63。初恋を自覚するモブ
今回は、主人公達のデートの話です。
タイトル通り、初恋を自覚します。
「…怜怜。何だか君とは、何年かぶりに再会したような気がするよ。」
「…そうですね。わたくしも、愁愁とは久しぶりにお会いした気分ですわ…。」
怜銘が仮死状態から目が覚め、5日ほど経過している。その間は2人共に、王宮と後宮で缶詰状態となっており、久方ぶりだと言われればその通りだ。改めてこうして再会すれば、もう何年も前から会っていないような、不思議な感覚がする。それはきっと、彼女の彼に対する記憶がほぼない状態だったので、互いに別人に会うような感覚が、しているのかもしれない。
記憶が戻る前の怜銘は、愁水も流水も双子の皇子としか、見ていなかったということも、一理あるだろう。それに比べれば、今の記憶を取り戻した彼女にとっては、愁水は彼女の初恋の少年だ。当然ながら、相手に向ける好意の種類も全く異なっており、寧ろ別人だったと捉えるべきなのだろう。
先程の伝言通り、愁水が怜銘の部屋まで迎えに来て、2人は連れ立って散歩に出かけた。出掛けたとしても、王宮と後宮の合間にある庭園なのだが。庭園には王宮から行ける範囲と、後宮からしか行けない範囲が設けられており、お相手が皇帝や皇子ならば自由に出入り出来ても、また使用人が掃除の目的で行くことは出来ても、他の男性の出入りは禁止されている範囲もあった。其処が、後宮からしか行けない範囲であるのは、言うまでもない。
『宮ラブ』のゲームイベントの目的で、怜銘が何度か足を向けた場所は、一応は皇族以外も出入り可能な範囲だが、庭園では実際に迷った人物も居る程に広く、歩くことに慣れている彼女でさえ、散策には何日かに分けて通ったぐらいである。王宮と後宮のある王家の土地は、無駄に広い敷地であるという証拠であろうか…。
怜銘は今はもう、イベントのことは懐かしい出来事の一部であり、自分には既に必要のないものだと思う。過去の記憶を思い出した時点で、彼女はゲームのあらすじとは異なる人生を、今後は…歩む決心をした。元々彼女の存在は、あらすじに関係のないモブであるし、彼女が自ら関わる決心をした…というべきなのか…。主人公達や攻略対象達に関わると、漸く心が決まったようである。
此処はもう、『宮ラブ』というゲームの世界ではない。怜銘にとっては、現実そのものの世界である。ゲームのように幸せになったから…と、此処で人生がストップすることもなく、これからもずっと人生として、続いて行くことになる。
怜銘達の人生が終わったとしても、この世界の歴史が終わる訳ではないと、最近になってそう気付いた。それならば、今の彼女が為すべきことは、唯1つだけ…である。それは、自らが自由に生きて行くことであり、また自らが幸せになることで、為されることであると…。
怜銘自らが、幸せになる必要があるということだ。彼女が幸せになれるかどうかという問題は、彼女1人だけでは決められない問題でもあり、彼女は誰かと幸せになることを、切実に願っていた。その相手が判明した今、もう心が決まったも同然である。
これと同時に怜銘には、もう1つ決意したことがある。それは他でもない、流水との関係だ。今更ながら、彼1人だけの問題ではないような気がして、彼がどうしてああいう態度を取るのか、もう一度彼と話し合う必要があると、彼女はそう思う。それなのにあれ以降、彼は怜銘の前に現れなくなる。彼の本心を確かめたくとも、今は確かめようもなくて。
…だからこそ今は、愁水さまとのことも流水さまとのことも、同時に解決するというチャンスなのよ。愁水さまとの関係を築いたいのならば、流水様との関係もきちんと解決しなければならないわ。愁水さまと皇帝陛下にご協力していただき、幽霊という存在の流水さまを、このままの状態にしてはいけないのよ。
怜銘の前世の世界…特に日本では、亡くなった人が幽霊となるのは、何かこの世に思い残すことがあるからだと、思われていた。逆に麓水国では、亡くなった人々が幽霊になることに、何かの意味があるとは思われていない。況してや、思い残すことがあるから幽霊になったとは、思わないことだろう。寧ろ、幽霊が現れても悪さをしないのならば、そのまま自然消滅するまで、放って置かれるだけである。
怜銘も記憶が曖昧で、麓水国のそういう事情を知らなくて、流水が現れなくなったのを機に、麓水国のキョンシーに関する事情を、調べたのである。そうして知った事情は、自然消滅を待つという対応に、怜銘は流水本人の為にも、成仏させてあげなくてはならないと、決意していた。
…愁水様からのお誘いは、丁度良かったですわね…。流水さまの言動を全て、お話しなければなりませんよね…。わたくしが前に進む為にも…。
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「……まさか、流水が毎日貴方の部屋を訪れていたなどとは、思いも寄らなかったな…。毒を塗った犯人を目撃したのが、流水だったとは…。なるほど…そうか。父上が逸早くご存知だったのは、そういうことなのか…。目撃者が居たという話を聞き、てっきり隠密のことだと思っていたのに…。流水が報告したのだな…。」
「……ええっ?!……皇帝陛下にご報告してくださったのは、流水さまだったということでしたの?…でも、どうして……」
「多分…間違いなく、そういうことだと思うよ。勿論、隠密も目撃していただろうが、忍び込んだ者達も…同様の隠密であれば、下手に動けばバレてしまう状況だろうしな…。気配を読まれたら、後を追うことも出来ないからな…。」
「…えっ、隠密……。わたくしにも…付いておりますの?」
「…決して、貴方だけではないよ。貴族のご令嬢達には漏れなく全員、隠密と護衛がこっそり付けられている。実際には、後宮内で淑玲が黒幕では…と、そういう噂も出て彼女が疑われた時にも、護衛も隠密も否定していた。このように、令嬢の人命や名誉を守ることも、令嬢達自身にも怪しい動きがないか見張ることも、両方の意味を含んでいる。無論、侍女達もその対象になるのだよ。」
「…なるほど。陛下だけのご命令で動く隠密に、ご令嬢や侍女を守らせるのと同時に、見張らせていらっしゃるということですね…。」
「但し、貴方は…例外だよ。貴方の護衛と隠密には、僕から下命を受ける者達を付けている。僕にとって貴方の存在は、自らの命よりも大切な女性だ。だからこそ先日のように、暗殺未遂が簡単に起こることは、有り得ないことである筈だったのに…。突然のことであったから、僕も判断が付かないほど取り乱してしまい、冷静に考えられなかったようだ。そういう事情を、すっかり忘れるぐらいに…。」
「…………」
彼の隠密もプラスして特別に付けられていたと、愁水から語られて、怜銘は返す言葉を失う。唯でさえ護衛も隠密も付けられていると、たった今知ったばかりの状態で、皇帝だけでなく皇子からも…そうだったとは、頭の中が真っ白になる。
…それほど大切な存在だと、思われていたと言うの?…あの幼い頃の結婚の約束を信じ、子供の戯れだったとは言わずに、本気で約束を果たそうとされていらしたとは。再び再会して、私が明らかに心変わりしたとは、思われなかったのかしら…。もう別人も同然だったと、いうのに……。
愁水との過去の記憶を思い出す以前ならば、怜銘も唯単に彼の想いの重さに、退いたかもしれない。しかし今は、彼との出会いも共に過ごした日々も、彼との思い出となる全てを思い出していた。寧ろ、そういう些細なことだと受け止め、本気で大切に扱われた証拠のように感じ、何も気にならないことだろう。
…それよりも私が、綺麗さっぱり忘れたことに、居た堪れない気分だわ…。私が変わったと思われても仕方がないのに、昔の私の気持ちを信じてくださったのね…。私が思い出すのを、待っていてくださったのね…。
怜銘は愁水が待ってくれたことを、心から嬉しく感じる。愁水にとって怜銘が、初恋の相手であるのと同時に、怜銘にとってもまた愁水が、初恋の相手である。要するに彼らは、疾うの昔に婚姻を誓い合った両想いで、2人共そういう認識も十分にある。決して、両片思いではなかった…ということだ。
少なくとも愁水は、怜銘が流水に大怪我をさせられた時を境に、一部の記憶を欠如しているようだと、彼女の元に送り込んだ自らの隠密から、そういう報告を受けていたけれども…。彼女が後宮入りをする前から、彼女に自らの記憶がないことを、実は知らされていたけれど、それでも…諦めきれなかった愁水。それほどに、彼の心の中には何時の間にやら、彼女が恋しくて愛おしい、大きな存在となっていたからだ。あの頃の流水には、怜銘が彼の心の支えであった。
「貴方を怖がらせるかもしれないと、頭の中では理解していても、それでも貴方に関することは全て、皇帝である父上に対抗し逆らっても、僕の手で守りたい…。あの頃の僕は、自分の為に生きる術を既に諦めていた。貴方に出逢わなければ…僕は今でも、誰も信じられなくなっていただろう。父上から愛されているとも気付かず、母上からは見捨てられたと疑い、流水に対しても鬱屈とした気持ちを持ったことだろう。けれども父上と母上は、流水と僕に同じ分の愛を注いでくれたのだと、知ることができた…。貴方のお陰で、ずっと…幸せだったよ、僕は……」
不幸せだと、思ったことはない。そう仄めかす愁水は、流水に対して何かしらの後悔を感じても、それ以外の彼の不遇な待遇に対し、特に不満な感情はないようだ。両親から愛情をもらっていた、そう確信したお陰で。
…愁水さまご本人が不幸せではないと、そう信じていらっしゃるのであれば、それで良いのです…。自分の人生が不幸か幸福なのかを、それを決めることができるのは、ご当人だけですわ。周りの人間がとやかく言う資格は、ないのですよ…。
愁水と怜銘の庭園お散歩デートです。漸く怜銘が、自らの初恋とそのお相手を自覚しました。これで、晴れて両想いに…。