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アンダートゥ  作者: ただの
第一章 なぜ夜闇は私を排するのか
17/33

4-5.生者を拒絶するもの

前回までのあらすじ:

 クロエドの言いつけに逆らい町へ入ったアルバ。少女マーシャリーに誘われ、教会へと足を運ぶ。やっと惜しまず物を教えてくれる人物に出会えたみたい。


登場人物

アルバ:

人間の少年。クロエドにもう少し自分を気にかけて欲しいと思っている。


クロエド:

竜族の青年。ジャックに対する警戒心が強いのにも関わらず、彼の提案を受け入れる。魔女への並々ならぬ執着が伺えるが……?


ジャック:

エンダーソンの町の商人。樹海の探索を推し進める。樹海であるものを探し出すことを目的にクロエドに取引を持ちかける。腹の底が見えない打算的な人物のようだが……

 アルバはそれからさまざまな質問を教父に投げかけた。教父は一つ一つ丁寧に答えた。


「あの、結界魔術って魔法とは違うんですか?」

「ご興味が?すばらしい。魔術は魔法の一種です」


 教父は子どものように目を輝かせ早口に語り始めた。


「結界魔術というのは『受容と拒絶』を空間にルールづけする魔術の総称です。

 使うだけであれば誰にでもできます。簡単な結界魔術はすでに魔法道具(商品)として普及していて、代表的なものが''魔除け''……まさにこの神像などがそれにあたります。

 難しく言うのなら、神像は空間に『魔を拒絶する』ルールを課したもの、ということです」


 アルバは理解が及ばず唸った。


「うーん……?」

「例を挙げてみましょう。私が施した結界に、樹海という空間に『生者を拒絶する』というルールを課したものがあります。立ち入り禁止区域に、物理的でなく魔術的に鍵をかけたということです」

「あれ、でもボク樹海に入れたよ?」


 アルバは混乱した。町に訪れた際、樹海に立ち入ったからだ。教父の言うことが本当なら、結界に弾かれていたはずなのに……


「そうでしたか。おかしなことではありませんよ。それが結界魔術の難しさなのです」

「???」

「がんばって噛み砕いて説明してみますね……」


 アルバは注意深く教父の説明に耳を傾けた。


「『生者』が何を示しているのか?ということを考えてみてください。人間はさておき、虫や動植物は?魔物は?生きている者、に入りますか?どうでしょう」

「虫や動植物は……生者だよね?ん〜だけど、初めから樹海にいたものは弾き出されちゃうってこと?魔物は教父様がどう考えてるかによるし……」

「……おお、アルバくんは素質がありますね。考えれば考えるほど、いろんな解釈や可能性が思いつくことが何となく分かりますね」


 教父はアルバの答えを意外に思って感心したようだった。


「それら定義や理屈を、思考・構築することが、魔術を創るということです。

 昔私が青年だった頃、結界魔術には『対象の条件は具体的でなくてはならない』という原則がありました。対象の概念が壮大なほど魔術構築が難しいためです。

 穴だらけの理論の結界など、まさに雑な網目のザルを被せるようなもの。そんなものは効力がないどころか発動もしないでしょう」


 『生者』は抽象的で、その解釈も壮大といえるだろう。


「じゃ樹海の結界はザルなの?だからボクに効かなかったの?」

「いいえ。確かに発動しています。私は優秀な魔術師なのですから……というのは半分冗談で、半生をかけた地道な試行錯誤の結果ですよ」


 アルバはさらに混乱した。そんな彼に、教父は低く優しく語りかける。


「いいですか。

 魔術とは不完全を運命づけられたものなのです。いくら対象を具体的に設定したとしてもそれは変わりません。


 例えば、具体的に……『アルバという名前の生きた人間の少年』のみを受け入れる結界があったとして……

 もし彼が名前を変えたら?死んだら?性別が変わったら?では名前とは?生まれた時点で名付けられたものをいうのか?死とはどんな状態か?性の定義とは?


 そう、きりがないですね。

 原則に囚われ、答えのない思考実験を繰り返し、泥沼にはまり狂っていく。あの時代、そんな魔術師は少なくありませんでした。


 優秀な魔術師というのは、より完璧で綻びのない理を構築できるものと思われていた。

 戦争時代の名残りですね……少ない魔力で攻撃から身を守る、盾の防御魔術は結界魔術の原点ですから。たかが一枚の結界、強度と規模を重視して理論上あり得ないことや、可能性の低いことまで詰めてきたものです」


 アルバには、教父が何を言っているのか半分も理解できた気がしなかった。ただ、途方もないことだけが分かった。


「しかしそれでは遠回りすぎる。

 最低限の思考実験を経て、まずは発動させてしまう。実際に使ってから、結界にルールを追加・変更する。

 何より……何層もの結界を展開すればいい。ザルも重ねれば精度は上がる。当然、結界の数や組み込むルールが多いほど消費する魔力は増えますが……

 弾くべきものを弾く。限りなく実用的な魔術が、優秀だといえる」


 教父は、アルバを子ども扱いせず真面目に教えた。だから内容が難しくなるのは仕方のないことだった。


「ごめんなさい……あんまりよくわかんないです」

「すみません、難しい話でしたね。とにかく、アルバくんは何らかの理由で結界の対象を免れたのでしょう。

 実は簡単な突破法がありますしね」

「そ、それって?」

「内緒です」


 からかうようなお茶目な教父の態度。今まで出会った誰とも違う雰囲気の教父のことをアルバは面白いと思った。


(もっとこの人の話を聞きたい……)



 そして思い切って一番聞きたかったことを口にした。



「あの……知りたくて。邪教が何なのか」


 それまで穏やかに語りかけてくれた教父の纏う空気が緊張を孕んだ。


「誰も教えてくれなくて。資格がないとかって……

 聞くのもダメな事だって薄々分かってます。でもボク、知らなきゃいけない……と、思う……」

「……そうですか。資格……ええ、邪教と少しでも関わりのあることを口にするだけで穢れるといいます。そのため邪教について語ることができるのは、穢れに対抗できる我々聖職者だけ。それは資格と呼べるでしょう」


 教父は膝の上で手を組んだ。


「私も多くは知りません……我々が深き神を崇めるのと同じ様に、彼らは邪神を崇めている。かつて、この大地を滅ぼそうとした神を……」



「これは最古の物語……神話です」




 ――はるか、はるか昔……

 この大地には、今は旧き神と呼ばれる始祖神がおわしました。


 その頃大地は魔に支配され、飢えと病と争いと死がはびこっていました。始祖神は三人の魔法使いにそれぞれ神杖を与えて命じました。


『魔の侵蝕を退け、人を正しき道へと導くように』


 戦いの果て、魔法使いらは魔を退け、外界へと封じることに成功しました。

 それから魔法使いらは生ける三柱の神と崇められ、それぞれの正しき道を示してそれぞれの民を導きました。


 最初の神は信仰と闇を司り、死を切り離す冥道を示しました。かの神は闇の底の双眸に魅入られ、やがて冥道へと堕ちていきました。


 真中(まなか)の神は愛と時を司り、魔法で世を導く魔道を示しました。かの神は内に飼った魔に喰われ、やがて魔道に惹き込まれていきました。


 最後の神は光と再生を司り、人の世を尊ぶ人道を示しました。かの神は人を見果て見捨てず、人道を照らし続けました。



 そして……そんな波乱の萌芽をひそめた神々の治世は長くは続きませんでした。



 13月の闇夜(あんや)、最初の神が始祖神を殺めたのです。



「……これが俗に言う聖戦の始まりです。

 大地の半分を滅ぼしたかの神こそ邪神……これを討たんとする数々の戦を総じて聖戦といい、率いたのが我らが深き神というわけです。

 そんな、世を甚だしく変えた戦の終わり……邪神は闇の谷にその魂を封印され、代償に深き神は命を落とした。

 しかし亡骸の灰から、神は蘇り……これが民間では最もよく知られている再生神話です。その後、最後の神にして最高神たる太陽の神が大地を治めてゆく……」


 教父はアルバの顔色を伺った。


「……?」


 アルバはまたも『わかっていなさそう』な不安げな表情を浮かべていた。

 教父はアルバが話についてこれていないのを察して、途中からかなり話を省略し簡単にまとめたのだが、無駄だったようだ。


(つまり大昔のあったかどうかも分かんない争いの名残で今もいがみあってるってこと……?)


「やはり少し難しかったようですね……」

「い、いえ。ただその、今も敵対する必要あるのかなって。ここにくる前に、邪教狩りを見て……それで……」


 アルバの脳裏に炎と死体が積み上がる光景がフラッシュバックして言葉尻が震えた。


「……」


「……そうでしたか……我々としては邪神の復活を謳い、各地で悪行を尽くす邪教徒を見逃すことができないのです。ですが、しかし……本当は長い歴史の、戦争と差別の結果なのだということも分かってはいます。筆舌に尽くしがたい話です」


 その''悪行''が知りたいのだ、とアルバは思った。どんなことをすれば、あんなに惨たらしく殺され、文句も言えないというのだろう。

 しかし教父の思い詰めた様子から、それ以上を話してくれることはないのだと感じた。


「……幸いにもアルバくんは人間のよう。若いうちに各地を回って、さまざまな人々と出会い、彼らをよく見て知っておくのをすすめます」


(一刻も早く帰りたいんだけど……)


 使命に課された邪神討伐。

 心の片隅で、くだらないと吐き捨てる自分がいた。選ばれし者という名札の優越感では、拭い去れないほど面倒くさい、と。


(ボクがやらなきゃいけないのは……邪神(神殺し)の神殺しってわけ。笑い話にもならない……)


 思考にふけっている間、教父の話は右耳から左耳へ抜けていった。



 その時、壁時計がボーンボーンと低い音色を奏で夕刻を知らせた。


「おや……もうこんな時間ですか。すっかり話し込んでしまいましたね。

 暗くなる前にお帰りなさい。よければまた明日もお話しましょう」

「教父様、どうもありがとう」

「そうだ、アルバくんにひとつお願いさせてください。帰り道、教会の鐘を鳴らしてきていただきたいのです」


 教会には鐘楼があった。アルバは快く引き受けた。


「町並みをよく見てみてくださいね……ではマーシャリー、案内していただけますか」


 後ろにマーシャリーが立っていた。いつからいたのだろう。


「……いきましょうか」


 教父は部屋の中から手を振ってアルバを見送った。



 マーシャリーとともに教会の最上部、鐘楼に上がる。地面は遠く、足がすくむ。


「う〜高っ!けっこう怖い」


 アルバはわくわくしていた。大きな古めかしい金色の鐘がそこにあった。彼の顔が歪んで映っている。


「特別よ。本来教導師でなければ鳴らせないものなんだから……さあどうぞ、やってみて」


 マーシャリーに鳴らし方を教わり、もらった耳栓をつける。初めて鳴らした鐘は、力みすぎたのかずっとずっと大きな音がした。たまらず両手で耳を覆った。


「  」


 マーシャリーが何かを喋った。


「えー!?なにー?」


 マーシャリーが指差す方を見る。夕陽が照らすオレンジ色の町並みがあった。家々は、完璧にそうではないものの、自然と丸く渦を巻くような配置になっていた。そこを貫くように倉庫が規則的に立ち並ぶ。町中の道を人々が流れるようにゆく。


「きれいだね……」


 アルバは柱と柱の間、大窓から足を投げだすように座った。心地よい余韻が響いていた。




 その頃、教父は自室から繋がる小さな庭へ出ていた。椅子に腰掛け、鐘の音に聞き入って目を閉じた。



「あの黄金の夕陽……鐘の音……聖歌が響き渡る、懐かしき我が故郷……」


 瞼の裏に、褪せた思い出が蘇る。在りし日の、大教母との語らいの記憶だ。


『ネアド……エンダーソンは遠いですね。穢れた樹海に阻まれ、私の力も及ばない。

 だからこそあなたのような有能な魔術師が必要です。樹海を掌握し、人々を救うのです。

 遠い地で……いつもあなたを想っています』


 いつもあなたを……


 教父は何度も何度もその言葉を反芻した。そして思う。



(どんなお声だったか)



 しわがれた唇が割れた。


「大教母さま……一目、一目でよいのです。もう一度、貴女様に会いたい。

 私は老いた……70年もの年月をこの地に捧げた。聖者として、彼の地に帰ることが夢でした……貴女様に迎えられる、贅沢でささやかな夢を……

 よわい100を目前に、悟るのです。長くない、と……

 生きているうちに、どうか貴女様に……」



 そこまで口にして、教父は自身の内から湧き上がる何かに折れるように下を向いた。


 その背後に、二つの足音が近寄る。教父は振り返らず話しかけた。



「そろそろ来るかと思っていましたよ。大体の……話の見当はつきますが」



「――ようエセ教父!」


 町一番の商人が、狩人を引き連れてやってきた。


「さて、お話し合いといこうじゃないか」

 


 *



 時は朝に遡る。

 二日酔いのクロエドとジャックは、地盤陥没事故の現場にいた。


 ここらでは時折地が陥没するのだが、先日のそれで大穴が露出したのだという。

 大穴はコロニーにあたるのか、無数のトンネルが周囲へ伸びていた。人形の首や絵筆など人間の持ち物が瓦礫に混じって落ちている。


「魔鼠は土の魔法使いだ。消えたように見えたが、こいつに人間を引き摺り込んだんじゃないかと思ってな。あんたの見解は?」


 トンネルはちょうど人の頭が通るくらい、魔鼠が通れる小ささだ。トンネルの先に、他にも大穴があるのだろう。

 陥没穴の調査のため整備の作業をする人々の傍で、ジャックはクロエドにたずねた。


「魔物自体の知能は低い。必ず統率者がいる。弱い魔物を上位種や言葉を喋れる魔族が束ねることは多い」


 クロエドはパンを思い浮かべながら言った。

 魔物……魔法が使え、意思疎通がとれない異形生物のことだ。言葉を喋るそれは、魔族と呼び分けされる。

 


「そいつこそ魔女かもしれないな?」

「……何か知ってるのか?」

「いいや、ただ魔女には使い魔といって魔族が付き従うのが普通だろ」

「……」


「――ジャック、面白そうな話してるな。これが魔女被害だって?」


 作業を指揮する男が話しかけてきた。ジャックの仲間の行商人だ。

 それなりに値が張りそうな制服を着ている。何かの商業団体の一員なのだろうか。あちこちで同じ制服を着た男たちが、作業員に命令を言い渡していた。


「教会の魔女被害救済金を狙ってるなら、上に口添えしてもらおうか?別料金になりますが」

「そんなのなくても通るって。こいつぁホンモノの魔女被害だから」

「それにしては小規模じゃないか?ま、迷惑には変わりないけど。本当魔女様って、なんなんだろうな」


 行商人の皮肉に、ジャックが答える。


「元々魔女は、まじないや占い、産婆の真似事、薬生成などを生業としたいわゆる『おばあちゃんの知恵袋』的な、知識ある先人女性という意味を持っていた。都会じゃちっと違うルーツで、魔性の女だの淫売だのをいうこともあるが……ま、今じゃ邪教の女魔法使いたちを指す」


 クロエドはジャックの細かい説明に、無駄に詳しいと思った。

 行商人があごをかきながら答える。


「ここらじゃ魔女の話なんてちっとも聞かないな。魔女被害が盛んなのはずっと東の方。

 エンダーソンは直線距離的には帝都に近いけど、東は岩山、西は海、南は樹海、北は荒野と変に断絶されてる。色んな意味で未開拓地……商売やるにはやりにくい地域だよ。なんでジャックがここを選んだのか、全く理解できないね」

「ふるわなくってなぁ!まけてくれよ」

「うちの結社そういうの厳しいんだよ」



 ジャックは作業に混じって穴の底に降りていった。

 それを上から眺める行商人はクロエドに話しかける。


「おたく、魔女狩りなんだって?エンダーソンの魔女ってどんなもんなの?見た目は?特徴は?魔法は?」

「さあな。ただその魔女は妖精を狙ってこの町にいるとか」


 クロエドは適当にけむに巻くつもりもあって妖精の一言を口にした。しかし、彼の反応は想定していたものと違った。


「妖精ってあの妖精伝説のか?おたくまでホントにいると思ってんのか?」

「……妖精伝説?」

「あれだろ?''若返りの泉''!童話だよ。一目泉のほとりの妖精を見たくて故郷を出たんだと、昔ジャックが言ってたよ」


「――おおい、降りてきてくれ!」



 ジャックの大声に呼ばれ、二人も穴底に降り立った。彼が示すものに行商人は声を上げる。


「魔法の痕跡じゃないか。魔鼠ごときのもんじゃないなぁ……地中だからと気を抜いたのか、全然隠せてない」


 痕跡からは、隠すそぶりすら感じられない。


「これなら簡単に追えるよ。契約通り、犯人探しは任せてくれ。報酬金、耳揃えて準備しておけよ」

「おー早けりゃ上乗せしてやる」


 クロエドは違和感を覚えた。わざと隠していないように思えたからだ。


「そいじゃ、こっちは置いといて俺たちは行くか」

「どこへ?」

「教会。言ったろ?樹海の結界はウチの教父様の自信作でね。奴の協力は必須だ。なんせ樹海に入れなきゃお話になんないからな……」



 ジャックはにんまりと笑った。




「――さて、お話し合いといこうじゃないか」



 背の曲がった老人だ。樫の杖をつき、白と黄金の聖職者の衣に身を包んでいた。


「またそんなことを」


 教父は''エセ教父''との軽口にため息をついた。ジャックの背に隠れるように一歩下がって立つクロエドに向かって言う。


「おやあなたは……この町の方ではありませんね。お客人、彼の無茶苦茶に付き合うことはありませんよ。

 せっかくです、逢魔時をやり過ごすのにうってつけなお茶を振る舞いましょう」


 クロエドは黙って教父や教会を観察した。

 竜を邪神の眷属とし迫害を先導してきたのが太陽神教だ。世界各地におかれた教会という名の組織、その長を目の前にしてクロエドは心中穏やかではいられないのだった。



 二人は応接室に通された。低いテーブルをはさんで向かい合う。ソファに腕を組んで座るジャックの後ろに、クロエドは控えることにした。

 若い女性が質素な木の器に淹れたお茶を運ぶ。


「どうぞ」

「ありがとうマーシャリー」


 来客が珍しいのか、孤児院の子どもたちが部屋の外から様子を伺っていた。


「珍しいでしょう。私の教会は医院の代わりに孤児院をもうけています。教会はもともと物を教える場所ですし、いっそ子どもを養育してもいいと思いまして」


 マーシャリーと呼ばれた少女は彼らを叱った。「()()のお話だから、邪魔しちゃダメ」と。


「帝都の孤児院には及びませんがね……多くの子どもたちが未来を夢見て過ごせるような場所にしたいものです。 しかし……ジャックが熱心に出資する理由が、子ども好きだから、というのもおかしな話ですね」



 ジャックは前のめりになって、微笑む教父の話を雑に遮った。


「人員は確保した。反対派の連中が味方についてな。

 大探索だ。ひいては結界の解除を願いたい」


 教父の顔前に紅茶の湯気がたつ。口をつけるところだったが、仕方なくカップをソーサラーに置いた。


「目的は?」


 大気の魔素が揺らいだ。教父の放つ圧に、反射的にクロエドの指先が意図せずピクと跳ねた。


「人助けだ。魔物の群れの王をぶっとばすーーと言いたいところだが、攫われた町民の捜索が主だ。 関所の、あの変わりモンな城主が援助に乗り気でないことは分かるだろ。待っていては手遅れになる」

「そうですか。では今回に限っては私だけが反対派ということですね」


 柔和な物言いだった。わがままな子どもを諭す言い方。


「――皆をまとめあげたからといって、もう町長気取りとは。影響力があるのは認めますが。

 攫われた?行方不明? あなたのその物言いにはかねてより辟易していました」


 優しく温かみのある声色に、そぐわない内容。


 不気味だった。

 これが教父。一個の教会の主、身近な神の代理人。


「濁すから余計な希望を抱いてしまうのです。

 この際、はっきりされてはいかがか。樹海の魔に呑まれた者は、失踪者ではない。 みな死者なのだと。 失踪者の生還などと、いたずらに希望を煽るのはおよしなさい。 今回()急ぐ必要はありません。時を待てばよろしい」


 黙って喋らせていたジャックも、負けじと反論する。


「お前と手を組み、樹海を暴き始めたのはいつからだったか……覚えてないよなぁ?寝る間も惜しんで働き、大金を稼ぎ、はたき……たまの休みには孤児(ガキ)の面倒を見る。そんな目まぐるしい日々だ、無理もねえ。

 それにふさわしい成果を得たな。 前回の大探索で、やっと……何割だ?言ってみろ」

「……最高到達地点はちょうど三割。完全に掌握できたのは二割というところでしょうね」

「お前、焦らないのか?」


 ジャックは眉尻を下げた。


「長年の悲願だった樹海の完全掌握より、お前がおっ死ぬほうが当然早いとは思わないか?」


 決して煽ってはいない。本気で心配している声色だった。しかし、それが逆に小馬鹿にしていると感じられる。


「……それと、今回のことに何の関係がありますか?」

「待つのは懲りたってことだよ!賢いつもりで悠長に構えて、無駄に老いたらどうしてくれる? 教父のお前は最低限、遺体を回収できれば満足だろうが、俺は強欲なので賛同しかねる。

 失踪は失踪だ、生存前提で扱う。全部とりにいくつもりでやる。 俺たちは気が合うが、これに関しちゃずっと合わなかったな。譲るつもりはお互いこれっぽっちもないわけだ。

 だがそれでいい。

 今回のことは、そうだな。諦めろ。 お前流にいうなら、時が来たというこった。俺がふるわない結果にしびれを切らす、その時がな」


 ジャックは、掌を上に向けた片手を上下に振りながら語った。最後にぎゅっと拳を握って、教父の返答を待つ。

 


「……ふふ……相変わらず、商人という生き物は舌も頭もよく回る。中身は空だというのに」


 教父は言葉とは裏腹に、まるで聞き分けのない子どもに向けるような微笑を浮かべていた。緊張がとけ、交渉の成功を期待してほっとしかけたところ、



「――お帰りなさい」


 告げられたのは、明確な拒否の意だった。



「お客人、どうか勘違いなさらないでくださいね。私は意地悪で申し上げてるのではありません。不幸な死の連鎖を断ち切るためです。結界を解くのは、せめて援兵が到着してからのことです」

「どうしても?」


 クロエドはたまらず口を出した。山門城から樹海を迂回してエンダーソンへやってくる援兵のことを待ってはいられない。


「あなたは彼の真の目的を知っておられますか」

「真の……?」

「人助け、などと……よくぞ言ったものです。彼の目的は、どこまでいっても金ですよ。

 お抱えの職人魔術師が死んで本業が危ういのでしょう。事実、質が落ちてとても使えたものではない」


 教父は神像を懐から取り出した。肉の皮だけの細い手の中で、それは粉々になって散った。


「私財の大半を投資してきた樹海探索をなんとか商売にこぎつける必要があるのですね。

 こんな噂を耳にしました。

『ジャックは何かを探している。()()()()()()()を』……血眼になって。

 山門城の対応はあなたのせいでは?彼らが捜索の一環でソレを見つけ、所有権を主張するのを危ぶんだ。

 それほどまでに価値があるもの。一体何なのでしょうね。お客人、あなたが彼の汚い金儲けの犠牲になることを止めはしませんが……」


「このボケ老人が、よくも抜け抜けと」


 ジャックが拳を握り込んだその時、パンッと破裂音がした。


「マーシャリー……」


「――はい!()()の話はおしまいです。子どもたちの前で喧嘩したら許しませんよ」


 彼女は手を叩いて一触即発の空気を変えた。

 ジャックはまだ熱い茶を一気飲みして、ドアノブに手をかけた。


「俺が諦めると思うな」

「わぁあ!」

「よ……」


 ジャックの捨て台詞に子どもの叫び声が重なった。

 扉に耳を押し当て盗み聞きしようとしていた子どもたちが、ジャックが扉を引いたせいで勢いよく部屋の中へなだれ込んだのだった。


「くぉらガキども、聞いてやがったのか!?」

「まっ待ってジャック聞いてないよ!聞こえなかったんだ、音だけよそにやったみたいで……」


 クロエドは口々に喚く子どもの後ろに、見覚えのある顔を見つけた。


「アルバ……」

「げっ、あっ」



 アルバはついげっと漏らした口を慌てて押さえた。

 子どもたちは大人が怒り出す直前の嫌な空気を察知し、アルバを置き去りにして逃げていった。

 クロエドが息を吸い込む。


「なんでここにいる?待ってろって……」

「うー、あーっと手伝おうと思って」

「危険だと……!」

「その通りだわ。あなた父親?」


 マーシャリーは二人の間に入り、アルバに聞こえないよう小声で怒り始めた。


「アルバくんは外に一人でいるところを保護しました!何考えてるの?結界があるとはいえ、危険な状況には変わりないのに!なんのために外出禁止令が出てると思う?」

「アルバは……」

「汚れてるし孤児だと思ったわ。どうして気にかけてあげられないの?あなたみたいな最低な親が、森に子どもを捨てにくるのよ……!」


 クロエドは段々と声を荒げるマーシャリーの勢いにひるんだ。

 ジャックは年若い娘にただならぬ形相で迫られている彼に助け舟を出す。


「な、なんだクロさんの連れ、こんなチビだったのか。いやあもっとデカいんだと思ってたぜ、親父帰すの遅くなって悪かったな、坊主」


 ジャックはアルバの頭を撫でくりまわした。


「別に一人でも平気だって!それに父親じゃない」

「訳あって預かってるだけだ」

「あ〜どうりで……」


 ジャックはその時、小さな影が去るのを視界の端に捉えた。廊下に出て、影の主の肩を引いて呼び止める。


「おいダァト!久しぶりだな、元気だったか?こっちへ来てたのか、どうだ、やっぱりお前も友達がいるとこの方が楽しいか」


 ジャックはそこまで言って、ダァトが外行きの格好をしているのに気づいた。


「おーっと……?おいおい、さては今からあの家へ帰る気か?陽は落ちたんだ、今夜くらい泊まっていけばいいだろ」

「ううん、帰る」

「ここが嫌だってなら、俺の家に遊びに来てもいいんだぞ。ほら、親父の作った……」


 ジャックが懐を焦った手つきでまさぐっていると、ダァトが彼の方へと歩いてきた。思わず彼は手を止めるが、


「いいって!」


 と一瞥もせずダァトが吐き捨てた。ジャックの後ろで会話を聞いていたアルバの手を強引に引く。


「いいの?どこ行くの?」

「自分の家に帰るんだ。おれんち、宿屋を間借りしてるんだ。もし今夜泊まるところが決まってないなら、隣の部屋に泊まってよ。大人がいれば、マーシャリーもうるさく言わないもん」

「でも……」



 アルバは先ほどの鐘楼でのマーシャリーとの会話を思い返した。


『帰る前に少しだけ話をしてもいい?ダァトのこと……』


 マーシャリーはアルバの右隣に座って夕焼けを眺めながら話し始めた。


『あの子、お父さんと二人で暮らしてたの。つい最近いなくなってしまった。樹海に入っていったのを見てた人がいて、それが最後』

『探しに行かないの?』

『行けないわ……あそこは魔物とか霊とか……とにかくいろいろね、''出る''の。土地そのものに魔力があるのか、昔から何人も行方不明になってる。樹海自体を人喰い魔って呼ぶ人もいるくらい。まともなら寄りつかないわ。

 ……でもね。ダァト含め、大事な人をとられて、危険を冒してでも探しに行きたい人だって何人もいるの。 だからずっと前に教父様が探索隊を立ち上げて、定期的に捜索してる』


 マーシャリーは魔石のブローチごしに胸元に手を添えた。手首に結ばれたリボンが夕焼け色に染まっている。


『その度に何体もの遺体を連れ帰ってくるのよ。古いものから新しいものまで……

 可哀想だけどもう生きちゃいないよね。ダァトは割り切れないでいるわ。頑なにあの家を離れない……きっと帰りを待っているの』


『だけどね。残酷だけど、それならまだいい。一番怖いのは、ダァトが父親の死を認めてしまうことだから』

『どうして?』

『死んだらどうなるか教父様におそわった?』


 アルバは首を振った。


『死んでもね……しばらく、魂はからだから離れられないんだって。死んですぐに、生への執着を断ち切るのは難しいから。

 未練がいっぱいだと、楽園に行けないでこの世にとどまり続ける。悪意があれば、やがて魔物になる……そういう教え。 そうなる前に楽園に送るには、生きてる人の手で執着を断ち切ってあげる必要があるの。神聖な火で弔って』


 太陽神教の葬送儀礼は、アルバの故郷のそれとは大きく異なっているようだ。


『からだを燃やすの?』

『そう。地方の信者は死ねば灰になって、教会から''彼の地(か ち)''へ送られる。いずれまた大教母のように、灰から蘇ることを祈ってね……

 それがならわし……だから、からだが見つからないってことは、()()()()()()()()すごく怖いことなの』


 であれば、太陽神教徒にとって樹海は忌まわしいことこの上ない。アルバは教父の言った、''過酷な土地''という意味がようやく分かった気がした。


樹海()は、弱った心につけ込むわ。

 亡骸を取り戻したいと願う心に……そして巧みに惹く。 可哀想に、ダァトのお父さんも今になって惹かれた。いつだったか樹海に消えた、あの子のお母さんを探しに行ったの。それで自分も死んだ……

 両親を同じ場所で失ったのよ、それに気づいてしまったら、あの子も……言わずともわかるでしょ?……

 あの子は一刻も早く、教会で保護されるべきなの』


 アルバは首をかしげた。

 マーシャリーの言うことが本当なら、多少無理やりでも、すぐにダァトを孤児院に入れるべきだと思ったからだ。こんなに危険な町で幼い少年が一人で暮らすのを看過するなんて、と。


『だったらお父さんのことは……辛いけど本当のことを伝えればいいじゃん。だって、いつかは教父様が連れ戻してくれるんでしょ?』

『……ダァトは、教父様のことがあまり好きじゃないの……教父様は樹海探索を、死者を連れ戻すためと説くわ。 それがダァトには辛かったのね。お母さんが理由がなんであれ、自分を置いて死んだと認めるようなものだから。


 それに、お母さん、見つかっていないのよ……


 それなのにどうして、お父さんを連れ戻せると信じられるの?』


 マーシャリーは向こうに顔を逸らした。口元に手をやって、リボンの影が小刻みに揺れる。

 アルバは彼女が初めて泣き言を漏らした気がした。しっかり者の彼女もまだ十代の少女だったのだな、と思ってそれ以上横顔を見ないように努めた。


(どっちにしろ樹海に入っちゃいそうだって心配するのは分かるけど……でも時間の問題だ。やっぱり誰かがちゃんと言わなきゃ。どっちつかずが続く方が、ずっと辛いよ)


『一番いいのは、あの人に引き取られることだけど……』


 彼女の呟きはアルバの耳には届かなかった。


『何か……きっかけが欲しいの。アルバくんがそれになってくれたらって思ってる。

 何も、無理に連れ出せとは言わないわ。

 話を聞いてあげてほしいの。あの子、何も私には言ってくれないから。でもキミなら……できるよね?』




「でも……」


 アルバはダァトに手を引かれながら後ろを見る。マーシャリーの不安げな表情が、鐘楼でのそれと被った。


 アルバは繋いだ手を引いた。


「クロ兄がなんていうか」 


 彼の咎めるような目つきに、アルバはへらっと曖昧な笑みで愛想を浮かべた。


「お願いしたらいいって言うよ」

「い、言いづらいよ……」

「なんで?お父さんじゃないから?」


 先ほどの話を聞いていたようだ。


「そ……んな感じ。あんまりわがまま言いたくないんだ」

「約束破って一人で外に出たって怒られてたくせに」

「だっ、だからだよっ。もうがっかりされたくないから、いろいろ我慢する」

「ふーん……おれのお父さんはなーっ、すっごい優しいんだ。全然怒んないし、いっつもどんなお願いも聞いてくれる。絶対、絶対おれを置いてったりしないんだ」


 アルバは彼を不憫に思いつつも、今こそ『言うべき時』ではないかと唾をのんだ。


「帰ってきた時、家にいなきゃ心配しちゃうんだ……」

「そんなこと――」

「いいよ、アルバ。その子の言う通りにしよう」


 遮ったのはクロエドだった。


「ホントに?ありがとうございます、おじさん!」


 アルバは喜ぶダァトに何も言えなくなってしまった。何も知らないクロエドの顔をウッと見上げる。


 支度を手伝う、とマーシャリーが言った。彼女の複雑な面持ち。彼女は、やっと教会に連れてこられたのだからみすみす帰らせまい、と思っていたに違いない。アルバは心の中で謝っておいた。




 クロエドはジャックを見送りに表へ出た。


「わりーな。あの子は俺の部下のガキなんで、ほっとけなくてな。宿代は俺が出しとく」


 教父の説得に失敗した今、早急に次の手を考えなくては。だというのに、ジャックのけろっとした様子からは危機感を微塵も感じ取れない。


「そんなことより、どうする?何か考えがあるんだろうな」


 クロエドの中にはすでにいくつかの手が浮かんではいた。

 そもそもクロエドは樹海の結界を通ることができるのだ。駆け引き材料としてあえて伏せておいたその事実……使い所を彼は冷静に考えていた。


「……また連絡するから窓開けて待ってろ」


 肯定も否定もしない。ジャックの背中が逃げの意を物語っていた。そこに畳み掛ける。


「一番手っ取り早い方法がある。奴はあんたの真の目的とやらを知りたがっていた。それを明かせばまた違った結果になるかもしれない」


 あの頑固な教父が、そんなことで思い通りにはならない……とは分かっていた。ただ隠すほどのやましい何かがあるのなら、それを知りたいのはクロエドとて同じことだ。


「あんたは……樹海で何を探している?」


「夢だ」


 強い口調だった。


「夢を持ってここへやってきた。夢が何より大事な財産だ」



 クロエドは誤魔化されたと思った。いちかばちか呟く。


「若返りの泉……」


 ジャックは目を見開いた。ゆっくり振り返る。顔の筋肉が緩まるに連れて、大口が閉じていった。



「――あいつに聞いたのか?くっくく、くく……いいよな、人類の夢だよ」


 クロエドはそれを肯定と取った。

 以前までの彼なら呆れ返っていたことだろう。大の大人が童話を本気にして、莫大な金を注ぎ込んできたのだから。正気とは思えない。


「ここにくるまでに、若返りの泉、というトンデモ話を聞いたことは?」

「いや」

「言葉通り『飲めば若返る不思議な水が沸く泉』っつーおとぎ話があってな。その泉のそばには美しい女の妖精がいるそうだ。

 実のところ、俺は泉がエンダーソンに実在するのでは?という一説にあてられて、興味本位でここへやってきたんだ」

「なら、樹海探索の目的は……」

「な〜に、そっちの方は今じゃおまけ程度のお気持ちだよ」


 クロエドの頭にはすでに妖精のいでたちが浮かんでいる。馬鹿馬鹿しいと否定することはできなかった。


「もし泉を見つけたら……どうする?」

「そうだな……若返りの水を売り出し、世界一の商会にでもするか。若き頃のロマンに従って」



 *



 マーシャリーに送り出され、たどり着いたのは最初にクロエドが訪ねた宿屋だった。女主人は煙管(キセル)を吸っている。


「ああ話は聞いてるよ。うまく気に入られたもんだね、あたしゃてっきり牢屋送りにされたかと思ってたのに」


 クロエドは口ぶりでピンときた。恐らく彼女はジャックと通じていて、犯人役として自分を渦中へ送り出したのだろうと。


「おかげさまで臨時収入が二回も入ったんで、食事でもつけてやるよ」

「うわああっ!」


 その時、アルバが階段を転げ落ちてきた。「うえー」とうめいている。


「うちは安さ相応のボロだから、物の扱いは気をつけとくれ!」

「お、おばさん!階段の上に境界霊がいるんだけど!?」

「そりゃうちの名物だよ」


 アルバは階段を上り下りする霊に驚いて足を踏み外したのだった。


「霊が出る宿屋なの……?」

「ここらで霊の出ない宿屋なんかないよ!なんせ樹海のお膝元なんだからね!」


 アルバはダァトに連れられ、階段を駆け上がっていった。


「やれやれ。アンタ、父親なら子どもの面倒ちゃんと見てやんな。そばを離れちゃなんないよ。もしアンタが〜〜どんな事情でも〜〜……」


 アルバは長話に捕まったクロエドを置いて、境界霊の方に夢中だ。


(教会でも見かけたけど……不思議だな。13月でもないのに割とハッキリ見える……)


 子どもの霊が、段ごとに両足をそろえ階段をくだっていく。三段ほどおりたあたりでしゃがみこむ。


 その脇を二人は通り抜けた。

 アルバが霊を見下ろした時、ちょうどぐいんと子どもは首を回して上を見上げた。

 ぎょっとした束の間、霊は消えて、またもスタート地点に戻っていた。時が巻き戻ったかのように。


 アルバは透けた姿に、彼女のことを思い出した。


(ハクア……どこにいっちゃったんだろう。なんだか、遠くなった気がする)



 二人は並んで廊下に座った。手すりの柱の隙間から足を出し、一階へ続く階段を眺める。

 一階からオレンジ色の光が漏れていた。宿の女主人(おばさん)が動くたびに影が、段の上を伸び縮みする。



「樹海抜けを?なんでまた……」


「急いでて。期限までに関所に行きたくてさ……」

「あんなとこ入っちゃダメだ。すごく怖い場所なんだよ、弱った人を引き込むんだ」


「おれの家族も樹海に行ったんだ。帰ってこなかった」


 アルバはそれ以上聞きたくないと思って話題を変えた。


「ああいうのがいるのも、樹海のせいなの?」

「たぶん」


 透けた少年が何度も同じ動作を繰り返している。


「''境界霊は死んだ瞬間を繰り返す''……って聞いたことがあるんだ。ホントのことなの?」

「さあ……そう言う人もいるのかな?

 あの子はこの建物ができた頃からずっといるんだって。それが本当なら、いつまで続くんだろうね」


(いつまで……永遠に同じことを繰り返し続ける?意識はあるんだろうか)


 アルバはそんなことを考えた。階段の少年が最期に顔を上げた時……彼の瞳には何が写っていたのだろう?

 ……それは確かめることができる。


 ぞくと背筋が冷えた。



「こ、怖くないの?」

「怖いって思ったことはないよ、慣れちゃったというか。景色の一部で意味もないから、気にしたことない」


 アルバは気丈な彼に感心しかけたが、それではいけないんだと思い直す。


「そうなんだ。で、でもボクは一人でいるよりみんなといる方がいいな〜なんて……」

「マーシャリーになんか言われた?」


 下手な誘導のせいで図星をつかれ、アルバは冷や汗をかいた。頭を回転させた結果、


「……ごめん、お父さんのこと聞いたんだ。心配だから孤児院で暮らしてほしいって、マーシャリーが」


 結局暴露した。


「やっぱり!……おれは孤児じゃない!おせっかいなんだよ、あいつ。もう嫌いになった」


 ダァトは気にかけてくれるマーシャリーのことを悪く言い始めた。子どもたち皆に樹海に入るなとよく脅すが、それは自分に対して遠回しに言っているに違いないと。その怒りには、ある種の照れ隠しの意があるようにアルバには思えた。


「ホントのお姉ちゃんみたいでいいじゃん。それにひきかえ!クロ兄は冷たいんだよ、よく置いてかれるんだから」

「ふーん……」 


 アルバはクロエドの態度への不満を訴えた。何だか少しだけダァトが身を乗り出して頷いてくれた気がした。


「あーあ、早く帰りたいなぁ。おじいちゃん元気かな……」

「……おじいちゃんがいるの?」

「うん!大好きなおじいちゃん。故郷で待ってるんだ。帰った時うんと褒めてもらえるように、頑張らなくちゃ」


「……そうなんだ。アルバとおれはおんなじだと思ってた」

「……?」


 アルバは故郷の話を続けるが、ダァトはその後の会話中ずっと上の空だった。最後には一人で考えたいことがあると言って、さっさと部屋に引っ込んでしまった。



「なんだよ……意味わかんないな」


 すると、どこからか名前を呼ぶ声が聞こえた。


「アルバー……ぐえ」


 壁の中をあちこち移動したかと思うと、下の方にある割れ目からころころと汚れた毛玉が転がってきた。


「はあはあ、やっと出られた。アルバっよくもおれを置き去りにしてくれたな!」

「パン!忘れてた。よく居場所が分かったね」

「ずっと見てたんだ!よりによって教会なんかに行くから、うかつに近寄れなかったんだよ」

「ふーん……?そういえば、孤児院の子どもたちの間で鼠がものを盗むって噂になってたなぁ。森の食糧庫にも森にはない食べ物いっぱいあったもんね。そりゃ近づけないよねぇ」 


 アルバは盗人鼠の正体が分かった気がして、遊び心でからかった。


「あ、あいつらあそこには近づくなってあれほど……!これだから森の鼠は使い勝手が悪くていやなんだっ」

「えっ?」

「あ、あーっと……教会は神聖だからおれみたいな魔物は近寄れないんだよ」


「――お前みたいな魔女の使い魔なら尚のこと教会の魔除けはきついだろうな」

「そーそー……!?ぐぇ」


 現れたクロエドがパンを握りしめた。


「ク……クロ兄!」

「戻る手間がはぶけた。聞きたいことが山ほどある」




 哀れ魔鼠は宿屋の一室の真ん中で竜に睨まれ震え上がる。

 クロエドの手にはこれでもかという量の魔力が収束していた。魔力が赤みを帯び始める。


「ままま待って炙らないで火だけは嫌だ〜!」

「やめたげてよクロ兄!かわいそうだよ、パンが何したっていうの?って盗み働いてるか、でもちょっと拝借しただけじゃない!たぶん」

「ちょっとどころじゃないしただの盗みじゃない。町丸ごと強盗、人間まで連れ去った」

「ごめんパン庇えないよ、丸焼きになったあとでスープのとこにつれてくからね」

「ちがうちがう!おれじゃない!魔女がおれの手下にやらせたことだよ!」

「え、魔女?」



 ひとときの間があいて、パンはテーブルの上に優しく置かれた。


「ううっ、すぐに勘づくと思ってたよ。あからさますぎるもの。

 だんなのいう通り、おれは魔女の使い魔……でももと、なんだ!元!」



 パンは目を瞑って怯えをこらえ搾り出すように話し出した。

 どうも彼は元々魔女の使い魔で、魔女を弾く()()()()を使う妖精を殺すために森に放たれたが、自分を大切にしてくれたスープに惚れて魔女を裏切ったのだという。


「それはスープも知ってることだよ……」



 アルバは困った。最大の手がかりがすぐそばにあったのに、余計な時間を食わされた。クロエドが怒り心頭なのは想像に難くない。

 しかも……


(クロ兄、よく変な人に捕まりがちなんだよなぁ……ジャックさんだっけ、教父様とだいぶ言い争ってた……)


 旅の道中もよく浮浪者やならず者に絡まれていた(そのせいで野宿続きになったのは否めない……)

 彼のことだからまたもや面倒ごとに巻き込まれているのだろう。そんなクロエドの心労は頂点に達しているはずだ。


 アルバは彼がいつパンを丸焼きにするかハラハラして見守っていた。



「魔女の正体を知っているはずだ、なぜ初めに言わなかった?」

「魔女に不利なことは言い出せないんだ。しゃべれば心の臓が破裂する。使い魔はそういう誓いを立てさせられるんだよ」

「それホント?だって変だよ。不利なことって、魔女が町にいることも、魔鼠が使い魔ってことも十分不利な情報じゃない?」

「そ、それは……たぶんおれはそう思ってなかったから。『不利だと思って喋る』、つまり魔術の発動は主人への悪意に引っかかるんだと思う……」

「お……」

「どういうこと?」


 アルバは怒りが噴き出しそうなクロエドの気配を感じ取って、彼の言葉をわざと遮った。


「人や状況によって意見が違ってくる曖昧な命令に従うなら、慎重にならざるを得ないだろ……あいつら魔術師はできるだけおれたちが喋らないように誘導してるんだよ!」

「えー……魔術師って性格悪いの?」

「……ふふ」


 意外にも、アルバの言葉に笑い声を漏らしたのはクロエドだった。


「それは魔術というものの仕組みのせいだよ」


 穏やかな声色に、アルバはほっと喜ぶ。


「魔術はね、創る時にまずは抽象的で基となる魔術起式(きしき)……霊文(れいぶん)を考える。そこにどんどん具体的な発動条件……魔術式を追加していく。

 この場合『対象は主人に不利なことを喋らない』という霊文に『悪意をもって魔女の特徴を喋らない』という魔術式を加えていたってこと。

 上位式・下位式とか、個人の魔力量、効率論、スーヴァ語……いろいろあるけど、(ことわり)が肝なんだ。そしてその理は作り手によって違う。同じ霊文でも魔術式は違ってくるってことだよ」


(???)


 穏やかにいきなり聞きなれない情報をぶっ込んでくるのに、アルバはキリッとした表情になった。セイカもそうだが、なぜ素人に対して専門用語を使うのだろう……


「だから魔術式というものは基本的に隠すんだ。大事な財産だからね……用途のわかる機械を渡して、仕組みを明かさないのと同じだよ」

「爆弾をくくりつけられて、どうしたら爆発するのか教えてもらえないのと一緒さ」

(さ、さっぱり分からない。とりあえずネズミの丸焼きが晩御飯になるルートを回避できたからいいけど)


 アルバは脱線した話を膨らませることにした。


「魔法と魔術って違うの?」

「簡単にいうと、''魔石要らずの魔法''が魔術だよ。魔法は、魔石が勝手にその人の意図や想像を汲んでくれるから簡単に扱えるんだ。いわば神が人に与えた祝福……一方で、魔術の起源は神に見捨てられた人々が人のために練り上げてきた泥臭い技術……学問で文化なんだ」

「へえー……」

「ただもう少し掘り下げるなら、魔術は魔法の下位互換とされてしまってる。

 魔術には宿命があって、最終的な魔術式……終式(しゅうしき)は魔法的になりがちなんだ。個人の価値観や想像力、解釈によってしまうってこと。

 さらに魔法と魔術が拮抗する場合、かならず魔法が勝つようになってる。これを()()()()()()()という。

 あと''魔法があれば魔術もある''ということわざがあって、例えば結界()()があるなら結界()()もあるというふうに……魔法をなんとか魔石なしで確立させようと魔術を創ってきたって歴史も、魔術下位の根拠に挙げられてる。それから……」


「もっもう、もーいいよ!難しくて混乱してきた。クロ兄、先生に向いてそう」



 アルバは急に饒舌に語り出す姿に、教父を思い出した。


「今日ね、教会の教父様に結界魔術を教わったんだ。『生者は入れない』っていう結界が、樹海に張ってあるんだって。ボクは入れたって話をしたら、そもそも魔術は不完全なもので抜け穴があるものだからおかしくないって」

「ああ、そうだね。生者は入れない……か。かなり曖昧な霊文だし、その分穴は大きいと思う……」


 クロエドは黙り込む。


(そんな魔術成立するのか……?生死に関することを魔術式であらわすのは現代魔術では禁忌だ。

 教父とあろう者が禁忌を犯すとは考え難い。その霊文は子供騙しの嘘だろうな……)



 それからアルバはその日の出来事を話し続けた。


 アルバが喋り疲れて眠りに落ちたあと、クロエドは窓辺にもたれ煙草を吸いながら夜の町を見下ろしていた。パイプに詰めた草から独特な香りの煙が上がる。

 パンはかたわら、追及を逃れたことにほっと息を吐いた。


「誤魔化せたと思ってる?子どもが不憫がってわざと話を逸らしたから乗ってやったんだ」

「……」



 その時、鳥が窓辺に降り立った。手紙を咥えている。差し出し人はジャックで、開店前の酒場に来いと。


「ふー……さすがに、疲れたな……」


 胸がざわついて眠れそうになかった。思い返せば、樹海を目にした時からそんな感覚が強まっている。ようやく一息ついたものの、不快感はおさまりそうにない。


(この町は……息がしづらい。雨のせいか重苦しい。どこかまともに息ができる場所に……行けたら……)


 ぼんやりと闇に浮かぶ小さな火が消えた。



 一方、壁を隔て二段ベッドの下の段。ダァトは一人布団の中で丸まって、白い石の魔法道具に魔力を込める。それは隣の部屋に光を指し示した。楽しそうな彼らの笑い声の残響が頭に蘇って、彼は体をちぢこまらせた。


(明日こそ……森へ……)


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