状況の人、実戦する2
――いつかは帰れる……
洋子は湯の中で連日の訓練で強張った手足の筋肉をほぐしながら、心地よい一時を過ごしていた。
ザッ! ザッ! ザッ!
まだ午前中だと言うのに風呂のあまりの心地よさにウトウトしかけた洋子は、草を掻き分けながら何者かが走って来るような音に気付き、目を覚ました。
――何か来る? 人? 魔獣?
洋子は拳銃を握り、素早くスライドを引いて初弾を薬室に装填した。予期せぬ奇襲等に備えるために、バスタブに引っ掛けていたグロック19である。
ザバッ!
湯船に身を沈めて姿勢を低くし、音の向かってくる方向へ、スタンダードモデルであるグロック17より、やや小振りの拳銃であるG19の銃口を向ける。
銃を前面に構えつつ、音の正体を確かめるべく目線を左右に動かして周辺を凝視した。この間、音が聞こえて索敵開始するまでの時間は5秒と経っていない。
と、ここで洋子は眉間にしわを寄せた。
――あたし、何やってんの?
洋子くらいの年頃の女子ならば、入浴中に何者かの接近を感じた辺りですぐにその場から離れるか、もしくは自分の素肌を他者の目に留まらぬようタオルで隠すなり、服を着るなりするのが相場と言うものだ。
ところが今の洋子さんときたら、全裸の身をバスタブに潜めて両手で15連発の自動拳銃など構えていらっしゃる。
まだわずか一週間程度とは言え王都を出て以来、常に火器を携えて食事中はもちろん、寝る時でさえ火器と共に過ごして来た。
そして毎日の反復訓練。
その訓練の成果が実って思わず反応してしまったが、自分がスッパで拳銃を構えている状況を脳内で再現してしまい、急に顔が赤らんできた。
バサッ!
その一瞬の緩みを突くかの如く、左前方の枝を掻き分けて一人の、洋子より少し背の高そうな人間がこちらに突撃してきた。
やはりあの音は、草や枝葉を掻き分けて人が走る音だったらしい。
そちらに目を向けた洋子は、図らずも走って来る人間と目が合った。
――女性?
突っ込んでくる人間は若い女性だった。
歳の頃は洋子よりちょい上か? と思えるくらいで、ガチ合った目は済んだ青色をしていた。
彼女からは敵意というものは何も感じられなかった。
得物を持たぬ素手の状態でもあり、こちらに襲ってくる、敵対する、というような雰囲気は皆無と言える。
そしてその青い瞳の頭の上には……犬か狐か狼らしき見事なケモ耳。
獣人自体は王都にも居たので驚きはしなかったが、こんな人気の無い(故に入浴としゃれ込んだワケで……)森の中で?
で、そのケモ耳の青い目も、こう語っていたように思う。
――何でこんな森の中にバスタブが!?――
そんな驚愕した目をした女は駆けてきた勢いを止めることは出来ず、バスタブの縁に足を取られ、
バッシャー!
と頭から湯船に突っ込んで来た。
「ぶへぇ!」
まるっきりの下敷きではないが、背中に乗っかられる形になった洋子は些か間抜けな悲鳴を漏らした。
――な、なんなのよ、もう! って、痛! 痛!
転んだ女は体を起こそうとジタバタと足掻き、洋子の顔をガンガン蹴っ飛ばした。
「ちょっと! 痛いじゃないの!」
たまらず抗議の声を上げる洋子。対して女は、
「ご、ゴブリン! ゴブリン!」
と言いながら洋子の後ろを指で差した。
洋子が首だけ振り返ると、女の来た方向から人型ではあるが、若干小振りな体形で青だか緑だかの肌をした異形のものが集まってきた。
追いついた!
もう一匹いるぞ!
ツイてるぞ! まとめてとっ捕まえろ!
女にゴブリンと呼ばれたその異形の者たちは、体躯こそ小学生高学年か中学一年程度のものであるが、手には剣や斧を持って殺気満々の面構えで洋子たちに迫ってきた。数は5頭ほど? まさに魔物と呼ぶにふさわしい、イメージ通りの形相・言動だ。
ヤバい! 洋子は聞こえてくるゴブリンの言葉に危険を感じ、G19を向けようとした。
しかし女が乗りかかってきたおかげで銃は右手ごと湯船の中だ。
懸命に腕を抜きだそうとするが、羨ましいほどスラリとした女の脚が邪魔で抜き出す事が出来ない。
――ぬ、抜けない!
焦る洋子。だがその刹那、目の前にローブが放り込まれた。
「そこまでだ!」
龍海登場である。
「ゴブリンたち! 言葉がわかるのなら、この場から立ち去れ! さもなければ命の保障はしない!」
ドォン!
上に向けて一発、威嚇射撃を放ってゴブリンに警告した龍海は散弾銃を腰だめに構え直した。洋子が使っている物と同じM500だが、銃床をピストルグリップに換装した全長の短いタイプだ。森の中でも取り回しが楽なため、こういう状況用に再現しておいたものだ。
轟音に一時怯んだゴブリンたち。しかしすぐに立ち直り、
なんだ、音だけか?
男は一人だ!
やれ! 囲め!
と余裕を込めた笑みを浮かべながら一斉に襲い掛かってきた。
銃なんてものはこちらの世界にはまだ存在しないので、この反応もやむを得ないのか?単に知能が低いのか? あの銃声――爆音を単に音だけの虚仮威しにしか認識できないのか?
木の枝や葉を撃ち抜いたとしても、こいつらにこの武器の威力を理解させることは期待薄なのか?
ちぃ!
口元を激しく歪めて舌打ちした龍海は、斧を振り上げて向かって来る先頭のゴブリンを狙い、散弾銃の引き金を絞った。
ドォン!
炸裂する一二番ゲージ・バードショット弾。
ゴブリンとの距離は7~8m。この距離での散弾銃の威力は至極凶悪である。
標的となったゴブリンは、胸部をワッズから解放される寸前の数十発のペレットで抉られつつ、後ろへブッ飛ばされた。
映画の被弾シーンほど派手では無い倒れ方だが、肺も心臓も破壊されたゴブリンは無論、即死である。
音だけの見掛け倒しだと楽観していたゴブリンたちの動きが止まった。やられた仲間を見て目を見開く。
さっきまで自分たちと一緒に笑っていた仲間が剣や槍はもちろん、氷矢も炎球も当てられず屍に、いや残骸と言っていい物体に一瞬でなり果ててしまえば目を疑うのも当然であろう。
「わかったか! さっさと去れ!」
ジャカ!
フォアグリップをポンピングして空薬莢を排出、次弾を装填した龍海はゴブリンに再度警告した。
が、
「だめです!」
後ろからダメ出しの声。
「皆殺しにしてください! 一匹でも逃すと仲間を呼ばれてしまいます!」
――く!
新しい状況だ。彼をせん滅しないと我の危険度が増す。
一瞬、龍海の脳裏に子供のころプレイしたゲームの一シーンが過った。
もうすぐ敵モンスターを全滅、と言う状況で、「仲間を呼ばれる」を繰り返されHPもMPもじわじわ削られて、あわやゲームオーバー――に成りかけてハラハラした思い。
シチュは似通ってはいるが、今回はリアルで命が掛かっている。