花選びの章10 暴君の非道
手直しの際、9 白百合の瑕疵 と分割しております。
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花選びの章10 暴君の非道
鳳国十一州の内、首都州凰を始めとする天領は六、対して貴族の所領である残り五州を地領といい、中でも、肥沃な琉東平原が広がる南部鷹州を統べる名家が、鷹家であった。
鳳で消費される穀物の七割が琉東の収穫で賄われ、豊穣な実りは近隣へ輸出、更に鳳を潤わせる。
琉東が肥えた一因、かつて度々氾濫を起こした貴龍江は、現在では工部省の指導下で良く治められているが、治水は沿岸州の重要な責務の一つであり、また、対岸の未開の大地は、幾つかの部族が常に覇権を争う戦乱の地。
同盟、或いは富を求め貴龍を渡る隣人の監視も同様である。
鷹州は国の穀物庫としても外交軍事の面でも、手抜かりがあってはならぬ要衝なのだ。
そこに現れた最悪の領主が、翅元であった。
正史には詳細が無いが、鷹州州都翔安の鷹家本邸に居を移した直後から、翅元は度を越した遊興に耽ったと言う。
王子時代からの取り巻き達と、文字通りの酒池肉林を繰り広げ、翔安の賭場や遊郭にも足繁く通った。
頻繁に邸内でも賭場を開帳し、挙句の果てに阿片にまで手を出した。
密輸密売人達を組織し、城下に毒を撒き散らしたのだ。
愚連隊と化した取り巻き達とその私兵は、翔安を我が物顔で闊歩し、暴行強盗は日常茶飯事という治安の悪化を齎した。
州政府、州軍の上部にまで毒は染み渡り、汚職と賄賂が蔓延した。
これ等の悪行に、鷹家の財は惜し気も無く振る舞われ、先代の頃、五年の戦乱にも耐えるとまで言われた身代が、僅か半年で傾き切ったと言うのだから凄まじい。
それでも完全な倒壊寸前で踏み止まれていたのは、代々鷹家に仕える家宰達の奮闘あったればこそである。
だが、彼等の諫言と努力は、新当主に一切の感銘を与えなかった。
当主襲名から一年後、翅元十八の時。
翔安の玄人女に飽きた翅元は、愚連隊に近隣の町や村から年頃の娘達を強奪させると言う暴挙を開始。
一度に十人前後を攫って来ると、本邸で取り巻き連中共々嬲り者にし、数ヵ月後廃人同様になった娘達を放り出すと、また次の犠牲者を求める蛮行を続けたのだ。
翅元のこの「人狩り」被害を州政府に訴えた村もあったが、横行する賄賂に風紀の乱れ切った役人と翅元の息のかかった州軍幹部が動く事は無く、民は泣き寝入りを余儀なくされた。
だが、それでも寿鳳宮は動かなかった。
無論、これには理由がある。
鳳の制度に於いて、天領には王の代行者たる太守が、地領には領主の施政を監察する州刺史が遣わされる。
天智王は鷹州の州刺史に、長年の腹心であった鴟英水を任命した。
英水は、天智王の乳兄弟として共に育ち、宮廷でも戦場でも側近くに仕え、忌憚の無い意見と保身の無い諫言を以て、良き相談役の任を勤めてきた功臣である。
公私に亘る王との親密な関係が、政の障害になってはならぬと、一切の官職を固辞し、逆に身軽な立場を利用し、王の耳目となって、各地の情勢を王宮に届けてきた。
良く言えば小柄、悪く言えば貧相な小男でしかない外見で、内の鋼の忠誠を隠し、どんな些細な事柄でも、根気良く拾い上げ調べ尽くす忍耐力、各地を渡り歩いて培った的確な判断力は、正に州刺史に相応しいものだった。
歳若き領主の目付け役として父王が送り込んだこの州刺史を、翅元は何と、翔安到着直後から本邸に軟禁、偽の報告書を王宮に送り続けていたのである。
監禁は凡そ四年に及び、その間、英水は、不自由な生活の中で手に入る情報全てを、来る時の為に記憶していたという。
監視の目が厳しく、文字に残す事が出来なかったのだ。
更に翅元は、州境に関所を設け州兵を派遣、人の出入りを厳しく取り締まった。
物資の流通には寛容を示した為、隔たれた王宮に鷹州の実情が届く事はなかった。
鷹州の暴君は更に苛政を敷き、改める事を知らなかった。
鳳が定める租税は、全州二割。天領ではこの二割がそのまま国に、地領では、国と領主に一割ずつ振り分けられる。
翅元は、この税率を五割に引き上げた。
如何に豊かな鷹州でも、これでは民の生活が立ち行かぬ。
だが、翅元は、引き下げの陳情に訪れた名主達を騒乱罪で投獄し、抵抗する余力さえも奪おうと、更に六割に増税した。
琉東に枯れ木が目立ち始め、家畜も徐々に痩せ衰えてゆき、遂に我慢の限界に達した民が各地で武装蜂起すると、翅元は鎮圧に州軍を派遣。
一人でも暴動に加担した者のいる村を残らず焼き払った。
この処置に多くの民が怯え沈黙したが、抵抗の志を持つ者が絶える事は決してなかった。
小規模な反乱が頻発し、それに嫌気の差した翅元は、公金の横領犯を仕立て、それに全ての罪を擦り付けた。
この哀れな犠牲者として白羽の矢が立ったのは、それまで諦めず新当主に諫言を続けてきた鷹家家宰、雉世凱であった。
反乱軍への見せしめの為、世凱の一族郎党全てが投獄、処刑された。捕縛の手を逃れたのは極僅かであったと言う。
その一人が世凱の妹夫婦の息子で、この甥は、処刑前夜世凱が投獄されている牢に侵入、伯父の救出を試みた。
だが、勇敢な甥の脱出の勧めに、世凱は首を横に振った。
この時の会話は、世凱一族に同情的だった牢番が、断片ながら書き残している。
「逃げるは容易い。だが逃げれば、怠慢の咎で牢番が、私が過ぎただけで、各地の村は脱獄囚隠匿の罪で焼かれ、無辜の民が虐殺されるだろう。それが分かっていて逃げる事は出来ぬ」
必死の説得も世凱を翻意させる事は出来ず、妹夫婦も兄と運命を共にする覚悟を決めた。
「女子が生きるは茨の道。なれど、姿を変え名を変えれば、まだ落ち延びられよう。生命を生み、育む力のある者は生き延びねばならぬ」
この言葉と共に託された妹と遠縁の娘を護って、二十一歳の甥は国外に脱出したという。
翌日執行された刑は、酸鼻を極めたと州史にはある。
一族の大半は斬首され、貴龍の河原で曝し首となった。
死体は打ち捨てられ、鳥葬された。
将来の禍根を断つとの理由で、男子は何処までも追捕され、赤子でも容赦は無かった。
甥が脱出出来たのは奇跡に近い。
捕らえられた赤子は生きたまま野犬に食い殺され、或いは、母子諸共火刑に処せられた。
翅元は、
「共に炎で浄化してやる。せめてもの慈悲だ」
と、冷然と言い放ったと伝わる。
世凱の近親者は更に無残だった。
世凱の息子は車裂き。娘は逆さ磔。妹は釜茹で。その夫は吊るされた上で、膾切りにされた。
全員の処刑は世凱の目の前で行われ、世凱は血の涙を流して苦悶したと言う。
最後に腰斬刑に処せられる前の世凱の言葉が伝わっている。
「私は信じている。天が非道を裁く日が、必ず来る事を。私達の死が報われる時が近い事を」
その最期の言葉通り、約一月後、漸く寿鳳宮が動いた。
鷹州から必死の脱出を果たした甥が、国を離れる前、執拗な追捕を振り切って届けた、一通の書が切っ掛けだった。
捕らわれの英水から世凱へ、そして甥へ。
託された、鷹州の荒廃を伝える、生命の書簡であった。
王宮からの再三の召還命令を、翅元は悉く無視した。
それが四度、五度と続き、遂に痺れを切らした父王が、禁軍を伴った特使派遣に踏み切る寸前、何と翅元は、掻き集めた財を手に、腹心達と国外へ逃亡した。
これにより、四年に亘る悪政から解放された民の歓喜の声は、遠く、隣の天領鵷州州都海陽まで轟いたと言う。
この時、汀蓉が三十七歳の若さで頓死している。
暴君翅元を育てたとして民に恨まれていた汀蓉は、死の前日まで不調を訴える事は無かったにも拘らず、翌朝冷たくなっているのが発見された。
翅元逃亡から然程日を置かずしての変死に流れた死神の噂は、聞いた者を、一笑後、薄気味悪そうに黙らせるのに十分な説得力があったと言う。
確証は無い。
だが、鷹家に不幸が相次がなくば、翅元に道が開けなかった事は確かであり、先代の死も余りに都合が良過ぎた。
溺愛する息子の為に、汀蓉が裏で糸を引いていたのだと主張するのは、全てを翅元の陰謀とするに否定的な者の意見である。
更には、汀蓉翅元母子の共謀説もある。
これによると、鷹州放逐によって利用価値の無くなった汀蓉を、翅元が始末したのだとされる……。
英水も解放され、世凱一族の名誉も回復された。
民は直ぐにも追捕の軍が組織されると考えたが、この期待は裏切られた。
どれ程調べても、翅元が数々の悪事に関わっていた証拠を発見出来なかったのである。
英水の記憶は本邸内に限定され、州政府、州軍幹部の証言も大した役には立たなかった。
罪を問われたのは、蜥蜴の尻尾切り宜しく仕立てられた取り巻きの数名と、城下を牛耳っていた愚連隊の幹部達だけであった。
翅元の罪は連続婦女暴行、監禁と、部下の管理不行届きのみ。
しかも「人狩り」の犠牲者達は多くが正気を失い、証言能力を有していなかったのである。
民は落胆し憤慨したが、何時までも憤ってはいられなかった。
鷹州の暗雲は晴れ、臨時に州府の長となった英水の下、再建に向けて全ての膿を出し、新たな生活を始めなければならなかった。
能吏が次々と送り込まれ、北からの清冽な風が鷹州を生き返らせつつあった。
鷹州の難に大層心を痛めた王太子も頻繁に慰問に訪れ、民は生色を取り戻していった。
英水の指導の下、瞬く間に復興の道筋は整い、万を超えるとも言われる失われた生命を偲ぶにも、涙だけではなくなった。
荒れた琉東に緑が戻り、家畜は多くの仔を生むようになった。
そんな鷹州に翅元が舞い戻ったのは、八年後。
民が漸く笑顔を取り戻した頃であった。
鳳を離れていた八年間、翅元が何処で何をしていたのか、語る者はいない。
何れにせよ、正道と心の安寧とは縁遠いものであったろう事は、容易に想像出来る。
二年前に即位した耀岳から、州府長官英水への、鷹州に於ける統治権の移譲と引き換えに一切の赦免を得た翅元は、揚々と翔安の地を踏んだのである。
この時、翅元は、明らかに異国の姫と分かる若い娘を伴っている。
正式な妻としたこの娘を、翅元は夜も昼も手放さなかったと言うが、妻を心から愛していたとは到底思えぬ。
翅元は妻を邸内に監禁、庭に出る時は手鎖をさせたのである。
この事からも、密室で異国の姫にどの様な非道が加えられたかは想像に難くない。
そうして生まれたのが、後に鳳の至宝、白百合の戦乙女と讃えられる鷹竜花であった。
鳳国正史、鷹家史伝ともに、竜花の母についての記述は「砂漠の民の姫」のみである。
竜花の絢爛たる活躍を思えば、信じられぬ乏しさであろう。
滑らかな象牙色の肌に、黒洞々たる漆の如き髪、神秘を封じた紫水晶の瞳の持ち主と伝わるこの姫は、三年に及ぶ監禁生活で心を病み、出産が心身に強いた負担で病状を悪化させ、竜花出産後、半年で狂死している。
現在、翅元は、鷹州内の私邸に移っている。
竜花、皇翼共に監視の目を怠らず、逐一手の者に報告させているが、監視網を擦り抜けて、様々な悪事に手を染めている節がある。
来る日の為に、密かに証拠を集めている皇翼だが、竜花の立場上、性急に事を運ぶ事は出来なかった。
血で濡れた様な褐色の瞳に鳥嘴薄舌な叔父の人相を思い出し、表情を曇らせた皇翼に、矢張り、その悪行を思い返し、困惑と憤激を等分に混ぜた顔で、重臣の一人が身を乗り出した。
「御承知の陛下に敢えて申し上げます。あの様な方を国舅にする訳には参りません!」
「うん。僕もそう思う」
歳に相応しい口調に戻って、皇翼は言った。
「でも、その点に関しては心配無用だろう。鷹家の親子仲の悪さは、周知の事実。竜花が王妃になった暁には、粛清表の筆頭に名を記されるのは、間違いなく叔父上だろうからね」
「それは確かに……」
理由は不明ながら、翅元は竜花に一片の肉親の愛情も抱いておらず、そればかりか、事ある毎に竜花失脚の策を巡らせ、公には出来ぬ事ながら、度々刺客さえ放っている節もある。
竜花の方も、あんな男の血が半分でも流れているかと思うとぞっとする、悍しさに吐き気すら覚える、叶う事なら全身を切り裂いて血管を聖水で洗い清めてしまいたいくらいだ、と公言して憚らぬのだから徹底している。
翅元が私邸に居を移したのは妻の死の直後だが、既にその頃から、言葉も話せぬ嬰児と父親の仲は断絶していた、との周囲の証言がある。
「それに僕も、恩赦の今一度の吟味も考えているんだ。証拠不十分で不問に付された罪もあるけれど、そんなものはどうにでもなるし」
これには家臣一同仰け反った。
皇翼は竜花を王妃にする為なら、叔父を陥れる証拠の捏造も辞さずと発言したのだ。
「陛下! それはなりません! それだけはお止め下さい! それは統治者が決してしてはならぬ事。国の根幹が揺らぎましょう!」
藍悦が必死で食い下がった。
如何に翅元が悪辣で、限り無く暗黒に近い灰色だとしても、巨悪を罰するに他に手が無いとしても、法を作る者が法を犯してはならぬ。
何より為政者には許されぬ。
王を罰するものは王自身の良心のみであり、王が偽善に踏み込んだ時、咎める者の無い世界は、瞬く間に腐ってゆくのだ。
「分かっている。だから、なるべく後の手段だ」
最後の手段でない処が恐ろしい。
しかも、普段なら諫言役である竜花が原因の為、この件で皇翼の猛進を阻める者がいないのだ。
重臣一同は、戦術の転換を迫られる羽目になった。
竜花の唯一の瑕疵を攻めるなら、こちらにも考えがあると開き直った国王の前で、ちらちらと無数の視線が交錯する。
無言の軍議の末、陽達が再攻撃を試みる事となった。
「しかしですな、陛下。この様な重大事を、周囲に諮らずに公表されては困りますな」
王の結婚は私事ではない。歴とした公事である。
国を挙げての一大公式行事は、周辺諸国の王族も招く国際行事でもあるのだ。
それに先立つ「花選び」も数ヶ月をかけて花姫を選定し、触れを出し、簡素ではあるが周到な計画の結実なのである。
それを花一輪で無にした王に、常識論で抗したのだが、皇翼はにっこりと笑んで、だって、と宣った。
「こういう事は秘めておくものだろう?」
「こういう、と仰いますと?」
「初恋」
初々しく頰を染めた王に、家臣一同絶句する。
しかし、数十年前の甘酸っぱい思い出が去来するより早く、過酷な現実が蘇った。
「秘めて、と仰られましたが、竜花様を王妃にとは、何時頃からの御心積もりでございましたのか、参考までに教えて頂けましょうか」
何とか体勢を立て直した藍悦が、鬚を扱きつつ問う。
この絡め手も、皇翼には通じなかった。
「何の参考になるんだい?」
「謀は密なるを以て良しとす、とは申しますが、ここまで見事に我等に隠し通された御手腕は、味方を欺く良い手本でございます」
「微かな怒りは気の所為かな。何時と言われても……今から二、否、三刻くらい前かな」
「……三刻、でございますか。三月ではなく」
「うん。だって、昨夜思い付いた事だからね」
最早老人には付いていけぬ。
顎を落とした老臣達に、皇翼は反撃に打って出た。
「それに竜花は、鶤姫の美貌、鶯姫の教養、鷺姫親族の政治感覚、鵺姫の活力、鵲姫の知識……姫君達の美点を上回るだけではなく、王妃として、本来は絶対に必要だが重要視されていないもの、けれど、国を治める上でなくてはならぬもの、を、持っている」
「それは何です!」
半ば自棄糞の陽達に、王はきっぱりと答えた。
「王の愛」
頰を染めて初恋と言ったその口で、ぬけぬけと言う。
為政者の威厳と若者の率直さを使い分ける事で、一同から言葉を奪った青年王は、再び声音に覇者の威厳を込めて宣言した。
「私は、鷹竜花を王妃に望む。他の姫に王妃の称号と宝冠を与えるつもりは微塵も無い。ついては、我が白百合姫の勘気を解き、結婚を承諾させる妙案のある者は、遠慮無く奏上せよ」
竜花が天上の楽の如き音で花も酔わせる美声なら、皇翼の質は威だろう。
後に、満ちる威厳だけで聞く者全てを拝跪させたという声音の、片鱗を窺わせる口調で厳かになされた宣言に、最早抗せる者はいなかったのである。
・鳥嘴薄舌:鳥のくちばしの様な口と、薄い舌。悪人の人相。(小学館 新選漢和辞典 第五版)
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
星を掴む花
天に刃向かう月
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