孤児を養子として託す。寄付金と引き換えにね。それは悪くないわ、孤児院の運営にだってお金は要るもの。でもあなたは……!大金に目が眩んで、明らかに邪教の類の団体に子どもたちを……何人も……!」


 分厚いローブのフードからとめどなく流れ落ちる水滴のカーテンの向こう、マーシャリーが奥歯を噛み締める。


「確かに、樹海探索に必要なお金は全部ジャックさんが出資していて……その莫大な資金を商売で賄えるとは思えなかったから不思議だった。

 でも初めは信じなかったんですよ?あんなに子どもに優しいジャックさんがそんなことするなんて思えなかった」


「だけど……それを帝都に通報するって言ったダリアスがほどなくして失踪して……魔物に襲われた後、おあつらえのタイミングで狩人が町へやってきた。魔女狩りなんてただの名目だったんでしょ?なのに私は……」

「……」


 マーシャリーはジャックの鋭い眼光に怯んだ。彼は傘もささず、目に雨が入るのも厭わない様子だ。


「〜〜ッジャックさん、若返りの泉を探してるんですって?

 なんてバカげた話なの。そんなろくでもないもの、あっていいわけないでしょ!?私、勘違いしてたんだ。私が思ってたよりずっとあなたは子どもなんだ。

 何よりあなたはあの悪名高い奴隷商人の一族だものね」


 マーシャリーは罵ってやりたい気持ちを抑えて、「穢れてるわ」との一言にとどめた。


「答えてよ、私が育てた子たちをどうしたの?ダリアスをどうしたの?」  



 クロエドはマーシャリーの言動に、強く違和感を覚えながらも冷静に話を整理する。


(ダリアス……『死んだお抱えの職人魔術師』とやらか?

 ジャックに殺されかけたことを恨み、町を襲った。回りくどいことに、ジャックが疑われ町民と対立するように反対派の連中を狙った……?

 どこまで展開を読んでいたかはわからないが……あの性格だ。ジャックは殺したはずの男の生死を確かめに樹海に入る)


 クロエドは口元に手を当て思考する。


(いや苦しい筋書きだ……手っ取り早く侵攻で殺さなかったのはなぜだ?社会的信用を落とすため……?互いを潰し合わせたかった?

 他にも疑問はある。それにこの女……何を隠してる?)


「証拠はあんのか?」


 大の男の迫力にマーシャリーは体をこわばらせる。

 こそこそ探り回るどころか、これでは魔物を呼び寄せているようなものだ。


「俺がダリを殺そうとした!?人喰い魔がうろついてるって分かってんだぞ、たかが一人殺るために樹海に入るってのかよ!?ええ!?やるにしてももっと上手くやるだろうが、それで結局生きてましたなんて詰めが甘いことを、俺がするわけないだろうが!!」



「え……人喰い魔ってジャックさんが作った迷信でしょ?」


 ジャックが、は?と漏らす前に、


「おでましだ。うるさくしすぎたな」


 クロエドがジャックをこづいた。



 彼の視線の先には、巨大な獣――鼠に似たやたら歯並びの鋭利な人喰い魔がいた。

 樹々の闇の奥にたたずみ、獲物を見定める白黒の(まなこ)。かつて探索隊を襲ったそれと同一のものと教えてくれる。


「出たァ」

「こいつが人喰い魔?」


 マーシャリーは腰を抜かして震えていた。ジャックは彼女の腕を引っ張り上げ、


「あんたの出番だクロさん!たのんだ〜!」

「高くつくぞ」


 クロエドに相手を押し付けて逃げた。いくらむしりとってやろうかと思いながら、彼は腕を前に伸ばし筋肉を緩める。


 白黒の眼はジャックらの背を追うように、滑らかに回る。今にも飛びかかりそうな気配だ。


 クロエドは土の魔法で土杭をつくりあげ、剣に火を纏わせる。火は強く燃え上がった。


(!魔法が使いやすい……想像の上をいってくれる。やはり魔法と親和性が高い土地なのか……)


 後ろからわらわらと全く同じ風貌の人喰い魔が現れる。


「ふー……魔女を突き止めてもらうだけじゃ割に合わないな」


 剣を構えたその時、倒木の陰から何かが飛び出した。


「だんな!おれだ」


 パンの耳の上をギリギリ赤い線が走った。


「んぎゃ〜っ!」




 ……数分経ってもまだ、パンは耳先の毛が焦げる臭いに鳴いていた。


「紛らわしく飛び込んできてそれで済んだんだから、いいだろ」

「絶対わざとだ、わざと……」

「言うまでもないが、あの二人は放っておけ。それで?こいつは何だ?」


 人喰い魔はいそいそと、''外側''を脱いだ。脱ぎ捨てた毛皮の中身は、あの点描魔鼠だ。


「これがおれの切り札だ。魔女様が放置してた実験動物にちょっと手を加えてみた。おれの一族が敬愛する王様からとって、ラッドラットって名付けたんだ」


 ラッドラットたちは、毛皮を体の前に持ってお辞儀をした。


「まだ成長途中だけど強いよ。今だって魔女相手に5分は保つ」


 パンは「そうそうスープが会いたがってる」と言って、クロエドを泉へ連れて行く。


「5分程度しか保たないのか」

「まあね」

「俺相手に何分保つと思った?」

「え……」

「試しただろう、俺を」


 クロエドがさわやかに言うので、パンは眉根を寄せて早足になった。


「さ、さすが……怖い人だね、だんなは。

 怒らないでくれよ。ハッキリ言って、だんなが魔女を倒せるかは半信半疑だったんだ。

 でも改めるさ。竜の魔法は魔女の魔法と同じくらいイカれてる。きっと王様は1分と保たなかった」


 クロエドは勝ち誇った笑みを浮かべた。


 魔女は化け物だ。

 魔女とは会話が成立しない。

 魔女には勝てない。

 魔女に名前を覚えられてはいけない。

 魔女とは戦うな。


 人々は口々に囁く。


(――嘘だ)


 クロエドは魔女との対峙を心待ちにしていた。魔女を殺せるんだと、それほどの力が自分にはあるんだと、証明したくて……わざわざ町にとどまることを選んだのだから。



「でもだんなは魔女を殺せないよ」


 だから、パンのその一言はどんな侮辱より許し難いものだった。


「正確には魔女って生き物を、かな」

「……なぜそう思う?」

「正直おれはあんたをいい意味でみくびってた。魔女を殺せると思えるなんて、とんだ自惚れだって。だけどそう思えるくらいにはちゃんと強いって分かった」

「なら……」

「腕が立つからこそ、敵の力量を推しはかれる。勉強好きなんだろ?それに常識人だ。分からないことを知ろうとする。理解できないものを恐怖することができる、賢い人だ……

 だから必ず魔女を恐れる。正しく恐れるんだ。魔女は''おそれ''を抱く者には殺されない。そういう生き物なんだよ」


 魔女をよく知るパンの言うことを、クロエドは無視することができなかった。


「これだからおれは魔女の正体を言えないんだ」

「……!お前、不言の誓いは嘘か……!?」


(こいつ……(ただ)の鼠ではない!)


 クロエドは怒りと屈辱を感じた。侮っていた相手にいっぱい食わされたと思ったのだ。

 パンが纏う魔力が変質した。小さな小さな体に似つかわしくない、老熟した魔力に、クロエドはやっと気づいた。


「ふげん?はなんのことか知らないけど、こっちは無駄に老いてないんだよ」

「……!今は子鼠だろ……」

「老いも幼いも同じことさ。弱いとこずるくなるもんでね」


 この鼠は若返っていたのだ。何年もの歳月をたくましく生き抜いたしぶとい魔族が、焦って視野の狭くなった若輩をだまくらかすなど簡単なことだ。

 クロエドにとって取るに足らない格下が、途端に得体の知れない魔物へと変貌した。


「……どうすれば殺せる?」

「無理だね、資質の話だもん。生まれついてのバカか狂人なら別だろうけど」

「なら装うか」

「分かってないな。狂人を装える者もまた狂人なんだ」

「……高説垂れるのはいい。だが、ならどうする?俺は魔女を殺せなきゃ樹海を抜けられないんだよ。お前んとこの妖精のせいでな」

「一番最初に言ったじゃないか」



「血だよ」







「ま〜た、クロ兄に置いてかれた……」


 アルバはクロエドの置き手紙をぐしゃっと丸める。ダァトと共に教会へ向かっていた。

 その日は、朝クロエドが出ていく気配に気づかないくらいぐっすり眠れた。アルバにしては珍しく夢も見ないくらいには。


「ダァト、なんか楽しそうだね。いい夢でも見れた?」

「うん!夢の中でお父さんに会ったんだ。 地底王国を探して一緒に冒険に出たの。きっとただの夢じゃない」


 アルバは反応に困った。


「地底王国って?」

「お父さんは地底民の末裔なんだ。地底民ってすごいんだよ、すごい魔術師がいっぱいいるんだ。ほら、これもお父さんが作ってくれたんだ」


 ダァトは白い魔石の魔法道具をアルバに見せて言った。


「ペンデュラムっていうんだって。二つあればお互いを導き合うんだ」


 アルバは昨日ダァトが怒った理由が分かった気がした。

 片割れを失踪した父親が持っているはずだったのだ。導かれた先にいたのが自分で、さぞ悲しかったことだろう。



 陥没地の脇を通ると、作業員の人だかりからダァトの噂話が聞こえる。


「あの子、北からやってきた()()の」

「妻の後を追ったっていう?」

「死骸は見つかってない。死んでないのやもしれぬ。町が襲われたのもあの男のせいかも……」


 断片的に拾える言葉はどれも心無い悪口だ。ダァトは「黙れ!」と叫び捨てて走り去る。


「好き勝手……!くそ……あいつらもいなくなっちゃえばよかったのに」


「樹海だって元々地底民が住んでたんだ、お父さんが言ってた。後からやってきたのはあいつらの方なんだ」

「魔族って……」

「そう呼んでオトシめる?んだよ。魔鼠がやってきたのはお父さんがいなくなってすぐのことだったから、ああやって疑われてる」

「ひどい。恨まれることした自覚があるから怖いんだよ。君が待ってる町にそんなことするわけないのに」

「うん……きっと樹海で身動きができないんだ。早く助けにいかないと……」


 アルバはその言葉で、すでにダァトが樹海に入ることを考えているのだと分かって、止めなければと思った。


(なんて言えば……)


 結局何か上手な言い回しが思いつく前に、ダァトは決定的なことを口にする。


「アルバ、お願い。一緒に森に行って、お父さんを探すのを手伝って」  

「そ、それは……結界があるから入れないよ」

「嘘だ。昨日ペンデュラムを森で拾ったって言ったよね、本当は呪文を知ってるんでしょ」

「呪文……?」

「魔術を解く言葉のことだよ!」

「し……知らない。教父様は教えてくれなかった」


 それは、教父が内緒と言って隠した『簡単な解き方』のことだろうか。


(呪文……?あの日樹海に入った時と同じことを言えば、入れる……?)



 アルバが黙り込んでいると、


「――ああ、いたいた。君、ダァトくんだろ?やーひどいね、あいつら。追っ払ってやったよ」

「おじさん誰?」


 張り詰めた空気を裂いて、ずけずけと男が現れた。人だかりの奥にいた身なりの良い商人だ。


「僕はジャックおじさんの友達なんだ。ダリアス・ニンスヘルムの魔具のファンでね、融通きかせてもらってよく仕入れてたんだよ」

「お父さんのファンなの!?」

「そうとも。あんなに腕のいい職人はそういないよ!

 だから……こんなことになって僕もとても心配だ。でもね、今朝方ジャックが樹海に出かけてったんだ。ニンスヘルム・ペンデュラムを持ってた、そうそれ、君の持ってるのと同じ」

「ジャックおじさんが……」

「だから大丈夫。きっと彼を見つけて帰ってくるよ」

「……一つだけって言ってたのに」


 アルバは男にたずねる。


「それで何か用?」

「実はジャックに協力して、魔鼠に町を襲わせた犯人を追ってるんだ」

「犯人!?」


 行商人は驚く二人におもむろに(かご)を見せた。

 中身は魔力に集る性質を持った硬貨ほどの大きさの淡い光の塊……よく見れば蟲だ。


「死骸に群がるから、昔は死誘い(しさそ )って嫌われる忌み蟲だったけれどね……()()()()を餌に好んで集る性質があるって分かってからは、魔導蟲(まどうちゅう)って呼ばれて重宝されてるんだ」

魔力残滓(まりょくざんし)?」

「魔法を使ったあとの魔力の痕跡のこと……かな。魔素を魔力に転換する時に生まれる、魔素の(チリ)みたいなものだよ。転換が下手くそな魔法使いはこれが分かりやすいから、普通の魔力感知でも引っかかったりする。逆に、上手だと魔力残滓はほぼ残らない。そんな時に使えるのがこいつさ」


 籠の中でうごめく蟲に、行商人はひとかけらの塵を注ごうとする。彼の人差し指に旋風がおこった。


「どれだけ微かなものでも群がって光るんだ。魔力も魔力残滓も、足跡や残り香と一緒で個々に特徴があって、魔導蟲はそれを感じ分ける。上質な魔力残滓を食い尽くしたら今度は魔力を求め、しばしば使い手のもとに連れて行ってくれるってわけだ。 こいつのおかげで魔法犯罪はだいぶ減ったんだよ」

「ふーん……例えばいろんな人が魔法を使う場所だったらどうするの?ばーって蟲が四方八方飛び散るんじゃない?ボクが犯人ならそういう工作をするけどな……」


 やりようによっては追跡も無意味にできる、と思っての軽口だった。


「犯人視点で考えないの。でも目の付け所はいいね。

 実は、地下の穴も侵攻も同じ奴……魔女の仕業だと踏んで、底に溜まってた魔力残滓を追わせてるんだけど……かなり大量でね。今朝やっと食い切ったんだけど、今度は四方八方に分散しちゃって」

「それって……どういうことなの?」

「さあ分からない。とにかく人員が足らなくて、とりあえず目立つのに絞って探ろうってことにはなったんだけど」


 男はため息をつく。


「厄介なことに本命が教会の敷地でね。結界のせいで調査もままならないし、教父にも立ち入りを拒まれて困ってんの」

「一応言っとくけど、ボク呪文なんて知らないよ」

「呪文があるの?まあ何でもいいから君たちも協力してよ。ジャックに報酬踏み倒されちゃいそうなんだよ」


 アルバはダァトの意識を逸らす良い暇つぶしだと思った。


「い……」

「お断り!おれたち行くとこがあるの」

「どうせ教会に行くんでしょ?ちょうどいいから何とかしてよ」

「何とかって何?神像を叩き割る?教父様にお願いする?残念だけど、何ともできないってば。行こ!アルバ」


 アルバはダァトを引き止める。


「待ってよ、面白そうじゃない?お父さんのことはジャックさんが、クロ兄だっているだろうし、大丈夫だよ。その間ボクたちで何か手がかりを見つけて助けてあげようよ」

「おじさんがお父さんを助ける?そんなの今更信じられるもんか」

「なんで……」


 ダァトは急に声を荒げた。


「信じられるわけないだろ!どいつもこいつも、好き勝手、同情して、なだめて、馬鹿にして!ホントのこともウソですら、何も言ってくれない!アルバだって、一緒だ……!」


 ダァトはアルバの手を弾いて、一人でどこかへ行ってしまう。


「どこ行くの?」

「ついてくんなっ!」


 アルバは小さな背が遠ざかるのをぽかんと眺めた。


「な、何なんだよ……いきなり。ねえボクなんか悪いことしてた?」

「さあ……一人になりたい時もあるってことじゃない?」

「それで樹海へ向かって何かあったらどうすんのさ!?」

「それはもう彼の責任でしょう。心配しなくても結界は強力なんでしょ?怖いことは起きないよ。放っておいたら」

「でも……(結界の対象をまぬかれる可能性だって……)」

「時間を置いて会いにいくといい。その間、教父様の方をよろしくね」

「え?」


 男は蟲籠を押し付け、止める間もなく去っていく。


「どいつもこいつも……好き勝手……」



 アルバはとりあえず教会へ向かうことにした。足を動かしながらダァトとの会話を反芻した。

『何も言ってない、自分は悪くない』だの『あれそれがいけなかったのか』だの相反する考えが交錯して自問自答を繰り返す。


「う〜やめ、やめ。よしきめた。そもそもどっちつかずの状況がいけないんだ、白黒つけてやる」


 アルバは教会の柵に蟲籠を引っ掛けて、


(樹海へ戻る。ダァトを連れて行く)


 教父の元へ向かう。




「と、意気込んで来たものの……」 


 ダァトとの仲直りを目指して、呪文を教えてもらうべく鼻息荒く教会へやってきたのだが……


『留守!?』

『ご用事でお出かけに行ったよ』


 孤児院で子どもたちがそう教えてくれた。アルバは考えてみればそうか、と思い至る。


(クロ兄の置き手紙には樹海に行くって……でも昨日の話からするとジャックさんは禁域を通れないはずだから、教父様と一緒に行ったんだ)


 ならば、とマーシャリーを探すも彼女の姿も見当たらない。誰も行方すら知らないらしい。


 アルバは教会の隅々まで探し回った後、教会の二階部分にあるマーシャリーの部屋の前に立っていた。子どもの手作りだろう木作りの名前のプレートがかかっていた。

 廊下は薄い太陽の光で埃がキラキラ輝いている。


(外出したか、部屋にいるか)


 アルバは初めに優しく二回、次に力強く三回ノックする。


「!鍵はかかってない……」


 教父の部屋は施錠されていたが……不用心だが好都合だ。呪文の手がかりがあるかもしれない、とドアノブを握る手に力を込める。



 その時、ぬっと後ろから細い指が伸びて扉を閉められた。


「レディの部屋に忍び込むのは10年早いわね」

「マ……マーシャリー……!」


 アルバは悪事を暴かれた気がして、鼓動が跳ね上がった。未遂、未遂と唱えて気を取り直す。


「いたんだ。どこ行ってたの?てっきりみんなといるかと……」


 振り返って彼女の顔を見上げる。鼠を模した仮面を手にして顔を隠し、口元だけが見えていた。彼女の口元がにこりと歪む。


「……マ……マーシャリー、だよね?」

「今日は占いによると赤い靴の日!お休みをもらったの。キミこそみんなに混ざらないの?」


 アルバが応接室にあった神像を背に隠す。マーシャリーはそれを見逃した。


「ボ、ボク今魔女を追ってる途中だから」

「魔女……?」

「みんなには内緒だよ。町を襲ったのも陥没地の穴を掘ったのも魔女なんだ。穴の魔力残滓を追ったらここに」

「キミは、残滓を追えるの?」

「ボクじゃなくて、魔導蟲っていう魔物がね。それを使ってこの建物の中を調べたいの……」


 アルバは何とかマーシャリーから呪文を聞き出したいが、ダァトと二人で樹海へ入るため、という目的については話したくないと思った。彼女を強引に仲間に引き入れる選択肢も浮かんだが、そうすべきでないと感じた。

 彼女の異様な雰囲気を、怖いと思ったからだ。


「禁域のせいでその子が入れないんだ……マーシャリー、結界を通れるようになる呪文を教えて」

「教父様が教えなかったことを教えるわけにはいかないの。それに……」

「……それに?」

「ねえもういいから。それってわざとなの?本当は気づいてるんでしょう」

「……?」


 アルバは本当に分からなくて、何か覚えがないか頭の中身を探した。それでも分からなくて、目を泳がせる。

 窓辺から差し込む光が強く照らした。埃が彼女を透過したように一瞬見紛って、彼女の頭からつま先までを見回した。


「……」


そして気づく。


『異形は足元で見分ける』


 クロエドの言った通りだ。彼女の足元、光の反射で赤黒く見える靴。どこにも見当たらない。影がない。気づいたことに、気づかれた。


「私が魔女だって」


 彼女の部屋の扉が開く。



 ……後には何も残っていなかった。閉められた扉にかかるプレートのひもがずれて、コツンと一回ノック音が響いた。




 *




 泉から妖精が浮き上がる。足は水と同化していた。前より体は痩せていて、動きもぎこちなく不健康な印象を与える。


 妖精は「魔女は見つけられた?」とクロエドにたずねた。彼は自身の疑心に誘われるがまま、妖精を問いただす。


「エンダーソンの魔女は本当に存在するのか?」


 それは彼の中にくすぶり続けた疑いだ。前提をくつがえし、考えうる限り最低な状況をもたらす。


「竜樹を付け狙う魔女……魔鼠を操って町を襲ったのも魔女ではないか、と町では疑われている。

 でもそれは俺が魔女狩りの話をしたからだ。それまで魔女の影も、噂すらあの町にはなかった。


 本当は魔女なんて存在しない……


 いないものを探させて、時間を無駄に消費させ、焦った俺から目的のものを搾り取る。そんなオチじゃないだろうな」


「魔女はいるわ。私は姿形も知らないし、パンも話すことはできない……あなたが自分の力で探し出すしかない」


 クロエドは憔悴していた。樹海を出て町へ向かった時もある程度そうだったが、それよりずっとひどい。スープはそんな彼に優しく問いかける。


「あなたは……なぜ取り乱しているの?」

「俺は冷静だよ」

「いいえ。ここへきた時からずっと、あなたは遠くを見て惑っている」


「パンが……あなたが魔女に勝てないと言ったこと、気にしているの?」

「スープ!」


 パンが彼女の名を呼ぶ。彼の声色は『それ以上言うな』と牽制するようでもあり『なぜ知ってるのか』と焦っているようでもあった。


「私はこの雨をつたって生き物の心を知る。そういう魔法なの。

 パンがあなたに血をやらせるために、ずいぶんあなたを惑わせたのも分かってる。だけど、魔女を殺せないと言われてあなたが感じたのは……実力を軽んじられた怒りでも、身勝手に力をはかられた屈辱でもない……もっと原始的な恐れの感情」


 クロエドはなぜか彼女の言葉を黙って聞いていた。いやがおうにも、脳みそに溶けて染み込んでゆく。


「そう……虚勢を暴かれていないかと怯えている」


 指摘は彼に深く突き刺さった。口がひどく渇く。


「俺が……強がってるって?」

「あなたは疑り深くて、ものを考えすぎるのね。常に自分が有利な立場で利口でいることに必死で……

 二度と騙されまいと気を張っている……疲れてしまったでしょう?」

「……」

「そう……夜眠れないのね。何を思い出すの?」 


 連日見る過去の夢が、細部までハッキリと思い出される。

『失ったものばかりだ。騙されて、おびき寄せられて、翻弄されては失敗続き』。眼前の水に重なった幻覚がそう言った。

 幻だと分かってる、それでも……叫び出したい。


(なんだ……この感覚……心をのぞかれてる……!?雨か!?)


 妖精が口にする音の羅列が、胸に沈み込んでいく。


「あなたは旅路(帰路)を急いでる。帝都での失敗を――」

「黙れ……!!」

「自分の心の声を無視することはたやすいわ。

 ()()()()()よ。あなたの声を聞いて……」


 あの騎士もこんな気持ちだったのかもしれない。自分の代わりに泣いてくれる人は、


「あなたは頑張ったわ。あなたの尊敬する人、一生の親友、一番の女の子……みんな殺された。あなたが弱いせいで死んだんじゃない。あなたのせいじゃない」


 ぬるい指で心をこじ開ける。


「もう許してあげて」



 侵蝕が止まらない。



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