花選びの章4 幼き誓い
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花選びの章4 幼き誓い
「そう怖い顔をしないで。一国の将来に関わる大事だよ。慎重になるのは当然だろう?」
皇翼が、敢えて自分の将来と言わなかった事に、竜花は気付いた。
花姫だ、儀式だ、と周囲は浮かれ騒いでいるが、好きでもない女を妻にしなければならぬ事は不幸に他ならぬ。
だから、と竜花は思う。
だから、少しでも良い姫を。
王妃として国の為になり、少しでも皇翼を愛し、次代を育て、少しでも皇翼と幸せになれる姫を。
――この国に、皇翼に、相応しい姫を。
「鶤姫より慎ましく、鶯姫より社交的で、鷺姫より賢く、鵺姫より教養があり、鵲姫より美しい娘がいたら、私は万難を排してお前の妻に推したものを」
「……上手くいかないものだね」
皇翼は苦く笑った。
そんな娘は、きっと何処にでもいる。
多分、普通の気立ての優しい娘でいいのだ。だが様々な思惑が絡み、明日、自分は、この五人の花姫の誰かに跪かねばならぬ。
とても王妃たりえるとは思えぬ誰かに。
竜花もまた苦々しい思いだった。
選べと言った竜花自身も、思い倦ねていたのだ。
「……昔、お前にした問いを覚えているか?」
王妃とはどう在るべきか。
誰がそれを体現出来るか。
懸命に思案を巡らす竜花は、やがて、記憶の回廊を飾る一枚の画に辿り着いた。
――幼い頃の思い出の一つ。
「君は僕の老師だよ。山程難問を出されたけれど……そう訊かれるのは、一つしかないね」
皇翼もまた、並んでその絵画を眺めた。
幼い頃から姉弟同然に育った自分達の、溢れる思い出の中の一つ。
けれど、とても大切な――輝きを放つもの。
「何故、今の自分が在るのか――だね?」
「そうだ。何故、己は絹の服を着て、豪奢な寝台で眠る事が出来るのか。何故望むままに豪勢な食事し、金銀璧玉で身を飾り、大勢に傅かれているのか――何故それが許されるのか」
心を射抜くのは、菫色の美しい瞳。
「僕は六歳でそれを訊かれて、落第した」
「答えを知っていただけではな。半分正解だ」
神童の誉れ高かった竜花に劣らず、皇翼もまた利発な子供だった。
だが、七つの少女が六つの少年に求めるには、それは難問に過ぎた。
「どうしても決めかねるなら、明日、姫達にこの問いをしてみるといい。正しく答えられる者がいたなら、その姫こそが王妃だ」
「うん……そうだね」
歯切れの悪い従弟に竜花は一瞥をくれる。
「誰も答えられなかったらどうしよう、とか考えているのではあるまいな」
思わず、ぐっ、と詰まった皇翼である。
「そんな後ろ向きな事でどうする!」
「そうは言うけれどね! 君の話を聞いた限りでは、誰も相応しいとは思えないんだよ」
今度は、自身もそう考えていた竜花が詰まる番だった。
だが、選ばずに済む話ではない。
「言った筈だぞ。事実とは限らんと」
「竜花……」
縋る皇翼の視線から逃れる様に、寝台を下りる。
艶やかな黒絹の髪が、滑らかに背を叩いた。
「もし、誰も答えられぬ最悪の事態になったなら、その時こそ、お前の好きな姫を選ぶがいい」
「……竜花?」
「たとえ家系図と資産目録付きの案山子でも、五人と決められた候補でも、お前が一番好ましいと思った姫に跪けばいいんだ」
きっとそれが一番正しい方法。
竜花の想いが伝わったのだろう。漸く微笑んだ皇翼に、竜花もほっと息を吐いた。
気付けばもう随分と夜も更けている。夜が明ければ「花選び」の儀式。
それに主役の一人が欠伸で登場しては、不謹慎極まりない。
もう退散しなくては、と夜着のまま出て行こうとした竜花に、皇翼は慌てて上着を差し出した。
「いらんいらん。風もないし」
「駄目だよ。まだ夜は冷えるから。明日君が貴賓席でくしゃみをしていたら、厳粛な雰囲気がぶち壊しになるんだ。それに……頼むから、最後くらい僕の言う事を聞いてほしいな」
「……そうか。そうだったな」
幼い頃から、竜花は毎晩の様に皇翼の臥室を訪れては様々な話をした。
今宵の様に碁や将棋盤を挟んだり、楽器を爪弾いたりして交わされたのは、他国の動向や国内の不穏な動きの有無に始まり、稲や麦の出来に田畑の作付け、家畜の生育状況、貴龍江の水位、琉東の地味、その年の崑巍の積雪量。
時には、竜花が採って来た山の味覚に舌鼓を打ち、紅葉の絶景が楽しめる古びた四阿の場所、単純に烏鷺の争いの時もあった。
己が学んだ事、見聞きした事全てを、竜花は惜しまず皇翼に教えた。
書や武術、歌や絵を教えたのも竜花だった。
あらゆる面で、竜花は皇翼の師だったのである。
だが、それも、今宵が最後。
伴侶が決まった皇翼の部屋を、未婚の竜花はもう訪えぬ。これからは昼間、王宮の執務室に舞台が移る筈だ。
何となく感慨深い気持ちで、大人しく上着を着せ掛けられていたが、襟を直す皇翼の動きが、ふと止まった気がして、竜花は従弟の顔を仰ぎ見た。
そこにあったのは怖いくらい真剣で、直向きな、想いを秘めた眼差し。
「……皇翼?」
無垢な問い掛けで我に返った皇翼は、見上げる従姉に、常と変わらぬ優しい笑みを返した。
「いや……何時の間にこんなに大きく……差が付いてしまったのかな、と思ったんだ」
「どちらがどれだけ大きくなったんだ?」
殆ど変わらなかった筈の背丈。年下の従弟に追い抜かれたのは、十歳の時。今では六尺を超える皇翼の肩に、やっと竜花の頭が届く。
「……僕は昔から、ずっと君に手を引かれて歩いてきたね。良い王になる様に、それ以前に良い一人の人間として在れる様に、君はずっとずっと、僕に色々な事を教えてきてくれた。たった一つしか違わないのに、僕にとって、君は絶対の存在だった。僕が玉座に在れる様に君が戦場に行ってしまっても、絶対に無事に帰って来て、またこうして夜に様々な事を教えてくれるのが当然だったから、僕は、何時の間にか君の背を追い越していた事にも気付かなかった。君の肩がこんなに薄い事にも」
服の袷を止める手が、葛藤を表す様に震える。
竜花は、皇翼の頬に、そっと手を伸ばした。
「覚えているか。お前が鳳にとって良い王である限り、私はどんな助勢も惜しまぬと、昔、言ったな。その気持ちに変わりはない。お前がお前である限り、私は尽力を決して厭わん。だからこそ、お前には良い王妃を迎えて欲しいんだ。市井の男の様に安らげる妻を得られれば一番だが、それが無理なら、鳳とお前にとって、可能な限り良い姫を王妃として欲しい。それがきっと、お前の幸福となる筈だから」
頬に触れた手は僅かに冷たく、その柔らかさが奇跡を教える。
この手で王を、国を、支えてきた竜花。
人は彼女を天才と言う。天稟と言い、天賦の才と言う。
けれど、皇翼は知っている。
生得の資質は勿論、だが、彼女が今の彼女となる為に、どれだけの事をしてきたかを。
「さあ、早く休め。寝不足で相手を間違うなんぞ、笑い話にもならん」
皇翼にとっては永劫の別れ。最後の逢瀬。
だが、竜花には、毎日繰り返される営みの、只の一区切りに過ぎなかった。
皇翼が思わず重ねようとした手を擦り抜ける様に、気付けばもうその小さな体は、未明の帳に消えていた。
「候補五人の欠点を補う姫、か……」
頬に残った冷たい温もり。
失う筈がないと思っていた。
――そう。失いはしない。けれど、手に入らなくなるもの。
諦め切れぬ吐息を残し、皇翼は庭が望める窓辺に身を移した。
硝子越しに、数刻後に開演する猿芝居の舞台が広がる。
額を押し当てた硝子の冷たさが、消えた頬の温もりを喚起した。
溜息が白く凝り、硝子に白い花を描いて消える。
「誰よりも美しく、高い教養と抜群の政治感覚を有し、活力に溢れ、鳳国一人望篤い、天下無敵の才媛になら心当たりがあるけれど……」
答えられる者こそが王妃、と彼女は言った。
――そう。答えられる者が。
脳裏で囁いた声に、皇翼は思わず、消え掛けた白い花を見詰める。
それから悪戯っぽく笑うと、隣室の侍従を呼んで幾つか指示を出した。
「さあ、一世一代の大勝負だ」
この夜、皇翼は一睡もしなかった。
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薄暗い部屋の窓は遥かに高く、零れ落ちる小さな光が、室内を奈落と薄明の境に縫い付けている。
窓の下に固定された寝台から首を巡らせれば、薄墨を垂らした様なぼんやりとした視界に映る、心に留まる事の無い豪勢な調度類。
僅かな衣擦れの音をさせ、娘は寝台から蹌踉ける様に光に向かった。
差し込む陽光を浴びて見上げても、あるのは遥かに高い採光窓から見える、小さく切り取られた空。
――どうか。
娘は、柔らかく肌を刺す光を抱いて胸を押さえた。
光の中で思い出すのは、優しい過去。今浴びる陽光より苛烈な陽射しの下、それでも笑顔に溢れた暮らし。
一族直系長姫として果たす筈だった務め。――けれど。
娘は俯き、室内に凝る陰鬱な影に目を遣った。
闇の下で蘇るのは、全てを奪われたあの時。
突如閉ざされた未来に代わり、与えられたのは絶望。
何故、と運命を嘆き、それを具現したあの男を呪った。死よりも辛い屈辱を耐えたのは、自分を生かす為に失われた命があったからだ。
逃れる為に、死を選ぶ事は出来ぬ。
もう涙は涸れ果てた。散った友を哀悼し、現実を嘆く為の涙は、もう、尽きた。
この身に残されたのは怨嗟と憎悪、絶望と。
――生命。
娘は視る。その時を。宿怨が晴らされる、その瞬間を。
快哉を叫ぶ筈の心に深い悲嘆と悔恨を併せ、託さねばならぬ者に、良心の呵責すら感じながら、詫びて――祈る。
優しい未来を。
温かな世界を。
柔らかな笑顔と希望に光る暮らしを。
――ただ祈る。貴女が幸福である事を。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
天に刃向かう月
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