花選びの章18 花衛の受難
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花選びの章18 花衛の受難
驚天動地の「花選び」翌日。竜花は早速「目指せ破談!」に向け行動を開始していた。
出来る事なら昨日にも動きたかったのだが、何事にも手順と言うものがある。総英に逃げられた後、羽毛舞い散る中で手跡も見事な文を何通も認め双子に届けさせ、後日の約束を取り付けただけで満足しなければならなかった。
そうして漸く行動が叶った竜花は、だが今、何故か不機嫌の極みに在った。
供の璐珪は隣室に控え、璐邦は窓から見える門前で仁王立ちしている。
少年が睨みを利かせているのは、外出先にまで同行して来た花衛達で、実は鷹隼宮を出る際、この花衛達と一悶着あったのだ。
「お願いですから、部屋に戻って下さい」
出掛けようとした竜花に、花衛達は門前で懇願した。
求婚を受けた花姫は、十四日間自宅に籠もる。それを護衛するのが花衛の役目であるのに、花姫に出掛けられたら意味が無い。
前日からお世辞にも上機嫌とは言えなかった竜花は、騒ぎを聞きつけてわらわらと集まってくる羽林軍の精鋭達を一瞥した。
何が起こっても万全の体制を取れる様にと、総英は予め選ばれていた花衛五十名に、更に百名を増員していたのだ。
それでも鷹隼宮の周囲を警備するには人手が足りないのである。
「鷹将軍、いえ、鷹公主、じゃなくて竜花様……でもなくて、鷹姫……白百合姫。貴女は陛下に求婚されたんです。花姫は期日まで、自宅で将来について熟考しなければならない。それは貴女も良くご存知の筈でしょう」
雷光の様な眼差しに大の大人が怯みまくり、説得役の白羽の矢が立ったのは、竜花と顔馴染みの若い男だった。
若いと言っても、総英よりは年上である。竜花と総英が若過ぎるのだ。
「慈孝。皆も、考え違いをしている様だな」
苦労して慈孝が選んだ言葉だったが、昨夜の内に凰都に広がった白百合姫の名称は、竜花の怒気に油を注いだだけだった。
「第一に、私は花姫ではない。故に皇翼が何をほざこうと、そんなものは糞喰らえだ」
慈孝以下、花衛一同は絶望的な表情になった。
依りにも依って、絶世の美女の口からは、絶対聞きたくない言葉である。
「第二に、花姫ではない私を鷹姫とは何事だ。剰え、白百合姫などと巫山戯た名で呼ばれるのは我慢ならん。金輪際止めてもらおう」
菫色の瞳が、斬り付ける様に鋭く光る。
「最後に、お前達、総英に何を吹き込まれたかは知らんが、数を揃えれば私を大人しくさせられるとでも思っているのか。私は今、とても機嫌が悪いのでな。知り合いだとて容赦はせんぞ。負傷したくなくばそこを退け!」
もしこの場に瑠珒がいたなら、「よ! 竜花様! 鳳国一!」と大喜びした事だろう。
既に前日、総英は之楊に呼び出され、この時御史台を訪れていた為この場にはおらず、強行突破した竜花とは行き違いになってしまった。後で駆け付け話を聞いて、頭を抱えたものである。
今、竜花は同じ寿鳳宮内の西、鶯家官邸の客間の窓から、不機嫌の理由の五割を占める花衛達を眺めていたのだった。
強行突破は許しても、流石に単独で行動させる訳にはいかぬと、百名程が鷹隼宮の警備に残留し、残りが竜花の護衛に付いて来たのだが、これが竜花には凄まじく鬱陶しかったのである。
求婚された花姫を護る。この役目は解る。だが、自分は、求婚されたが花姫ではない。遵って花衛の護衛対象に当て嵌まらぬ、というのが竜花の考えである。
しかも、虎視眈々と破談を目論んでいるのだから、護る必要さえ無いのだ。
しかし、もしこれを花衛一同が知ったなら、「屁理屈です」と盛大に嘆いた事だろう。
花衛にとって花姫の心意は問題ではなく、花姫の周囲の思惑こそが重要なのだ。
どうやって蹴散らしてくれよう、と、途轍もなく剣呑な事を考える竜花の耳朶を、涼やかな衣擦れの音が打った。
顔を上げると同時に扉が開き、淡い色の塊が飛び込んで来る。
「竜花姉さま!」
緩くうねる柔らかな金髪。濃い矢車菊の色の瞳。薄い桃色と橙の衣装を靡かせ抱き付いてきたのは、万人が認める可憐な少女。
「春明!?」
「ああ、良かった! お会いしたかった! お話したい事があったんですの!」
この熱烈歓迎には、竜花も意表を突かれた。
「春明! どうした、落ち着いて」
「落ち着いてなどいられませんわ」
実の姉の如く慕う竜花の手をとり、春明は徐に膝を付く。
見上げて満面の笑みで言った。
「この度は、ご婚約おめでとうございます」
これが総英の発言だったら、問答無用で投げ飛ばしているところだが、妹の様に可愛がっている少女が相手ではそうもいかぬ。
引き攣った笑みの竜花に気付かず、無邪気な春明は立ち上がると、もう一度竜花に抱き付いた。
「うふふ。私、姉さまに一番にお祝いを申し上げる者になりたかったんですの。どうですの? 私、一番乗りの栄誉を頂けまして?」
どんな勇者もここまで勇敢な発言には挑戦していなかった。天真爛漫の勝利である。
「春明、良くお聞き。私は花姫ではないのだから、王妃になどなれる筈がないんだよ」
「ですが、陛下は、姉さまをお望みになりました」
菫色の瞳を臆することなく見詰めるのは、矢車菊の如く深い藍色の無垢な瞳。
「それとも、姉さまは、陛下がお嫌いですか?」
「好きか嫌いかの問題ではないんだ」
「いいえ。お言葉を返す様ですが、好きか嫌いかの問題ですわ。どうか、姉さま、お答えになって。姉さまは陛下がお好きですか」
稚いからこその率直な問いを、逸かす事は出来なかった。
だが、嘘は吐けぬ。
膝を突き、愛しい妹と視線を合わせる。
慎重に言葉を選んだ。
「選択肢が二つなら、私は好きと答えよう。実弟にも等しい相手を、嫌いな筈がなかろう?」
「でしたら……!」
身を乗り出した春明を、諭す様に押し止める。
「だからと言って王妃にはなれん。いいか、春明。私は花姫ではないんだ」
「ですが、選定不正の噂があるのでしょう?」
「――その話、何処で聞いた」
春明は、醜聞とは当事者とも発信源とも縁遠い性格をしている。本人が詮索する筈もない。
「下働きの者達の噂だと、侍女が教えてくれました。でも、その程度ならご心配には及びませんわ。下々の者は、高貴な者の醜聞を面白可笑しく騒ぎ立てるのが何より楽しく、憂慮すべきは、斯様な噂が身分ある者の口の端に乗せられた時。姉さま、以前そう仰ったでしょう」
「……ああ。良く覚えていたな」
「うふふ。姉さまの仰った事は忘れませんわ」
褒められて喜色満面の様子は、まるで盛んに尾を振る子犬の様。
確かに竜花は鶯家を訪れる度に、竜弦琴の指導以外の話も心掛けていた。春明を将来の王妃にと考えていた訳ではないが、その思惑が全く無かったとは言い切れぬ。
だが、殆ど外出せず、家人と竜花の他は会話もせぬ少女が、いざ外の世界に踏み出した時困らぬ様にとの、助勢のつもりだったのだ。それが、こんな時に役立とうとは。
春明の明敏さに内心で快哉を叫びつつ、竜花は目まぐるしく思考を回転させていた。
春明の耳に入ったくらいだ。何れ王宮全体の知るところとなろう。現に昨日、茶化した物言いながら、総英が藍悦に伝えていた。遅かれ早かれ、事態は動く。――否。
――もう動いているやも知れぬ。
竜花は己の迀闊さに歯噛みする思いだった。まさか皇翼がこんな暴挙に及ぶとは想像もしていなかったから、選定に纏わる黒い噂に最低限の手しか打っていなかった。日頃の己からは考えられぬ失態。浮かれ騒ぐ城下の毒気に中てられたとは言い訳にもならぬ。
皇翼ならばきっと正しい姫に跪く筈と、不正に関わった姫が選ばれる筈もないと高を括っていたのだ。
だが、王は誰もが想定外の姫を選んだ。
覆すには、王自身が撤回するか。
――それとも。
「……悉く厄介な……!」
吐き捨てる。
竜花には視えていた。これから何が起こるかが。
そして。
――この機に乗じて誰が動くかも。
「春明。お父上はどうなされた?」
「ああ、ご免なさい。扉の外で待ってますわ。私が姉さまにお祝いを言うまで絶対に入ってきては駄目だと、駄々を捏ねたんですの」
余りの無邪気さに、思わず竜花は笑ってしまった。
篤実な鶯主は娘を我儘放題に育てる人物ではないが、この程度なら無条件で聞き入れたくなる気持ちも分かる。
名家の当主が、外で娘に呼ばれるのを今か今かと待っている様は、想像するだけで笑みを誘われた。
だがそれも、鶯主が現れるまでの事。
下がる春明と入れ替わった穏やかな物腰の男を前に、美貌を彩っていた微笑は跡形もなく消え、戦に望む前の如き険しい表情が取って代わる。
「無理を言って申し訳ない。是非ともお話をしておきたい事があったのだ」
「……昨日御文を頂いた時から、お話の内容はある程度予想しておりました」
竜花の決意に、鶯主も真摯な眼差しを返した。
娘よりも幾分薄い、青い瞳が静かに光る。
「我が娘春明を、王妃に据える。そのご相談でございましょう」
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
天に刃向かう月
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