状況の人、再び西へ4
「ようやくお出ましか、シーエス?」
メルは不機嫌を隠さなかった。
「何をさておき……陛下へのご挨拶、この時分まで遅れました非礼、深くお詫び申し上げます」
膝をつき、礼を尽くしながら淡々と自分の行状を詫びるシーエス。
背丈はウルフ族の平均的な180cm強ほど。しかして鍛えられた身体は、すでに初老に入りかけ、若い時はもっと艶があったであろう毛髪には白いものが混じってはいるものの、その頑強さは衰えを見せず、と言った気を放っていた。
生まれついてのものであろうか、伏し目がちの一見温厚そうな表情を見せるが、その奥の眼光たるや常に戦いの場に身を置く者の底深い屈強さを宿している。
「王都内の防衛軍、市井の警衛団、行政及び出先機関をすべて制圧・掌握するには、いかに電光石火の如き作戦遂行であったとしても手間はかかるわな。とは言え、そのような真似を仕出かしておいて空世辞もあるまい?」
「お言葉なれど小生、今に至るも陛下と国家への忠誠は微塵の変化もございません。此度も我が祖国、我が主君の未来永劫の安寧を願っての所存である事、とどめ置き下されば無上の慶びであります」
「今、王府の特使としてリバァ・モウルがそちらに伺っておったはず。彼女の口上は聞き及んでおらぬのか? 思惑があるのであれば、サミットにおいて述べれば良かろうに何を早まったか?」
「秋の収穫も間近に迫り、時は猶予を認めないと判断した次第でございます」
「王都に出仕する其方の子飼いが何を宣ったか余は知らぬが、其方らの思いを最初から踏み躙るとでも思ったか?」
「滅相も。しかし他の者はそうは思いますまい。モノーポリにせよハウゼンにせよ、ポリシックにせよオーバハイムにせよメロートロンにせよ……しかして各領には我らと同じ胸の内を抱える同志は居ります。彼らの思いを埋没させるは国の礎を削弱する行為であると小生は考えております」
「其方らの過去の功労、それに伴う心持は余も理解するところだ。だが、今の状況を鑑みれば、真の敵国の下心を真に受けて同胞に仇を成すなど正気の沙汰とは言えまいに……シーエスよ、其方もそれは分かっておろう?」
「……」
「余は、ほんに首を傾げておるのだ。其方ほどの英傑がそんな皇国や帝国の思惑に乗るような輩では無いと、余は信じておるのだ」
「……お言葉、心の底から喜ばしい限りにございます。その陛下の御意にお応えすべく、小生は魔導王国万歳の御先の一助となり、一命を賭す所存」
「シーエス……」
メルの目が険しくなった。シーエスの言葉から発せられた違和感を感じざるを得なかったのだ。
彼の言う言葉は自分の行動、その根拠となる己が望みを誤魔化すために言葉を並べているともいえる。が、しかし、彼の言葉の流れから、嘘・誤魔化しが無いとそれも間違いはない事も伝わって来る。
なのに違和感を感じる。メルはそれを払拭する事が出来ない。
アデリアに対する恨み辛みをポータリアの策謀を利用して晴らそうなどと言う単純な思いでは無いはず。
「小生は陛下こそ、わが身の全てを捧げるが我が名、我が一族の誉たらんと信じております。此度の小生の横紙破りに対し、陛下の深き御心が怒りとなって示されば、魔族最高位たる魔神族の末裔であらせられる陛下がその全魔力を持って小生を仕置けば、小生などたちどころに」
「……」
「しかしながら今こうして、小生が陛下にお言葉を賜わっている事こそ、小生に対する信任、と手前勝手ながら受け取らせて頂いております次第……」
シーエスの言葉に嘘はない。メルはそれをひしひしと感じざるを得なかった。だが、
――嘘が無いことが、イコール真実ではない……
メルの違和感は恐らくそこにあった。
「……其方の思いは分かった。で、この先其方はこれをどう収める気なのだ?」
思いの丈を言い切ったであろうシーエスは、肺の空気をすべて吐き出すような吐息のあと、
「各地で我が方と志を同じくする者を募っており、続々と王都に集結しております。その勢いを以て、宰相以下、他の魔王たちに我らの憂国の志を説く所存でございます」
「そうか……では、余はどうすればよい?」
「陛下にお指図など不敬の極みにございますが……もしお聞き入れられるものでありますれば、小生を、我らを、ただ見守って頂ければ、それに勝ることなぞ……」
「……相分かった。其方は己が思いに準ずるがよい」
「はは! 我が胸中お聞きくださり誠に感謝の念に堪えません。それではこれにて。変わらぬ忠誠と共に……」
シーエスは立ち上がった。姿勢を正し、踵を返すと扉に向かう。
「シーエス!」
「は!」
メルに声を掛けられ、シーエスは即座に歩を止めて回れ右。
「先ほど、一命を賭すと其方は言ったが……」
「はい……」
「……死を……」
「……」
「死を選ぶでないぞシーエス。死は……死は結果、に過ぎないのだぞ」
「……」
メルの言葉にしばし沈黙のシーエス。が、やがて、
「は! お言葉、骨身に刻み込ませていただきます!」
胸に手を当て、低頭するシーエス。そして頭を上げ、そのまま蜂起軍を指揮すべく部屋から立ち去った。
「ふう……」
今度はメルの口から吐息が漏れた。
「お疲れ様でございます陛下」
メルの身辺を世話するため、唯一傍に残ることを許された侍女長がメルを労った。
「そろそろ夕食が運ばれてくると思われますが、何かお飲み物でも?」
「ん~、そうだな、水を一杯……」
水を所望するメル。侍女長は、頷いて水差しに手をかけるが、
「いや、やはり茶を頂こう。今は叔母上の淹れたお茶を飲みたい気分だ」
と、メルがオーダー変更。
「まあ陛下、叔母呼びはおやめくださいな。今の私は陛下の侍女長、エバ・シィリンジャーですよ?」
などと、しかしほんのりとと笑みを浮かべるエバ。言葉とは裏腹に頭上の狐耳がピコピコと。
侍女長エバはメルの父の妹であった。
メルが生まれた時から共にあり、以来メルの身の回りの世話をしており、王室内の使用人を統括する侍女長、そしてメルの相談役でもある。メルと同じ血を引く魔神族の一人であるのだが、只、純血では無く、父親――メルの祖父、その側室の子である。
母親は魔神族では無く、城の使用人で祖父に見染められた妖狐族であった。故に、魔力はメルより格段に低い。
「良いではないか。久しぶりに二人っきりなのだ。誰の目も憚ることは有るまい?」
「はい、では陛下の御意のままに。お言葉に甘えて、私もご相伴に預かりましょうかしら?」
メルはにっこり微笑んでそれに答えた。夕食が近い事も有り、茶請けは無しでエバの淹れてくれたお茶のみを楽しむ。
「まさか、シーエス閣下がこのような手段に訴えるとは……些か驚きですわ」
ティーカップを手に、エバが今回の一件の印象を述べた。
「……さすがにクーデターなぞ初めてだ。正直、余はどうすればよいのか皆目わからん」
「そこは彼の方の言う通り、見守ることが今の陛……メルの最善と考えるわ」
久しぶりに龍海以外に名を呼んでもらえて、今の危機的状況にもかかわらず、メルは何だかほっこりした。
「やろうと思えば、あなたの全魔力を持ってすれば蜂起軍の全滅……は無理でも上層部を壊滅させることは出来ましょう。だけどそれは悪手と言わざるを得ないわ」
「父の想いとも違えるからな。我が血の能力は絶対に臣民に向けてはならぬと。とは言え、何もせんと言うのもな。おそらくモノーポリ領のエームス辺りに各魔王が集結して善後策を練るはずだが」
「シーエス閣下の言葉じゃないけど、反アデリア派は各地に潜んでいるでしょうし、どこまで結束が叶うか。ましてや相手は同じ魔導王国の臣民同士ですからねぇ」
「同じ臣民同士の戦いは……見たくないな……」
「で、ありましたら……」
エバは途中でカップに口を付けて間を取った。
「ん?」
妙な間の取り方に思わず聞き返すメル。
「……シノノメさまに期待したいところ……かしら?」