花選びの章12 強か者
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花選びの章12 強か者
皇翼は、本気とも冗談とも付かぬ苦笑を漏らした。
「うーん。あの子達と仲の良い女官は多いから、一寸怖いなあ。でも僕は、竜花に言われた事を実践しただけなんだけれどね」
「何です、それは」
「訊かれたんだよ、ずっと昔に」
皇翼は、記憶を手繰る様に目を細めた。
物心ついてから今まで、皇翼の過去は、全て竜花が占めていると言っても過言ではない。
六歳で落第した命題は、今も為政者として己はどう在るべきかを問う、大切な指針となっている。
「総英、君ならどう答える? 何故、今の自分が在るのかと訊ねられたなら。恵まれた環境、豊かな生活が、何故自分には与えられ、城下の民には許されていないのかと訊かれたら」
「それが許される地位だからです」
「その通りだ。では更に訊こう。何故君の地位に、それが許されているのか」
「そんなの決まってるじゃありませんか」
答えかけ、成程、と頷く。
「確かにそれは、甘やかされて育った我儘姫や、富と権力だけを望んだ成り上がり娘には、答えられない問いですね。恐らく姫君達は、問いの意図すら理解出来ていないでしょうよ」
「この問いに答えられる者こそが王妃だと、竜花は言った。けれど、僕が知る限り、答えられた者は竜花しかいないんだ」
「正解者がいたなら、俺ですらその姫を支持したでしょうねぇ。裏賭けでも大損ですが」
「なんだい? その裏賭けって」
最後の呟きに、王は耳聡く反応した。
花賭けなら講義を受けたが、裏賭けとは初耳である。
「そりゃそうですよ。大将だって知らないんですから。と、言うより、大将の耳に入ってたら大事です。こいつは、大将にだけは知られない様に賭けられてたんですからねぇ」
「……長い前置きで何となく察しがつくね」
「こいつは失礼。でも、お察しの通りですよ。花姫五人での王妃予想が花賭けなら、裏賭けはその別枠。候補以外で誰が王妃に相応しいか、庶民が洒落で始めたお遊びなんですがね、これの大将の人気がぶっちぎりでして」
「対抗馬は?」
「選に洩れた姫が数人。でも対抗馬にすらならなくて、賭け率は大穴同然だったんですが」
「竜花から入手した下々の話によると、人気の馬は賭け率が低いものなんだろう? 一番人気じゃ然程儲からないんじゃないのかな」
一体この二人は毎晩何を話していたんだろうと呆れつつ、それでも総英は答えてやった。
「その通りですが、大将は鳳の戦乙女、人気絶大の公主様ですよ? なのに花姫の選に洩れたってんで、賭けの胴元とは別に、もし万一天変地異でも起こったりして大将が王妃になったら御祝儀くれてやらぁ、ってな太っ腹且つ奇特今回は哀れ、な御仁が多数出たんですよ。で、泡銭を手にした奴等がごろごろと」
その一人の総英が平然とぬかす。
「花選び」が始まってしまえば構わないだろうと先程竜花に話しかけたが、昨夜までの時点であれば、例え深夜であろうとも胴元を調べ上げて賭けを中止させかねなかっただろう事は、あの竜花の剣幕からして容易に想像出来る。
知っていたら僕も竜花に賭けたのに、でもそれって不正かなぁ、と呟く君主に訊ねたのは、先程の老臣達との遣り取りを聞いて、総英の悪戯心が刺激されたからかも知れぬ。
「しかし、随分思い切りましたねぇ。あんな劇的求婚されちゃ、大将だって動顚しますよ」
と、言うより、怒髪天を衝く、だったかもしれぬが、深く追求しないのが武士の情けである。
「そんなに思い切った事かな。僕としては当然の成り行きなのだけれど。まあ、根回しの時間が無かったから、周囲には青天の霹靂になってしまった。そう言う意味では劇的だね」
と、のんびり感想を述べる皇翼。
「それ、それですよ。昨夜思い立った事なんでしょう? どういう事態になるかは承知の上で、それでも意地……じゃなかった、想いを貫こうとする程、惚れてるって訳ですか?」
今、四阿の卓に着いているのは皇翼のみ。最愛の姫の副将は、しなやかな体を持て余す様にして、四阿の庇の外に控えている。
端から見れば、恋情に悩む君主を支える忠実な護衛か、或いは、恐れ多くも、弟の様に見守る王に諫言する年長者の図だが、正面に回って表情を見れば、好奇心と無責任な傍観者の野次馬根性が、力強く握手をしている様が分かるだろう。
その総英に椅子を勧めてから、皇翼は口を開いた。
「随分な言われ様だけれど、誰も鋼の理性は褒めてくれないのだよね」
臣下に椅子を勧める王も珍しければ、恐縮すらせず同席する臣下も臣下である。
だが、他に人が居なければ、これが彼等の常なのだ。
「と、仰いますと?」
「君ならどうする? 意中の人が、毎晩全くの無警戒で寝所を訪れては、薄い夜着姿で寝台の上で長時間寛いでくれるんだよ。しかも隣に侍従が控えているとは言え、一応二人きり」
総英は心底同情した。
正に鉄の理性である。
「……この際だからお尋ねしますが――押し倒そうとは思わなかったんですか?」
王は穏やかに笑んだが、目が笑っていない。
「君の辞書に、不敬罪という言葉は無いのかな」
「俺の辞書は、便利な書き換え機能付きでして」
不敬罪でならば、恐らく百回は首が飛んでいる筈の総英である。
「竜花が据え膳に見えるのなら、その瞳はきっと曇った硝子玉で出来ているのだろうね。僕としても、想いを遂げられなかった挙句、手足と歯を折られて、翌朝痣だらけで朝議に出る羽目になるのは遠慮したい。そうなったら竜花は二度と王宮に足を踏み入れなくなるよ」
「それで済めば結構ですが」
「僕が欲しいのは竜花の心であって、体じゃない。――勿論体も欲しいけれど」
率直な答えに、汚れ切った総英はぽりぽりと首の辺りを掻いた。
世俗の垢がぼろぼろと落ちる気がして、慌てて手を下ろす。
「つまり、本気で惚れてる訳ですか」
一世一代の大告白だったのに、正気を疑われたのでは浮かばれぬ。
「なら、態々『花選び』の日を選ばなくとも、素直に求婚すれば、こんな大騒ぎにもならず、大将も大噴火しなかったんじゃないですかね」
「逆に訊こう。僕が素直に結婚を申し込んだら、竜花はどうすると思う?」
「……あらゆる手段を講じて諦めさせますね」
竜花の怒り狂い様を思い出し、総英は改めて皇翼が気の毒になってきた。
自分があそこまで拒否されたら、恋の駆け引きだの鞘当てだのを愉しむ余裕は欠片も無い。
眼中に無いと公の場で振られたも同然。正に玉砕である。
「そうだろう? でも『花選び』ではそう簡単には断れない。儀式だし、推挙されてはいても、予め花姫は立候補した者という建前がある。立候補しておいて、いざ選ばれたらやっぱやーめた、は通らない。王に恥を掻かせる事になるからね。断るには万人が納得する理由が必要になる。では、ここで訊こう。竜花が僕の求婚を断る、万人が納得する理由は?」
「……ありませんね」
竜花が齎した庶民の口調に嘆息しつつ、総英は素直に納得した。
身分家柄の差は問題外。国内で、これ以上相応の姫は存在しない。
歳の差も一つ違いでは話にならぬ。関係も、民に知らぬ者はおらぬ程の親密さ。
悪癖性癖不行状等の醜聞も、内政軍事両面で、父親の悪評が霞むばかりの功労者である。
人望の有無も有り得ない。一兵卒に至るまで、民の心をがっちり鷲摑んでいる竜花なのだ。
つまり、自分に非があるという理由では、竜花は断れないのである。
市井なら男の欠点を論えるが、国王が相手ではそれも不可能――と、ここまで考えて、何故竜花があれ程怒り狂ったか、総英は思い至った。
公衆の面前での求婚劇。事態の重要性に加えて、ここまで劇的では、あっと言う間に話が広まるのは目に見えている。
竜花は、己が、民に圧倒的に支持されている事を知っている。
政治的思惑の無い民ならば、国王と鷹公主との婚姻を、好意的どころか諸手を挙げて歓迎するに決まっているのだ。
つまり皇翼は、花選びの舞台に観客でしかなかった竜花を無理矢理引き上げる事で世論を味方につけ、何が何でも断れぬ状況を作り上げたのである。
総英が気付いたぐらいだ、聡い竜花が従弟の意図に至らぬ筈はない。
竜花は、この老獪な遣り口に激怒したのだ。
逆に言えば、皇翼はそこまで考えて勝負に出たのである。
復活したとは言え、一度驚愕で脳内を漂白されてしまった重臣達に、太刀打ち出来る筈がなかったのだ。
表情で総英の思考を読んだ皇翼は、悠然と指を組んだ。
後世に名高い、名賢王の姿である。
「ですが、大将は花姫じゃなかったんですよ」
「そう。だからこそ花を捧げ、花姫にする必要があったんだよ。只の求婚では電光石火の速さで断られるし、重臣達も納得しない」
「でも花姫は建前上、王の求婚を断れないし、二週間の猶予を得る事が出来る。稼いだ時間で頭の固い重臣達を説得し、外堀埋めて本丸を攻撃しようって訳ですか……」
流石の総英も舌を巻いた。
竜花が皇翼を強かだと評した意味が、やっと解った。
「ふふふ。急な割に巧く運んだろう? 流石の竜花も、噂の膾炙までは制御出来ないからね」
前言撤回、と総英は思った。
この恐ろしいまでの計算高さ。気の毒になった自分が阿呆らしい。
確かに、報われぬ懸想だったかも知れぬ。だがその不利を、皇翼は状況を最大限に利用する事で、見事に退けてしまった。
今や世論は完全に皇翼の味方なのだ。
後は反対派の重臣達を掌握し、水も漏らさぬ包囲網で鉄壁の牙城に迫るだけである。
だけとは言え、これが一番の難関だが、先の理由から竜花は王の求婚を断れぬ。陥落も、時間の問題と言えよう。
極端な話、竜花の意思は無視しても、二人の婚姻は進められるのだ。
皇翼には王命という切り札がある。
それでも同意を望むのは、偏に皇翼が竜花を想っての事と――。
「身分を楯に想いを遂げるというのは情け無い。男の沽券にも係わるしね」
だ、そうである。
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
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