26。皇子の真意とは…
後宮入り5日目の続きで、午後の話です。
皇子の政務のお手伝い中での出来事は、前半までですね。
第一皇子から昔のように呼んでほしい、そうお願いされた怜銘は、この状況に心底困惑していた。過去のことを忘れ思い出せない彼女には、本当にそう呼んでいたのかも…判断できない。
怜銘は戸惑いながらも、皇子の表情を1つ残らず見逃さないようにと、ジッと観察してみた。すると愁水は、ふざけた顔でも不真面目そうな顔でもなく、真剣で真面目な表情をしていた。前世には、『目は口ほどに物を言う』という諺があったが、正にその通りであると言えるだろう。愁水の瞳には強い意志が感じられ、嘘を吐いているとは思えないほどに、真剣な眼差しであったのだ。
しかし、怜銘がジッと観察するように見つめていたからなのか、彼は気まずそうにしてスッと視線を外した。やはり私を揶揄ったのね…と、そう思い掛けた怜銘は、彼の頬に赤みが差したことに気付く。然も彼は、耳まで真っ赤にしていて…。
…あれれっ?…もしかして、自分の言った言葉に…恥ずかしいと思っている、ということなのかな…。それとも、私がジッと彼を観察していたから、見られることに恥ずかしくなったとか……。どちらにしても、私を揶揄った訳ではないのかな…。
「ごめん…。急に昔の呼び名の話をしても、困るよね…。それでも、君から他人行儀に呼ばれるのは、とても…辛いんだ。」
「………」
他人行儀にされたくない…ということらしいが、怜銘にとっては…仲良くしたいとは思ってもいないのだ。それに幼い頃、彼とそれほど仲良くしていた覚えもないのに、一体どうしろというのか、と…。それとも、彼女が失くした過去の記憶の中には、彼が語る通りの事実が隠されている、とでもいうのだろうか…。
「私もその頃は、君を『怜怜』と呼んでいた。君は私にとって、初めて出来た友達だったから嬉しくて…。僕……いや、私は…ずっと1人っきりだったから…。」
「……えっ?……わたくしが初めてのお友達?…いえ、確かその頃、年上のお友達がおられると仰っておられましたが……。ずっとお1人っきりとは、どういう意味でしょうか…?……皇帝陛下や皇妃さまはお忙しかったかもしれませんが、侍女や宦官などのお世話係がおりましたよね…?」
愁水が漏らした言葉に、怜銘は目を丸くする。過去のことを思い出せない状態ではあるが、皇子と初めて出会った頃のことは、案外と覚えていた。だから余計に辻褄が合わないと思いながらも。怜銘は首を傾げながらも、彼に正直に問い質すことにした。もしかして、私の記憶を試そうとしているのか、それとも…私に糠喜びをさせようとしているのか…などと、疑心暗鬼にさせられる怜銘で。
「………そうだった。君には、一部の過去の記憶がないんだね…。私のことも…覚えていないのだな。……いや、今の話は…忘れてくれ。全て…私の思い違いで、あったようだ…。だけれど、せめて…君の気が向いたら、そう呼んでほしい。」
「…………」
怜銘が唯一というぐらいに覚えている過去の事実を、皇子にハッキリと指摘した途端に、彼の動きはピタリと固まった。明らかに顔の表情を曇らせ、落胆した様子を見せた彼は、重苦しい空気を発していた。そして…ブツブツという感じで、暗い顔をして独り言のように話し出す。一応は怜銘にも丸聞こえではあるものの、皇子の重苦しい様子には退き気味で…。
しかし彼は途中から、何故か…名前や昔の愛称で呼んでほしいと、自分が願い出たことまでの一連を、全て忘れてほしいと懇願してきたのだ。全てが自分の思い込みであった、という事情にしてまでも…。
これには怜銘も、彼が本当は何を望んでいるのか、全く理解できなくて。明らかに過去の彼とは真逆の言動にも、怜銘と皇子の間には…過去に何かがあったのでは、と思い始めていた。あの怜銘が引き籠もる原因となった事件とは、別の何かが…。
気が向いたら呼んでほしい…と言われても、私が一生気が向かないかも、しれないのにね…。期待をしているような言い方なんて、皇子らしくないわ…。少なくとも私が覚えている皇子は、こういうセリフを言う人では…ないよね。もしかして、私が知らない何かが、まだ隠されているのかな…。
今の皇子は、怜銘も憎めない雰囲気の人である。元々、過去のことを憎んでいる訳ではないが、彼を…嫌っていたのは間違いない。だからこういう風に、真面目な素の部分を見せられると、彼女のそういう想いも揺らいでくる。好きにならない自信があったけれども、こういう素直で優しい彼は、嫌いではないのだと…そう思い始めていたり…。但し、また彼に…好意を持つのが、怖くて………
…また好意を持つ?…誰が?…彼に?…昔、皇子に好意を持っていたの?…まさかと思うけれど、過去の私は彼に一度でも、好意を寄せていたのだろうか…。
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あの後は、何かとギクシャクしながらも、それでも何とかお手伝いタイムを終えた怜銘は、自分の部屋に戻って来ていた。再会したばかりの頃は、彼が改心してくれたのかもしれないと、自分に都合の良いように考えていた怜銘であったが、単純にそうではないかも知れないと、今は…考えている。
自分が記憶を全部思い出せば、全ての問題が解決する…とは言えないけれど、少なくともこのモヤモヤ感だけは、解決出来るかもしれないよね…。そうだっ!…清季は、『宮ラブ』の内容は全て知っている、とか言っていたよね?…もしかしたら、皇子の名前が違う理由も、知っているのかもしれないわ。
そう結論を出した怜銘は、早速清季を傍に呼ぶことにした。清蘭にはこの前の件で話があると伝えば、すんなりと呼び出した。清蘭はお化けの類が怖くて、その類の話をすると知るや否や、「私は…遠慮します。」とそそくさと去って行く。怜銘は心の中では「清蘭、ごめんなさいね…。」と、詫びを入れるのであった。
「お呼びでしょうか、怜銘様?」
「ええ。貴方にお伺いしたいことが、ございましたのよ。」
清蘭が出て行く前は、こうして主人と使用人として挨拶を交わす2人だが、清蘭が去り2人になった途端に、物怖じしない清季は遠慮も全くなく、堂々と自分の部屋のように、怜銘の部屋のソファに腰掛けた。それも無理ならぬことだ。前世での彼女は、其れなりに有名なBL作家でもあり、同じく前世の怜銘よりも、若干年上の女傑だったのだから。
今の世界では年齢は同い年、身分は怜銘が上と逆転しているが、前世での立場で考えれるならば、年齢も社会的地位も全てが、清季の方が上の立場でもある。前世の記憶を持っている彼らには、どうしても前世の基準で物事を考えてしまう、という癖があるのだ。
「怜銘様がお訊ねになられたい事柄は、『宮ラブ』の設定でしょうか?」
「ええ、そうよ。皇子の設定について…ですわ。先ず名前からですが、確かゲームの皇子は『流水』さまでしたよね?」
「…はい、そうですね。何故か現実は、お名前が違いますけどね…。怜銘様はあの宴の夜、お間違えでいらしたものね?」
前世が作家さんだけあって、何も言わぬうちから勘がしっかり働くようだと、そう感心していた怜銘で。ゲームキャラである皇子の名前を教えてもらえたので、漸く自分の思い違いではないのだと、はっきり確信が持てた同時にすっきりとしたのである。しかし、清季の何気無い言葉の中に、違和感が……。
…うん?……清季もあの花の宴に、参加されておられたのですから、知っていて当然……ではなくて、あの宴の夜に私に付き添ったのは、清蘭と涼風と蓬花の3人だけ…だったよね?!……清季はあの場には、居ませんでしたよね!?
「…やはり、そうでしたのね。…ん?!…宴の夜は、清季は同行されませんでしたよね?!…どうして、知っておられるの…?」
「…ふふふっ。それは勿論、後をつけたからですわっ!…怜銘様にお会いした時から、竜の神様の仰るお人かどうかを、確認しようと思いましたのよ。アレで間違いないのだと、確信が持てましたもの。…てへっ。」
「………」
宴の夜の散策には、侍女は3人しか連れて行かなかった。あの頃は清季の存在を知らず、宴会会場か怜銘の部屋で清季は待機していた筈で…と、たった今そう気付いた怜銘は、頭の中をクエスチョンマークで一杯にしつつ、直球で聞くことに。
何と…清季からは、意外な答えが返って来た。怜銘達の後からつけて来たとは、思ってもおらず…。前世の元作家さんだけあって、行動力が半端ないわ…と、怜銘は苦笑しつつ。小説家も漫画家も自ら取材を行い、それをネタにして書く(=描く)場合が多いそうだ。清季は元BL作家でもあり、そういう取材気分で尾行したのだろうが、王宮や後宮で怪しい行動をするのは、どうしたものだろうか…。
今回は怪しまれなくて済んだが、何処の世界も何処の時代も、王宮や後宮とは陰謀が渦巻く場所だと言われている場所であり、そういう刺客に間違われたり、怪しい人物だと拘束されても、おかしくない状況だというのに。
相変わらず、『アンリ』さんらしいですね…。前世の世界では、一度しかお会いしたことがないけれども、彼女は…私の知り合いの仕事関係者だったので、その私の知り合いからアンリさんのことを、事前に話で聞いていたのよ。その後に本人とお会いして、私もアンリさんと個人的にお話したんだよね…。
何を話したかは忘れたと思いつつも、前世の作家であったアンリと、今の侍女の清季の言動を比べて見れば、益々本人だという結論に辿り着く。清季はこの世界に何が起ころうとも、常にマイペースでいることだろうし、怜銘を裏切り妥協に走るタイプでは、絶対にないということも、怜銘は知っており。自分以外の転生者が、清季で良かったなあ…と感じていた。
そして何よりも、今回のゲームの作者であるアンリは、今の怜銘にとっては一番頼れる人…でもあったのだから。
後半からは、部屋に戻った後の清季との遣り取りです。まだ記憶が戻らない主人公は、清季に確認を取った形ですね。