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3、忠直の乱行 

3、忠直の乱行 


 三田綾子は菊池寛の「忠直卿行状記」を町立図書館で貸し出ししてもらうことにした。学校のコンピュータで町立図書館のホームページを立ち上げ、検索機能で「忠直卿行状記」と打ち込んでみた。すると菊池寛全集の中に含まれていたり、単行本で発行されていたり、何種類かが出てきた。貸出希望を入力すると貸出希望の場所を聞いてきたので本館での貸し出しを選んだ。

「忠直卿行状記」は意外と早く準備ができたみたいで、注文を出した翌日にはメールが来た。バドミントン部の部活動が終わり、生徒たちを下校させた後、上下ジャージ姿から帰りの洋服に着替えた。さすがはまだ若い女性である。今日は緑のミニスカートに半袖の白いポロシャツの上から黄色のニットのカーディガンを羽織っている。ミニスカートから伸びたすらりとした長い脚はまだ若いということをアピールしていた。職員室に戻ると杉下先生がいたので、

「『忠直卿行状記』を予約したので町立図書館で借りてきます。」

「意外と早く準備できたみたいだね。僕も一緒に行って『徳川実記』を探してみようかな。」

「それじゃ、図書館で会いましょう。」と言って6時30分に職員室を出た。独身女性の三田が乗る車は1000ccの真っ赤なアクア。町立図書館の数少ない駐車スペースにゆっくりとバックで滑り込み、利用者カードを確かめて、図書館に入った。入ってすぐ右側に受付カウンターがあった。受付には2人の女性が待ち構えていた。夕方なので仕事帰りに図書館に寄った大人の姿が目立った。若い女性の利用者は少ないので、館内では三田は目立った存在だった。三田は受付の2人の女性のうち若いほうの人に

「予約をした菊池寛全集を受け取りに来ました。」と告げると受付嬢は

「利用者カードをお願いします。」と答えた。三田はカバンの中から昔付き合っていた男性からもらったグッチの財布を取り出し、その中から利用者カードを出して差し出すと、その女性はカードのバーコードをコンピュータのバーコードリーダーで読み込んで、ネット予約を確認すると奥の棚から「菊池寛全集2」を持ってきて、

「はいどうぞ」と言って利用者カードと共に出してくれた。せっかくなので1階利用者用テーブルに座って読みながら杉下が来るのを待つことにした。菊池寛全集は全部で24巻セットあり、それぞれに5作品ずつくらいが掲載されているが、忠直卿行状記はその第2巻の中に収録されていて、ページ数を見ると50ページほどで、意外と短そうなのですぐに読めてしまうかもしれないと思い、静かに読み始めた。しばらくすると杉下が入ってきた。

「忠直卿行状記を読んでいるのかい。僕は徳川実記をさがしてくるよ。」と言って受付カウンター脇の検索用のコンピュータのところへ行った。杉下は検索を終えるとその番号をもとにカウンターの女性に本のある場所を聞いて連れて来てもらった。書架の一番上の手が届かないような所に並ぶ20冊ほどの全集が徳川実記と書いてあるのを確認すると、近くに置いてあった梯子を持ってきて上まで登り詳しく見た。徳川実記1から徳川実記20まであり、どの巻を見ればいいのかわからなかったが、近くに徳川実記索引1と索引2という本が2冊あった。辞典のような本なのでキーワードで検索できるようになっているのだ。「とりあえず、目次で探して書いてある場所をさがそう」と考え、2冊の索引を持って三田が菊池寛全集を読んでいる机に行った。

「徳川実記あったよ。徳川実記と言うのは江戸徳川幕府での毎日の出来事を事細かく書き続けた日誌のような本で、時代に沿って書かれているんだ。松平秀康、忠直、忠昌、松岡藩の昌勝、綱昌については調べておこうかな。」と言って索引に書いてあるそれぞれの名前の記述がある巻とページ数をメモ帳に記録していった。記録し終わると先ほどの梯子の場所に戻り、まず2巻、3巻、4巻を手に持って梯子を下り、三田のところへ戻ってきた。

「秀康のついては何か所も記述があるね。2巻には天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの後、家康と羽柴秀吉が和睦の条件として、秀吉のもとへ養子に差し出されたと書かれているよ。また、別のページには秀吉死後の慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦である会津征伐に参戦し、関ケ原の戦いでは秀康は宇都宮に留まり上杉景勝の抑えを命じられているね。また忠直については3巻で越前騒動について記されている。越前北の庄藩は結城秀康が越前に入る際に結城家時代からの家臣団と江戸幕府からの付家老本多富正たちの家臣団との間で派閥争うが起きていた。ある日、一方の側の領民の娘が嫁いだ先の夫が失踪したため、実家に戻り再婚したが、死んだと思われた夫が戻ってきて騒動になり、再婚した娘の新しい夫が殺されるという事件が起きる。その事件から派閥同士の争いに発展し、軍事行動にまで発展してしまう。まだ若く、家臣を抑えるだけの力を持たなかった忠直は何もできなかったが、家臣たちは江戸幕府の秀忠や家康に訴え出て、裁定を仰ぐことになってしまうという騒動である。4巻では大坂夏の陣での忠直の活躍が記され、秀康以来の武闘派としての実力が認められているよ。」

杉下は徳川実記に出てくる内容について少し説明した。三田綾子は杉下の話を聞きながら、自分が調べた忠直について話し始めた。

「忠直のご乱行についてはネットでも調べてみたんですが、様々な見方があることがわかりました。忠直を有名にしたのがここにある菊池寛の『忠直卿行状記』で、生まれながらの大名の息子で、あまりにも若い時に相続し、若すぎる大名ゆえの孤独で、家臣が信じられなくなり、乱行がエスカレートしていく物語です。また海音寺潮五郎は『悪人列伝』の中で、『日本史上類例のない暴悪な君主』と書かれています。また忠直の息子は越後の高田(現上越市)に国替えとなり、福井藩は弟で高田藩主の忠昌が継ぎます。忠直に問題があったのは間違いないようです。ただ最近の研究では忠直の乱行伝説の多くは、中国の故事をもとに後世に作られたもので、『真雪草子』や『通俗日本史』『御夜話集』などの物語で作為的に作られたものではないかと見られています。だから極悪非道な暴君という見方は一方的に信じることはできないと思われます。隠居して配流された大分の豊後の国でも領民の中に忠直を慕う伝説が残っているといいます。忠昌系列の福井藩からすれば忠直は悪人でいてもらった方が都合が良かったのかもしれません。」

2人の話は図書館の中で静かに話しているつもりだったが、だんだん感情が高まっていき、声が大きくなってきて周りの入館者が聞き耳を立て、迷惑そうにしている人も出てきたので、その日は帰ることにした。


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