市役所管財課の田中さん……。
──市役所管財課の田中さん視点──
*注釈) 楓の幽霊名刺には、気持ちを癒す効果があります。
私はこの春で定年退職を迎える。
最後の仕事だ……。
予定では、午後2時過ぎが先方との待ち合わせ時刻になってはいたが、先方から大幅に時間に遅れるとの連絡を受けたのは、つい今しがただ。
私の右腕に巻かれた電波腕時計が、ちょうど午後2時を刻んだ直後のことだった──
「時間にルーズだな……」と想いながらも、社会人とは言え今どきの子なのだろう、「仕方が無いな……」と諦め、私は『立ち入り禁止』と書かれている廃墟ホテルを厳重に取り囲む、鉄柵に取り付けられた鍵を確認する。
(間違いは、無い。この鍵で合っている……)
とは言え、市役所管財課の重苦しい空気から一度抜け出て、気分転換が出来たことには、感謝する。
しかしながら、このところ……最近になってからこの廃墟ホテル付近で女性失踪事件が相次いで起こっているため、私だって正直言うと、ここには来たくなかった。
私は、道路脇に停めた公用車へと戻り、先方が来るまで少しばかり眠ることにした。
が、シートを倒して横になった途端に、意識が沈み込むようにして気分が悪くなった。
(う、動けない……)
これが、いわゆる「金縛り」と呼ばれる心霊現象なのだろうか。
初めての体験に、抗うことさえ出来ず、私は意識を消失した──
(ピリリリリ……──)
公用の携帯電話が鳴り、私は意識を取り戻す。
どうやら、眠ってしまっていたらしい。
電話に出ると、先方が無事こちらに着いたとの連絡を受けた。
私の右腕に巻かれた電波腕時計を見ると午後4時前。
2時間近くも眠っていたようだ。
私は公用車のルームミラーを見ながら、身だしなみを整えメガネを装着しネクタイを締め直す。
車のドアを開け、私が外に出ると……。
何やら一台の軽トラックが、最近流行りの若い子向けの音楽をかけながら、もの凄い大きな音量でゆっくりと私に近づいて来る。
心霊スポットとも言われたこの廃墟ホテルに、まるで似つかわしく無い、場違いなこの状況。
ある意味ホラーに感じ、私は戦慄する。
しばらくすると、大音量の軽トラックが道路脇に「ピタリ」と停車し、はたまた場違いな奇妙な格好をした一人の男が、軽トラックから降りて来た。
スーツ姿でネクタイは締められているものの、黒の目出し帽をかぶり、ピンク色のゴーグルをつけ、さらにピンクのヘルメットまでかぶっている。
笑うというより、恐ろしい……。
重たそうな大型の荷物を軽トラックから運び出し、背負うこの男の手には、何やら怪しげな金属棒が握りしめられている。
先方であることに間違いは無いと、信じたい。
先ほどまでの大音量の音楽が消され、私の方へと一歩一歩、歩み寄り近づいて来るこの男。
ここまで、緊張したのは、42年前に入職した時以来だ。
私は、再び「金縛り」にあったように「カチカチ」になる。
これも、「心霊現象」なのだろうか──
まさに『未知との遭遇』。
『宇宙人』に遭遇したかのような衝撃だ。
「初めまして。『叶グループ』叶百会会長住職より紹介に預かりました『常世道先案内相談員』の『川岸』と申します。よろしくお願いします」
かなり緊張している様子で私に頭を下げながら、きっちりと挨拶をし、名刺を差し出すこの男。
しかしながら、黒の目出し帽で覆面されており、見た目も年齢も分からない。
声だけ聴くと若そうにも想える。
それにしても……。
『常世道先案内相談員』?
名刺にも、そう書かれている。
叶百会ご住職のお寺と、何か関係があるのだろうか?
まあ、私も調査を依頼したとは言え、原因不明の事故と事件もあって、半分は除霊みたいなのを期待している。
工事の進捗状況もかなり遅れていることから、淡い期待を込めながらも何とかしてほしいと、藁にもすがりたい想いだ。
「初めまして。市役所管財課の田中と申します。よろしくお願いします」
私も彼に頭を下げて挨拶をし、名刺の交換を行う。
「気持ち良いですか?」
「え?」
彼にワケの分からない事を言われて私は、戸惑う。
「あ、あぁ……。気持ちの事ですかね? 緊張はしていましたが、今は、なんとなく落ち着いて来ています……」
自分でも、ワケの分からない答えを言っているな、と想う。
しかしながら、自分でも不思議なくらい落ち着いて来ているのが、分かる。
緊張していたのに。
不思議な男だ……。
「なら、良かったです」
彼は、そう言うと──
「ブツブツ」と誰かに話しかけるように独り言を言い、身振り手振りで、視えない相手とまるで会話の遣り取りをするかのように振る舞う。
これが、『霊能者』という者なのだろうか……。
私も初めて見るが、得体が知れないものを感じる反面、頼もしい何かを心の何処かで感じていた。
「あ、会長住職から話があるそうです」
そう言って、彼からスマートフォンを向けられると、ハンズフリーの状態になっており、叶百会ご住職の声が聴こえる……。
「もしもし! 管財課の田中さんじゃな! ウチの川岸が遅れてスマン! 信頼出来るワシの弟子じゃで、よろしく頼むっ!!」
(ガチャ……。プー……プー……)
そう言われて、叶百会ご住職からの電話が、いきなり切れた……。
いささか、不安は残るが、叶百会ご住職の確かなお弟子さんと言うことで、私は、彼を信頼する。
「では、さっそくですが、敷地内に一緒に入って来て頂けますか?」
私は彼にそう言われて、「霊能者」であろう怪しくも不思議な彼とともに、敷地内に入るための鍵を開けた──




