15。後宮 3日目 ①
3日目の朝の出来事です。
今回、モブキャラではありますが、新しいキャラが登場します。
怜銘が後宮入りしてから、早3日目の朝が来た。後宮の生活にも少しずつ、慣れ始める頃ではないだろうか。一昨日までは緊張していた所為か、よく眠れず早起き出来なかった怜銘も、今朝はいつも通りの時間に、起きることが出来たようだ。
前世の頃から早起きする習慣のある怜銘は、清蘭が起こしに来る頃には、身支度が出来てしまうくらいに早く起きていた。但し、今の怜銘は生粋のお嬢様なので、早起きしても何もすることがない。
朝起きて直ぐ顔を洗おうとしても、前世の日本みたいに、蛇口から水が出る訳でもなく、タライを用意しようとすれば、清蘭達が慌ててすっ飛んで来るし、着替えようとしても、着替えは自分の手の届かない何処かに仕舞われており、用意されていたとしても、複雑な衣装は自分1人では着られない。結果として、残念ながら清蘭達がいなければ、今の怜銘には朝の支度すら出来ないのだった。
「まあ…。お嬢様、今朝はお早いお目覚めですね。お嬢様が起きられるには、まだお早い時間ですので、もう少し眠られても大丈夫ですよ。」
「いいえ…。もう目が覚めてしまったわ。何か…時間潰しが出来るものでも、ないのかしらね…。」
「それでしたら、王宮に書庫がございますので、後で見に行かれますか?」
怜銘が目覚めてボ〜としていると、清蘭が朝の支度をしに入って来た。怜銘が布団から起きているのを見て、まだ休んでいていいと声を掛けてくれるが、怜銘としてはもう眠くないのだから…。明日以降は何かで、退屈凌ぎができないだろうかと考えていたのだが、丁度入って来た蓬花が、王宮には立派な書庫(※現代風に言えば図書館のこと)があると、教えてくれる。
「勿論、後で行きたいわっ!…あっ、でも…王宮の方へ先に参りますわ。」
蓬花が図書館へ案内してくれる…という申し出に、怜銘はその提案に飛びつくように乗る。当然の事情ではあるが、テレビ・ビデオなどの映像機器&CDなどの音楽機器も、況してや漫画などの娯楽も、麓水国には一切ない。但し、ちょっとした若者向けの物語の本は、この国にも多少あったりする。だから今の怜銘は、前世の趣味であるゲームがない以上、本を読むのが一番の趣味となっていた。
しかし、ふと我に返った怜銘は、今日の計画を忘れてしまうところだったと、先に王宮へ行くのだと慌てて言い直して。自分の趣味を優先するよりも、この場合は先に本来の目的を済ませておくべきである、と…。
今日の計画は、王宮の方で働いている文官達の中から、残りの主人公達を探すことである。多分あと3人は、文官という役職であった筈だ。イベントを熟す上で、避けるべきイベントなのか、それとも避けれないイベントなのか、見極めなくてはならないのだ。自分はモブだから、知らなくても良いと考えるのは、危険なカケであると既に知っている怜銘は、午前中は計画通りに実行したかった。
そうして朝の支度と朝食を済ませると、今日もまた清蘭を始めとした侍女達の半数を引き連れ、王宮の方へとゾロゾロと移動する。清蘭・蓬花・涼風以外の侍女は、昨日の居残り組のメンバーだ。だから、昨日鍛錬場に行った侍女のメンバーは、今日は代わりに居残りをしている。
さて、何処から見学しましょうか?…皇子がいる政務室から訪れるのは、いくら何でも失礼過ぎるので、出来れば無難な場所から行きたいのだけれど…。
如何やら後宮に詳しい蓬花が、皇子に仕える宦官の1人に、予め話を通して置いたようで、王宮での案内は彼がしてくれることになっていた。皇子に仕える宦官は2~3人いるようだったが、その内の一番皇子に親しい間柄の1人が、王宮の入り口で待っていた。怜銘は何も聞いていなかったので、彼が待っていることに驚き、目を見開いてしまう。
「怜銘お嬢様、お久しぶりでございます。わたくしのことは…覚えていらっしゃいますか?」
「……ええ、勿論…覚えておりましてよ。狼凱…でしたわよね?…本当に、お久しぶりですこと。もしかして、貴方が…案内してくださるの?」
「はい。そのつもりで、わたくしが参りました。皇子様のことでしたら、わたくしが一番よく理解させていただいておりますので。」
「そう……。相変わらず第一皇子殿下には、ご信頼されておられますのね。」
王宮の入り口で待っていた宦官は、怜銘の知り合いであった。いや、正確に言うならば、この宦官は皇子に仕える中では、一番古い人間だ。つまり、怜銘が皇子の遊び相手をして王宮に通っていた、あの頃に知り合ったというのが、正確な答えであるだろう。簡潔に言えば、怜銘が皇子によって怪我をさせられた時には、既に皇子に仕えていた宦官なのだった。
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だから勿論のこと、怜銘も彼を覚えていた…というより、彼の顔を見て単に思い出したのだが、彼も覚えてくれていたようだ。怜銘が後宮入りした日は、彼は皇子の傍に付いていたのだが、実は怜銘はその時には皇子ばかりに気を取られていて、彼の存在に気付いていなかった。まあ、あの時は口を聞くことも出来ない状態だったので、今思い出したとは言えない…と、飽く迄も覚えていた振りをする怜銘。
怜銘が呼んだ通り、彼の名は『狼凱』という。元々が貴族の出身ではない為、彼には苗字がない。彼が宦官になった経緯は怜銘もよく知らないが、怜銘が知り合った当時には、まだ正式な宦官になったばかりだと、本人から聞いたことがある。あの頃はまだ、今の怜銘と同じくらいの少年であったが、今の彼は20代中盤ぐらいであろうと思われる。宦官にして置くのが勿体ないほどに、中々の美形青年だ。
昔の彼の面影はあっても、皇子の宦官としてずっと務めていたから、直ぐに気が付けたけれども、別の場所で知り合いその後再開していたら、まだ子供だった怜銘は覚えていなかったかもしれない。そして彼の方も、大人びた怜銘に気付けなかったことだろう。
その彼が案内してくれるのは嬉しいと思うが、皇子のことを一番よく知る彼が案内する…という言葉には、彼女は…複雑な心境になる。決して嫌みで言うつもりは全くなく、本当にそう思って告げたのだが……。
怜銘が彼に告げた言葉に、今後は狼凱が…悲し気に眉を下げたのだ。まるで飼い犬が飼い主に置いて行かれる時のような、そんな雰囲気の悲し気な表情に似ていたのだ。そういう狼凱の反応に、逆に怜銘の方が戸惑ってしまって…。
…あれ?…私、別に嫌みを言った訳じゃないのに…。問題のある皇子だけど、その彼に信頼されていて良かったね。そう本心から思って、笑顔で言った筈なのに…。どうして狼凱が、傷ついたような顔をしているの?
「狼凱、あの…わたくし、別に本心から申し上げましたのよ。もしかして…嫌な風に、聞こえてしまったのかしら?…それならば、申し訳ありませんでしたわ。その、わたくしは…貴方が案内してくださるのは、嬉しいのですのよ…。」
傷つけてしまったのならば、申し訳のないことをした…。そう思った怜銘は、直ぐに謝ることにした。本来ならば貴族の怜銘が、平民上がりの宦官如きに気を使う必要もなく、また謝る必要もない。しかし、怜銘は前世の記憶が戻る前から、身分の上下に関係なく振る舞う人間であり、貴族らしくない人間とも言えた。
「…いいえ。怜銘様が…わたくしに本心からそう思ってくださることは、昔からですのでよく存じておりますよ。ですから、わたくしのことは…怜銘様の所為ではございません。それに、そういうことでは…ないのですよ。わたくしの方が紛らわしい顔をしてしまい、申し訳ございません。わたくし事で大したこともございませんのに、無意識に…してしまうので、わたくし自身も困っておりまして…。」
「そう…。そういうことでしたら、良いのですけれども……。」
怜銘が真摯に謝って来るので、狼凱は慌てて手を振って否定する。自分が悲しむ事柄とは、怜銘には関係ないのだと、必死に否定して。自分が悩んでいることは、そう大した問題ではないのだと、怜銘に訴えかける。何時もの彼女ならば、狼凱の言葉に騙されていたかもしれない。けれど今の彼女には、狼凱がどうしようもない大きな問題を抱えているのだと、気付いてしまった…。
やはり、あの皇子の性格で悩んでいるんだろうか…。昔より真面になった雰囲気に見えたけど、もしかして…私の周りに侍女達が沢山いるから、皇子も本性を出さないだけかもしれないわ。虐めていた私が後宮に顔を出さなくなり、狼凱を虐めていたとかでは、ないでしょうね?…あの皇子ならば、やりそうよね…そのぐらいは。
そう言えば『宮ラブ』には、狼凱が登場していたのかしら?…ああ、あの名無しのキャラが、きっと狼凱だったのね…。狼凱の外見は、この麓水国ではよく見る髪の色と目の色だったから、今まで…気付けなかったわ。つまり彼は、モブキャラだということよね…。
怜銘が思う通り『宮ラブ』の中では、皇子の傍には必ずというほど、彼に仕える宦官が描かれていた。よくよくそのキャラの顔を思い出してみれば、確かに狼凱に似ているとも言えた。写真ではないので、実際の人物の特徴が見分けられない場合などは、イラストの絵が誰に似ているのか、全く分からないのである。特に髪の色など特徴がない人物は、誰が誰なのか…見分けるのに一苦労する。
狼凱がこれ以上は詮索されたくない、という雰囲気を放っていた為、怜銘も気付かないフリをすることにした。狼凱は何時も明るいとか、よく笑うとかではなかったけれども、それでも彼の悲しげな顔をこれ以上見たくなくて、彼を必要以上に苦しめたくなくて、怜銘はそれ以上は何も…聞けなかったのだ。
新キャラ・皇子の宦官である、狼凱が初登場しました。
皇子と怜銘を繋ぐ、年上お兄さんキャラです。彼が今後、どういう働きをするのかが、楽しみです…。