状況の人、作戦立案中3
外務副大臣エイルは、会談後の応接室で一人残ったまま目の前の降伏勧告文書を眺めていた。
何度読んでも酷過ぎる、龍海や洋子が見れば(当然ながら)人権意識の欠片も無い要求に唾棄、若しくは破り捨てるだろう。
カチャ……
扉が開いた。部屋内に誰かが入って来た。
しかしエイルは微動だにしなかった。その代わり、
「聞いていたかね、ウエルド男爵?」
入って来た人物に問いかけた。
「予想通りでしたのう。何のヒネリもありゃせんし、拍子抜けしたくらいですけぇ」
ウエルド男爵と呼ばれた男は両の眉毛を吊り上げ、呆れました~と言わんばっかりの表情で感想を吐露した。軍の制服を着てはいるが、襟元をだらしなく開かれた感じで着崩し、外套を袖も通さず幅の広い肩に羽織るだけの姿は、軍人の中でも横着系の匂いを振りまいている。
「連中、副大臣の顔見てほくそ笑んでおりましたのう。うまいこと油断してくれりゃええですが」
ドスの効いた低い声。それで唸るような話し方はまるで反社組織の幹部を思わせる。
そのウエルドと淡々と語り合うエイル。先ほどの狼狽ぶりは全く感じないが……
「増兵準備を急がせんようにこちらが慌てている印象を与えたかったが、まあこればっかりは確認のしようがないな。結果が全てだ」
「で、王都府の予想通りだったのはええとして、今後はどうするんですかい? 新基準の徴兵の方も始めますかい?」
「モノーポリがハウゼンに足並みを揃えた時点で、王都府は魔導国と同盟する腹を決めたようだ。シーエスの動向に依るわけだが、まあ、勇者の出方次第かな?」
「話聞いとるだけやと、ごっつう強そうったぁ思いますがの? 勇者はんはそこまで信用してもええんですかい?」
「私も実際に会ったわけでは無いからなぁ。だが彼らはモーグ市に出向いて魔導王の救出を実行する気らしい。今も大臣より先行してエームスに向かっとるそうだ」
「ホンマ、掴み所がありませんのぅ。お隣の山賊一掃して魔族の利になる事したかと思えば、ミナミじゃシーエスのテロを防いじょる。ほんで今度は魔導王の救出とか、自由奔放に過ぎますのぅ」
「しかし最後は我が国に味方してくれるはずだ。事が終ったあと、故郷に帰るためには王宮魔導殿の召喚魔法陣は絶対に死守せねばならんからな、そこは信用してよかろう。それはそうと、いざ開戦となれば対ポータリアは男爵が事実上の指揮官となる。北方の最終的な彼我兵力差は如何ほどになるのかな?」
「ポリシックからの密偵に聞いた数を信用すりゃあ、わしらプロフィット勢、アープに加えて、ポリシックにオーバハイムも加担すりゃ人間換算の兵力で2万がところは集まりますかのう。対してポータリアは中央や北からの増援込みで……4万か4万5千程度は来よるやろなぁ。東はまだ騒いじょるようじゃけぇ、あまりこっちには寄こせんじゃろ」
「守りに徹すれば辛うじて、か。しかし長引くと、こちらは後詰めが居らんからな。王都の守りは避けられんし、魔導国もシーエス次第ではオーバハイムらが南部へ派遣されるやもしれん」
「勇者さまに期待したいところじゃが、やっぱわしらが真っ先に盾にならんとなぁ。ところで会談でも話に出とったけんど、勇者が火竜を食ったっちゅうんは、マジですかいのぅ?」
「状況を見る限り信じるべきらしい。しかし妙なもんでな、火竜自体は確かに消えてしまったんだが、死体が無いのがな。だが、付近の村民の話を聞くとある日突然いなくなったのは確かなんだ。その後は周りに手を広げて聞き込んだがあのデカい図体にも拘らず目撃したものが誰一人として居らん。まあ事が終れば勇者から直接聞けばいいが、とにかくこの先の戦力としては当てにせざるを得んな。二国を全滅……とまでは言わないが、せめて恐怖で連中の士気を挫いて欲しいものだ」
「そうよの! あの腐れ外道ども、何が長年の信頼じゃあ。単に堤防扱いしとっただけじゃろうによ!」
「奴らのアデリアでの蛮行。泣かされた臣民、女子供は数知れん、ほぼ治外法権だった。いつかこの雪辱を、と思ってはいたが……まさか我らが魔族と手を組むとは思わなかったな。これもご時世かな?」
「わしらはポリシックとは昔からそう睨み合っとる事はしとらなんだでなぁ。とにかくポータリアに一泡吹かせとうてウズウズしてまっさ」
「ああ、頼むぞ。私はこれから王都に戻って結果を報告してくる。予想外にポータリアが早く動き出しそうなら、男爵の判断で行動してくれ」
「ようがす! まあ、まかしといてつかいや」
いろんな地方の方言が混ざった話し方をするこの男爵は、エイルの期待に応えるべく胸をバンっと張った。
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「3千?」
「斥候の報告によれば蜂起軍は大体そんなもんだそうだ。大演習後の休息を兼ねたモーグ市入りと言う触れ込みだったので、王都府の各方面庁舎は瞬く間に制圧されたらしい。そのまま要人を人質に取られ、駐屯軍や警衛らもすぐに動きを封じられたようだな」
エームスに辿り着いた龍海は洋子らを用意された宿所に待機・休養させて、自分はティーグと共にシステやモノーポリらと現在の状況の掌握と分析に参加した。
約10万の人口を誇る王都モーグは当然の如く中央政庁の各担当部署施設が市内のあちこちに存在する。現在それらは全て蜂起軍の管理下に置かれ、唯一国交を結んでいるアデリア王国の在モーグ大使館も例外では無く、大使及び外交官・職員は全て追放され、彼らもまたエームスに待機している。やがて到着する外務大臣を代表とする使節団と合流する予定だ。
「3千か……ではシーエス領にはまだ4千近くは招集できる兵がいると考えてよいな?」
「だがまあ、そこから援軍が来るとしたって千人は来れねえだろうよ宰相。連中、アデリアのオデの勢力にも備えなくちゃならんからな」
「モノーポリ公の目算で正解だろう。それもあって、シーエスの西のメロートロンには領境に軍を展開させて睨んでもらっておる」
「後ろを突かれるとなれば、シーエス魔王閣下も迂闊な事はなさりますまい」
魔王メロートロンの代理で、この協議に参加しているメロートロン軍チェンバリン准将が補足する。年配の魚人系魔族だ。
「だが、魔導国軍同士の衝突は避けたいな。そんなことはメル……いや、陛下は絶対に望まない」
「シーエス閣下も陛下の御心は十分承知しているはず……しかるになぜ、このような暴挙を……」
龍海に同調するティーグ。だが己が領主のこの奇行に未だ困惑は隠せない。
「宰相! シーエスからはまだ、何かこう、声明とか要求みたいなものは来てないのかい!?」
魔導国西北端を領地とする魔王オーバハイムが、少々いらだった口調でシステに訊ねた。
竜人種で3年前に先代領主と代替わりした、見た目が若い女性魔王である。