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アンダートゥ  作者: ただの
第一章 なぜ夜闇は私を排するのか
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1-1.またここへもどる


 初めの記憶は''それ''だ。(はこ)のなか。


 一面の灰色が、視界を埋め尽くす。

 匣の外から、嵐の轟音と暴風が叩きつけてくる。まるで恐ろしい怪物が殴りつけ、彼を引きずり出そうとせんばかりに。

 水音に混じって地から響くような低音の叫び声が聞こえる。彼の中のなけなしの生への渇望を刺激した。



 その子は折れそうな体躯をしていた。

 右腕に巻いた包帯に黒ずんだ血が滲んでいる。腕を下敷きに背中を丸め、涙を飲んで横たわっている。

 痩せた体を痛めつけるように、全身に力を入れて。細い肩を震わせ、抑えた口元から悲鳴とも取れる吐息が漏れる。


 未だあどけない顔つき――6、7の歳の頃だろうか? ビスケット色の柔らかな髪が額に張り付くほどに怯えていた。


「神様……」


 匣の壁を隔て、救いを求める声が聞こえた。外にも人が――いや、隣にも匣が。

 認識した瞬間、両脇から、上下から、震えが壁越しに伝播してきた。

 同じ状況の同志がいる。ほんの少し心強く感じる。 


 頭の上の方。何かが横切った。

 つい先ほど神に祈る言葉を発した匣が、呆気なく破られる音がして。

 まさに断末魔と形容するしかない、とびきりの悲鳴が瞬間的に充満した。悲鳴の主は暴れながら少し遠ざかり、数秒もしない内にパタと気配が絶たれた。


 ……どうしたことか、打ち付ける雨風は変わらないものの、それまで存在していた異形の気配は消えたようだった。


 時間が経つにつれ、彼の体から力が抜け呼吸が整っていく。ゆっくり瞼を閉じ、その黒い瞳を隠した。


 彼が不憫な犠牲者に向ける感情は哀れみではなかった。

 声を発したせいで怪物に目をつけられた愚か者。

 叫びに、釣られて声を上げそうになった。そのことに対する怒りに……


(もしあれに巻き込まれて僕の(はこ)を破られていたら……良かった。死んだのが僕じゃなくて)


 悲劇を免れた安堵感。明日をまた迎えられる多幸感。不思議と上がる口角。長めの呼気。




 目を開いた。

 そこに閉塞感はなかった。


 いつも通りの安息の場所。彼の暮らす家へと舞台は変わっていた。

 姿形は幼子から変貌しており、おそらくは9、10の歳頃となっている。


 家族団欒の一間。お気に入りの椅子にいつもの様に座っていた。

 手に触れるお気に入りのクッション。母代わりの女性が、苦手な針仕事で指先を幾度か突きながら刺繍して作ってくれたものだ。


(これは……夢?)


 彼は最近の悩みを思いかえした。

 それはもっぱら夢のことである。悪夢を見る。覚えのない光景に苛まされ、夢を夢と認識した後は……


「    」


 彼女がくる。

 必ず現れる白い少女。口にする音は、およそ人が口にできるものではなかった。何百人もの老若男女が一斉に喋りかけてきたかのようだ。


「     ――みつけて……」


 彼より一回り以上小さな白く淡い透けた体。その短い腕を後ろから彼の首に回す。

 ひやりともしない腕をはねつけて、彼は家の外へ逃げようと足早に歩いた。


 悲しみからかう様に笑み、白い少女は彼の後を追いかけた。やけに輪郭のはっきりした素足を滑らせて。



 彼は玄関を焦燥感を抱きながら開く。その先に白い人型の影が揺らいでいる。


(きのう――前は、もっと遠くにいたはずなのに)


 どうやら日に日に近づいてきているその影に、拭いきれない恐れが湧き上がる。

 醒めろ、醒めろと心の中で呟く。今もまた……白い影は玄関前の長い階段を登る途中だろう、手すりに指をかけず緩慢な動きでシルエットは滑る。


「ここまで来たら待てると思うの」


 白い少女が、彼の顔の目の前に逆さに顔を出した。


 開いた赤い瞳孔。口角の釣り上がりを抑えきれないのか歯を覗かせた口。するすると動く。 


「私に縋るその時まで」 



 醒めろ。



 *




「毎日……ハッキリ思い出せないけど、赤い目の女の子が出てきて。白い影が日に日に近づいてきてるんだよ!」

「御神木の精霊さんかなぁ」 


 パンを片手に、あしらうように冗談ぽく言い放つ。 

 彼女のかける大層ゴツゴツとしたゴーグルのレンズに、口を歪ませた()()()の顔が反射している。


「んな気味悪いのに付き纏われるいわれは……」



 村を守る御神体とされる大木。


 隆々とした根に入り口の隠れたこの場所は、彼女――セイカと数年かけて改造した二人だけの秘密基地だ。


(ある、かも)


 今は使われなくなった古い地下貯蓄庫だろうここは、初めて見つけた頃の面影を失っていた。


 夥しい量、種類のランプ。赤か青で揉めて、結局二色並べた絨毯。村中回ってかき集めたガラクタ。


 その中でもとりわけ豪勢な調度品である肘掛け付きの一人用ソファー。取り合って、今日もまた低いテーブルを囲む。



「……神聖な場所にあんまり寄りつくなって言いつけを聞かなかったからかなぁ?」



 学者気取りの彼女は目の前の()()()に夢中だ。

 チーズの油でべたつく指を舐め取りながら、


「おかあ様たち大人は、なんにだってそうやって口出ししてつまらなくするわ。 実害ないなら大丈夫よ! 怖くなってここのこと喋ったりしないでよ。 ね、それよりこれって何に見える?」 


 その紙切れ――古ぼけた巻き物の絵を指さした。


「竜が火を吹いてるように見えるけど」

「うーん、そうよねぇ。でもわたしたち火なんて吹けないし……何かの暗示?」


 セイカは一週間前からこんな調子だ。


 床下に続く梯子を見つけ、降りて行った先にあった書物の山々。見たこともない文字と独特な挿絵。


 いっぱしの学者を気取って解読に意気込んだはいいが、結局読めず絵ばかりを追っている。


(読み書き習い始めたばかりのくせに)


 セイカは頭に二つ突き立つ角を両手で掴んだ。ソファーの上で足裏を合わせてゆらゆら体を揺らしている。


 こうなればもうつまらない。

 唯一の遊び相手が自分の世界に入ってしまったのだから。



(何だって隠し部屋なんて見つけてしまったのだろ)


 何十年以上、下手したら数百年眠っていた巻物たちは、不思議なことにかび臭さや埃っぽさがない。


 少し目を通すだけで、不穏な内容だとわかる。

 獰猛な竜、後光さす黒塗りの偶像、夜空に浮かぶ巨大な……目?


 怖いし、何より飽きた。だというのにセイカの熱は一向に覚める気配はない。


「セイカ〜…もう今日はいいでしょ。そろそろ……」

「もうちょっとだけ。これで最後!」


 最低でも日が暮れるまでには家に帰らないといけない。

 最近いっそう帰りが遅くなった。基地に入り浸り、長い間姿が見えないことを、すでに彼らの母親は訝しんでいる。


「じゃあ先に帰って誤魔化しておくけど、長くはもたないからね」


 石造りの階段を上がって天井の石の蓋を開く。



 外へ出るとまず土や草を足で適当にかけて入り口が分かりにくいように擬装した。


 夕日がまだ煌々と空を赤く染め上げる。御神木の木々の隙間から赤い光が差していた。

 伸び切った草をかき分けながら進むと、先ほどのセイカの言葉が頭をよぎった。


(精霊……)


 今踏みしめている草木。すぐそばを流れる小川──すべての''もの''に宿る目には見えない存在。


『精霊にも中には悪いものがいる』


 彼らの母の教えだ。


『悪いものにはそもそも関わらないことが一番。 遊び半分で得体の知れないものに手を出してはいけないのよ』


(その時は難しくて聞き流したっけ。それに結局大人の言う事聞けって話に繋がって……)


 反抗期のセイカと母の言い争いを思い出し、クスと笑う。


 足下への注意が逸れ、うねった木の根に足を取られアルバは転んだ。


「いったた……」


 自分の影に飛び込む形で膝をつく。

 あれ、と気づく。御神木の反対側、夕日に向かうように歩いているのに……


 影の中の双眸と目が合った。


 水気に富んだ生々しい赤い色の眼球。驚きに心臓が跳ね上がり「ひっ!」という情けない声が漏れた。


 影が盛り上がって立体を成していく。手らしきものがこちらに伸びる。

 

 本能が足を無理やり動かして基地に逆戻りした。


(母さんに聞いておけばよかった!)


 ――こちらが手を出さずとも、向こう側から手を伸ばしてきたその時は、どうすればいい?



 階段を転げ落ちて幼馴染の前に投げ出される。ぽかんと口を開けたセイカは彼を見下ろしていた。


「どうし……まさか誰か来たのっ?」

「違うよ! 変なのがいたの!」

「変なのが……?」

「赤い目の黒い化け物だよ!」


 一瞬の沈黙をおいて、セイカはふっと吹き出す。


「きゃははは! さっきの話のせいだよねっ? 臆病なんだからぁ!」

「笑いごとじゃなーい!」

「確かにぃ、日が暮れるこの時間は危険だって、魔物が獰猛になるっておかあ様が言ってたけどさ〜そんなの、子どもを怖がらせるおとぎ話でしょ? 自分の影でも見間違えたんじゃないの〜?」


 言いながら外に出る。

 落ちかけた夕日以外は同じ光景だった。


「ほらね。悪い精霊も、魔物も、作り話だよ。ワタシたちをこの狭い村に閉じ込めたいだけ」

「……じゃあ僕の話も作り話だって?」

「そこまでは言わないけど。も〜また拗ねる!」


 ぎゅっとアルバの頭を両手で胸に引き寄せて抱きしめる。


「(硬い……)ちょっと歳上だからって弟扱いすんなよ!」

「してない〜お互い変な趣味を分かり合える唯一の友達でしょっ?」


「……だから、ついてきてくれるよね」

「何の話?」


 セイカはまだ秘密、と言って突然予告なしに走り出した。


「先に帰った方が今日の皿洗い免除!」

「あーずるいっ!!」


 骨の形が浮くぐらい痩せた体型の彼女は走るのが遅かった。簡単に横に並んだ。




 ――ここは(はば)む地、『竜の泣き巣』。


 誰がそう呼びはじめたかは分からない。

 彼らはこの閉ざされた楽園でささやかな日常を享受するばかり。   

 偽物の楽園と知っていながら。


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