状況の人、検討する1
本人はお茶目なジョークのつもりかもしれない。
しかし実際言われた方にとっては、脅迫にも似た勧誘でしかない。九割がた、パワハラである。
しかし彼の場合は……
「そ、そこまで仰られては、私としても腹を括るしかありませんね。では……」
ティーグは観念し、夫人に勧められるまま彼女の隣の席に着いた。
侯爵夫人、思わずにっこり。
「メディ? 一曹さんにお茶を」
「あ、申し訳ありません、奥様。実は奥様の分しか茶葉を用意しておりませんので……」
「あらまあ、あらまあ、それは大変。ん~、でも予定外の事ですものね~。申し訳ないけど、厨房に行って用意してくれるかしら?」
「は、はい、直ちに!」
メディと呼ばれた侍女は返事をすると、一礼の後、メイド服から出されている良く手入れされた漆黒の翼を振りつつ、慌ただしく厨房に向かった。
「うふ、可愛い娘! 器用な娘じゃないけど何事にも一生懸命なのは好感度が高いわ」
「コウモリ族の少女ですね。この辺りではあまり見かけませんが……」
「宰相閣下の地元の娘よ。礼儀作法の修行がてら働かせてくれないかと、お願いされてね~」
ディーグは「なるほど、ハウゼン閣下の……」と返事した後、一息深呼吸をして姿勢を整えて話を切り出した。
「夫人、この度は……」
「……今回は、ちょっと頭を傾げてるわ、ティーグ……」
夫人の声色が変わった。
目付きも、眉間にシワが寄るほどでは無いが、とても穏やかとは言えない。
「弁解の余地もありません……偏に自分の不徳の致すところです……」
「そうじゃないわ」
目を伏せて軽く首を左右に振る夫人。穏やかでは無いとは言え、首を振るその角度、速度までもが気品を漂わせており、ティーグの心臓はさらに緊張した。
つまり夫人が彼に茶の相伴を求めたのはパワハラでも何でもなく、この話題が本命ゆえであった。
「私が頭を傾げているのは今回の任務が失敗したから……単にそれだけの事では無いの。それに同行メンバーが全員、無事に帰国を果たしたことは喜ぶべきことでしょ?」
「恐れ入ります……あのまま強行しようとすれば、倉庫の焼討ちだけは成功していたかもしれません。しかし我々は全員捕縛、あるいは殺害されていたかもと……」
「あなたたちを制圧した三人組。いえ、実際はもっと控えていたかもしれませんが、一次報告通りならば捨て置くべき存在ではないと思われるわ。だから公爵夫人はあなたをここへ寄越したのでしょうね。この情報を伝聞では無く、直接見聞することで共有せよ、と」
「全く情けない話ではありますが、私は彼奴らに全面降伏したも同然と思っております。武門の恥なれど、仲間全員の無事と帰路の保証をすると提示され、つい飛び付いてしまいました」
「結果論だけど、良い判断だったと捉えるべきね。本計画はアデリアに向けて、と言うよりも、むしろ首府ゼローワ市内のタカ派の機先を削ぐ計画だったことを考えれば、あそこであなたが玉砕を選んでいたら、結果は最悪になってしまったでしょうね」
「シーエス閣下にはここ最近、とみに主戦派からの期待が目立ちます。おそらく一気に開戦への機運を高めた事でしょう」
「閣下のいとこ、アフガン公爵の言動も目に余りますね。武門に心を砕いている両家ですし、血の気が多いのは止むを得ないにしても……中央部エームス市のモノーポリ閣下が呼応すれば開戦待ったなしになってしまう……まったく、夫や息子の命を戦渦で散らせて、そのあと家族や国を支えなければならない女の身にもなって貰いたいものだわ。戦中戦後、男手の少ない我が領で女たちもどれほど辛酸をなめたか」
「心中お察しいたします……今回は人員は殺害せず、焼討ちによってオデ市の警戒感をそこそこに刺激して、防備を固めさせるよう仕向ける事が主目的だったわけですが……」
「そしてこちらの攻め手の数、配置等を再考させられれば時間が稼げると思ったけど……まあ、表向きは失敗よね。でも、あなたと会った三人組次第では、思わぬ収穫にもなり得るわ」
「我田引水ではありますが……未遂とは言え、先方としては攻撃を受けたことでオデ市勢の防備状況を強化させる結果ともなりましたし、それに呼応する形でツセー市側も報復に備えて防備重視の編成に切り替えられました。あの連中のおかげで、人員・物資等に何の損傷も無くこの状況が実現され……」
「当初の思惑ほどでは無いにしろ、我らの狙った状況に極めて近い結果となったわけで、事実上これは成功だったと強弁するもやぶさかではない……ふふ、これはちょっと言いすぎかしら?」
「自分としても、こんなに良い悪いが混ざり合った後味を味わったのは初めてです」
「一次報告でも気に掛かったことではあるけど、実際にあなたの口から聞くと例の三人組は要注目ね」
「妙な話で……彼らにはその……敵意と言うものが、どうにも感じられなかった……魔法にしろ得物にしろ何だか独特で……自分の中でもどう整理付けしたものかと、決めあぐねている次第で……」
「後ろ盾も持たない賞金稼ぎの様な冒険者であるなら、あなたたちを無償で釈放などするはずもないわ。アデリアの手の者だとしてもそれは同じはず」
「もしや、皇国や帝国の回し者……とも考えましたが」
「だとしたら話は厄介になるわね。やるなら二国は自分たちの最も有利なタイミングで開戦する様に仕掛けるはずで、そのための工作員……その可能性も考慮には入れるべきかしら」
「ですが、その……」
「ん? なにかあるの?」
「一次報告には明記しなかったのですが、実は連中から別れ際に、こんなものを差し入れられまして……」
「差し入れ?」
ティーグは腰の雑嚢から小瓶を取り出した。大きさは掌と同程度のものだ。
「あら、ポーションじゃないの? これがなにか?」
「あ、いえ。容器はただ入れ替えただけでして、実はこれ、酒のようなんですが……」
「お酒?」
「最初はもう少し大きな、いかにも酒瓶らしき瓶に入っていたのです。彼奴も『温まるぞ』と言っていたので酒だろうとは思ったのですが……どうぞ、香りをお試しください」
言われてティナは瓶の栓を開けて、クンッと臭いを嗅いでみた。
「う!」
途端に顔をしかめる侯爵夫人。
「な、なに、この臭い! これがお酒? いえ、そんな!」
「はい、我々もこの臭いには驚いたのですが……」
ティナはもう一度、臭いを嗅いでみた。
でも、リアクションは変わらずである。
ツンとくる、鼻腔に突き刺さるような刺激臭。
病院等で体験する、薬品にも似た臭いにティナは、その麗しい表情を顰めてしまう事を防ぐ術を持たなかった。
「しかし、帰路が明け方の海上と言う事もあって身体が冷えてしまい、暖を取れるものならと思い切って飲むことにしまして……薬膳酒のつもりで口にしたところ、クセは強いものの、飲んだ後は普通に酒を飲んだ時と同じだったのです」
「とりあえず無事だったのね?」
ティナはティースプーンに酒を垂らし、舐めるように飲んでみた。
一瞬、コホッコホッと咳込んだが、とりあえず飲み干した。