花選びの章14 四者会談
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花選びの章14 四者会談
王宮内の無数の殿舎の内、貴族の官邸や鳳の機能の中枢とも言うべき各省の政庁は、主に西側に存在する。西奥の後宮からも上西門からも近く、官吏の出仕も非常に便利なのだ。
現在は国王が正反対の竹瑛宮に腰を落ち着け、尚且つ国王代理も務まる鷹公主が鷹隼宮の主である為、国政の舞台は東に移った感がある。
官吏が西の政庁間を奔走し、根回しと検討を重ねた案件入りの書箱を恭しく捧げ持ちながら政務を執る東南の慶凰舎へ向かうのは常の事だ。
だがしかし、「花選び」終了後のこの日は、様相を異にしていた。国王陛下の一言で、政の機能が麻痺してしまったからである。
その一番の被害者、何の成果も無いまま解散した重臣達は、東西を結ぶ慶凰舎から政庁への回廊を力無い足取りで渡っていた。
否、これは正確ではない。
続け様の驚愕と動揺で、体に力が入らないのだ。
かと言って、足を引き摺る程体が重い訳でもない。
依って立つ常識を粉々に砕かれ、踏む大地がまるで綿菓子であるかの様な、或いは、衝撃で魂が半分抜け、そよとした風にも浮遊してしまう様な状態と言えよう。
その状態で黙然と歩んでいた藍悦と陽達に控えめな声が掛けられたのは、繊麗な飾り屋根を有し複雑に折れ曲がった回廊の半ばを過ぎた辺りであった。
「――もし。鶖老様、陽達様。少しお時間を頂けますでしょうか」
声の主を捜して首を巡らせれば、回廊を外れた香雪蘭の苑から、二人を手招く者がいる。
「こちらでございます」
白と紅色の花苑の影で深々と頭を下げたのは、日頃から何かと交流のある鶴之楊であった。
薄茶の髪に薄青の瞳、常に目を細めている様な優しげな容姿のこの青年は、温良な性格の滲み出た外見とは裏腹に、三十の若さで工部次官に大抜擢された超の付く有能若手官僚である。
にも拘らず敵が少ないのは、誰に対しても丁寧で柔らかい態度と、上に媚びず下を蔑まぬ姿勢故であろう。
細い体を恐縮で更に縮み込ませ、それでも之楊は年長者達を木陰の四阿に誘った。植えられた泰山木が陰になり、回廊からは見えぬ位置である。
二人に椅子を勧めると、之楊は徐に口を開いた。
「鶖老様、陽達様。お二方はこの度の事をどの様にお考えでございましょうか」
藍悦の功績を讃え、尊敬の念を込めて、親しい者は鶖老と呼ぶ。
これは特に若者に顕著な例で、竜花に倣っているのだと言う者もいる。
「陛下の突然の思し召しの事ですな?」
「僭越ながら、陛下にしては少々短慮……いえ、逸られたのではと思われますが」
二人の慎重な答えに、之楊は首を振った。
「私が申し上げたいのは、今回の『花選び』について、でございます。お二方は、五人の花姫の誰が立后されても、真実、その方を王妃として迎える事がお出来になりましたか?」
「之楊殿! それは……!」
率直過ぎる問いに、二人は思わず椅子を鳴らした。
それを宥める之楊の表情は、常に絶やさぬ笑みを消し、かつてない程真摯に引き締まっている。
一度茂る泰山木の葉に目を遣ってから、之楊は穏やかに、だが鋭く切り出した。
「私如きが差し出がましい真似である事は承知しております。熟考に熟考を重ねて選ばれた花姫であるとも存じます。ですが敢えてお尋ねします。本当にあの方々が、鳳に相応しい方だったのでしょうか。もし陛下が竜花様を御望みになられなかったなら、一体どなたが立后されていたのでしょうか。その時民は、歓喜の念でその方を王妃に迎えたでしょうか」
二人はごくりと唾を呑んだ。
温柔にして誠実。人柄と、卓抜した事務処理能力を買われての抜擢で、之楊は現在の地位を得た。
任免に当たっては、あの氷の吏部尚書が所属を巡って工部尚書と取っ組み合ったと、実しやかに囁かれる程の逸材である。
その抜擢も王の意向があっての事だが、皇翼に野に埋もれた人材の話を耳打ちしたのが誰であるか、王宮に関わる者なら誰でも知っている。
玉石混交の中から的確に拾い上げられたかつての原石は、恐ろしい程直截だった。
曲者揃いの王宮で齢而立にして要職を得、潰されもせず穏健な人物との評判を保った儘生き残っているのである。工部次官の肩書きは伊達ではない。
「失礼ながら――そして口に出すのも憚られる事ながら、私にはとてもそうは思えません。今の鳳に相応しき、陛下の隣に肩を並べる事の出来る方は、竜花様を措いて他に考えられません。誰の目にもそれは明らかな筈。地に降臨した太陽の如き輝かしき才、他を圧倒する光輝に満ちた竜花様から、目を背ける事の出来る者がいるとは、到底思えない。にも拘らず、竜花様は花姫にすらなられなかった。私にはそれがどうしても――腑に落ちないのです」
「つまり、今回の『花選び』に疑念があると?」
「お待ち下さい。之楊殿、それは確たる証拠があっての事でございましょうな?」
急く陽達に対して、藍悦は何処までも慎重だった。
悠然と鬚を扱きつつ、老いた目が、半分にも満たぬ歳の若者を炯々と睨む。
「――いえ。あくまで私の勘でございます。杞憂であればと思います。――ですが」
不確かな答えながら、将来を嘱望される若手官僚は怯まず先達を見返した。
「相応しい方がおられたのなら、陛下は何故、誰にも諮らず竜花様を御望みになられたのでしょうか。これが答えではございますまいか」
静かな言葉に込められた熱情が、香雪蘭の上に降り積もる。
さわさわと花が揺れる。
「御若い陛下の事です。御心を竜花様に向けながら他の姫を迎える事に、不誠実を感じられたのやも知れません。それが我慢ならぬ程一途に、竜花様を御慕いしての事かも知れません。だとしても、あの聡明な方がこの様な――恐れ多い事ながら、乱暴な手段を採られる理由が、私には他に思い至らないのでございます」
「いや、仰りたい事は良く分かります。ご懸念ご尤もと存じます――が、之楊殿。まさか、それを妄りに口にしてはおられんでしょうな」
話が話なだけに藍悦は釘を刺したのだが、対して恐れを知らぬ若者は穏やかに答えた。
「ご案じなさいますな。これは私が、半年前の花姫公示より今まで秘めてきた憂い。そして本日陛下が示された決意で、確信に至った疑念でございます。なればこそ、今お二方に――否、お三方にだけ明かすのでございます」
「なんと!?」
藍悦と陽達は仰天した。先刻の皇翼の行動にも度肝を抜かれたが、この発言は極めて心臓に悪い。
椅子を蹴倒す勢いで腰を浮かした二人の背後から、低く張りのある声が届く。
「――失礼。お話の内容が内容なだけに、声を掛けるのが憚られまして」
泰山木の影から現れたのは、青灰色の怜悧な瞳の持ち主。
「……吏部尚書」
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