花選びの章15 器の差
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花選びの章15 器の差
木陰に身を潜めていた蔡琰は、非礼を詫びる様に軽く頭を下げた。
之楊に勧められ椅子に腰を下ろす様には、今の話を咎める気配が無い。
藍悦は軽く胸を押さえた。
「お二人とも、老人を余り驚かせて下さいますな。一瞬お迎えが見えた気が致しましたぞ」
生真面目な藍悦の意外な一言に、三人とも苦笑する。
歳から言えば余り洒落にならない台詞も、矍鑠とした藍悦ならば話は別だ。
「之楊殿。吏部尚書が立ち聞きされているのを承知で話を進められましたな」
之楊の視線の動きを思い出した陽達である。
「お召し物が目に入りましたので」
陽達の詰る様な言葉にも変わらず之楊は穏やかな儘で、この若手官僚がかなりの強心臓である事を、年長者二人は思い知らされる事となった。
竜花に見出されるだけの事はある。
「お二人が四阿の方へ行かれるのをお見掛けしたので、少しご相談をと後を追ったのです。そこで思いがけぬお話を伺う事になろうとは」
青灰色の犀利な光を受けても、四者会談の主催者は気負ず、直截さも変わる事がない。
「吏部尚書。貴方様のご相談と言うのも同じでございましょう? なればこそ、差し出口を咎めもせず、こうしてご同席下さった筈。如何でしょう。吏部尚書のお考えをご披露しては頂けませんでしょうか。私の判断は、竜花様への傾倒が過ぎて誤ったと思われますか?」
穏やかながら余りに鋭い物言いに、傍の陽達の方が内心胃が痛む思いだった。
もし之楊が吏部に引き抜かれていたなら、周囲で慢性胃炎の患者が大量発生していたに違いない。
陽達の心境など知らぬ蔡琰は、鋭い眼光をかつて部下にと望んだ男に送り込んだ。
「仮に、之楊殿が公主を妄信しているとするなら、私も世人に同じ事を言われるだろう」
四年前の大抜擢に竜花の口添えがあったのは、蔡琰も同じである。
美辞麗句を以て竜花を崇める事はしないが、その才知と功績には惜しみない賞賛を贈り、最も客観的に評価しているのが蔡琰である。
実は竜花が見込んだのも、この点であった。
鳳の要となる人材をどう振り分けるか。正当な人物評価を下せる人物は。
吏部の長に相応しい者を探していた竜花の目に、鷹公主に阿らぬ稀なこの蔡琰が留まったのだ。
今や誇大に喧伝される「鷹公主の奇跡」に惑わされず、己が目と耳で確かめた事実を正しく判断出来る、正に吏部にうってつけの人材。
古参の、席次も上の者達を押し退けての長官就任だったが、その抜擢が誤りではなかった事を、今では疑う者はいない。
「そう言えば、先程陛下の御前にて、吏部尚書は一切発言をなさいませんでしたな」
暗黙の軍議にも不参加だった筈と、再攻撃で撃沈された陽達が少し恨めし気に言うと、初めて蔡琰は口元に品の良い笑みを浮かべた。
「私は陛下の御意見に賛成ですので」
「…………………………はい?」
たっぷり百を数えてから、藍悦が訊ねた。
「失礼。歳の所為かどうも耳が……。今、吏部尚書は、賛成致しかねると仰いましたな?」
「いいえ。鷹公主を王妃に据えるのに異論は無いと申し上げました」
蔡琰の言葉が脳に沁み込むのに、今度は五十数える時を要し、理解した後の三人の様子は見事に分かれた。
藍悦は今度こそ胸を押さえて凍り付き、話を振った之楊は満面の笑みで同意を示し、陽達は三度目の正直とばかりに、本当に椅子を蹴倒して立ち上がったのである。
「な、何と言われる!?」
立て続けの衝撃で理不尽な怒りすら感じ、巨漢が更に膨らんでまるで聳え立つ岩壁の様。倒れ掛からんばかりに身を乗り出した岩壁陽達に、氷壁蔡琰は意外の念を表した。
「これはしたり。鶉尚書は鷹王妃待望論者とばかり……。断固反対されると仰る?」
「そ、そんな事を言っているのではない!」
事態の急展開に、頭と舌を繫ぐ線が一本ぶち切れてしまったらしい。
縺れる舌を何とか宥め、秘密厳守である事も忘れ、陽達は絶叫した。
「宜しいか! 我等臣は王の無軌道をお諌めし、国を誤った方向へ導かぬ様に施政に絶えず気を配る事も重要な責務の一つ。王命に唯々諾々と従うだけが忠誠ではないのですぞ!」
草木も痺れる咆哮にも、蔡琰は顔色一つ変えなかった。
先達に抗する唯一の手段、同等の尚書の肩書きを以て、理知的な青灰色の瞳が茶色の瞳をひたと見据える。
「何処が無軌道なのです?」
無礼さに流石の之楊が息を呑んだ程、蔡琰の眼差しは揺るがなかった。
「どの花姫を選んだとしても、そちらの方が余程鳳の為になるとは思えない。それは皆様同じ思いの筈。ならばそれこそ無軌道、天下の大失政に繫がるのではありませんか?」
陽達は目を剥いた。ここまで容赦無く断言されるとは思っていなかったのだ。
「先程、之楊殿は疑念があるとの事でした。私も同感です。最たるものは鵺姫でしょう。何故誰の目にも不適格な鵺姫が推薦されたのか、甚だ疑問です。宜しいですか。鵺姫が選ばれたという事は即ち、家柄重視ではないという事。ならば他にも良い姫がいた筈です。何故、鵺姫でなければならなかったのでしょうか」
「……賄賂の噂がございましたな」
お迎えの手招きを何とか振り切った藍悦が、宙を睨む様にして呟いた。
「はい。疑問はまだあります。何故鷹公主が花姫にならなかったのか、という事です」
「お待ちを。それは鷹主殿が理由なのでは?」
鷹主を国舅にする訳にはいかぬと言った臣がいた。陽達も同感である。
不行状目に余るとは言え、鷹家は鳳国きっての大貴族。その権勢は並々ならぬものがある。
これまでにも翅元の介入により起きたと思われる騒乱は、先王、皇翼、そして竜花が奔走してきたからこそ、大事に至らずに済んだのだ。
しかし、その鷹主が王妃の父となった時、一体何を引き起こすか。
翅元に権力を与えるという事は、火薬庫の隣で派手に花火を打ち上げるに等しい。
同じ目を瞑るなら、後日、確実に破局に繫がる巨大な憂いより、多少の欠点はあるものの、まだ重臣一同で補える王妃の方がましである。幸い、竜花に皇翼への恋慕の情が無いのは周知の事実。本人も若い国王夫婦を盛り立てると公言しているのだから、それを逃す手はない……。
この様な思惑が絡み、竜花は花姫にならなかった。それが関係者の一致した見解の筈だ。
「そこなのです。考えても頂きたい。花姫選定は、即ち立后の可能性を意味します。確かに鷹公主には、鷹主という不利があった。ですが、仮に鵺姫と比べたとしましょう。先程陛下が仰った様に、鷹王妃誕生の際は、鷹主は真っ先に粛清される筈。助命されたとしても幽閉は確実。それでも憂いがあるのでしょうか。過去の悪行が鷹公主の経歴に補い切れぬ瑕を作ったのも事実ですが、鷹主から暗躍の場を奪っても尚、公主は鵺姫に劣るのでしょうか?」
三人は目から鱗が落ちる思いだった。
そう。鷹主の悪行を打ち消す程国に尽くしてきた竜花だからこそ、民に慕われているのだ。
彼等にとって、過去の鷹主の悪事は、現在の竜花の光輝を曇らせるものではない。
粛清されれば霧消する憂いは、理由にならぬ。
「……これは……一体……」
三人は愕然とした。先入観で思い込んでいた。
いや、と之楊は思う。
先入観ではある。だが、全員が、同じ事を考えるだろうか。
一体何時から、誤った認識を共有していたのだろうか。
――誰が、言い出した事だったろうか。
「そして、最後にして最大の難問が、如何にして鷹公主を王妃に据えるか、です」
これには全員苦笑を以て表情を取り戻した。
「説得、ですな」
「左様。これは確かに難問でしょうな」
だが年長者二人に、蔡琰は首を振った。
「確かにそれも問題ですが、口説くのは当人に任せるのが筋でしょう。放っておけば宜しい。肝心なのは、いくら陛下の思し召しでも、側室を迎えるのとは訳が違うという事です。鷹公主を支持する貴族達の中にも、慣例無視には嫌悪感を示す者もいるでしょう。無論反対派も。今のままでは――不可能です」
実際に可能かどうかではない。蔡琰は、無理を通した際の王宮の歪みを懸念しているのだ。
――器が違う。
之楊は、己と蔡琰の差を噛み締めずにはいられなかった。
疑念を抱いたのは同じ。
けれど、自分と藍悦達が、反対ではないが前代未聞の事態をどうすれば巧く収められるかを、延いては如何にして皇翼に諦めさせるかを考えていたのに対して、蔡琰は始めから賛成の立場で竜花を王妃に迎える方法に思案を巡らせていたのだ。
どちらが建設的か言うまでもない。
こう在りたい、と之楊は強く思った。
遥かな先を見据え、その為の最善の布石を打つ。
私欲に囚われる事無く、大勢に靡かず、信じる道を行く。
それは、之楊が描く理想の姿だった。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
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