花選びの章21 竜花の価値
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花選びの章21 竜花の価値
「腑に落ちぬ事はもう一つ。何故に姫が陛下の求婚を拒まれるか、ですのう」
「慮外な事を。私は花姫ではないのです。王妃になど、始めからなれる訳がありません」
「ほう? それこそ慮外な事を。常の姫ならば、それが鳳の為とあらば、慣例なんぞ黙殺して行動を起こしておられる筈。それが、今回に限っては、旧態依然なお考え。頑迷固陋な事この上ないときておる。姫、腹蔵なくお答えなされ。姫は真実、五人の花姫が陛下に相応しいとお考えであられましたのか。候補は誰が立后されてもおかしくないのが建前。鵺王妃が誕生しても民が納得するとお思いか」
「……皇翼が鵺姫を選ぶ筈はありません」
「すると、不相応な者が花姫選定を受けた事は、お認めになるのですかの」
細めた目の奥で、針の様に鋭い光が灯る。
竜花は答える代わりに目を逸らした。泳がせた視線が、丁寧に表装された英水の書に留まる。
天智王の元勲にはもう一つ、高名な書家としての顔がある。
鸞飄鳳泊の腕前は書聖とまで讃えられ、鷹州にて虜囚の身であった英水の生命を救ったのがこの書聖の顔であった。
捏造された偽、書翰には州刺史の署名が必要だったが、当時から鸞翔鳳翥と絶賛されていた運筆は素人には到底真似出来ず、偽造を諦めた翅元は、英水を署名の強要と引き換えに助命せざるを得なかったのだとも、翅元ですらその才を惜しんだのだ、とも言われているのだ。
今目に入った書は、歳を感じさせぬ勢いと伸びやかな筆遣いで綴られた天地礼賛。その中に答えがある筈もない。
竜花は顔を歪めた。
老人の双眸には、返答を促す圧力があった。
「……王妃の務めを果たす訳には、いかぬ理由があるのです」
たったそれだけを言うのに、汗が滲む。
「……相変わらず、嘘はお嫌いと見える」
頑迷さに、内心英水は舌を打った。
「されど、奇妙なお答えである事よ。姫の言われる王妃の務めとは、何を指されるのか。それを果たすのが、嫌なのでも、出来ぬのでもなく、果たす訳にはいかぬとは」
「……老公」
「――姫。一体何を思い煩っておられる」
笑みを消した老練な政治家の前に、万の大軍にも怯まぬ戦乙女は、勝機を見出せず攻め倦ねていた。
竜花の負い目は、何故との問いに明確な答えを返せぬ事だった。
勿論、答えはある。
――だがそれは、余人には到底理解出来ぬ事。
「……鶯姫を王妃に迎えたいとの申し出を断られてしまいました。他の二者も同様です」
春明は確かに人見知りが激しいが、慣れてしまえばあの通り、家の中では臆せず振る舞える。玉座に呑まれる危険はあるが、克服できれば大化けするかも知れなかった。
「皆、私を差し置くなどとんでもない事だと」
「姫はもう少し、ご自分の価値を理解なさった方が宜しかろうの。姫は最早、単に国王に多大な影響力を有する従姉ではない。恐れ多くも国王陛下の想い人であられるのだから」
「私にそんな価値はありません」
これには到頭英水も堪忍袋の緒を切った。
「価値が無い? これまた面妖な事を! 何故、鳳の民がこれ程までに姫をお慕い申し上げるのか、その胸に手を当ててよぉっくお考え頂きたい。十での初陣よりこれまで、国の内外を問わず最も長く戦場を駆けてこられたのはどなたか。鵷州の匪賊を根絶やしにし、民に安寧の夜を与えられたのはどなたか。貴龍を渡る蛮族を退け続けたのも、貧民救済の為、全州に無料の診療施設の設置を陛下に進言されたのも、同じく平民の為の学舎建設に尽力されたのも、一体どなただと思し召しか!」
才女の異常な頑なさに、英水の眦が上がる。
「まだありますぞ。蔡琰、之楊を始めとした若手の抜擢で王宮に澱んでいた旧弊を払われた事で、どれ程民が快哉を叫んだかご存知か。酷吏に嘆く民の声に、姫程耳を傾ける方が他におられるか。鷹家私邸を診療施設として開放し、鷟州の飢饉の折は備蓄米の不足を私財で賄われた。これだけの事をその若さで成し遂げられた方が、他にいるとお思いか。仮に姫が国王の従姉姫であられなくとも、剰え貴族でなかったとしても、これだけの方を民が支持するのは自明の理とは思われぬか!」
苦悩しても尚、竜花の意思は強固だった。
「私は鷹家に生を受けました。ならばそれらは全て義務。称賛される謂れはありません」
「姫!」
「ですが、王との婚姻は別です。他の男となら結婚は出来るかも知れません。ですが、皇翼とだけは出来ません。何があっても」
「ですから、それは何故かとお尋ねしておる」
「…………お許しを」
「姫は今、王との婚姻は承服致しかねると言われたな。ならば――畏れながら、仮に鷲皇翼が国王でなかったなら、如何か」
「……お答え出来ません」
苦悩に歪んだ竜花の表情に何を見たか。貝の如く押し黙った竜花に、祖父代わりの老人は困った様に溜息を吐いた。
文机に向き直って墨を磨る。
やや和らげた声音で言った。
「可愛い姫の為ならば、この老い耄れ、如何様にも老骨に鞭打って差し上げたいが、本日のお願いが鶯姫、鷺姫、鵲姫、何れかを王妃に据える為の知恵を拝借、というのであれば、申し訳ないがと答えるしかありませんの」
「老公」
「今や姫の立后は全鳳国民の願い。私も鳳の禄を食む者の一人。想いは同じですのでのう」
縋る様な菫の双眸に、落胆の色も露に浮かぶ。
老爺は動じる事なく忠告した。
「宜しいか、姫。暫くは御身を慎まれ、お邸にて花衛に護られて過されませ」
反論より早く、枯れた声が鋭く切り込む。
「賢明な姫にはお分かりの筈……姫?」
それは、劇的な変化だった。
否とも応とも答えぬ竜花を訝しんだ英水が顔を傍らに向けた時、終始老人に圧されていた竜花が、この時初めて顔を上げ微笑んだのだ。
艶やかなまでに、傲然と。
不遜なまでに、凛と。
「それこそ――望むところ」
揺るがぬ眼差しは、何処までも強い。
「――姫、それは――なりませぬぞ!」
真意を悟った英水が止める間もなかった。
丁寧な辞去の言葉と完璧な儀礼を残し、鳳国一の才媛は退室していたのである。
「何と恐ろしい事を……!」
残された老爺は暫し呆然とした後、半紙を懐紙に替え、猛然と文を認め始めたのだった。
※鸞飄鳳泊:書道の筆遣いが優れて巧みな様。
鸞翔鳳翥:筆遣いの優れた様。鳳翥鸞翔とも。〈韓愈・石鼓歌〉
(小学館 新選漢和辞典 第五版)
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星を掴む花
天に刃向かう月
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