状況の人、決戦へ1
全くさっきの唇を尖らす顔といい、この笑顔といい、
――クソ! やべぇ、マジかわええ……
このあどけなさ、ホントに多くの魔族を束ねる一国の女王なのか? こんな女性が自分との結婚にめっさ前向きだなぞ、年齢=彼女いない歴を拗らせていた龍海にとっていくらほっぺを抓っても何か現実味が無い。
「そう言えばヨウコはどうしたのだ? 昨晩は、さすがに疲れたと申して夕食にも顔を出さなんだが?」
あれこれ斟酌している龍海をよそに、メルは話題を洋子の事に振った。
「ああ、洋子なら多分シーエスのところだと思うよ。今朝、見舞いに行きたいって言ってたしな」
「そう、か……」
「回復士の施術も良好だそうだし、心配は無いと思うけど。まあ胸の傷はパックリ開いちまったからな。ポーションや治癒魔法が効くまで縫合処置は必要だったけど」
「聞くだけで足の指先が痺れてくるな……」
「とりあえずは、シーエスを利用してのポータリアの思惑は潰せた、そう思っていいよな?」
話題は更に、魔導国のこれからへ。
「だがこれは、逆にポータリアを刺激することになろう。彼奴らはシーエスに反アデリアの機運を増長させてアデリアとの武力衝突へ発展させる事を目論んでいたはず。しかる後、両国の損耗を見計らってアンドロウムと一斉に進行するつもりが、それが外れた」
「もしくはポータリアと密約してアデリアの西部、特にオデ市の港の奪取を誘導し、魔導国へは不可侵とする。今回のクーデターは、そのためだったんだと仮定する事も出来る。しかし昨日の決闘で、それも潰えた。ポータリアの思惑は、すべて外れてしまったワケ……なはずなんだが……」
「アデリアは魔法障壁が展開出来ない。こちらはこのクーデターによる体制の立て直しが必須。両国が大きな不安定要素を抱えているこの現状は結局のところ……」
コンコン!
現状を細かく分析し合う二人の耳に扉のノックが響いた。制圧から解放されたロイヤルガードがいつも通りの段取で用向きをロゼに伝える。
「陛下、アデリアの使節団の方が当市入りしたようです。その中のレベッカ・ヒューイット治安隊長がシノノメさまに御用があると」
「レベッカさんが?」
龍海とメルは嫌な胸騒ぎを感じながらお互いの顔を見合わせた。
♦
防衛軍司令部の医務室内入室棟の個室で魔王シーエスは、昨日の決闘による負傷を癒していた。
回復士の魔法とポーションの効果もあり、胸の傷の抜糸は明日にも可能であろうとのこと。
窓のカーテン越しに遅い朝の光が零れて来て、シーエスの瞼を直撃する。シーエスは思わず眼を半分ほど開ける。
閉じていた目にその光は眩しく、彼は反対の壁際に頭をよじった。
――ん?
未だ薄目のシーエスの視界に、一人の少女の姿が映った。
「気が付いた?」
「……」
「昨日からずっと寝てたのよ? まあ、あれだけ出血したら無理もないけど」
「勇者どの……か?」
洋子は、にっこり微笑むことで答えた。昨日、本気で命の取り合いをした者同士とは思えないほどの、明るい笑顔だった。
「お見事、だった。完敗で、あった」
「ありがと。でもホント、紙一重ってあの事よね~。あの時、あたしの脇差が持ち堪えなかったらそこに寝てるのはあたし……ううん、あの世行きだったかもね?」
「謙遜なさるな。結果が、全て、である」
そうね……洋子は答えた。
「小生の部下たちは?」
「撤収の準備してるみたいよ。戒厳司令部も解散するって」
「そうか。指示通りの模様であるな」
シーエスは、安堵の吐息が混じるように言いながら、首を元に戻して天井を見上げた。
「……ねえ閣下?」
「うむ?」
「あなた……こうなることを見越して、あたしに決闘申し込んだんじゃない?」
「……」
再び洋子を見つめるシーエス。
「どう?」
「買い被り過ぎであろう。未来など誰にも分かろうはずもない」
「でも決闘後の指示も残してあったんでしょ?」
「万が一を想定して備えるのは領主、一軍の将として当然である。我が身が職務遂行不能となった場合の人事、行政の指示等は、常に小生の執務室の金庫に保管されておる」
「ふふふ。そう言う事にしとこっか。大変ねぇ政治家って」
「含みの有りそうな言い方であるな? 何を申されたい?」
「あたしね、この世界に来る前……故郷の世界じゃね、政治家なんて自分のことしか考えない、悪いことしても謝らない、金儲けの事しか考えてない連中だって思ってたのよね」
「……為政者の身でありながら、そう言う輩が居るのは小生も否定出来ぬところであるな」
「でもこっちに来て、いろんな人たちと会ってさ。間違ってるって分かってもそれは言えない、謝りたいのに謝れない、口に出しちゃいけない。そんなのをいろいろ見て来たからね。閣下の気苦労、覚悟、決意……今度の決闘でしっかり受け取ったと思うの」
「……」
「領主たるもの、過去の遺恨だけで国が纏まるなんて思っている訳ないものね。紆余曲折はあっても魔導王国が皆納得して一つにならなきゃならない今だからこそ、それを自分が背負わなければならない。それに対して命を懸けて、死線を掻い潜って見せなければ領民は納得してくれない」
「……買い被り過ぎと言っておろう? 小生は、結局は武で己れを律する事しか出来んのだ」
シーエスの言葉に笑みを絶やさず、うんうんと頷く洋子。
「長居しすぎたかな? ちょっと様子見するだけのつもりだったし、そろそろお暇するわ。今はゆっくり養生してね閣下。あなたにはすぐに前線で指揮を執ってもらうことになるだろうし」
洋子の言葉に、シーエスはもう一度天井を仰ぎ、もう一度ふーっと深く息を吐くと横に小さく首を振った。
「いや、小生は隠居する決意である。敗北者は奥に引っ込むが道理であろう? 我が息子はこんな時にも対応できるように鍛えてきたつもりだ。あとは次の世代に任せるべきである」
「そう……あたしとしちゃ、ちょっと残念かな? じゃ、閣下。お大事に」
そう言うと洋子は椅子から立ち上がった。一度シーエスにお辞儀して扉に向かう。
「勇者どの」
扉を開けた洋子にシーエスは声を掛けた。
「我が命を取る覚悟で真剣勝負を受けてくれたこと、心の底から感謝する。おかげで我が兵たち、ビアンキ夫人たち、他の魔王も……何より魔導王陛下も納得して頂けたであろう。これで今の小生には何の憂いも無くなった」
「……」
「ありがとう……」
シーエスの感謝の言葉を受けて、洋子はもう一度微笑むと部屋から退出した。
――ホント、不器用な魔王さまね~
などと思いながら龍海の元へ向かう洋子。
歩いているとほどなく、シーエスへの見舞いであろうか? 凛とした姿勢で歩む、そんな麗しい空気を纏った女性と出くわした。
ビアンキ侯爵夫人であった。
胸に花束を抱えた彼女は洋子との距離が詰まると歩を止めて、ゆっくりと、穏やかな所作でお辞儀をした。
洋子もまた、応えるように頭を下げた。
顔を戻した二人は、小さいがふかく、穏やかな笑みを浮かべていた。
言葉は交わさなかった。二人はそのお互いの微笑で全てを悟ったかのようにまた歩き始めた。
司令部の出口に向かう廊下を歩く洋子は終始、上機嫌だった。
♦
レベッカの訪問を受け、ポータリアからの最後通牒――と言うか事実上の宣戦布告というべき要求が提示されたことを聞かされた龍海と魔導国の魔王たち。やはりポータリアは、シーエスの動きに合わせて侵攻を決意したとみていいだろう。
まあ実際にアデリアと魔導国の同盟は、ポータリアにとっては明確な敵対行為であり看過することなどは有り得ない。ただ皇国にとって誤算があるとすれば、シーエス勢がほぼ無傷で制圧されたことであろう。
あの最後通牒を突き付けた後では、白紙に戻して手打ち……などと言う事は、メンツにかけても有り得ない。それに、同盟を果たして国力を増強したと言ってもそれは帝国、または皇国一国と対峙するならば十分と言った程度である。
多少の期待や思惑の外れは有っても、シーエスのクーデターに依る魔導王国内の立て直し、明確となったアデリア王都の魔導障壁の消失は二国にとって好材料以外の何物でもない。やるなら、今! である。
アデリア魔導国連合もそれは同じである。もはや、独立国家としての国体維持か隷属かの二択となっている。当然、後者を選ぶなど有ろうはずもない。龍海は、いよいよ来るべき時が来たと思いを新たにした。
とは言え、現状は当初の想定とは180度、とは言わないまでも160度くらいはひん曲がってしまっている。本来なら敵対するはずだった魔導国とは同盟を結び、アデリアも含む西方二国を侵略しようとするアンドロウム帝国、ポータリア皇国と正面切って開戦しようというのだから。
もっともこの列強二国に対抗しようと画策したのが勇者召喚だったワケで、あながち間違ってもいないと言えばその通りだったり。
「で、帝国・皇国が攻めてくるとなると、こちらとしてはどれくらいの猶予が見込めるのかな?」
こちらの軍事行動の規模、進軍速度等はよくわからない龍海は改めて質問してみた。