花選びの章13 白百合の献身は
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花選びの章13 白百合の献身は
羽毛の竜巻を生んでいた人間台風を思い出し、暫く伺候を止めようか真剣に悩み始めた総英は、ふと気になる事を思い出した。
「あのですね、纏めて色々訊いちまいますが」
「遠慮なくどうぞ」
「こりゃどうも。先刻大将を宥めようと思って、今まで縁談が無かった方が変だって申し上げたら、大将、妙な反応を示されたんですがね。陛下は何かご存知ですか?」
「……ああ、それか」
皇翼は暫く首を傾げていたが、直ぐに答えに思い至った様だ。
懐かしそうに笑った。
「あれは、父上がまだ御存命であられた頃で、確か竜花が十か十一歳くらいの時だと思うのだけれど、実は竜花を某国の某王子の妃に、という話が持ち上がったんだ」
「そりゃ初耳です」
「だろうね。お相手の国の使者が、父上に正式に申し込まれた時点で破談になった話だから、重臣達に諮る暇さえ与えられなくてね。だから君が知らなくても無理は無いよ」
人払いをした為、控える女官の姿も無い。為に、国王陛下御自らが咽喉を潤すのに茶を淹れる羽目になったが、皇翼は意に介した気配もなく、慣れた手付きで茶器を扱った。
訊くともなしに訊けば、実は夜課の折、しばしば竜花に振る舞わされていたらしい。
なんと総英の分まで香りの良い花茶を淹れた国王である。
「破談の時期に色々とツッコミたい処ですが、破談の理由は何です?」
「謁見に先立って、噂に高い鳳の至宝のご尊顔を是非とも拝謁致したいと、使者が竜花の同席を望んでね。まあ、後にして思えば、将来自国の妃殿下になる姫をその目で確かめようという意図だったのだろうけれど、使者が我が国に竜花姫をお迎え致したい、と口上を述べた場に竜花がいた訳だ。で、父上は竜花に意向を尋ねられた。否やを問うたと言うより、竜花がどう返答するかに興味を持たれたんだ。で、訊かれた竜花はこう言った。『随分と剛毅、否、奇特なお話だ。貴国は自ら王宮に鳳の間者を招くと仰るか』とね」
「はあ!?」
竜花の口調を真似た皇翼に、総英は思わず訊き返してしまった。
慌てて言い直す。
「ええと、そりゃどういう意味です?」
「使者もそう訊いたよ。笑顔でね。対して竜花は『もし我が国と貴国が不幸にも戦端を開く事態になったなら、私は真っ先に夫である王子とその父王の首級を取るだろう。それが叶わぬ時は、貴国の反王派を糾合し、鳳と呼応して貴国を打ち滅ぼすだろう』と言ったんだ」
絶句した。
二の句が継げぬとはこの事だ。
「使者も流石に顔色を変えてね。姫は外交というものを何と心得ておられるか、と一喝した。それに竜花は平然と『所詮国同士の政略結婚とはそういったもの』と返したんだ」
その時の使者の表情が目に浮かぶ様だ。
「妻だ妃だと言ったとて、人質には違いない。私は鳳に剣を誓った。鳳に剣を捧げると決めた。政略結婚は信頼と同盟と言うが、それはいざ戦となれば跡形も無くなる脆いもの。剣に生きると決めた我が身、首級を挙げずして、如何して他国の王妃として生きられようか」
否、生きられる筈がない。
反語で力強く演説した竜花に、使者はすぐさま降伏したという。
「この話が諸国の王室に密かに広まったお蔭で、竜花が他国の妃になる可能性が完全に断たれる事になったんだ。父上もお転婆にも程があると言って、流石に渋い顔をしておられたよ。使者に謝罪の品を送ったりもしたな」
吹聴するにはかなり勇気が要る話である。
王室だけに密かに広まったのは、鳳の王家を憚ってくれたに違いない。
「お転婆って次元ですか……」
過激だよねえ、と矢張りのんびりと言う皇翼にすれば、竜花の頑なな態度は渡りに船だった訳だ。
図らずも総英が口にした様に、他に勇猛果敢な勇者は国内にいなかったのだから、恋敵の存在に煩悶する事も無かったのである。
「じゃ、初恋は一目惚れで? 王妃にと思ったのは昨夜でも、前から惚れてた訳でしょう」
皇翼は軽く首を傾げた。
「一目惚れではないよ。初めて竜花を見た時、僕は恐ろしくて震えるばかりだったからね」
「へえ?」
「気付いたら好きになっていたんだ。何処が好きかなんて訊かないで欲しいな。僕は、竜花が竜花であるから好きになったんだからね」
臆面も無く言い切る国王だが、言う相手が違うだろうと総英は思った。
「その、大将が大将であるってのですがね。常々思ってたんですが、どうして大将は、あらゆる分野で頂点を目指すと言うか、会得しようとすると言うか……。向上心にしても高過ぎる。自省と克己心の塊だ。どうしてそこまで極めようとするんですかね?」
総英にしては言葉を選んだ問いだった。
人は、竜花に奇跡を見る。
類稀なる美貌と明晰な頭脳。
世に鳴り響く武芸の冴え。
かつて天が始天皇の下へ鳳凰を遣わした様に、鳳に遣わされた守り神だと噂する。
けれど、総英も知っている。
遅くまで消えぬ鷹隼宮の灯火の下で、竜花が何をしているか。
宵闇の中で毎日欠かされぬ練武が、どれだけ竜花を鍛えているか。
天稟に驕るどころかまだ足りぬと、何処まで己を厳しく戒めているか。
仕えて六年。
天賦の才だけでは成し得ぬ奇跡を、総英は傍で見続けてきたのだ。
「そうだね……。竜花は常に問うているんだと思うよ。何故、自分がここに在るのかを」
昔、自分に問うた様に。
己に許された、恵まれた、豊かな生活と、己に傅く者達の慎ましい、或いは貧しい生活。
富貴と貧困。
目に見える壁と、見えぬ格差。
「その答えに忠実であろうとして、高みを目指す。与えられた責務としてね」
「にしても、些か度が過ぎちゃいませんかね」
総英にはどうしても納得出来なかった。
確かに、王家の血を引く者としての責任感から国に尽くそうという、その姿勢は理解出来る。
だが、今、自分が口にした様に、竜花の奉仕精神は過剰な様に思えるのだ。
貴族の義務を疎かにし、民を奴隷の如く扱う愚かな輩よりは立派であるに決まっているが、総英には竜花の献身が、自己犠牲に思えてならなかった。
「……流石に、長年仕えた副将だけあるなあ」
どんなに不真面目な態度でも、総英の事態の本質を見抜く目は本物だ。
さもなくば、竜花の副将を務める事は不可能である。
先王の最後の人事――鸞総英を鷹竜花の右腕に、との命に隠された意味を、どれだけの者が知っているだろう。
託された願いは、今も尚生きている。
「……ここから先は僕の推測なのだけれど」
皇翼は思う。
竜花の身を削る様な忠誠の理由を。
彼女をそこまで駆り立てるのは何なのかを。
そして問う。
今の鳳は、彼女の愛国心に見合うだけの価値があるだろうかと。
自分が治めるこの国は、それほど素晴らしい国だろうかと。
せめて、竜花が自由に羽ばたける世界であるようにと、思うのだけれど。
竜花が鳳の安寧を望むから、叶えたいと思うのだけれど。
初めて会ってから十五年。
竜花に手を引かれて歩んだ軌跡は、鳳そのもの。
民の幸福を願う竜花の理想に、今の鳳は近付いただろうか。
「恐らく、全ては、竜花が自分を誕生してはならなかった、生まれるべきではなかった者だと考えている事にあると思うんだ」
「ちょ、一寸待って下さいよ!?」
今日は散々驚かされてきたが、不可解さではこれは極めつきである。
「冗談でしょう!? 大将が無用な人間なら、鳳の大半の奴等が、天を仰いで咽喉を突かなきゃなりませんよ。一体どういう思考回路なら、そんな馬鹿な話になるんですか!」
「全く以て、僕もその意見に同感だな。……竜花と叔父上の不仲は知っているだろう?」
問われて、総英は顔を顰めた。
六年仕えた総英にも、翅元と会った回数は片手で数える程しかなく、しかも全てが不愉快な出来事として胸に重く澱んでいるのだ。
鷹家関係者の一致した見解に依れば、二人の間に横たわるのは、溝ではなく氷河だという。
しかもその氷河は、底無しに深いときているのだから、救われぬ。
「不仲の理由を竜花は教えてくれないけれど、暗殺未遂が余りに頻繁となると、捨て置けない」
総英は茶を噴き出しかけた。
「あ、暗殺未遂って……」
「執念深いよ。少なくとも、年に二回の頻度で、叔父上は刺客を放っているからね。毒に、練兵中の誤殺に、事故に……。双子が未然に防ぐか、直接の実力行使は、竜花が撃退して事無きを得ているのだけれど。普通、親子の確執で、そこまで偏執的に娘の命を奪おうとするものかな」
有り得ない。
総英はごくりと唾を呑んだ。
「大将はその事を……」
「勿論知っているよ。取り押さえた刺客を引き渡してくれた事もあるからね。大体は失敗したその場で自決してしまうから、証拠が中々揃わないのだけれど。叔父上の処刑には竜花が首を縦に振らないんだ。身内の不始末は、自分で片を付けるからと言ってね」
恐らくそれだけではないだろう。
明るみに出た場合、事は鷹家の御家騒動だけに治まらぬ。
竜花は国王の腹心中の腹心であり、羽林の将軍という要職をも務める鳳の重要人物なのだ。
下手をすれば、翅元は謀叛の罪に問われかねず、それは鷹一族の滅亡を意味する。
最も信頼する竜花の醜聞に、皇翼の王権基盤は揺らぎ、民にも大きな衝撃が走るだろう。
対応を誤れば、鳳の根幹が覆される事になりかねぬ。
竜花はそれを懸念しているに違いなかった。
「……父親に疎まれているから、生まれなかった方がいいって事ですか?」
「そうじゃないよ。竜花も、叔父上を蛇蝎の如く忌み嫌っているからおあいこさ。問題は多分、叔母上にあるんだ」
自分が生まれる前に亡くなった叔母の事を、皇翼は鷹家所蔵の肖像画でしか知らぬ。
他に、鷹家に残る幾つかの話が全てと言っていい。
「大将の母君ですか……」
「お名前を、竜姝と仰ってね」
画の作成時期は、竜姝が鳳に来た直後と伝わる。
心を病む前の、今の竜花を少し幼くした様な瞳に、確かに輝く理知の光と、霞む様に儚い寂しげな微笑が、丹念な筆致で描かれていた。
「とても美しい方だったそうだよ。竜花は間違いなく母親似だね。竜花よりも、もっと濃い紫水晶の様な瞳がとても神秘的で、絵の中に吸い込まれる様な気がしたな」
絵の竜姝は、竜花の妹でも通用しそうな程良く似ていた。ただ、竜花が覇気と活力に溢れた陽性の煌めきであるのに対して、竜姝は押し殺しても滲む悲嘆と絶望の暗褐色の羽衣を纏っていた。
砂漠に生きる民の不羈の強さは欠片も無く、只管悲哀に押し包まれる風だった。
右も左も分からぬ異国での心細さと言うには、余りに深い悲嘆。
叔母が、どの様な経緯で翅元の妻になったのかさえ、皇翼は知らぬ。ただ、それが双方の同意に基づいたものでない事だけは明白だった。
三年間拘束され、手鎖さえされた砂漠の姫。
逃亡の恐れが無いのなら、一体何処にそんな必要があったというのか。
「僕が生まれる前に亡くなった方だ。竜花は、本邸で叔母上の世話をした侍女に、少しだけ話を聞いた事があるそうだよ。お心を彼岸に飛ばされる前の短い間の事だそうで、とても不思議な方だったとしか、僕は教えてもらえていないのだけれどね。お互い、母親の縁が薄いなと竜花は笑って言ったけれど……」
皇翼の母が他界したのは、賢武王崩御の三月後。
訃報に衝撃を受け、皇翼の即位を見届けた後、夫の後を追う様に亡くなった。
賢武王は他に子を儲けず、直系は皇翼のみである。
「……大将を生んだ事が原因で、病が悪化したと聞いてます。もしかして、大将は、自分の所為で母君が死んだと思ってるんですかね?」
「……どうかな。理由の一つではあるかもしれないけれど、叔父上との事も含めて、竜花は肉親について絶対に口を割らないんだよ」
「まあ、非常に繊細な問題ではありますがね」
美しく、華麗。
地上の栄誉を一身に集める竜花の、隠された心の影。
総英は唇を噛んだ。
もし、それが向上心の原動力となっているのであれば、それは余りに悲しい。
「……俺にそこまで話された魂胆は何です?」
「魂胆は酷いな」
「他に適当な言葉を思い付けなかったもんで」
「……全く、何故君を不敬罪で極刑にしないのか、僕は時々自分の寛容さに呆れるんだよ」
それでも黒檀の様に深い眼差しが、ひたと、信頼する臣に据えられる。
「竜花を護って欲しい。今回は切っ掛けに過ぎない。周囲が思っている以上に、竜花はとても不安定なんだ。国王にすら遠慮せず物を言える君なら、きっと竜花を護れる筈だから」
「……謹んで承りましょう」
軽い調子を崩さず、総英は答えた。
総英にとってそれは余りに当然であり、同時に、皇翼の率直さはとても心地好く思えたのである。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
天に刃向かう月
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