5. minaと湊
毎年、文化祭の日はどの学年もどのクラスも大張り切りの大忙し。
一年に一度、唯一お祭り騒ぎが出来る行事とあって、私の高校でも外部のお客さんたちを巻き込んで例年大盛り上がりだ。
2年の時、クラスの出し物 (お化け屋敷)と書道部の展示会があって、なかなかに忙しかった私は教室と部室をずっと小走りで往復していた。
(ふぅ、大繁盛なのはありがたいけど忙しすぎるなぁ。暑いし、喉もカラカラ)
さすがに疲れて、飲み物を買うために校舎を出た。
そして、自販機でスポーツドリンクを購入した後は、誰もいないであろう校舎裏で少しだけ休憩を取ることにしたのだった。
ペットボトルを頬に当てながら目的地へ行くと、無人だと思っていたそこには数人の男子生徒たちがいた。
見たことがない人たちだったので学年が違うのだろうと思った。幼い感じもするし、1年生かな、と。
先客がいたので、私がほんの隅の方でドリンクの蓋を開けていると、校舎裏のど真ん中を陣取っていた後輩男子たちが、突然にゲラゲラと笑い始めた。
(すっごい盛り上がってるなぁ。文化祭でみんな心が解放されてるんだろうな。今年の1年生は特に元気な気がするし)
彼らの会話の成り行きも、耳がキャッチするままに聞き入れていた。つまり、声が大きいので放っておいても聞こえてくるということ。
笑いの種は、どうやら彼らの中の一人が何故だか眠ってしまったしく、しかもその後全然起きてこない、ということにあったらしい。
(……うん? 起きない? 友達がこんなに騒いでるのに?)
何となく気になってしまい、チラリと後輩男子たちの方へと眼を向けてみた。
確かに、横たわっている子が一人いた。
季節は秋だが、まだまだ残暑のような気候の今。まさかと思いつつも私は立ち上がり、彼らの方へと足を進めて行った。
確認するだけ。
(横になってる子の顔色を見て、ニヤけ顔ならそのうち起きるだろうから大丈夫。通り過ぎよう)
でも、もしそうではなかったとしたら。
……だが、こういった場合は良くない予想ほど当たるもの。
彼の額には玉のような汗が大量に噴き出ていた。そして制服から覗く腕が、ほんの少し、小刻みに揺れていた。
……痙攣していたのだ。
「……っやっぱり!
この人熱中症、熱中症で起き上がれないんです! 先生呼んできて下さい! 早く……!」
思わずそう叫ぶと、後輩男子たちは突然現れた私に驚いたように、一斉にこちらを振り返った。
しかし。その後はケラケラとせせら笑ってきた。
「えっと、先輩すか? 大丈夫っすよー。こいつふざけてるだけなんで」
「どこででも寝れるヤツなんですよ」
彼らはそのようにしか反応してくれなかった。
思わず、スン顔になった。
私は後輩男子たちを無言でかき分け、気絶している彼の元まで行くと、その場に腰を落とした。
そして、ポケットから取り出したハンカチをスポーツドリンクで濡らし、それを彼の頸へと当てた。
(ベトベトになっちゃうけどこの際仕方ない。とにかく、この子の身体を冷やさなきゃ)
そしてスマホから友達に電話をし、校舎裏に先生を呼んできてくれるよう頼んだ。
私が一人、怖い顔をして動き続けているのを見ていたせいか、他の後輩男子たちもどうやら状況がかなり深刻であると分かってきたようだった。
彼らは今度は慌てた様に、彼の身体を起こしたり、汗を拭くのを手伝ってくれるようになった。
先生が来るまでの間、少しずつ、少しずつ、私は彼の口元へとドリンクを運んだ。
症状が比較的良性だったのか、彼の本来持つ回復力のおかげなのか、身体にこもっていた熱が少しずつ落ち着きを取り戻していった。
むしろ途中からは、焦りのためか私の方が顳顬からダラダラと冷や汗を流しまくっていたので、慌ててやってきた先生には、「どっちが熱中症の子?」と聞かれてしまった。
一先ずは保健室へと行くことになった彼がタンカーで運ばれて行く途中に、私の方を見やりながら、それはそれは小さな声で「ありがとう」と言ってくれた。
だから私も、「あなたが生きててくれて良かった」と、一言だけ返した。
ちなみに他の後輩男子たちには、深く、深く、頭を下げられてしまったのだった。
……という、出来事が確かにあった。一年半ほど前に。
「……宝生君って、まさかその時の熱中症の子?」
「うん。天音のことが好きになったのもその時」
甘ったるいカフェモカの入ったカップが少し変形してしまっている。思いがけず手指に力がこもってしまっていたようだ。
「俺、ずっと何気なく生きてきて、あの学祭の日も別にいつもと変わらない日を過ごすはずだった。
なのに、いきなり身体が動かなくなって、苦しくなって、始めて非日常の一歩手前っていうのを味わったんだ」
「……宝生君の言う日常は "生きる "ことで、非日常は "死ぬ"こと?」
「うーん。俺の場合の非日常は、自分が生きてるのか死んでるのか分からない状態のことかな。
だから一歩手前っていうのは、自分がまだ生きてることは理解してるけど、限りなく死に近付いてる感覚を味わってる状態ってこと。
死ぬのが怖い人間なら、多分一番恐怖を感じる領域」
……何だか哲学的。
でも、その感覚は分かる気もする。
物理的に味わったことはないが、精神的に体験したことは、ある。……小学生の時に。
「だから、天音がドリンクくれた時に、あ、俺は今から日常の方に戻れるんだって実感出来た。
"生きててくれて良かった" なんて、親以外で言ってくれる人がいるんだって知って、しかもその言葉がこんな心臓にクる言葉なんて思わなかった」
「……心臓に、くる?」
「うん、心に刺さった。
俺が生きてるだけで褒めてくれる人がこの世にはいるんだって知ったら、日常こそが特別なんだって思えるようになった。
ちなみにぶっ刺さったのは、死ぬ怖さじゃなくて、生かしてもらったことへの感謝。
何ていったってその日常には、たった一言で "俺の日常" を特別に変えてくれた天音がいる」
minaはそう言って、もう一度穏やかに笑った。
「あの後もちゃんとお礼言いに行きたかったんだけど、天音、何だかいつも目立たないように行動してたでしょ?
だからいきなり下の学年の男が教室訪ねるのも声かけるのも迷惑になるかもしれないとかごちゃごちゃ考えてたら、気付いたら一年も過ぎてて。
このままだと天音が卒業してますます接点がなくなると思って、焦りに焦りまくって、卒業式の後呼び止めた」
彼はそう言って立ち上がり、今度は私の前で腰を落とす。
「この一年半の間、ずっと天音のこと見てた。
他の先輩のとこ行くふりして、教室にいる天音の様子もよくチェックしてたし、書道部の部室で、他の部員と楽しそうに話しながら字書いてたのも知ってる。
あと、笑った時に笑窪が出来んのも発見済み」
そして今度は自分の唇横を、人差し指でトントンと叩いてみせた。
「今思えばマジ寄りのストーカー。キモくてごめん。
でも、天音を知れば知るほど好きになった。優しいのは文化祭の時から既に知ってたけど、なんかもう、なんて言えばいいんだろ。とにかく、全部。全部が可愛くて好きです。
他の男に取られるのが嫌で、絶対に諦めたくなくて告白した。……だがら、どうしても良い返事が欲しい」
そう言って、顔を覗き込んで来たminaと目が合った。
が。限りなく思考が停止状態、言葉が発せない時間はまだまだ続いている。
…………正直。驚いた。
罰ゲームだとばかり思っていた彼の告白が、全然違う意味合いのもとで成立していたこと。
以前の彼とは髪色も髪型も違うし、正直あの事件の時は介抱に必死だったから顔までよく見ていなかった。
なのに。彼はあの非日常の状態でも、私のことをちゃんと記憶してくれていたのだ。
「俺も、天音が生きててくれるだけで嬉しいって思うよ。でも俺、欲張りなんだよ。
俺と同じ気持ちでいてくれる天音の隣、にずっといたいって思ってる」
……誰かに、こんなに素直な愛をぶつけられたのは初めて。
それに、自分の何気ない日常を特別なものに変えてくれた、なんて言われたのも。
そしてやっぱり。
私が生きてるだけで嬉しいって言ってもらえたのも、彼と同様に生まれて初めてだった。
「俺は天音のこと、一年半、目が擦り切れるほどに見てきたけど、天音はまだまだ俺のこと知らないでしょ? だから付き合いつつ、知ってもらえたらなって思う」
だが、この彼の言葉が急速に、私のことを現実へと呼び戻す。
……そうだった。出会いの話に気を取られていたが、肝心なのはこの先の未来のこと。
「ほ、宝生君と付き合いつつ?
あの…… 私、恥ずかしながら男の子とお付き合いとかしたことがなくて、えっと」
「大丈夫。天音のペースにも合わせるし、嫌なことは絶対しない。ちゃんと好きになってもらえるように努力する。好きに、させます」
ヒェ、と喉から変な声が出そうになった。
「あと、宝生君っていうのも距離がある気がするから却下。湊って呼んで」
「えっ、ちょっ、それも流石にハードルが」
「じゃあ君でも何でも好きなの付けていいから」
「……えっと。それなら、ミナちゃんでもいい?」
「……なんでそれ?」
LINEのアカウント名がminaになってるからだと説明した。
ちなみにその件についての彼の回答は、本当はminatoにしようと思っていたが、誤ってtoを付け忘れて保存してしまった、そしてその後はめんどくさいから変えていなかった、とのことだった。
……そうだったんだ。女性云々疑ってしまってごめんなさい。
「でもま、天音がそれが呼びやすいならミナでいいよ。あ、ミナちゃん、だっけ?」
「は、はあ」
「あ、出た。家来な天音」
くく、と可笑しげにminaが笑った。
「天音、改めて。
あの時は助けてくれて本当にありがとう。
それと、1年の時からずっと好きでした。俺と付き合って下さい」
……正直、目前のminaのことはまだ全然何も知らない。
でも、私の何気ない日常を特別に変えたのもまた、"湊" かもしれないのだ。
なら思い切って、思う存分にそれに飛び込んでゆくのも良いのかもしれない。
「……こちらこそ、私のことずっと覚えててくれてありがとう。
じゃあ、あの。お友達からでも良ければ……」
「!もちろん!」
「えっと、じゃあ、よろしくお願いします」
私はそう言って、湊に向かいペコリと頭を下げた。
「……ほんとに?今度はマジのやつ?」
「うん」
「……嬉しすぎて死ねる嬉しすぎて死ねる。あ、死んじゃダメだ死んじゃダメだ! 死んだら天音に会えなくなる!!」
「……ふっ」
湊の複雑な心情がダダ漏れているのが可笑しくて、思わず少し、声に出して笑ってしまった。
「あーー…… マジで幸せなんだけど」
すると彼は、ゆっくりと私のことを抱き寄せながらポツリとそう呟いた。
……おお。色々と慣れないが、後輩くんとの恋愛罰ゲームは続行中にはならなかった。
ならなかったが、代わりに本当のお付き合いが始まってしまった。
(うーん…… 私って、実はチョロかったのかなぁ)
昨日まで怖いと思っていた後輩男子、"mina" が今日は何だか可愛く思えてしまった上、
特別な日常も、何気ない日常ですらも、今後はその "湊" と作れるのが楽しみになっているのだから。
ここまでお読みいただきありがとうございました^^
取り敢えずはこちらで完結といたします。
(余裕が出来れば、続きも書くかもしれません)
是非またご訪問いただけると嬉しいです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!