1。モブ中のモブ
本日より夏休み期間の為の短期作品として、連載することになりました。今回の物語は婚約破棄シリーズではなく、中華風異世界の純愛物語として書いています。
夏休み限定物ですが物語の都合上、更新期間が延長する可能性もありますことを、ご了承願います。
※異世界・転生・ゲーム要素ありです。また、暴力的な場面もある予定ですので、今後読まれる際には十分に、お気を付けくださいませ。
「……嘘、これは…悪夢よ。何で私が、こんなことになっているの?……有り得ないわ。絶対に嫌っ!…何で私が、あんな奴の後宮に嫁ぐことになるなんて……」
広すぎる部屋の中にポツンと1人立ち、鏡の前で美しく着飾った少女が、その高貴な姿に似合わぬ口調で呟く。少女はこの部屋の主であり、またこの屋敷の主人の娘である。この屋敷の主人は、この国では随一の高貴な貴族であり、この国では王家に次ぐ第2の権力者だ。少女はその権力者の子供の1人であり、この国の王家に嫁ぐ予定の花嫁候補者の中でも、1番の有力候補でもあった。
しかし彼女は、それを望んでいないようなのだ。何故ならば、彼女には前世の記憶があり、自分が嫁ぐ予定となるのが、皇帝の息子である皇子だと理解したからだ。但し、これら全てを先程思い出したばかりだが。
彼女は間もなく、この国の王家の後宮に一時的とは言えど、入ることになる。この『麓水』という国では、『麓』という苗字の王族が国を治めており、『赤』という苗字の貴族を筆頭にし、『緑』・『青』・『黄』・『白』 という苗字の貴族が、 平民達を従えていた。彼女はその『赤』家のご令嬢『赤怜銘』である。
王家の次に最高権力を持つ家のご令嬢が、どうしてこうも王家に…皇子に、嫁ぐことを嫌がっているのかと言えば、それは彼女の幼い時にまで遡る。皇子との因縁があった頃にまで。
彼女は赤家の末っ子として誕生し、両親や兄や姉達に可愛がられ、すくすくと丈夫な子供に育っていったのだが、そんなある日のこと…。王家の皇子と年が近いとして、王家から友達候補として呼び出された。その頃の彼女は自分の身分に驕ることもなく、ただ単に皇子と仲良くなれるのかと、緊張していただけの子供だ。
しかし実際にあった皇子は、思い出すのも忌々しい程の悪魔のような存在で、見た目の天使のような可愛らしさとは裏腹に、悪魔そのものの邪悪な性格をしており、初めて会った彼女の髪を乱暴に引っ張ったり、彼女をバカにした言葉を言ってきたり、彼女が皇子に恐怖を感じて会いに行かない場合は、彼女の弱みを使ってでも呼び出したりと、人間として最低な少年皇子だった訳で……。
然も彼は、大人達の前では良い子ぶり、誰もが彼の演技力に騙されていた。少年が醜い正体を現すのは、自分と同年代の子供達の前だけだ。この皇子の正体を知っているのは、彼女だけではない筈だが、何故か彼女以外に知っている人間は、彼女の周りには居なくて。
其れも仕方がないことで、怜銘の身分と中々釣り合う者はおらず、他の赤家以外の貴族のご令嬢達は、彼女と敵対関係でもある。怜銘が身分を問わず付き合おうとしても、赤家以外の貴族達の方が、赤家をそして怜銘を敵として見做していた。
そんな孤独な状況で、皇子と友達になる話が出て、彼女は少しは期待していたというのに、彼女の期待は見事に裏切られたのだ。徐々に、皇子の言動は激しさを増していき、そんなある日のこと、皇子の怜銘への冷淡な待遇が、漸く赤家に知られることとなる。そしてそれ以降、怜銘が王家に遊びに行くことは…なかったのだ。
元々は明るい性格の怜銘だというのに、皇子に虐げられていたという恐怖で、一時期は内向的な性格に陥っていた時期もある。しかし、王家に行かなくなってからは徐々に、元の明るい性格を取り戻していく怜銘は…。今の今まで、王家の皇子の邪悪な存在すら、忘れ果てていた様子であった。
「どうして今まで、忘れてしまっていたのかしら…。あんな酷い目に遭ったというのに…。あの悪魔に嫁ぐぐらいならば、死んだ方がマシよねっ!」
今の彼女は、今まで生きていた怜銘というよりも、どちらかと言えば前世の彼女に近い存在だ。前世の彼女は日本生まれの生粋の日本人で、名前や詳しい人生は忘れたものの、一般市民であることには間違いなく、貴族制度のない日本ではお金持ちですらなく、単なる国民の1人だったようだ。然もこの世界は、前世の世界とは別の世界と考えられ……。
「此処は…きっと、異世界なんだわ。それも、前世の日本で発売されていたと思われる、ギャルゲーの世界なのよね…。」
怜銘はそっと溜息を吐く。乙女ゲームならば未だしも、ギャルゲーに転生とは…どういうことなのか、と…。ギャルゲーはギャルゲームの略であり、一般的に男性をターゲットとした趣向のゲームだ。本来ならば女性である怜銘は、全く内容を知らない筈だったが、これがギャルゲーだと分かる以上、ある程度このゲームを攻略していた可能性が、大である。
「私は本来、乙女ゲーを攻略するゲーマーだったっけ…。この世界が乙女ゲーの世界ではないのは、今の私でも分かるよ…。何で…私が転生した先は、ギャルゲーなんだろう…。」
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先程まで怜銘が着ていた衣装は、婚礼衣装とは関係のない、唯の貴族令嬢用の衣装だ。それでも、普段から来ている衣装よりも数段に、絵柄も豪華で生地も最高級の衣装である。前世の世界の怜銘では、絶対に一生着られない代物だろうか。
本日この衣装が届き、早速試着していたところだったのだ。前世とは異なり、この世界では全てが手縫いの作業で、ミシンなどの機械も存在しない為、手直しも1つ1つ人間の手作業となっている。この衣装は後宮入りの際に持参する為、少しでも早く確認したかったのだ。
衣装に手を通し鏡の前に立ち、自分の姿を見つめた途端に、幼い時の忘れた記憶と共に、前世の記憶もプラスして戻って来た、というのが今回の回想で。これら全てを思い出した時、膨大な記憶量に押し流されそうになるものの、何とか地に踏ん張りながらも、使用人達をそれとなく部屋から追い出して。怜銘1人になった瞬間、口調も態度も全てが前世の彼女に戻りつつ…。
この世界の怜銘は穏やかな優しい性格で、自我というものがあまりなく、自己中になることもなければ、自分をアピールすることもない。しかしながら、本来の彼女は自己中ではなくとも、自分をアピールすることには前向きで、前世では自分の道を只管突き進んでいたのだ。その1つには、乙女ゲーを攻略することであり。
彼女が最初に乙女ゲーに嵌ったのは、確か中学生の頃となる。名前も顔も思い出せないクラスメイトの親友が、勧めてくれたのが切っ掛けであった。その親友は同じ高校にも通い大学も同じ短大を卒業し、その後は2人共別々の会社に就職して、其れでも乙女ゲーを通しずっと付き合いがあったのだ。
ギャルゲーを知ったのは、何時なのだろう…。乙女ゲーとは徹底的に立場が逆転しているギャルゲーには、悪役令嬢は1人も存在しなかったり、特に悪役となる男性も登場しなかったり、単に美少女とイチャイチャ出来るハーレムを作れるかどうかに、重点を置くゲームも存在した。男性の欲望を忠実に叶えた、という感じなのなろうか……。
「乙女ゲームも似たり寄ったりする部分もあるけれど、乙女ゲーよりギャルゲーの方が、戦闘シーンは多かったような…。」
乙女ゲーには魔法の戦闘や聖女競争などが多く、本格的な戦争ものは少なく、基本的に女性がそういう野蛮なものを好まない、という理由からだろう。女性は基本的に、恋愛の駆け引きを好む場合が多く、攻略対象達全員との逆ハーレムを望むよりも、一途な攻略対象を望むプレイヤーの方が多かった。
此処がギャルゲーの世界ならば、女性である自分は攻略対象の可能性もあったのだが、思い出すうちに自分=モブなのではないかと、怜銘の考えは行き着いたのだったが…。王家『麓』を筆頭に『緑』・『青』・『黄』・『白』の貴族が登場していたが、何故か『赤』家は登場していなかった。ギャルゲーの中には『怜銘』という名前どころか、『赤』家という存在も無かったと…思い出したからである。
「赤家が登場しないのならば、赤家の娘である私は、当然出て来ない筈よね…。つまり私は、モブ中のモブということに、なるのかしら……。」
貴族の他に苗字のある家柄は存在するが、『茶』・『朱』・『墨』など主に商家が代表的な家柄となっている。前世風に言えば、会社を経営している裕福な金持ち、と言えるだろう。貴族ではなくとも商家は、苗字を持つことを許された家柄であるが、この世界の一般的な平民は苗字がなく、下の名前だけだ。この麓国は、前世でいうところの中国に近い国であるものの、異世界版の中華風の国という雰囲気が否めない。
要するに現実の中国とは、色々と似ている部分もあるようでいて、全く異なっていたのである。話し言葉はどう聞いても日本語に聞こえ、書く文字もどう見ても日本語であり、中国語ではあり得ない。この世界にも他国が存在するようだが、鎖国でもしているかの如く、他国の情報がない。どう考えてみても、ゲーム上で考えられた設定で成り立っている世界なのだと、言えそうだ。
但し、この世界=現実だと思う部分は、幾つもある。ゲームの世界だと思い込むことは、逆に危険だとも感じられるのだ。その筆頭が、設定では存在しない筈の赤家の存在でも、あったりする訳で。
自分がモブ中のモブであるからこそ、何が起こるか分からない。モブだから物語の世界とは無縁である…などと考えるのは、命の危機に直結するかもしれないのだ。現に彼女は既に、皇子と知り合っているのだから…。
「如何すれば、いいのかな…。モブの立場の私が、一番の中心の位置にいる時点で、問題なのに…。一刻も早く思い出さなければ、死亡フラグも有り得そうで、怖過ぎるだわ……。」
元々このギャルゲーは、他のギャルゲーとも一線を画した作品であったのだから、何が起こっても不思議ではないのだと、恐怖を感じる怜銘なのであった。
主人公・怜銘が前世を思い出した直後から、物語が始まりました。ゲーム要素はありでも、乙女ゲームではなくギャルゲーという設定ですが、主役は女性ですし、攻略される側という以外は、乙女ゲーと同等と思ってもらっても、特には不都合はありません。
※読んでいただき、ありがとうございます。此方は短期間ものですので、他の連載より優先させていただく場合もあります。ご了承くださいませ。また宜しければ、他の作品の方もご覧頂けますと、嬉しいです。よろしくお願い致します。