10。再会、運命の悪戯
『花の宴』は今回で終了します。
新キャラは登場していませんが、皇子の名前が漸く判明することに…。
どうして、この人が此処に居るのだろう…。この人はあの時、他の令嬢達から話し掛けられていて、身動きが取れない筈だったのに…。
怜銘達が歩き回っている間に、彼是 …1時間ほどの時間が経過していた。時計は侍女が持っているものの、この真っ暗の中では見えなくて、態々灯篭を掲げてまで時間を確認していなかった。それに怜銘はイベント場所を探すのに、夢中になっていたからであるが…。イベント探しに夢中の怜銘には、1時間も経っているとは知らずにいた。楽しいことをしている間は、時間が経つのも早いとと感じてしまう。
しかし今の怜銘には、どうでも良いことだったのだ。何故此処に皇子が現れるかという事実の方が、重要だ。どうして自分がいる場所に彼も来たのか、そう思うと…落ち着かない。「まるで…監視されていたように感じるのは、私だけ…?」と不安がる怜銘は、どう話し掛けたらいいのか…分からない。
怜銘が呟いた後、怜銘も皇子も何も話さない膠着状態が続いていた。蛇に睨まれたカエルの如く、怜銘は息苦しさを感じており、対して彼の方もジッと怜銘を見つめたままで。無言のまま、時間だけが過ぎて行く。
実は…この2人の周りにいた人物達は、2人の様子に困惑気味でもあった。傍から見れば一見して2人は、見つめ合う良い雰囲気にも見えなくもなかったが、皇子の従者が持つ明る過ぎる灯篭のお陰で、2人の表情がハッキリ見えており、2人の間には温度差があることが分かって……。
皇子の顔を見た途端に、怜銘の顔色が見る間に悪くなっていくのが、誰の目にも分かった程だ。彼女の肩や手は小刻みに震え、別に寒いからという訳ではないだろうと、誰もが…理解出来た。前世の季節で例えるならば、今の季節は春だろう。熱くもないが寒くもなく、夜になっても程よい気候だった。今の今まで元気そうに歩いていた彼女は、風邪を引いているとも思えない。
その彼女の様子に、流石に誰もが声を掛けられない状況となる。彼らがそう気付くぐらいなのだから、彼自身も気付いていることだろう。実際に彼自身は彼女の様子に、心底困惑気味のようである。
「君は…『赤怜銘』だね。…幼い頃に、私と君は…何度か会ったことがあるが、君は…覚えているだろうか?」
「……はい。覚えておりますわ、『麓流水』さま……」
漸く皇子の方から怜銘に声を掛けてきたことで、彼女はぎこちない表情ではあるものの、しっかりとした口調で応えたのだが…。怜銘が覚えているという意味で皇子の名を呼べば、2人の周りの者達がギョッとしたような顔になり、アワアワという風に慌て出したのだ。今の今まで腰が抜けた状態で、地面にヘタリ込んでいた清蘭までが顔を青くさせ、慌てて立ち上がり怜銘の傍に駆け寄って来たのだ。
「…お、お嬢様。み…皇子様のお名前を……間違えておられますわ。」
「……えっ!?…お名前を…間違えている……?」
呟くような小声で、清蘭は怜銘に重大な事実を告げて来る。怜銘が皇子の名前を呼び間違えている、と伝えてくるのだが……。これには怜銘も目を見開き、オウム返しに問い掛けて。
…いや、そんな筈はない…。何しろ、今の彼女には、前世で遊んでいたゲームの知識もあって…。実際にゲームの中の皇子の名前は、間違いなく『麓流水』だった筈なのだ。それに最近思い出した昔の記憶も、彼が『麓流水』本人だと訴えかけているというのに…。それなのに…何故、清蘭は間違いだというのだろうか…。
不思議に思いながら首を傾げそうになり、漸く周りの状況に気付いた怜銘は、自分の侍女・涼風 や蓬花も、清蘭同様に青くなっている表情を見て、更に皇子の後ろに立つ彼の護衛達もが、青い顔をしている様子を見ては、皆が自分を信じられないものでも見るような表情で、ハラハラした様子で見つめているのだと、気付き…。皇子だけは唯1人、悲し気な顔で彼女を見つめていて。その皇子の表情を見つめ返しているうちに、怜銘は何かを忘れているような気がして……。
「……如何やら私の名前を、間違えて覚えていたみたいだな…。『麓愁水』というのが、私の名だ。今度は間違えずに、きちんと覚えていてくれ…。」
「……はい。申し訳…ございません……。」
皇子当人から本人の名前が間違いだと言われれば、怜銘も引き下がるほかなかったのだ。どこか府に落ちない…と思いながらも、そんな筈はない…と思いながらも、怜銘の立場上では皇子が白と言うものを、黒と言うことは出来ないのだ。心から納得していなくとも、この場では納得するしかなくて。
……麓愁水。この名前にも、何故か聞き覚えがある気がして、怜銘の頭の中は混乱していた。一体、自分の記憶はどうなっているのか、と……。
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抑々覚えていなくては、『麓流水』という漢字も読み方も、全く覚えていない筈なのである。この世界がいくら、ギャルゲーの設定と同じ世界でも、その所為で日本語が母国語として使える世界でも、日本人にこういう名前は有り得ない訳で…。そう考えれば、前世の世界での知り合いの名前とかではない、ということだ。
『宮ラブ』は、『なんちゃって中華風』の世界が、舞台となっている。その為、登場人物の名前は、実際に中国で使用される名前ではなく、如何にも中国人に有り得そうな中華風の名前を、付けられていた。登場人物の殆どが、怜銘の名前のように苗字と名前で3文字であった筈である。苗字が1文字、下の名前が2文字である。そしてそれは、王族にも適用されていた。つまり『麓流水』は登場していたのは、間違いないということだ。
現実では皇子の名前が違っていたのに、過去の怜銘はそれを勘違いしており、当時は名前が異なることに疑問に思っていたとしても、長い年月の間で皇子に会わないうちに、勝手に彼女は『宮ラブ』の皇子の名で、覚えていたのかもしれない。
では、『麓愁水』は登場していただろうか?…そう言えば、『宮ラブ』には登場していないような気が……。それでは、私は…何時・何処で、この名前を聞いたのだろうか…。本人からとしか考えられないが、如何にも私の中で何かが引っ掛かっているのだ。それが何かは、今の自分には全く見当も付かないが…。何となく心の中がモヤモヤして、気持ちが悪くなって来る。本当に、一体何がどうなっているというのか…。自分で自分が嫌になる気分だ。
その後、怜銘が過ちを認めて謝罪をすれば、愁水皇子は怒っている様子も見せず、また気を悪くした素振りも見せず、「夜の庭園は物騒だから…」と怜銘達を後宮まで送ってくれていた。本来後宮に出入りできるのは、今現在は皇帝のみだったが、今日からは第一皇子も出入りが許されることとなる。今回は彼の正妃を探す為でもあるし、その為に集まったご令嬢達に彼が会いに行くのは、許可されている。
「遠回りではあるが、其方が…夜の庭園をフラフラしていたなどと、他の令嬢に知られないようにした方が、良いだろう。…私の後に、ついて来なさい。」
そう怜銘に告げると、彼はサッサと先頭に立って歩き出してしまう。彼の護衛達が促すので、怜銘達も彼の後を追わない訳にはいかなくて、仕方なくトボトボと歩き出すことにした怜銘は、彼の後姿に…何か寂しげなものを感じ取っていた。それが今一何なのかは、分からなかったのだが…。
そうして結局、後宮にある怜銘の部屋まで、第一皇子に送ってもらう形となった怜銘達は、深々とお辞儀をしてお礼の言葉を告げる。侍女達は無言で深々と頭を下げるのみで、実際に言葉にして話すのは、主人である怜銘だけだ。それが、このこの麓水国の風習なのだから。お辞儀も日本式に似ているものの、少しだけ細かな形式が異なっているし、『宮ラブ』の設定でありながら、設定でない部分もあったりする。だから今の怜銘にも、何が正解で何が間違いなのかは、まだ…分からない。
怜銘が丁寧にお礼を申し上げれば、皇子は儚げに笑い、一瞬寂しそうな顔をして王宮に戻って行く。庭園ではまだ、集団お見合いは続けられており、賑やかな男女の声が後宮まで聞こえていた。庭園には、彼はもう…行かないつもりなのだろう。
もう庭園に戻らない…ということは、皇子はもう既に、誰かを見初められたのだろうか…。それとも、彼の気を惹くような令嬢が、見つからなかっただけなのだろうか。まあ、私には…どうでも良いことだわ。それよりも今日の宴に、庭園で皇子と出会うイベントなんて、あっただろうか…。いや、抑々…私、モブキャラなのだから、そういうイベントがある筈ないよね?
そう自問自答しながら、眠る支度が終わった怜銘は、宴での緊張や歩き疲れたりしたお陰で、また…最後に第一皇子と予期せぬ再会をした所為で、直ぐに眠りについてしまった。如何やら自分で思っていたよりも、相当に疲れが堪っていたようで。朝までぐっすり眠ってしまう。
考え事をしていたつもりだったのに、何時の間にかぐっすり眠った怜銘に、様子を見に来た清蘭に、布団を掛けてもらったりして。
こうして『花の宴』は、無事終了した。実は怜銘が去った後、暫くしてから皇子に護衛が何かを報告しに来て、「大事な用事が出来た。」と言って皇子が宴を去ったことを、怜銘は知る由もなく。
『花の宴』で第一皇子をロックオンしたご令嬢が何人かいたのだが、彼が突然去ってしまった為、その令嬢達が他にも婚姻候補の男性を見繕っていたのは、何処の世界の女性達も同じ…ということだろうか。そして、見目麗しい異性に殊更惹かれていく…というのも、現実の世界だろうが乙女ゲーの世界だろうが、そして…ギャルゲーの世界でもまた、乙女心は似たようなものなのだろう、と…。
皇子と再会した、怜銘との遣り取りです。皇子の名前が判明したものの、ゲームの設定と異なる(?)ようで。単なる怜銘の記憶違いなのか、それとも単にゲームの設定と違うのか……。




