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竜の花 鳳の翼  作者: 宮湖
花選びの章
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花選びの章7 ただ一輪の白百合を

毎週末の更新を目指しております。


最後までお付き合いいただければ幸いです。


 花選びの章7 ただ一輪の白百合を



「花選び」は約三百年前の統翬(とうき)王が嚆矢とされる。

 当時、貴族の台頭著しく、各勢力が王位継承権を有する王子を旗頭に、熾烈な権力闘争を展開していた。

 これを憂いた統翬王は、鳳の長久安寧と民の慰撫の為、更に遡る事四百年、鳳国二代目鵷武(えんぶ)王とその王妃凰華(おうか)の故事に倣った。

 これが今日まで続く儀式の原形である。


 天上の華と伝わる凰華の素性は、謎に包まれている。

 鳳正史には、ある時、散策に出た鵷武王が、森泉で見初めた娘と記されるのみ。

 だが、万人を魅了せずにはおられぬ天女の如き美貌の凰王妃、素性の知れぬ卑しさは欠片も無く、溢れる知性と教養は、生まれながらの王妃の如く、品位は国のどの姫よりも高かったと言う。

 

 国の創成期、資料は散逸し、或いは戦乱で失われして定かではないが、凰王妃は、実は始天皇の縁者である、との説が、現在では有力である。

 何らかの事情で王族を名乗れぬ娘を、鵷武王が娶ったというのだ。

 俗説では、凰王妃は人に非ず、天が始天皇の血統を守る為に遣わした守護鳥の変化(へんげ)である、とも伝わる。

 それを裏付けるかの如く、凰王妃が生んだ第三代鳳国国主翔武(しょうぶ)王の在位は九十八年、百五十歳で崩御、その長男四代鸞寧(らんねい)王の治世は、百二十六歳の崩御まで九十年続いたと伝わる。


 学者達は、建国当初の混乱を鎮め、且つ、始天皇の血統の神格化により、磐石な支配体制を確立する為の誇張だと主張するが、自身も長命だったという王妃の優れた政治手腕が、鳳の基盤を築いた事は事実だ。

 内乱寸前の荒廃を憂いた統翬王が、自らの王妃を選ぶ際、鵷武王とその王妃の例に倣ったのは仕方の無い事と言えよう。


「花選び」に於いて、統翬王は先祖に倣ったが、以後の王は皆、統翬王に倣った。

 鵷武王と王妃の出会いが十八の頃と伝わる為、儀式の歳をそれと定めたのも統翬王である。

 また、実際には市井の娘を王妃には出来ぬ為、離宮の庭に候補の姫を迎えて求婚した。

 自身は婚約者を王妃としたが、二人の王子には数名の候補の中から選ばせた。

 史書に「王、天上の華を手折る」とある事から、逆に、息子達に花を捧げさせたのも統翬王である。


 何時しか現在の形に落ち着いたが、三百年前からの伝統を踏襲している事には変わりない。

 散策中の運命の出会いを装う為、皇翼の登場にも仰々しい触れはなく、一同は微苦笑を浮かべた年若い王の一挙手一投足を、息を潜めて見守るしかなかった。

 差し詰め参列者は、立会人から路傍の石へと言ったところか。

 だが、どんな時でも石に徹せぬのが竜花である。

 小姓代わりの花典官を従え、祭壇の前で困った様に佇む従弟の姿に、美貌の辛口劇評家は大いに焦れた。


「ええい、何をしている」


 重臣達は必死で聞こえぬ振りだ。

 だが、彼等の努力も数瞬で粉砕された。


 なんと王が花典官に二言三言何事かを告げると、花も持たず、真っ直ぐに鶤姫へ向かって行ったのである。


「皇翼!?」


 滅多な事では動じぬ竜花も、これには流石に唖然とした。

 他は言うに及ばず、激しい響動きの中に、随従していた花典官が駆けて来た。

 告げる声も、意外な展開に狼狽の極みにある。


「畏れながら、陛下におかれましては、何れの花も美しく、迀闊に手折り難く。ついては五種の花の理解を更に深めん為、花の精との暫しの歓談を望む、との事でございます……」


 語尾が消え入りかけるのは、鳳の中枢を担う雲上人達を前にしての緊張が半分、藍悦に叩き込まれた段取りが狂っての混乱が半分であろう。

 前代未聞だと呟いた礼部尚書に対し、愁眉を開いた上官を、総英は見逃さなかった。


「なーんか、心当たりがおありですかね」

「なくはない。昨晩ちと、な」


 総英はそれ以上を訊ねなかった。

 軽佻浮薄の代名詞と言われる総英にも、周囲を憚る程度の分別はある。

 藍悦以下の、問題児叱責運動賛同者にそう思われていないだけなのだ。


 一方、驚く一同を路傍の石から観客に仕立てた青年王は、躊躇なく至近の鶤姫を目指した。

 己が選ばれると信じて疑わぬこの姫は、華々しい瞬間を大勢の目に焼き付けんと、態と貴賓席に一番近い四阿に陣取っていたのである。

 王の方を見ぬ振りでいた鶤姫は、寸前の響動きに何事かと振り返ったが、王が己に歩み寄ってくる姿を認めて、得心がいった様に頷いた。

 だが、よくよく見れば麗しき王の手に牡丹が無い。

 怪訝な顔付きになった鶤姫を特等席から眺め、竜花は、さて、と独り言ちた。


「……誰が答えられると思うのだ、皇翼よ」


 竜花が一番高く買っているのは鶯姫である。

 心の持ち方さえ改めたなら、彼女はきっと素晴らしい王妃になるだろう。

 同じ事は鶤姫にも言えるが、自重と自省を知らず、慢心を子守唄に育った鶤姫が、今更王妃の冠に畏敬の念を抱くとは到底思えぬ。

 それは体の線を強調する、鶤姫の衣装にも顕れていた。

 薄紅色の装束には、金糸で竹と桐が、桃色の糸で鶤が縫い取られている。

 鳳凰が好む竹と桐を描く事で、鳳凰が羽を休めるのは鶤の側であると表した意匠は、増長と詰め込まれた豊麗な体で、今にもはち切れんばかりに歪んでいた。


「鶤姫と鵺姫は有り得ない……」


 どれだけ近くとも声は届かぬ。

 歓談とも言えぬ短い会話を済ませ、狐に摘まれた顔の鶤姫を残して次の鷺姫を目指す従弟の背を、鳳国一の才媛は、思惑を読むかの如く睨み付けた。


 竜花の心にある次位は鵲姫である。

 学問の他は何の取り柄も無く、その学問も特別優秀という訳ではないが、これからの教育次第では、慎ましやかな王妃として皇翼の後ろに立てるかも知れぬ。


 凡百と言われる鷺姫も同様だ。この三人の誰かがあの問いに答えられたなら、きっと、鳳の為に尽くす王妃になるだろう。


――決して、王の隣には立てなくても。


 王と肩を並べ、同じ世界を視る。

 同じ目的の為に才知と権力を揮う事を、王妃という言葉の意味を、知っている。

 皇翼に最も相応しい姫。


――それが鳳の王妃。


 けれど。


 竜花は覚悟を決めていた。

 花姫の誰が花を捧げられようとも、決して皇翼の隣に並び立てる器ではない事を承知していた。

 だからこそ、皇翼と王妃を盛り立ててやろうと、二人の為に尽力しようと、心を決めていたのだ。


 食い入る様に見詰めるのは、重臣達も同じである。

 花、即ち事前に得た情報では甲乙付け難いとの王の意図は那辺にあるか、見極めんと必死であった。

 だが、混乱の元凶は、交錯する周囲の思惑等、欠片も意に介する事なく、剰え、他者の困惑を愉しむかの如く、次々と花姫との対談を進めている。

 花から花へと移る様は、宛ら甘美な蜜を求める遊び人の様で、悪影響を与えたのではあるまいかと、竜花が傍らの副官に些か見当違いな殺意を抱いた程だった。

 総英は、竜花と皇翼だけの時は、更に気安い「年長の友人」の顔になるのである。

 尤もこれは周知の事実で、だからこそ口喧しい老臣達に「不敬な問題児」と目されているのかも知れぬ。


 さて、緊張で小動物の様に怯える鶯姫を最後に、時ならぬ短い行幸を終えた王は、再び祭壇前で佇んでいた。

 一体どの花を手にするのか、一同固唾を呑んで見守る中、又しても皇翼が花典官に何事か囁く。

 それに花典官が飛び跳ねる様が、貴賓席から見て取れた。

 しかし、と躊躇う素振りも、重ねて王に促されては霧消する。

 周章の極みにある花典官が転がる様に竹瑛宮に姿を消すと、竜花は唸る様に呟いた。


「一体、今度は何をするつもりだ」


 それは皆の思いでもあったろう。礼儀正しく無言で通したが、叶う事ならば、是非とも王に質してみたい事であった筈だ。

 だがこの直後、その謎も、大いなる衝撃と共に氷解する事となった。


 駆け戻ってきた花典官が、恭しくも畏れ戦きながら掲げる、繊麗な縁飾りの銀の盆。


 その上に神々しく横たえられた物を認めた者の半数が、嫌な予感がして竜花から一歩下がった。


 更に、王が、その花典官を従え、逡巡皆無の足取りで貴賓席を目指すに当たっては、残る半数が予感を確信に変えて後退った。


 陽光に煌めく銀の盆。反射する光を孕み、まるでそれ自身が光輝を放つが如く輝くのは、盆上の一輪の――百合。


 白百合を捧げられるに足る女性など、鳳国広しと言えど唯一人。


 有り得ぬ事態に上がっていた纏まりの無い響動きは、王が一歩一歩彼の人に近付くにつれ徐々に高まり、果たして、芳しき百合を手に跪いた時、頂点に達した。


 最早誰の目にも明らかだった。

 王は花姫では(資格の)ない竜花を、妻に迎えようというのである。


「――陛下!?」

「何をなさいます!?」


 これには一同、呆気にとられた。

 冷静沈着の体現者「氷壁」吏部尚書でさえ、儀礼用の扇を取り落としかけた。

 他の花姫親族達は言うに及ばず、皆、地に届かんばかりに顎を落としている。

 飄逸である筈の総英ですら、短い呟きの後呆然とするばかりであったが、その呟きの内容が「やった……裏賭け大当り……」だと知ったら、藍悦は別の意味で卒倒しただろう。


 例外は二人。

 斯かる事態を演出した張本人と、図らずも騒動の渦中に身を置いてしまった絶世の美女だけである。


 しかし、その「黙っていれば」絶世の美女――総英曰く「もう少し色気と肉がつけば完璧」――も雲煙過眼の心境という訳ではなかった。

 足元に優雅に跪いた青年を無表情に見下ろすが、これは驚愕が過ぎて思考が凍結してしまったからではない。

 戦場で常に側近くに控えてきた総英には分かった。

 今の竜花には、敵を前にした時の鬼気迫る表情と、同じだけの迫力があった。

 その小さな背から怒りの炎が髪を焦がさんばかりに噴き上がり、凄まじい劫火は他の武将達を圧倒した。

 戦場での勇姿を知らぬ文官達ですら、漲る殺気に胆を冷やした。

 付き合いの一番長い皇翼に悟れぬ筈はなかったが、ここが正念場である。

 踏み止まった皇翼以外、一同が恐れをなして後退る中、怒髪天を衝く怒りで凄絶さを加えた美貌の主が、漸く口を開いた。


「……本気か?」


 歌えば鳥も囀るとまで言われた伸びやかな美声が、熱雷を孕んで猛り狂う。

 戦場で味方を鼓舞し、戦わずして敵を震え上がらせると言う鳳の戦乙女の、慣れた総英ですら思わず唾を呑んだ迫力に、だが皇翼は持ち堪えた。


「勿論。酒精に捕らわれている訳でも、寝惚けている訳でもないよ。昨夜君が帰ってから、僕は一睡もしていないのだからね」

「寝不足による思考と判断能力の低下が著しい様だな。ここまで顕著な例も珍しかろう」


 皇翼は挫けなかった。


「竜花、君が言ったんじゃないか。この姫だと決められぬ時は、誰が相応しいか、確かめる為に問うてみよと。そして誰も答えられぬ時は、自分が最も好ましいと思う姫に跪け、と」

「随分と都合の良い耳だな。私はその前に、五人と決まった花姫でも、と言った筈だ」


 まだ皇翼はへこたれなかった。


 竜花にとって自分が恋愛対象外、()()()()()()()異性でないのは、重々承知の上だ。

 恋慕の情を伝え、意識させ……という基本的段階から、通常の手順を全部すっ飛ばしてのいきなりの求婚は、相手が竜花では、単身敵の本陣に切り込むのに等しい暴挙。

 生半可な覚悟では玉砕必至。

 難攻不落の城塞を陥落させる事は不可能である。


「うん。だから僕は良く考えて、鳳に最良の、僕の初恋の姫を迎える事に決めたんだよ」

「何処がどう、だから、なのだ」


 鳳最堅の鉄壁には、罅一つ入る気配が無い。


「竜花、君の言葉だよ。鶤姫より慎ましく、鶯姫より社交的、鷺姫より賢く、鵺姫より教養があり、鵲姫より美しい娘ならば、自分は何を措いても僕の妻にすると。その条件に当て嵌まる、否、上回る姫が目の前にいて、何故、その人を無視する事が出来ると思うんだい」


 竜花は暫く無言だった。

 代わりに何よりも雄弁に心中を語るのは、太陽を封じ込めたかの如く輝く、紫の双眸である。

 憤怒に染まった一対の至宝は、闇を切り裂く天の雷撃よりも鋭い光を放ち、破壊神も斯くやと思わせる鬼気は、立ち昇って逆巻く渦を形成した。

 晩年、この時を回顧した皇翼はこう語った。


「生命の危険はこれまで何度も感じてきたが、最も畏怖したのは、矢張り、あの時の竜花だろうな。彼女の手にある宝剣が、儀礼用に刃を落とした物である事を、何度天に感謝した事か。けれど、どれ程の恐怖に駆られようとも、目を逸らす事は出来なかった。紫水晶よりも神秘的な瞳が生命の炎に煌めく様は、まるで彼女自身の光輝の様だった。あの半神的なまでに強い輝きから、一体誰が目を逸らせただろうか――」


 無論、これは、生き延びたからこその感想で、今の皇翼に、ここまで詩的に浸る余裕は無い。

 只管魅入る王に、美と戦の女神は容赦無かった。


「……成程。良く分かった……」


 比類無き武勇の主とは思えぬ繊手を、ゆっくりと伸ばす。


 花を受け取るのかと、一同が身を乗り出した、その、刹那。


「――この痴れ者が! 正気に返れ!!」


 泰慈七年、春――。


 即位の際に元号を改めてから六年――否、恐らくは鳳国建国以来、初めてであったろう、公衆の面前で、王が求婚相手に張り倒されると言う、前代未聞の椿事が出来(しゅったい)した――。




  ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖




 瞼の裏に緋が走る思いがした。

 眼前の光景が信じられなかった。


 何故、目の前に、麗しき国王の横顔があるのか。

 王妃として絶対の権勢を揮い、世の富を独占し、全ての者を跪かせるという、えも言われぬ快感。

 女の栄華を極める為の第一歩、一同の視線を全て集めた自分の視界にあるのは、求婚の為に膝を折った王の、柔らかな金茶色の御髪である筈なのに。


 最も華々しく輝くのは、自分である筈なのに。


 選ばれずに終わった他の花姫の、無念と落胆と羨望の先にいるのは、至高の座の主すら跪かせる自分である筈なのに。


――なのに。


 何故、見下ろす筈の国王の横顔を、自分は見ているのか。

 何故、誰も自分を見ていないのか。

 何故、自分は他の花姫と同じく、王が膝を折った相手を睨み付けねばならぬのか。


――あの女。


 王の求婚を受けたあの女。

 絶えず自分の先で世の賞賛を独占していた、目の上の瘤。


 あの女が悉く邪魔立てするのだ。

 民を欺瞞し重臣をも誑かす毒婦めが、若き王を小賢しい手で籠絡したに違いない。

 でなければ自分がいる筈の場所を、あの女が占められる筈がない。

 この自分が、王妃になるべく生まれてきた自分が、他者から忘れ去られたが如く、光を浴びぬ筈はない。

 ぎり、と鋭く整えられた爪が扇に食い込む。


「認めぬ……」


 みしり、と繊細な骨子が歪む。


「この様な婚儀、天がお許しになるものか……! いいや、天が許しても妾が認めぬ!」


 醜く歪んだ扇は折れ、春光遮るは憎悪の翼。


 悪意を糧に暗黒が、地に二つの影を落とした。








お読みいただきありがとうございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


星を掴む花

天に刃向かう月


も、ご覧下さると嬉しいです。


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