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アンダートゥ  作者: ただの
第一章 なぜ夜闇は私を排するのか
11/33

3-3.ほんもの

前回までのあらすじ:

 月の見える丘は魔に囲われている。


 悪魔憑きの女性を救うべく、飛び出したアルバ。出会ったばかりの一人と一匹、絆が今試される……?


 救世主伝説の幕開けだ。


登場人物

アルバ:

救世主の少年。


クロエド:

竜族の青年。


バーバリック・コーディン:

帝国騎士団の副団長を名乗る青年。自らを王子というが……?


ハッケー:

黒犬族の青年。バーバリックの部下。

 ピオニーは目の前に、生爪が15枚並んでいるのをぼうっと眺めていた。

 水責めのあと濡れたまま椅子に縛られ、震えが止まらない。それでも自分の顔は薄ら笑いを浮かべているだろう、と彼女は思った。


(拷問入門書の手引き通りね? なんて退屈なの……)


 爪がもう1枚、順列に雑に加えられた。



「なかなか口を割らなくて……」


 ピオニーの右手の爪を下手に剥いだ騎士は、つかつかと歩み寄るその男に付き纏うように並んだ。


 言い訳を捧げられているのは、広場で偉そうに叫んでいた不愉快な指揮官……


「うぅ……っ!」


 指揮官(バーバリック)がピオニーの足を踏んだので、彼女は悲鳴をあげそうになる。硬い金属製の靴裏の、ザラザラした感触が痛みを呼ぶ。唇をぎゅっと結んで耐えた。


「健気なものだ。すでに逃げた男のために」

「なん……ですって……?」

「貴様が庇った恋人は、またも敵前逃亡と、そういうことだ。愛とは薄寒いものだな? 重ねれば重ねるだけ、寒い。さて、凍え切る前に少しばかり休憩させてやろう」


 ピオニーを椅子に縛り付けていた縄が解かれる。騎士が毛布を投げた。


「''餞別''だ。礼はいらんぞ」


 彼女は指輪をさすった。透明な輝きを放つ宝石が嵌められている。


「よかった」


「……なんだと?」

「ヨゼンは無事なのね。良、か、ったって言ったのよ!」

「黙れ、この女!」


 ピオニーはつかみかかってくる騎士を叩き払った。


「お貴族様は愛をご存じでないのね? あー違った!気狂いの母親に育てられた父なし子だから、分かりはしないってそういうことよねぇ!」


 水を打ったように静まり返る。


「愛されもしないくせに、付き纏っちゃって。そんなに王子の名前が欲しいの? 下民の間ではもっぱら噂よ、帝王の恥晒しだって!」


「……」


 騎士たちは芯から震え上がった。その場にいる誰より寒がった。


 バーバリックがピオニーに確固たる足取りで距離を詰めるのを、誰も止める者はいなかった。

 騎士がちらと見上げた無表情なその顔は、形容し難い憤怒の情を隠し得ない。



「お――」


 ピオニーが喋る前に、彼女の顔面に軍人の全力の拳がめり込んだ。

 土に頭を打ちつけた。ちかちかと目の前が点滅する。折れた奥歯を吐き出した。



「……なぜそんな目ができる? いい色だ。『綺麗な金色の目をしている』」


 ピオニーの瞳は、藍色だ。

 金色の瞳は魔の象徴である。


 バーバリックは親指をゆっくり押し当て片目を潰した。


「俺様は貴様の正体を知っている。お前は邪神のしもべ、悪魔憑きだ」

「前者は認めてやってもいいわ……クソッタレの太陽神よ、くたばるがいい! 私たちを苦しめる、神よ、闇に沈んでしまえ! あーはっはっははは……!!」


 ピオニーは狂ったように笑った。

 不敬の限りを尽くす狂女に、彼らは押し黙るしかなかった。




「――バーバリック様! お逃げください!」


 ぎゃっと悲鳴。


 天幕に押し入った異形に引き裂かれた死体がごろりと転がった。


「何だ……!?」


 バーバリックは数人の騎士に庇われ囲まれた真ん中で、剣を抜いた。


 ピオニーは涙の膜越しに、その山羊頭の魔物を見据えて、


「ヨゼン……?」


 と呟いた。



 魔物の額に、三つ目の目が開いた。

 構える騎士たちを全員無視して、彼女めがけて突進してくる。



 ピオニーは魔物の毛深い腕を掴み、涙が一筋垂れたのち、気づいた。


「いやああああッ!!」


 魔物はピオニーの腰を、鷲掴んだ。メキメキと骨が軋んだ。


 魔物は咆哮をあげた。ビリビリとした圧に気圧され、皆魔物に道を開けた。


 それは堂々と出入り口から入り、また出ていった。


「やっ奴は……報告にあった上位種!? いや、悪魔か……!? 追いますか!?」

「いらん」

「は、はいっ?」

「命令は使える犬にすべきだ。そうだな? すでに命令は下した。あの魔物、悪魔憑きの女ごと八つ裂きにしろ、とな」




 *




 クロエドは森の木々に邪魔をされ、早々に追っていた者たちの姿を見失った。

 匂いで追おうにも、森に棲まう魔物の気配が鼻を狂わせる。


「あー……あきらめよ」


 条件は山羊頭も同じ。ヨゼンを追えず、彷徨っているだろう。


(というか、全員彷徨ってるんじゃないか?)


 クロエドは、ヨゼンがそこらの魔物に襲われることが心配になったが、元兵士なら大丈夫だと思い直した。


 戦闘の熱はすっかり冷めて、むしろ前より冷ややかな気分になった。ローブを着込む。




 ふと懐かしの匂いがして、それを手繰って森から飛び出した。


 匂いの主と道で鉢合わせになる。


「うわっクロ兄!?」


 そこには大きな黒い犬に馬乗りになったアルバがいた。


「何してんの!?」

「アルバ……こっちが聞きたいよ。その犬、なに?」


 黒犬は獣化をといて、元の姿に戻った。


(うわ、黒犬族だったのか……)

「あなたは……アルバ殿の保護者ですか?」

「どう見える?」

「どうも何も、アルバ殿に聞いた通り……」

「そう、親戚のお兄さん」

「子どもを一人にするのは感心しません」

「ごめんねアルバ」


 アルバは適当に「いいよ」と返した。


「なんで森から?」

「山羊頭の魔物を追ってたんだよ、戦いになったけど逃しちゃって」

「あ、そっそれ……!」





『――殺せ!!』



 突如、ハッケーの頭の中にバーバリックの声が響いた。


「うっ……」

「ハッケーさん?」


 守護獣と主の間に成立する、''念話''という意思疎通法。

 バーバリックは、思念を言葉にまとめきれずに、しかも黒い負の感情ものせて送ってきたため、ハッケーは頭がひび割れそうな心地になった。


「だ、大丈夫です。バーバリック様からの命令、が……額に目のある山羊頭の魔物……ピオニー殿をさらったと……」

「(目……?)俺が追っていた奴かもしれない」

「ピオニーさんを攫った?」

()に向かっています、だから……」

「――こっちにくる!」


 ダッ!と真上を飛び上がる影があった。




「……は……」


 一同は振り向き様に拝んだその面に戦慄した。


 額には手の平ほどの三つ目の目玉。その下、離れ目のつぶらな瞳は金色の光を放つ。

 顔は人間に近く、つるりとした肌の上に土塊がこびりついていた。表情はない、が心なしか微笑んでいるようにも見える。

 大ぶりの重みがある角が四つ、半分は突き上がり、半分は円を描き垂れ下がる。



(――デカい……!)


 背骨が浮き上がった人間に近い造形の身は、緑がかかった黒い肉が詰まっていた。降り立った衝撃で、土は蹄の形に凹んでいる。


「強そう」


 ピオニーを抱き抱える腕、六本目の指に見覚えのある指輪がはまっているのにアルバは気がついた。

 宝石はついてないが、彼らがいつなん時も身につけていた大切な品だ。


「ヨゼンさん?」


 悪魔はアルバの呼び声に反応した。じっとアルバを見つめている。


 胸にうっすら線のようなものが浮かび上がった。瞼だ。


(複数の目……!? これは……一介の魔物にできる芸当じゃない……!)


 クロエドは剣を抜きつつ後ずさった。自分が先ほどまで相対していたものだとは信じられなかった。


「彼女を解放しなさい!」


 ハッケーが呼びかけるのも虚しく、悪魔はぴくりともしない。


「アルバ、決して目を逸らさず距離を取って。逃げるんだ」

「どれ!? どの目!?」


「ま、待ってください! どうか部隊が来るまでの間だけでもお力添えを……! ご存知でしょう、目は魔力増幅器官の一つです! それを増やしているなど、ここで討たねば手に負えなくなってしまいます……!」

「それはあんたらの事情だろ。無駄死にはごめんだ」

「く……」


 ハッケーは悪魔と遭遇、即念話でバーバリックに助けを求めていた。



 返答はなかった。


 ハッケーは主の言葉を思い出した。

『期待に応えろ』……それは、主自身が己に言い聞かせてきた言葉でもあった。


 では、期待に応えられなければどうなるのだろう。


 喪うものは?


 彼は主とは違う。全く違うだろう。主が失うものは所詮''ありもしないもの(父親の期待)''。対して彼のそれは……



 命より重い。



 それが彼に覚悟を決めさせた。




「アルバ殿……」

「え?」

「すみません……」


 ハッケーは悪魔がアルバに興味を引かれているのをいいことに、魔法を発動させた。


 クロエドはハッケーの周りの大気の魔素が揺らいだのを見逃さなかった。


「お前……何をした!?」



 ピオニーを優しく投げ捨て、悪魔が咆哮する。

 背中から腕が二本生え、粘液が飛び散った。前のめりになったかと思うと跳躍し向かってきた。


 アルバは牙を剥いたそれに反応できなかった。体が凍りつき、指一本動かせない。


(これ死――)





「うううう゛ッ……!!」



 クロエドは突進からアルバを庇い、蹄を剣で受けた。剣を支える両腕をびっしりと鱗が覆っていた。


 ぺたんと腰を抜かす。


「どいてろ!!」


「はあっ、ああっ……!」



 呼吸は無意識に止めていた。アルバは息を吸い直し、半身を翻して離れる。魔力の波を何の防御も無しに受けたせいで、身体中が内側から激しく痛んだ。



「ぐぅううあああ……!!」


 クロエドはありったけの魔力を肉体の強化に回した。何層もの魔力のベールで包むが、それでも足りない気がした。



 悪魔の四本の腕が同時に拳を握る。



(防ぐ!? できる!? 死ぬ、死!!!)


 ぶわっと脂汗が滲む。




「!!!……」



 巨大な黒犬がその歯牙を悪魔の肉に突き立てていた。悪魔の体に釣り合う口の大きさだ。

 膨大な量の魔力を消費しての完全獣化だった。


 クロエドはローブにギリギリ歯牙が触れて唾液で溶けたのを見て、恐怖を通り越して笑うしかなかった。


 ギチチ、と悪魔の硬そうな骨身に喰い込んでいく。


「し、しぬっ……」


 二匹から後ずさる。

 トン、と背後のアルバにぶつかった。彼は顔面蒼白になっていた。



 悪魔の四つめの目が開眼した。


「これは……」


 ハッケーの口から腹まで順々に、鈍く何かが爆ける音が続いた。

 クロエドは重ねがけした魔力の防御をすべて解除する勢いで、心臓に集めた。


「やばい……」


 グプッと血やら臓物やらを吐き出して、黒犬は倒れ込む。

 悪魔は赤黒いものを背負って首を鳴らした。



(竜化しかない……!!)



 騎士の目が届くこの場での竜化は、旅の終わりどころか人生の終わりすら意味するだろう。


 それでも答えは明白だ。


「まだ死にたくないんでね……!」


 心臓に集めた魔力がぐつぐつと煮たつようだった。





「おいで」



 子どもの手が触れた。



「……?……なに、か変な」



 一瞬にして熱が引いた。

 何か、背後から誰かに掴み取られた、そんな感覚がした。



 悪魔は、愚かにもそれが当然と言わんばかりに自然に目の前に躍り出た少年に、爪を突き出した。

 指間を固めた六本指が、彼の顔横の空を切った。悪魔にとっては、彼の首を突き裂く一撃のはずだった。



「きれいだね」



 少年は悪魔の指輪に触れた。



『あいって おなかが すく 


 まちわびる から』



 女の声が聞こえた気がした。

 悪魔は大事なものを無遠慮に犯された怒りをあらわにする、




「 わたしのだ 」




 その前に本能で理解した。



 悪魔の眼前に広がったのは、白い翼だった。翼に包まれ、撫でられる。それは溶けるような安寧に違いなかった。

 彼は安息と思い紛って、無への道を滑り落ちていった。





 一方、クロエドが見たものは、悪魔が塵になっていく異常な光景だった。


 魔物は死ぬ時、粒子となって消滅する。彼にとって見飽きたそれとは違った。


 悪魔はその肉の型を保ちつつ、背を向けて逃げた。泳ぎ喘ぎ、何かを掴もうとする動きをしていた。


 首が飛んだ。


 空を横切り、大地に臥せた黒犬の背から、ちょうど体を起こしたピオニーの元まで転がっていった。


「あなた。……?」


 悪魔の口が言葉を捻り出そうと動いたが、音になることはなかった。



 体の方は制御する()を失い瞬く間にくずになり……


 クロエドは、アルバの肩を強く叩いた。どうしてそうしたのかは分からないが、そうすべきだと思った。



 きょとんとした顔つき。額まで届いていた奇妙な紋様が首筋にならって引いていく。向けられた無邪気な黒い瞳が、赤く光った気がした。


 


 *




「大丈夫?……」


 ハッケーは目が覚めてまず自分が死んでいるのかどうか確認した。とてつもない痛みが遅れてやってくる。


 防衛本能のためか獣化は解けていた。ずたずたな内臓の再生に魔力が吸われている。



 アルバは横たわる彼の顔を覗き込んでいた。

 その後ろに立っているクロエドが軽蔑の眼差しで彼を見下ろし、すぐに逸らした。


「どうなったのですか……」

「死んだよ」

「!……どうやって……」

「勝手に死んだ」


 答えて、クロエドは口をつぐんだ。



 アルバの聖痕が引き失せてから、さほど時間は経っていない。どっと疲れた様子のアルバは、ハッケーのそばに膝をついてリズムの狂った呼吸を繰り返している。


 クロエドは悪魔の遺灰をつまんだ。ただそれは灰ではなく、塩に近い結晶だった。


(救世主の力……?)


 クロエドは、塩の一山に紛れた黒い物体に気づいて手に取った。



「アルバ殿、怪我を……?」

「ううん……ただ息苦しくって」


 体を起こす。ハッケーはたずねて後悔した。心配する権利などないからだ。


 彼の使った魔法は、いわゆる認識阻害と呼ばれるもので……『標的を固定し、五感……意識を他に割けなくする』ものだった。

 アルバを襲うことは想定内だ。そう仕向けたから。

 だがあれほどの猛進、考えが至らなかった。


 守る自信はあった。庇うこともできた。


 それをしなかったのは……絶大な攻撃のチャンスを逃さないためだった。


「ハッケーさんが噛んでからすぐ死んだんだって、クロ兄が」

「私が……?」


 クロエドは黒い物体をハッケーに投げた。両手で受け止める。ずっしりとした重みがあった。


「そう、あんたの手柄だよ。望み通りで満足かな」


 悪魔の遺した黒い魔石だ。常識では考えられない量の魔力が詰まっているのを感じた。




 アルバは手の中にある指輪を握りしめた。


 それから、悪魔の頭だった塩をじっと見つめているピオニーにそれを手渡した。


「これ、返したくて」

「ヨゼンの……」

「あの人が悪魔だって、知ってた?……」

「何言ってるの?」

「なんというか。死んだ人が帰ってくるように、お願いをしたりした?」

「……」


 ピオニーは思い当たる節があったのか俯いた。


「ウソ……ウソよ……ヨゼンは人間よ。

 彼は帰ってきた、帰ってきたの……!!」

 


 ハクアがいた。泣きじゃくるピオニーの頭を包み慰める手つきで抱きつく。


 ピオニーの記憶が、走馬灯のごとく頭の中に流れ込んだ。






『ヨゼン! ああよかった……!』


 少年兵は一度目の戦争から帰ってきた。


『みんな……死んだって……僕は……僕は……』


 余程の体験をしたのだろう。目に見える大きな怪我はひとつもなくとも、心の方は重症だった。彼が幾度となく幻聴や幻覚に苛まれるのを、彼女は見守った。

 五体満足で帰還できた村人は彼以外に一人もいなかった。




 二度目も国は容赦なく戦場に攫った。

 風の噂で聞いたことには、彼の属した師団一個壊滅したらしい。

 ……帰還して。奇跡的に大怪我で済んだのだと、折れた足を見せて笑った。




 三度目だ。


『また行ってしまうのね。私……あなたを行かせたくない』

『必ず戻るから。僕は運だけはいいんだよ。帰ってきたら……一緒になろうね』


 ささやかな婚約を密かに交わした。約束の証、手作りの指輪を交換し合った。帰ってきたら相応しい石を嵌めて、完成させるのだ。



 彼は笑って戦争に向かった。 




 ついに彼は帰ってこなかった。

 彼女は帝国から通告書が渡されて泣き崩れた。

 証拠は薄っぺらな紙一枚。骨一欠片も髪一房も彼女の元へは帰らなかった。遺体は跡形もなかった、との話は酷い言い訳に聞こえた。




 しかしある日、彼は帰ってきたのだった!





「これは……」


 聖痕が魔力を帯びて、その印が生き物みたいに広がっていた。


 三人とも同じ記憶を視たようだった。


「これが救世主の力か……」

「救世主? アルバ殿、あなたが……!?」


 アルバは自分の手を握り、開き、その白銀の紋を確認した。


 紋が放つ白い魔力がハクアと血管のような線で繋がっていた。


「ハクア……」



(ヨゼン(このひと)と君は同じもの?)



『そうよ』



 彼女が初めて人の言葉を喋った。


「アルバ、大丈夫か?」


 アルバは涙を流していた。


「平気……」



「ヨゼンさんは悪魔だったんだ。でもこんなの可哀想だ……」

「落ち着いて。悪魔ってどういうこと?」


 クロエドが優しく問いただす。アルバはかなり端折って経緯を説明した。



「これが悪魔(ヨゼン)だって……?」


 クロエドが初めの自分とほぼ同じ反応をしたので、アルバは少し平静を取り戻した。


「あんなに理知的に喋る魔物がいるのか……? 魔術的円環だって、ただの魔力波なんじゃないかな。強いの繰り出してたし」


 食らったとは、言えない。


「その通告書が間違ってるとは言わないけど。例えば作ったあと送る段階で、名前を付け足すとか」

「賢者や魔女レベルの魔法使いであればできるでしょうが……たかが末端の兵士一人のためにそこまでするでしょうか?」

「それは知らないけど、''できる''んでしょう?現実的な方を考えるのが無難だと思いますよ」


 アルバは、クロエドの肩に手を回してくすくす笑ってるハクアの、まつ毛の数を数えていた。



「――ピオニー!」



 突然森から現れたのは、出会った頃と何ら変わりない人間のヨゼンだった。


「あれ?」


 アルバはぽかんとして、二人が抱き合うのに言葉を失った。


「あれっじゃないよ。よくそんな突拍子もない話を……」

「なんだよも〜!!」


 アルバは脱力して恥ずかしそうに笑ってうずくまった。

 夫婦が再会に喜び合う。何よりだ、と安心した。



 *



「そうか……悪魔だったか」


 ヨゼンはよく倒せたね、と苦笑いした。


 ピオニーはハッケーから手当を受け、アルバがそれを手伝っている。貴重な回復の魔術を施していた。

 クロエドは彼らから離れた場所でヨゼンと話をする。


「彼女が狙われたのは、おそらく……私をおびき寄せるためだ。正直恨みを買った覚えはあってね。しかし……悪魔か……」

「あんな化け物を操れる奴らが差し向けたと?」 


 ヨゼンはフーッと溜息をついて眉間に手をやった。


「……私は手を出すべきではなかったのかもしれない……」

「……」

「この日のためとはいえ、かなり無茶をした。 私は残りの人生を、穏やかに過ごしたいだけなのに……」   


 ヨゼンは随分前から村を出るために色々と準備をしていたらしい。


「すまないね。君のためにもこれ以上話すわけにはいかない。 私はこのまま彼女と遠くへ行くよ。そうだね……月の谷でも目指してみるか」

「追われるぞ」

「話をつけるさ……大丈夫、交渉には自信があるからね」



「さて、交渉といえば。悪いが時間がない。これで勘弁してくれ」


 ヨゼンはクロエドに耳打ちした。


「『きょうだいよ、永遠に』……幸運を祈るよ」



 別れの挨拶をして二人は旅立って行った。

 ピオニーは夫の指に、指輪をはめた。身を寄せ合って去る後ろ姿、夕焼けで伸びる影……アルバは手を振って見送った。



「二人を捕まえなくていいの?」

「……殺めたことにします。バーバリック様は追求しないでしょう」


 ハッケーは黒い魔石をアルバに渡そうとした。


「アルバ殿が救世主だったのですね……奴を倒したのは本当はあなたではないですか?これは、あなた方のものです」


 アルバは悪魔を倒したのはクロエドだと思っていた。彼の顔色を伺うと、彼は目を瞑って首を振った。


「あげるよ」


「なきゃ困るでしょ? あのこわーいお兄さんに、悪魔を倒した証拠だって見せたげてよ」

「でも、私は……」

「え〜? じゃ代わりに一つだけ、何でもお願い聞いてくれたりする?」

「お願いですか?……」

「今は思いつかないけどさ」


 アルバは何にしようかな〜とけらけら笑った。

 ハッケーはたまらなかった。罪悪感がつい口走らせた。


「私は! 悪魔をけしかけたんです、あなたに……! 私の魔法も、私も、卑怯者です。お願い? 聞く保障もない。こんな私を信じられますか!?」




『その犬は殺す』


 数刻前、クロエドが言った。アルバは止めた。


『正体がバレたかもしれない』


 クロエドはハッケーの前で半端に竜化したのだ。ハッケーにクロエドが人間に見えていることは、先の会話から伺えた。


 だから、変貌がハッケーにどう見えたかは不明であるものの、生かせば危険だと考えに至るのは至極当然のことだった。


 アルバはクロエドを止めた。


『大丈夫だよ。そういう人じゃない』

『この短時間でよくもそんな……いい? そいつは魔法を使った。刺激しなければ去ったはずの悪魔を、引きとめるどころか、襲わせるような魔法だ。 ろくな人じゃないんだよ』

『この人の主……王子って言ってた』

『王子……?』

『身分の高い人でしょ? その人の一番の部下なんだ。味方になってもらった方がいいよ』

『残念だけど、帝国に王族はいない。いるのは皇族だ』


 事実だ。


『そうなの!? ま、まあでもほら、ボクらが帝都に辿り着いた時、頼れる人がいた方がいいよ。 それにこの人、すごく親切で先生みたいにものを教えてくれるの。でも、なんで知りたいの?とかなんで知らないの?とか一切聞いてこなかった』


(素性を探ってこないということか……? まさしく奴隷()だな。疑問を持たないこと、一方的に差し出すことを躾けられている)


『そういう、生の情報を詳しく教えてくれる人って大事でしょ……?』

『本当だとして……余計味方に引き込めるとは思えなくなった。 そいつは主に絶対服従する。誇りのない生粋の奴隷だよ。主の命令とアルバの命、天秤にかけたらどうなるか、身に染みて分かったことだよね?』


 アルバは口を尖らせ、目を泳がせてから観念して答えた。


『……わかった』





 ハッケーはアルバの顔をまともに見られないのだろう、下を向いていた。


「ボクずっと山奥で暮らしてて……世間知らずだし、何も分からなくて。なのにクロ兄はボクを一人にするし! 悪魔だ何だって、すごく怖かった……んだけど」


 クロエドはばつが悪そうに咳払いした。

 ハッケーは肩をポンと叩かれ、そっと顔を上げた。


「ハッケーさんずっとそばで守ってくれたでしょ? 嬉しかった。これってもう友達だよね! 友達のことは信じるよ」



 彼はぐるぐると感情が胸に渦巻くのを感じた。

 罪悪感と、喜びと。ほんの少し、仕組まれた恥の感情。



「すみません……」


 彼はおもむろに短剣を取り出した。


「! アルバ……!」


 クロエドが呼びかけるが、アルバは動じなかった。


 自分を害するかもしれない……そんな疑い微塵もない、真っ直ぐな目つきにハッケーは射抜かれるように感じた。

 幾度となく浴びせられた、見下しや軽蔑のそれとは違う。



「……手を出してください」

「こう?」


 ハッケーは自分の手のひらを一文字に切った。赤い線から血がぷつぷつと溢れた。

 それから、アルバの人差し指に一点小さな穴を開ける。わずかな量の血が、彼の手のひらに垂れた。


「契約を交わします。『一度だけ、あなたの望むことを何でも』…………『私にできることなら、何でも叶えます。例外や偽りなく、応えることを誓います』」

「あんた、それは……!」


 彼はぎゅっと手を閉じた。行き場のない血が、手の皺をつたって垂れ落ちた。


「これ……なに?」

「血の契約といいます。決して破ることはできません。命じる時は、『これは血の契約によるものだ』と念じれば済みます」

「解除は……?」

「できません」


 アルバは口角がひくつくのを感じた。


「あんた正気か!? 対等って言葉知ってるか!?」

「これは私なりのけじめです。それにこれでも……足りないくらいのものを頂きましたから」


 ハッケーは魔石を控えめに見せびらかした。


 五大獣族は魔法に長けているものだ。

 彼は触れただけで、悪魔の魔石の力を理解したのだった。


(魔力蓄積装置、とでも……? これほどの莫大な魔力が……)


(バーバリック様の、ものに)




(…………やっと)



 だが、クロエドはそのことを知らない。

 彼には、奴隷根性が骨の髄まで染み付いた哀れな生き物が、とち狂ったとしか思えなかった。しかも狂わせたのは、安っぽい子どもの安っぽい台詞で……




(邪悪な……)




 ……先の回想に、戻る。




『……わかった』


 アルバが数秒黙ったあとすぐ素直に頷いたので、クロエドは珍しいことだと感心した。



『――チャンス! 一回だけちょうだい』


 と思いきや、だ。お願いお願い〜!と疲れた体で力なく喚くのでクロエドは呆れ……



『それでもしクロ兄が納得できなかったら、殺していいよ』



 そしてゾッとした。





(こいつは……一体''何''なんだ? ''救世主''……? 何から、誰を救う?)



「クロ兄……」


 アルバは涙目で言った。


 


「損しちゃったね」

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