16。後宮 3日目 ②
後宮生活3日目の出来事です。
前回の続きとなっています。
怜銘が納得したフリをしたことで、狼凱も自分の本意がバレなかったと思ったようで、挨拶めいた会話は終了となる。その後は、狼凱が王宮を案内するという流れとなり、今はその彼に案内されて、怜銘達一行はゾロゾロと王宮の中を移動中だ。侍女を連れての移動は、まるで大名行列みたいだなあ…と、怜銘は前世の行事を思い出しつつ、亀の歩み程ではないがゆっくりと歩く。
日本の着物ほど歩きにくい訳ではないものの、それでも重ね着をし髪に重みのある飾りを何個か挿していて、歩きやすい訳ではない。侍女はそれほど重ね着をしないが、怜銘はお貴族さまなので、それなりに重ね着をしなければならなくて。
何処の国でも身分がある人達は、その国により着用する衣装が異なるだけで、それを着こなすのか大変なのね…。ヨーロッパの方では、足先までの長いドレスを着用し、その下にはコルセットやパニエを付けていて、踵を高くしたハイヒールの靴を履く。あれでは完全に足元は見えないだろうし、腰も窮屈過ぎて普段から食事も満足に取れないだろうなあ…。
日本の平安時代とかも、着物を何枚も重ね着して、草履は履き慣れていればマメは出来ないだろうけど、着物は着崩れしやすいから、しずしずと歩くのが良いとされている。そうやって考えると昔の貴人達は、何処の世界も何処の国も似たような生活をしていた、ということだろうか…。
王宮には意外と、沢山の部屋があった。身分の低い者達が、勤務をする部屋も幾つかあり、それぞれ担当する職務ごとに、部屋が分けられている。また、身分の高い者達が勤務する部屋もあり、同じく職務ごとに分かれていた。武官達が事務仕事をする部屋も、幾つか部屋があったりする。前世風に言えば、官僚が集まって話し合いをするという、会議室のような部屋もあり、他の部屋よりも随分と広かった。
そして政務室は、また別の意味で広い部屋であった。高価そうなソファや事務机が置かれており、一番奥に置かれた事務机が、如何やら皇帝の席のようである。現在は空席であり、皇帝は他の場所に出向いて視察を行っているという。
怜銘は皇帝と対面出来なかったことに、本心ではホッとしていた。皇子に怪我を負わされたあの時から、皇帝とも会っていなかったので、どう話し掛ければいいのか分からない。皇帝とはあの時も、特に親しくしてもらっていた訳でもなく、どちらかと言えば皇子の母親である皇后さまに、よくしてもらったような記憶があった。
どんなお顔をされておられたのかは、もう全く思い出せないけれど…。あのお人は間違いなく、皇后さまだった筈よ…。うろ覚えだけれど、皇子に意地悪された時は何時も、皇后さまが私を慰めてくださったような…。優しいお人だったと思いますもの。
そう思い出に浸りながらも、狼凱の案内に付いて行く。皇帝の政務室を出て次は、皇子の執務室に案内されることになった。皇子も不在だったら…と心の中で祈っていた怜銘は、期待が裏切られる形となって…。
狼凱がノックをすれば、部屋の中から1人の宦官が扉を開け、此方を見渡すように確認して、最後にまた狼凱を見てコクンと頷く。如何やら予め連絡がされていたと分かる、頷き方で。
「怜銘様ですね。どうぞ、お入りください。お付きの侍女の方々は、申し訳ありませんが、此方にて待機をお願いします。」
皇帝の政務室の時もそうだったが、皇帝不在にも拘らず、侍女達は政務室の控室で待機させられた。同じく皇子の執務室でも同じ扱いとなるらしく、怜銘の侍女達は全員が隣の控室へと、若い宦官の案内で引き離されてしまった。
「では、怜銘さま。皇子さまがお待ちですので、此方へどうぞ。」
狼凱がそう言いながらも中に通してくれるが、孤立無援状態にされた怜銘は、早くもプチパニック中だった。狼凱が迎えに来たということは、そういうことなんだと今さら気付いた怜銘。皇子は怜銘と話をする機会を、待っていたのかもしれない。この前からヤケに出会うと思えば、何か自分に言うつもりだな…と、漸く理解した怜銘は。
…ああ、頭を抱えたい気分だわ…。確かに、あの時のことを無視出来ないのは分かるけれど、無理矢理に皇子と面通しされるのは、私にとっては地獄に堕ちたように感じのよね…。謝ってくださるおつもりでも、お有りなのかしら…。
怜銘は複雑な心境で、覚悟を決め入って行く。怜銘の予想に反し第一皇子は、書類を手にして執務の真っ最中だ。然も彼は怜銘に気付く様子がなく、忙しそうに書類の束にサイン中だ。その姿に張り詰めていた彼女も、毒気が抜かれた気がして。
予想もしなかった皇子の政務姿に、怜銘は胸の鼓動がドキっとして。…ちょっと、待ってよ…。どうして今、ドキっとする必要があるのよ…と、困惑して。
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「今日は、貴方が王宮を見学したいと報告があったので、狼凱に頼んでおいたのだが…。久しぶりに彼に会った感想は、如何かな?」
「…皇子様のお気遣いに、感謝致します。狼凱には…第2の兄に、再会致しました気分でしたので…。」
あの後、怜銘が自分の気持ちと格闘している間に、皇子が書類からふいに顔を上げた為、彼女の存在に気付かれたのだ。怜銘と皇子の目線が合い、今の現状に至っている訳だが…。
皇子は怜銘の姿を見た途端、慌てて立ち上がった彼は、執務室にある立派なソファへと怜銘を促し、自分もそそくさと彼女の目の前の席に、腰を下ろしたのだ。怜銘はその一連の流れを、呆気に取られて見つめていた。何となく、怜銘が知っている彼らしくないと、不思議に思いながらも…。
「そうか…。狼凱も貴方のことを、何時も心配していた。勿論、私も…そうだ。この前も思ったが、貴方はその…私のことを、あまり覚えていないようだ……」
「……えっ?……そのようなことは、ございませんが………」
皇子の口から放たれた言葉に、怜銘も戸惑い気味だった。今は2人っきりだというのに、彼が昔の本性を現す様子は見られない。昔の彼ならば、こういう風に2人っきりとなった途端に、本性を出していた筈だ。然も、狼凱が彼女を気遣うのは兎も角として、皇子が彼女を気遣うなど、あり得なくて。
私を気遣ってくださるなんて、何となく妙な話よね…。何を…企んでおられるのかしら…。何を根拠に、私が皇子をよく覚えていないと、仰るのかしら…。確かに昔の出来事は、あまり思い出したくないけれど、思い出せない部分も多いけれど、皇子に嫌な思いばかりさせられたと、よおく覚えてますのよ。
怜銘は心の中では少々尖りながらも、皇子の前では本音を洩らす訳にいかず、やんわり否定して相手の反応を確認するが、何故か彼は真剣な眼差しで、怜銘をジッと見つめていた。
……えっ?…何?…これ、どういう状態なのよ……。
彼の真摯な視線に、怜銘は本気で困惑する。彼と自分の目線と合わさる瞬間、皇子のブルーの瞳に引き込まれそうな気がして、晴れた日の青空のように、澄んだ青い色が綺麗だと、彼の瞳に暫し見とれてしまい。
「失礼致します、愁水様。お茶をご用意致しました。」
その時、宦官や侍女が控える奥の待機場所から、お茶とお菓子を用意した狼凱が、怜銘達がいる執務室の方へ入って来た。多少場所が離れている為、彼らの会話は聞こえていないだろうが、暫くの間見つめ合っていた姿は見られたかもしれないと、そう思うと…怜銘は恥ずかしくなって俯いた。
皇子の世話をする専属の侍女もいる筈なのに、怜銘を良く知る狼凱が態々と持って来てくれた。皇子が「ああ、ありがとう。」と、狼凱に声を掛けていた。チラッと顔を上げて2人の様子を窺えば、皇子は全く動揺した様子も見られなくて。もしかして…私を辱めるのが、狙いなのかしら…。
怜銘がそう疑うのも、無理はない。皇子が怜銘に優しくしたり、怜銘を褒め称えたりして、その後に怜銘に恥を掻かせることは、以前の皇子ならば有り得る行動でもあったのだ。昔、そういう風に嵌められた怜銘は、恥ずかしい思いを抱えたことがあったりする。故に…怜銘が必要以上に警戒するのは、仕方のないことで。
警戒中の怜銘は、去ろうとしていた狼凱とバチッと目が合って、狼凱はにこりと笑顔を見せ去って行く。彼の態度に、怜銘は目を丸くして…。
…えっ…何、今の意味深な笑顔は…。「後は、お若いお2人だけで…。」と、何気に言われたような気分となった怜銘は、げんなりとするのだが。遠い目をする怜銘に、皇子が声を掛けて来る。
「これは昔貴方が王宮に来た際、貴方が好きな菓子でよく好んで食べたと、狼凱が話してくれたので、今回も用意してもらったのだ。気に入ってもらえれば、よいのだが…。」
皇子にそう言われ、怜銘は用意されたお菓子を見て、思わず笑みが零れてしまっていた。目の前に用意されたお菓子は、確かに怜銘が大好物のお菓子だ。そう現世だけでなく、前世でも大好きだったデザートで、『水饅頭』と呼ばれていたものだ。勿論この麓では『水餅』と呼ばれており、『水饅頭』に似てはいるものの、激似な菓子とも言えるものの、一応は別の商品なのである。何しろ『水饅頭』は、日本の和菓子なのだから。
しかし見た目は多少異なるものの、味は水饅頭そのものだと言える程そっくりなもので、前世から元々水饅頭が大好きな怜銘は、前世の日本を懐かしく思う気持ちが以前からあり、水餅が大好物となっていた。だから前世を思い出していなくとも、水餅を好んで食べる彼女は、王宮に来た時にも用意された水餅を、皇子や狼凱の前で美味しそうに食べていたらしい。知られていて、当然のことだったのだが……。
……あれっ?…何とも言えない違和感が…。何かがおかしいとは思うものの、それが何なのかは…彼女にも分からずに。
勝手にお菓子を作っちゃいました。中華風の国にありそうな煤し気なお菓子ということで、水饅頭を出したくて…流石に日本のお菓子なので、名前も変えて其れらしく音読みにしています。
衣服もチャイナ服ではなく、日本の着物に似ていて似ない物としています。外履き用の靴は、チャイナ服を着る時の飾りのついたペッタンコ靴を、参考にしました。参考までに男性用の衣類は、普段は女性用よりも重ね着が少なく、靴も動きやすいものとしています。これらも全て、中華風ならではの設定です。




