花選びの章39 不死
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花選びの章39 不死
混乱に乗じ、易々と侵入に成功した竜花は、物陰に身を潜めながら臍を噬んでいた。
鷹家私邸は、鳳国全土で軽く二桁を超える。その全てを訪れた事など無論無く、さしもの竜花も、翅元が本陣に定めた邸内の見取り図を、事前に入手出来なかったのだ。
それでも、貴族の邸宅の造りは似た様な物の筈、と人目を避け、時には敵兵を殴り倒して、最上階を目指した。
胸から溢れ、体を満たすのは、想い。
母の祈り。
凌誠の願い。
虐げられた者の涙。
人は、父親殺しと謗るだろう。
罪は史書に記され、永劫消える事はないだろう。
それでも。
――必ず、討ち取る。
想いに衝き動かされる様に階段を上り切った竜花は、最上段で歩みを止めた。
――暗い。
恐らく、窓に覆いを掛け、一切の光を拒んでいるのだろう。
階下の灯火も踊り場から細く伸びるだけで、眼前には、深淵と大差無い全き闇が蟠っている。
正道を、希望に満ちた明るい世界を、何処までも拒む男には、似合いの舞台だ。
片頰を歪め、竜花は静かに足を踏み出した。
きっと、居る。
あの男も、母の言葉を知っているから。
あの男にこそ、掛けられた呪いだから。
決着の瞬間を、誰よりも望んでいる筈――と。
何かを踏んだ、と思う間も無かった
立ち尽くす竜花の耳朶を、無数の風切り音が貫いた。
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唯一、燭台の炎が揺らめく部屋。
そこに至る廊下には、夥しい量の血で、道が、描かれている。
「これでも死なぬとは。しぶといな」
つまらなそうに言い捨てた翅元は、針鼠の如く全身に矢を突き立てられた娘を、室内に塵の様に放り投げた。
弾みで数本の矢が折れ、更に深く肉に食い込む。
それでも娘――竜花は、苦鳴を漏らさなかった。
この男の前で一切の悲鳴を上げる事は、己の矜持が許さなかった。
「あの闇の中で、急所を庇ったか」
暗闇に罠を仕掛け、矢で針鼠にした己が娘の体を、翅元は物の様に扱った。
たっぷりと血を吸った廊下絨毯の血の道は、引き摺られた竜花の体が記した物。
無数の矢が裂いた衣服は襤褸と化し、腰の辺りで鮮血を滴らせるだけしか残っていない。
黒絹と讃えられた髪が血で不揃いに固まりながら、白かった肌を覆っていた。
「毒を使えば、どうだったろうな」
翅元は、寝台の柱に傷付いた竜花の四肢を縛り付けると、無造作に矢を引き抜いた。
使われた矢は全て尖矢。
返しが肉を抉り取る。
「よくぞここまで手の込んだ事を……!」
悲鳴の代わりに、竜花は叫んだ。
通じるとは思わない。
だが、言わずにはおれなかった。
「私を殺す為だけに戦なぞ……。一体、どれ程の民が生命を落としたと思っている……!」
大勝利に浮かれる影で、命を落とした者がいる。
勝者にも必ず死者は出る。
況や、敵軍をや。
竜花には、全身の矢傷が、死者の傷の様に思えた。
流れる血を、遺された者達の血の涙と感じた。
――自分を殺す為に、散った生命。
戦だけは防ぎたかった。
だからこそ、要人暗殺で反乱軍の尾を摑もうと、自らを餌に動き回った。
間に合わず、乱の報が届いた時も、全面衝突の前に翅元の首級を取れば、被害を最小限に抑えられる筈だった。
それも叶わぬ今この時も、自分が翅元を討つ事で、鷹家の御家騒動の体裁を取り繕い、内乱という大き過ぎる事態で鳳が倒れるのを、防ごうと思った。
――なのに。
「死にたくなくば、逃げればよかろう。脱走兵を追う程の余裕は、こちらには無いのだからな」
「家族を人質にとって、よくも言う……!」
「我が身が可愛ければ、人質等関係なかろう」
解っている。通じる言葉が無い事を。
交わす言葉の虚しさを。
逃げなかったのは殺したかったからだろうと、嗤うこの男に、届く言葉は無い事を。
憎悪しか抱けぬ相手である事を。
「……満足か。望み通りの混乱を生んで」
矢が引き抜かれる度に生まれるもの。
気が触れんばかりの激痛は、燃えて瞋恚に変わる。
――全身を駆け巡る力。
「お前ではなく、皇翼を殺していれば、もっと興をそそる混乱が起きていたかも知れんな」
瀕死の体で、それでも瞳に憎しみを滾らせる娘を、翅元は興味深く見詰めた。
これだけの矢傷でも、矢張りまだ死なぬ。
「お前が死ぬところを、どうしても見たくてな。でもどうすれば死ぬのだろうな。何度殺しても、お前は死ななかったからな」
嬰児の時から、そうだった。
刺しても、突いても、絞めても、決して死ななかった。
虐待を知った目障りな使用人が、一時たりとも離れなくなって以降は、刺客を放っても果たせなかった。
無理矢理生まされた子供に、それでも母性を抱いた女。
始めは、半狂乱になって叫ぶ女を見たくて、子供を殺そうとしたのだが。
「射ても駄目なら、斬るか。そうだな。首を斬ったら、どうだろうな」
何処までも無感動に抜刀する。
燭台の火影が揺れ、壁に黒々と落ちた蛮行の影が、歪む。
「呪詛と加護。どちらが天意か、問うも一興」
翳された太刀。
振り下ろされる白刃。
竜花は目を逸らさなかった。
睨み殺せるものなら、直ぐにも殺してくれようものを。
果たせぬのなら、首だけになっても、その咽喉を噛み切ってくれる。
その一念で、見据えた。
けれど。
凶刃が、鮮血に濡れるより、早く。
「させるか!」
――火影を揺らしたもの。
「――皇翼!?」
憤怒に染まった青年が、狂気の白刃を弾き飛ばしていた――。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
天に刃向かう月
も、ご覧下さると嬉しいです。