花選びの章8 竜花様、御乱心
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花選びの章8 竜花様、御乱心
『国王陛下、鷹公主に求婚す!』
この未曾有の大事件は、瞬く間に凰都を駆け巡った。
唯でさえ民の注目を集めていた今回の「花選び」。
しかも、王が望んだのが、美貌、才知、武勇、人望、どれをとっても鳳国一を誇る、天下無敵の鷹公主である。
更に、竜花が花姫ではなかった事が、膾炙速度に拍車を掛けた。
国王の秘めた想い!
燃え続けた愛の炎!
隠し通した純愛!
と、艶聞好きな民が挙って付けた尾鰭の所為で、一刻も経たぬ間に「出陣する鷹公主の背を見送り、己が無力に苦悩する王」の絵姿が版元に運び込まれた。
その麗しさに胸を焦がした乙女達は、王が百合を捧げて初恋と口にした件で悶絶し、花賭け大穴になけなしの全財産を注ぎ込んでいた男達は、別の意味で卒倒した。
様々な想いに満ちた阿鼻叫喚が巷に響き渡る中、王宮内もこれまた未曾有の紛乱状態にあった。
段取りを完全無視され狼狽した花典官が、唯一頼みとする礼部尚書も茫然自失の体。戸部と吏部の各長官も同様である。
一族から王妃を、王の外戚に、と目論んでいた花姫親族達も、期待を無残に打ち砕かれ灰となり、或いは、無意味に右往左往して混乱の火に油を注いだ。
そんな臣下の前で「撤回しろ!」「断る!」の押し問答が繰り広げられ、事態の収拾を図る者が誰一人としていないのである。
――否、一人いた。
持ち前の柔軟過ぎる精神を生かし、逸早く衝撃から立ち直った、鸞総英その人である。
総英は、周章狼狽著しい花典官達を掌握、花姫と親族達をさっさと解散させ、舌戦真っ只中の二人を巧みに引き離すと、護衛を付けて竜花を官邸に帰し、一番広い四阿に現実逃避中の重臣達を誘導、そこに皇翼を押し込んだ。
四阿に人数分の茶を用意させ、天幕や祭壇等の撤去まで指示したのだから抜かりない。
こうして、越権行為を咎められるどころか、誰一人文句を付けようもない見事な采配を済ませた後、総英は悠々と鷹隼宮に向かったのであった。
慣例では、王に花を捧げられた花姫は、十四日間蟄居し、返答を己に問う。
その際、王の近衛である羽林軍が、例外的に花姫の邸を警護する。つまり、王の為にしか動かぬ羽林軍を動かす事で、未来の王妃の威光を高めるのだが、その為に「花選び」にも、羽林軍の将軍が参列する事になっていた。
今回、竜花が羽林軍の将として参列したのもその為であった。――が。
戦場ならば兎も角、はっきり言って、竜花に護衛は必要無い。
選に漏れた花姫の逆恨みや様々な利害から護り、己が真実王妃に相応しいかを問う時間を与える為の羽林軍の護衛であるが、竜花が対象となれば話は別。
その気になれば、竜花は、兵達の監視網を自力で突破可能、それどころか、障害を実力で排除出来る姫武者である。
それでも総英が部下を配置したのは、軽挙妄動の輩を懸念しての事であった。
竹瑛宮から優雅に花苑の散策と洒落込んでも、一刻もかからず辿り着ける鷹隼宮には、黒竜殿という異称がある。
黒竜の黒は、西の天莫砂漠を越えた彼方、崑巍の西峰でのみ産出される崑巍石の、中でも取分け稀少とされる、黒崑巍を潤沢に用いている事に由来する。
寿鳳宮内の建物には珍しく、生垣で敷地を区切る事はせず、宮を囲む塀にまで黒崑巍を使用。この惜し気もなく削り彫られた瀟洒な塀が、豪奢に慣れた貴族達を先ず唸らせる。
一見、蔦の絡まる鉄柵かと見紛うそれが、実は、巨大な一枚の岩から、複雑に絡み合う蔦をも彫り出した芸術品だと気付いた者達は、その技巧と掛かる莫大な金額に驚嘆するのである。
石の黒と目地の白の対比が美しい鷹隼宮が建てられたのは、内政に尽力し、国庫を充実させた父王の後を受けた、第十六代翠仁王の御世。更にそれが鷹家官邸とされたのは、二代後の事である。
だが、黒竜の異称が下々から献上されたのは、僅か九年前、竜花が宮の実質上の主となってからで、無論、黒竜の竜はこれに因る。
単独でも小国の王宮に匹敵する価値と敷地と荘重さを有する鷹隼宮の門前では、既に羽林の兵が歩哨を務めていた。
選定を受けた花姫の護衛兵は「花衛」と呼ばれ、羽林軍の中でも精鋭だけに与えられる非常に名誉な役目なのだが、その精鋭の筈の彼等は、何とも珍妙な顔で総英に敬礼した。
明暗二つに大別される表情の内、緩んでいるのは裏賭けで大金を得た者、一方はその逆だろう。根底に共通して、予想外の事態に対する驚愕と困惑があり、それが皆の面を表現し難い感情で彩っているのだった。
総英にもその気持ちは良く分かる。
「鸞将軍、あの……」
「待った。俺に訊いてくれるな」
これからどうなるのか、誰か教えてくれるなら、総英の方が知りたいくらいである。
勝手知ったる何とやらで、取次ぎを頼まず、無断で竜花の自室に向かうと、進行方向から体中に何やら白い物体を引っ付けた男がやって来た。
思わず足を止めまじまじと見ると、相手も総英に気付き、ああ、と声を上げる。
「鸞将軍。良いところにお出で下さいました」
「……まさか、凌誠さん?」
はい、と全身羽毛だらけでも優雅に会釈したのは、鷹家における最大の功労者にして影の実力者、総英も一目置く、家宰の凌誠である。
凌誠は、幼くして母を亡くし、社会人として限りなく不適格な父を持つ竜花を案じた先王が、直々に鷹家に遣わした家宰である。
昨年知命を迎えたばかりのこの家宰の功は、竜花の天稟を一切阻まなかった事に尽きる。
十四年前に鷹家に現れた凌誠は、竜花に一般的な貴族の姫君教育を受けさせなかったのだ。
ある時、他家と同様に、行儀作法と歌舞の師を探そうとした凌誠の目の前で、庭に下りるのに離れた階を使うのを面倒がった竜花が、ひらりと勾欄を飛び越えた。
その一事だけで、幼い主の卓抜した身体能力を見抜いた凌誠は、羽林軍から剣、槍、弓、棍、体術、馬術、兵法等々、各方面での第一人者を招いて竜花につけた。
兵法の指南中、竜花が将と兵の心構えの差を訊いたと知るや、直ぐに王宮から博士を招いて、経世済民論の教授を始めた。
難解な学術書である為、国学の老師をつける気配りも忘れなかった。
鶯家から芸事の師を招いたのもこの頃である。
邸の使用人には、自らが厳選した上で敢えて庶民を雇い、竜花に、壁で隔てられた世界の差を知る機会を多く設けた。
行き先と目的が正当ならば微行にも目を瞑り、凰都を出る事があっても、身の安全を確保した上でなら決して咎めなかった。
領地運営の仕組みを学ばせる為に他家の当主に教えを乞い、竜花の貪欲な知識欲に、一切の制限を加えなかった。
竜花老師陣の他にも、鷹家の適材適所の見本とも言える人材配置は見事の一語に尽き、
「私は、凌誠に、人を使う術を教わった」
と竜花が賛嘆する程である。
こうして、良き理解者と、素晴らしき指導者に恵まれた竜花はその才を次々に開花させていったのだ。
凌誠なくば今の竜花はなく、竜花なくば今の皇翼も有り得ぬ訳だから、総英が畏れ入るには十分な人物なのである。
「……その姿の理由を訊いてもいいですかね」
常に一分の隙も無い服装が信条の家宰の鏡とは思えぬ姿に、つい訊いてしまった総英だが、信じられぬ事に、凌誠の返答も的を外れていた。
「その辺りで払いますと、部屋が汚れますので」
それはその通りなのだが。
重ねて訊ねようかと迷う総英に、倍の歳に相当する家宰は穏やかに笑ってみせた。
「百聞は一見に如かずでございます」
先に立って、元来た道を戻っていく。そうして辿り着いたのは、矢張り竜花の自室で、促されて入室した総英は、半ば予想していたとは言え、その惨状に、一瞬言葉を失ったのだった。
竜花は余り物に執着しない。物欲が薄いとも言える。
物は丈夫で長持ちすれば良く、色や様式等が好みに合えば、迷わず廉価な物を選んだ。華美を嫌ったが、上の者が余りに質素だと、仕える者が困窮する事と、地位と身分には相応の威儀が必要な事は弁えていたので、公式行事等にはそれなりの装飾で身を飾ったが、普段は下流貴族程度の生活水準で満足していた。
目に鮮やかな色彩よりも素朴な風合を好み、普段着は紺や黒の男物の袍が多かった。
調度類も、多くは黒や茶に白を合わせた物で、落ち着いた空間は、総英にも品と居心地の良さを感じさせるものだった。
だが今、見慣れた調度が並ぶ筈の部屋には、溢れんばかりの羽毛が散乱していた。
床を覆い尽くした羽毛は僅かな身動ぎで舞い上がり、総英の玄の袍にも白い跡を残していく。
今日何度目かの唖然とする総英の前で、小さいが強い勢力の台風が、一度に羽毛を巻き上げた。
まさかと呟く総英に、凌誠が恭しく答える。
「竜花様でございます」
本来竜花は、どんなに苛立ちや不満を感じても、物や人に当たらぬ美徳の持ち主なのだが、今度ばかりは腹の虫が治まらなかったらしい。
気付けば、床には、怒りの凄まじさに天寿を全う出来なかった枕の残骸。千々に裂かれた布切れの量からして、元が一つとは到底思えぬ。
目を凝らせば、台風一過地帯で、竜花付の侍女がせっせと次の犠牲品を渡していた。
目下、破壊神の攻撃目標は、矢張り羽毛の詰まった背当てで、それを抱えて容赦無く拳を繰り出している。
時々高く掲げて両手で、きゅっ、と絞めるのは、誰かの首に擬しているのに他ならぬ。
この怒りをまともに喰らう勇気は、総英には、無い。
大人しく待つ事暫し、更に五つの枕と背当てを屠った後、漸く台風は勢力を治めた。
すかさず侍女が冷水を差し出し、凌誠共々退出する。
この呼吸の見事さは、凌誠の薫陶宜しきを得ているからで、どの道大掃除になるのだからと、片付けは後回しにされた模様である。
「いやあ、しかし、大将に求婚する勇者がいるとしたら、一体何処のどんな御仁かと思ってたんですが、まさか陛下だったとはねぇ」
つい先刻の、重臣達の呆気にとられた顔を思い出すと、どうしても口元が緩む総英である。
「笑い事ではないぞ! 全くあの戯け! 何を企んでいやがるのか!」
「企ん……せめて戯けは撤回しましょうよ」
「じゃあ、虚け」
何とも言い難い表情になった総英を、羽毛の玉座に踏ん反り返った公主は一蹴した。
「これでも、馬鹿阿呆間抜けというのは止めたんだがな。しかし、お前達重臣一同、否、民に至るまで、あいつの温和な物腰と笑顔に騙されているが、実際皇翼はかなり強かだぞ。何も考えずにこんな騒ぎを起こすものか」
「……俺には、長年の片想いの相手に勇気振り絞って求婚しただけにしか見えませんがね」
竜花は聞いていない。
軍隊生活で培われてしまった、淑女とは無縁の罵詈を撒き散らし始め、台風に勢力を盛り返されてはならじ、と、咄嗟に総英は口を挟んだ。
「物は考え様ですよ。今まで大将に縁談が持ち上がらなかった方が変なんです。貴族の馬鹿息子に嫁ぐより、一番の理解者に望まれる方がよっぽどましってもんじゃないですか」
猛反撃を覚悟していたが、竜花は奇妙な顔で、何だ知らんのか、と呟いただけだった。
「何がです?」
「いや、知らんのならいい」
そのまま沈静化するかと思いきや、副将の思惑等、完全に読み切っていた竜花は、再び女性なら顔を赤らめ逃げ出す程の暴言を吐き始めた。「国王と鷹公主の純愛」に陶酔する乙女達が聞いたら、幻滅する事請け合いである。
「いきなり陛下に求婚されて、驚くのは分かりますがね、何でそんなに怒るんです。さっきも言いましたが、良いお話じゃないですか」
戦場で敵に向けるに匹敵する鋭い一瞥に怯みながらも、一番の疑問を口にすると、暴言から呪詛に移行していた竜花は簡潔に答えた。
「私と皇翼は主従だ」
「そうですねぇ」
恐らく向こうはそう思ってはいないだろうと考えつつ、総英は同意した。
大体、竜花が皇翼に臣従の念を抱いているとは到底思えぬ。
「従姉弟でもある」
「その通りです」
「他に私達の関係を表す言葉を言ってみろ」
「えぇと……幼馴染み、ですか?」
「姉弟だ!」
竜花は憤然と吼えた。
「どれ程仲睦まじくとも姉弟で結婚するか!? 一体何を考えている! 馬鹿と違うか!」
不敬極まる絶叫だが、姉弟の一語だけで、これまで竜花が皇翼をどう見てきたかが分かる。
この相手を、一体どうやって口説き落とすのだろうと、総英は本気で考え込んだ。
迀闊に近付こうものなら、負傷は必至。絶命だってあるかも知れぬ。
この凄まじい怒りは容易に治まりそうもないが、しかし、会わねば話が先に進まぬのだ。
猶予は十四日間。
断固反対を標榜する重臣達を説得し、恋愛感情皆無の竜花をその気にさせるには、短過ぎる時間である。
竜花も同じ事を考えたらしい。再度吼えた。
「二週間で何としても皇翼に前言撤回させ、相応しき姫を王妃に据えねばならん!」
「……だから、その、最も相応しい姫ってのが大将しか考えられん、と、陛下と民が思っているから、今の状況があるんじゃないですかねぇ」
これが失言だった。
竜花がぎろりと総英を睨む。
蛇に睨まれた蛙の心境を味わう羽目になった総英を、上から下までとっくりと見回すと、短く一言、
「脱げ」
と、言った。
恐ろしく目が据わっている。
「……………………はい?」
「素っ裸になって、寝台に横になれ」
「…………何をする気です?」
総英は、いやーな予感がして数歩後退った。
「決まっているだろう。私と同衾するんだ」
「――はいぃぃぃ!?」
「非常事態故の既成事実、という奴だ。流石に皇翼も、私達がデキていると知れば、これ以上私を嫁になんぞと戯けた事は言えんだろう」
王家の血を引くとは思えぬ言葉遣いと発想だが、総英に顎を落とす余裕は無かった。
竜花の体術の腕前は心得ている。
本気で逃げた。
「ご冗談! 俺は陛下に殺されちまいます!」
「何事にも犠牲は付き物だ。お前の尊い犠牲は生涯忘れん。祥月命日には必ず線香と好物を供えてやるぞ。今なら注文も聞いてやる」
竜花も本気である。
こうして「迫る美女から必死で逃亡した」という、総英にとって非常に不名誉な記憶が、前代未聞の椿事に添えられたのだった。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
天に刃向かう月
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