表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

すれ違うジェラシー

作者: 長井カツヤ

 汐里は夜の街でホステスとして働いている。仕事を終えマンションに帰るのはいつも早朝だ。同棲中の恋人、陽介とはすれ違いの寂しい生活を送っている。

 ある日、二人が暮らす愛の巣に、見知らぬ女が訪問してきた……。



 5分で読める短編小説です




 

 汐里しおりは部屋のある十階でエレベーターを降り、外廊下を歩いた。部屋は突き当りの角部屋だ。食材が詰まったレジ袋を肘にかけ、汐里はマンションの鍵を開けた。


 時刻は朝の六時半。仕事から誰もいない家に帰宅したが、出勤前にシャワーを浴びて陽介ようすけが出掛けるので、いつも部屋には彼の残りがある。シトラス系のシャンプーの香りだ。


 汐里は目を閉じ深呼吸した。それで陽介の面影を感じ、一緒にいるような気になって、すれ違いの寂しい生活も我慢できた。胸に張り付いた孤独感が緩和し、また頑張れる。それは汐里にとって、毎朝の儀式になりつつあった。


 部屋着のラフな恰好に着替え、長い髪は後ろで束ねた。それから、さて、といっててきぱきと動く。買い込んだ食材は冷蔵庫にしまい、部屋の窓を開けて空気を入れ替え、洗濯機を回し、家中掃除機をかけた。汐里は働いていることを言い訳に、家事を疎かにしたくはなかった。


 同棲して一年が過ぎた。籍はまだ入れていない。

 なかば汐里が押し掛けるようなかたちで暮らし始め、とにかく汐里は陽介にぞっこんだった。


 エプロンをかけ、シンクを覗く。汐里は顔をほころばせた。きれいに食べられた食器が置いてある。

 料理の腕には自信があって、彼の好きな物もよく知っている。献立を考えてると幸せな気持ちになり、夜勤明けの疲れも飛んでしまう。早速、冷蔵庫を開け食事の支度を始めた。家事はぜんぜん苦にならなかった。


 それでも汐里には、いくつか不満がある。


 すぐにでも結婚したいのに、せがんでも陽介は、なかなか山形の両親に会わせてくれない。

 

 自分が水商売の女だから、親族によく思われていないのは薄々気付いてはいるが、しかしそれは古臭く田舎じみた偏見に過ぎないと、迎合げいごうし自分らしさを失いたくはなかった。


 陽介が仕事の接待で、汐里の店にやってきたのが二人の出会いという経緯いきさつもある。この仕事をしていなかったら陽介に出会えなかった。

 店を辞め、良好な関係にあるママやスタッフ始め、運命の神様を裏切るような真似はしたくはないし、クラブの仕事は、自分の天職だとも思っている。


 そして何より一番の懸念は、陽介の元カノの存在だ。


 女は陽介の会社の上司で、結婚に踏み切れないのは、関係がまだ続いているのではないかと疑心暗鬼になっていた。

 陽介は容姿端麗な好男子なうえ男っぷりがいい。モテないはずがなく、毎日顔を付き合わせていると思うと、自分でも嫌になるぐらい嫉妬に駆られ、物に当たることも珍しくなかった。


 汐里は女の顔を知らない。それが想像を掻き立て、目に見えない不吉な影となって胸を差した。


 陽介にはふと考え込んで、話を振ってもうわの空の時がある。問い詰めると、またその話かと、露骨に嫌な顔を見せるし、仕事が忙しい彼をわずらわせてはならないと、あまり深く追求もできなかった。





 一通り家事を終え、汐里はシャワーを浴び就寝した。

 それからまだ一時間も寝ていないのに、LINEが入り起こされた。


「もう……誰……」


 ぼーっとしたままスマホに顔を合わせた。


「あっ」


 といって、汐里は一瞬で頭が冴え、あどけない少女のように破顔した。陽介からだった。

 しかし仕事中の昼間、陽介からLINEが届くことは滅多にない。汐里の胸に期待と不安がよぎった。


「なんだろう──?」


 スマホをタップしようとしたところで、思いがけず画面がシャットダウンに切り替わった。


「あっ、あ、いけない、バッテリーが」


 汐里は慌ててコードに繋いだ。


 その時である。家のチャイムが鳴った。

 汐里は、なぜそう思ったのか分からないが、自分にとってとても大事な来客のような気がした。女のカンというべきか、特に汐里の場合は、夜に生きる女の如才じょさいない気配りが敏感に働いて、自然と体が動いていた。ベッドを出て身支度を整え、直ぐに玄関に駆けつけた。


 ドアを開けると、「あなたが汐里さんね」いきなりそういって、女が上がり込んできた。

 見たこともない知らない女で、パンプスを脱ぎ捨てると、どいてと、汐里を押しのけた。呆気にとられているうちに、女は我が物顔で廊下を進んだ。


「ふーん、わりと綺麗にしてるじゃない。家事はこなせるようね」


 リビングの真ん中まできて、そういった。カーテンは閉めきっていたので、汐里は部屋の照明を点けた。


 化粧っけはないが、接客業の汐里から見ても、隙がない流行の身なりをしていて、小股の切れ上がったろうたけた女だ。年恰好から年齢は一回り上のように思われた。


「いったいなんですか、あなた。いきなり入ってきて」


 女のペースに飲まれ、そこでようやく咎めた。だが女はバレリーナのようにスーッと足を運び、室内を物色している。


「あら」


 そういってキッチンカウンターのさくらんぼを手に取った。


「陽介の好物ね」


 汐里を見つめながら口に含んだ。そして、美味しいと意味深に笑った。


 汐里は、じっと肌着が汗ばむのを感じていた。

 社交的で人当たりがよく、笑顔で接するのが天賦てんぷだと思っていた自信が大きく揺らいだ。職業柄、人見知りしたこともない。どんな相手にもそつなく対応してきた。

 しかし今は冷静さを欠き、心拍数がぐんぐん上がっていくのが分かる。


 女はティッシュをとって口から種を出すと、さらっといった。


「別れて頂戴」


 一瞬めまいがして視界がぼやけた。


「ねえ、聞こえた? 陽介と別れなさい」


 まさかこの女が──と、気の高ぶりが止まらない。


「陽介から聞いたわ。あなたホステスなんだって。冗談じゃない、あなたなんかに陽介を渡せるもんですか」


 カッと頭に血がのぼった。汐里は柳眉りゅうびを逆立て女を睨み付けた。職業を差別されたことが許せなかった。


「出てって、今すぐここから出てってよ!」


 自分でも驚く程大きな声で、また怒りに声が震えている。


「はあ? 出て行くのはあなたの方でしょう」

 

 女は勝ち気な性格をしていた。こんな小娘に指図される謂れはない。無性に腹が立ってきて、いよいよ敵意を剥き出しにした。溜め込んでいた鬱憤うっぷんを一気に吐き出した。


「いい? あんたなんかより私の方が陽介のことはよく知ってるの。だって私の方が付き合いは長いんだから。どうせ色仕掛けで迫ったんでしょ。汚らしい娼婦。このさかりのついた売女ばいた!」


 汐里は女に飛びかかった。

 

 出会ってまだ五分と経っていない──にもかかわらず、取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。

 互いに服や髪を掴み合い、リビングからキッチンへと暴れ、それは理性や分別のタガが外れた、まるで狂犬同士の争いだった。部屋にはどちらともつかない女の悲鳴が飛び交い、ガラスや食器が割れる音が響いた。


 突き飛ばし足が滑って転んだところを、女が馬乗りになって汐里の頬を張れば、汐里も負けじと女の腹に当て身を入れた。やられたらやり返す──そんな原始じみた本能によって、暴力はますます苛烈さを増した。


 汐里は床に後頭部を打ちつけ首を締められた。息が詰まり苦しく喘いだ。記憶が飛び、その後のことはよく覚えていない。

 

 正気を取り戻した時には、血まみれの女が横たわり、胸には果物ナイフが刺さっていた。


 呼び掛けても、揺すっても女は動かない。死んでるとわかった時から、また汐里は気が遠くなり、家の物が散乱した床に座って、ぼーっと宙を見つめたきり、夜を迎えていた。





「ただいま」

 

 同棲している恋人が帰ってきた。

 陽介は、部屋に明かりがあるのを知って、昼間送ったLINEの内容を頭の中でそらんじていた。汐里を信頼し、また彼女の立ち回りの上手さは高く評価している。


 ──きっと初対面で驚いたかもしれないが、お互い女同士、顔を見て話した方が上手くいくことだってある。


 陽介は、そう安易に考えながらリビングに入り、目の前の惨状に凍りついた。


「な、なんだよ、これ。いったい何があった、汐里ー!?」


 陽介の叫換きょうかんに放心から覺めた。

 汐里は恋人の顔をみて、どっと涙が溢れだした。取り返しのつかないことを犯し、罪悪感から胸が押し潰されそうだった。


「ごめんなさい……私、あなたの会社の人、殺しちゃった……」

 

 しゃくりあげながら、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。


 陽介は悲しみの淵に落ちた。震える手で女を抱き、そして号泣した。


「なに言ってんだ汐里、これは俺の姉さんだ」


「おねえさん……」


 そう呟いて思考は途切れた。濡れた瞳に、二人の姉弟きょうだいが映っていた。

結婚に反対な山形のお姉さんが上京して来ました

途中、この女の正体は見抜けたでしょうか?

しいて言えば、さくらんぼがヒントでした


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ