ぎゅっ……。
「す、すみません。ち、遅刻しました」
深々と、ここの施設長らしき人に、頭を下げる楓。
お父さんが経営してる施設だから、お父さんにバッタリ会わないか、どうもさっきからソワソワしてる私。
黒音は、もの珍しそうに、施設の玄関で飼われている水槽の中の熱帯魚を、熱心に覗き込んで見ている。
ユラユラと揺れるように泳ぐ熱帯魚の水槽に、黒音の胸が「たゆん」と映る。
職場の制服に着替えた楓が、学校で先生に怒られた生徒のように気まずそうに立っている。
何やら、ここの施設長らしき人と楓が、話始めた。
「あ、いやいや良いんだ。川岸くん。遅刻届けは、後で書いてもらうとして、さっき叶総理事長から連絡があってな? 急なんだが、異動が決まった。早速、本部の方へ行ってくれないか? あ、本部と言っても、叶総理事長のご自宅のお寺の方みたいだ」
「え!? そうなんですか!? そ、そんなことって、あります? 少し怖いですね……。叶総理事長とは、入職する時に会っただけで、すごく緊張するんですが……」
「俺も、なぜ川岸くんの異動が急に決まったのかは、よく分からん。そうだな……。ま、そこまで堅くなる必要はない。割と気楽に話せる人だ。とりあえず、早めに来てほしいとのことだ」
「分かりました……」
えっ!? お父さん!? なんで!?
嫌な予感が、する……。
どうして、こんな展開になったのか?
感づかれた? どうやって?
私の頭の中に、様々な憶測が飛び交う。
けれども、該当するような答えは、私の頭の中に想い当たらない。
それにしても……。
『叶』という姓……。
私とお父さんのことは、まだ、楓には気づかれていないようだ。
けれども、隠しておくメリットは無いし、隠しておいたとしても楓が驚くだけだし。
ここは……。思い切って、楓に言っといた方が、良いのかな?
「楓……。ちょっと、ちょっと」
「ん?」
私は、さっきいた誰もいない男子更衣室を指差して、楓を誘導する。
「黒音ー。黒音も、こっち来て?」
「えー? お魚さんたち、可愛いのにー……」
黒音も忘れずに、呼んでおく。
私たちアレな存在は、似たようなオーラの人に近寄ることは出来ても、一度離れてしまうと、憑いて行かなければ見失ってしまう。
ここで、黒音を置き去りにすると、黒音は途方に暮れてしまうだろう。
また、さっきのホテルに逆戻りするより他ない。
それか、黒音の想い入れのある何処かにしか戻れない。
浮遊するアレになってもイケないし、黒音のことは、なんだかんだ言っても心配だ。
だから、黒音のことも呼んでおく。
「いやー。俺、異動だって。しかも、総理事長のお宅に呼び出し? 俺、なんかヤラカしちゃったのかな? すごく怖いし緊張する……」
「あー。そのことなんだけど楓……」
「楓くんは、出来る男! だから、きっと、お偉いさんに呼び出されて出世するんじゃない?」
「も! 黒音に言ってない! けど、黒音も聴いて」
私と楓、黒音の間に微妙な空気が流れる。
少し私は黙ったあと、言うべきことを二人に伝える。
「じ、実は……」
「「 ふんふん…… 」」
「実は、あの……」
「「 ふんふん…… 」」
上手く言えない。
けど、言っておいた方が、良い。
でも、言わないなら言わないでも、済みそうだ。
どうせ、後から分かる。
「何? もう。夢葉? 気になるー。こんだけ、引っ張っといて、オチ無しとかやめてよね?」
「んー。俺も気になるな。なになに? なんかあったの? 夢葉?」
やっぱり、言おう。
どうせ、行かなきゃイケないし。
でも、行きたくないなー。戻りたくない。帰りたくない。
だって、この施設の本部は、お寺。私の実家。
そこには、皆いる。
だから、あー。イヤだ。行きたくない。
いちいち、切なくなりたくない。
けど、楓に憑いて行くって、決めたし……。
後戻りは、出来ない。
よし……。言おう。
「あの……。今から行くトコって……」
「「 行くトコって? 」」
「実は……」
「「 実は……? 」」
「私の実家なんだ……」
「「 えーっ!! 」」
楓と黒音が、予想外の私のカミングアウトに、想像以上に驚愕している。
ここまで二人のリアクションが、凄いとは思わなかった。
言った私の方が、ビックリする。
黒音の「たゆん」も、大きくうねるように波打つ。
「どうした!? 川岸くん!?」
「え? い、いや。なんでも無いです。施設長。それより、早急に総理事長のところへ行って来ます」
施設長とかいう人が、男子更衣室に急に飛び込んで来た。
私は、この人と面識は無い。
けど、それだけ、楓の絶叫が、この施設内に鳴り響いたということか。
そんなに驚かなくても……。
けど、絶叫というのなら、私の「帰りたくない」の心の絶叫もかなりのモノだと想う。
「へー。夢葉の実家? 楽しみー」
「よ、余計に、き、緊張して来た……。叶……そうか。夢葉と総理事長、確かに同じ苗字だね? そ、それにしても夢葉が、総理事長の娘さんだったなんて」
「アハ! 聴いちゃった? 夢葉の苗字! これで、夢葉のフルネームゲットぉ! あ、楓くんは、悪くないよ? どの道、遅かれ早かれ、夢葉の実家に行けば分かることだったんだから」
え゛っ!? 把握された……。
悪魔的女子黒音に、私のフルネーム。
今、気づいた私。
けど、どの道、黒音の言うように、バレてたこと。
「く、黒音の苗字も教えてよね! 黒音は、憑いて来なくったって、良いんだからっ!」
私は、また黒音を傷つけるようなことを言ってしまう。
「分かったわよ。別に夢葉に憑いて行かなくったって、私は楓くんに憑いてイケるようにシたし? けど、夢葉にも私の苗字、教えといた方がメリットありそうだから、後で教えといてあげる」
悪魔的儀式を楓に既に施しているのだろう。
黒音。自信満々だ。
そして、私と黒音の損得勘定の中で、互いに得するウインウインな関係に、黒音は持ち込もうとしている。
ま、いっか。
それでも、私は、別にかまわない。
けど、今の黒音に比べて私は、弱気だ。
実家に帰りたくないから。
私は意を決して、楓と黒音の二人を引き連れて実家へと乗り込む。
私は、わざと、アノ部分を「たゆんたゆん」と揺らす。
楓の手を握る。