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羽撃く影(1)

【幕間】〔まく・あい〕

一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。

 羽撃く影に、少女は目を奪われていた。

 ヒュルーの乾燥した大気を受け、大きな翼を広げた鳥影が優雅に舞う広大な青い空。昨夜の戦いによって溢れかえった屍肉の匂いにつられた大型の鳥類が集まってきている。

 少女は泣きはらした目を擦ることなく、ただ呆然と影を見上げている。


「……輝」


 口元から言葉が、名前がこぼれる。慈しみ、後悔、悲しみ。様々な感情が混じり合った想いが込められたその音は、誰に届くこともなく風に流されていく。

 少女の名前はミア。彼女は羽撃く影を見上げながら、取り留めのないことを思い出していた。

 自由に舞うその影と対比されるように、自らの心が服従の魔法によって縛り付けられていたこと。折れない覚悟で服従の魔法から自分を解き放ち、今の名前をつけてくれた少年がいたこと。そして、その少年はこのヒュルーという村を去っていってしまったこと。


「……輝……!」


 目を固く瞑り、それよりも強く両の拳が握りしめられる。


 彼女はひとり、ヒュルーの東端で立ち尽くしていた。

 昨夜の革命軍の襲撃を経て、継戦が難しいとされた兵士たちは義勇軍の本拠地であるハリアまで一度引き返すことになった。ただし、残された兵士もいる。彼女はその一人であり、彼女が輝と呼んだ少年は、ハリアへと引き返していった兵士のひとりだった。

 今朝、ハリアのある東の方角へ向けて出発した馬車の影が見えなくなると、他にも大勢いたはずの見送りも徐々に消えていき、各々休養であったり武器の手入れであったり、別のことに時間を割き始めている。

 ただ、このミアという少女だけは、この場を動かずに東の空を延々と眺め続けていたのだった。


 乾燥した風が吹き、彼女の黒い髪が揺れる。体力がない彼女の両足は少しずつ痺れていき、懸命に疲労を伝えていたのだが、ミアは動かない。彼女自身、足が根を張ってしまったのだろうかという錯覚を覚えるほどに、この場所から動くことが出来ずにいた。


「……まだ、ここにいたのか」


 優しい青年の声がミアに投げかけられた。彼女は声の方向へ頭を向けることをしない。彼女にとってこの青年の声は何度も聞いてきたもので、わざわざ確認する必要がないからだ。


「……エレック。……うん。ずっと、ここにいた」


 ミアにエレックと呼ばれた青年が彼女の隣に並んで、彼女と同じように東の空を見上げた。青年エレックは自身の頭を掻く。金色の彼の髪が流れ、陽光を受けて映える。


「ミア。……『あいつ』は、ここから去ることを自分で選んだんだ。ここでこうしてたって戻ることはない」


「……わかってる」


「俺も、『あいつ』が去る原因の一つかもしれない。……恨むか、ミア」


 エレックが目を細めてから、ミアに視線を送る。しかしミアは固く閉ざした目を開いただけで、彼の方を向きはしない。


「恨まないよ。ボクだって、あの時無理矢理にでも馬車に乗り込んで輝についていくことは出来たんだ。……でも、そうしなかった」


 そこまで話し、ようやくエレックを見上げる。


「ボクもエレックと、同じだよ」


「そうか……」


 頷きはしない。それでもエレックは一度、ゆっくりと目を閉じてから開いてみせた。その目に自虐的な色をたたえ、「そうかもな」と呟いてから、彼は話題を変えた。


「ミア。さっき橋山一樹に呼ばれたんだ。これから義勇軍の中での話し合いをするらしい。俺とミアにも来てほしいって」


「……わかった。ずっとここにいるわけにも、いかない、もんね……」


 ミアが了解すると、エレックは村の中へ戻っていく。ミアもそれを追うことにした。先程まで根を張っていた両足を無理矢理動かして踵を返す。それから彼女は歩き始め……東を再度振り返る。


「さようなら……輝」


 彼女はそう呟くと、今度は振り返ることなくエレックの後に続いた。



 ヒュルーの中心には石と木で組み上げられた大きな建物が存在している。戦時下でなければ有力者が集まって村の運営について話し合われるのだが、今は役目を変えていた。

 建物の中で一番大きな部屋にはテーブルと椅子が運び込まれ、数人の戦士が着席している。特に目立つのはフード付きの白いローブマントを身につけた五人。彼らは疲弊した表情でテーブルの上に広げられている大きな地図を眺めていた。


「一樹、声はかけたのか?」


 自らが座る椅子の背もたれに、人の丈ほどもあるような巨大な大剣『グラム』を立て掛けている少年が問いかけた。彼に一樹と呼ばれた茶髪の少年は着座したままうなずく。


「かけたよ。エレックは『ミアを呼んでくる』って言っていた。そんなに時間はかからないだろ。もうそろそろ……ああ、ほら。来たみたいだ」


 一樹は音に耳を傾ける。木で出来た床板を踏みしめて近づいてくる足音が二人分。徐々に大きくなっていき、彼ら戦士のいる部屋の前で停まると、ゆっくり部屋の扉が開けられていった。


「失礼。少し遅れたか?」


 エレックは部屋の中を見渡してから言った。

 円形の卓には十人分の席があり、その内の八つは埋まっている。白いローブマントの少年少女五人と、厳しい顔つきの中年男性戦士、その横には興味なさそうに天井をぼうっと眺める青年の戦士がおり、更にその隣には老婆が座っている。

 老婆はエレックとミアに向けて笑みを浮かべた。


「はじめまして。私はヒュルーの代表としてここに参加させてもらっているユルヴァといいます。お二人も空いてるところに掛けてくだされ」


 エレックはユルヴァの勧めに「ありがとうございます」と礼を言い、ミアとともに卓に着く。

 厳しい顔つきの中年戦士が「よぉし」と唸る。


「これで全員だな。まずは状況の報告から始めよう」


 中年戦士が懐から一枚の紙を取り出して読み始める。


「戦える人間は約二百人。馬車は五十台弱。馬は百頭ほど。糧食はユルヴァさんの好意で少し分けてもらったものを含めて半月強過ごせる程度。その他、武具は間に合っているな。今までの戦いでかなりの数を鹵獲することが出来た。村の人間に渡しても問題ないくらい、というところだ」


 中年戦士は読み終えた紙をテーブルに放る。その報告を聞いた速人が額に人差し指を当てて考えながら口を開く。


「民兵……ですか。確かに拠点防衛戦力としての数はほしいところでしたので、助かりますね」


「……ユルヴァさんは、それでいいの?」


 速人の言葉を受けた綾香が老婆ユルヴァに伺いをたてる。

 職業軍人ではない村人が武器を持つことに対する厭いは無いのか。彼女はそれを村の代表であるユルヴァに確認しておきたかった。

 対するユルヴァは渋々、といった動きでゆっくりと頷く。


「希望するもののみ、と、していただければ……」


 村人の意志を尊重しようとするユルヴァの言葉は村の代表者として尤もである。しかし、中年戦士は納得できなかったのか、テーブルに拳を叩きつけた。


「馬鹿な! 自分の村を守ることを希望しない人間などおらん! 全員部隊に組み込んで――」


「――馬鹿はお前だ。思い上がった発言は控えろ」


 激高する中年戦士を制したのは、先程まで呆けた様子で天井を眺めていた青年戦士。彼は中年戦士を一瞥した上で、ため息交じりに小さく頭を下げてみせた。


「失礼した。……人と物資についてはさっきの通りだ。我々はこれから、ハリアからの増援を待つ。恐らく十日ほどだろうと踏んでいるが、そこまで待って増援が来なければ引き上げる。帰りの飯がなくなるからな。……方針について、何か質問はあるか」


 青年戦士は視線を会議の参加者へと舐めるように向けた。まるで会議室内を押さえつけるかのような高圧的な視線がその場の空気を凍らせていく。

 沈黙は肯定の証と見做した青年戦士が「ならば、この話は――」と話題を締めにかかろうとした時、一人の少年が口を開いた。


「――質問はない。けど、話はある」


 狛江ソラ。彼は毅然とした態度で青年戦士を見つめる。見つめられた青年戦士は少し面倒臭そうに眉を潜めてから、ソラの方へ手を差し出す。


「良いだろう。……話せ」


 話を促されたソラはテーブルに身を乗り出して話し始めた。


「マーカスが捕虜から聞き出して俺に教えてくれた話だ。……今の革命軍は西にある貿易都市のヤマトを本拠地にしているけど、ラルガを含めた幹部は街から少し離れた高台にある領主館で寝泊まりをしてる。そして、その周囲には手勢が少ししかいない。本隊はヤマトの街の中で待機しているみたいなんだ」


 ソラの語った内容を聞き、青年戦士がため息をついた。そして目を閉じ、眉間にシワを寄せて周囲に聞こえない程度の大きさで独り言つ。


「……あの御方は……」


 彼は脳内でソード家の家督、マーカスが不敵に笑っている顔を想像し、うんざりした様子で目を開いてソラへと視線を投げかけた。


「……攻めよう、というのだな。狛江ソラ」


「そうだ」


 間髪入れずにソラは頷く。

 青年戦士は、彼の隣に座っている中年戦士の前に放ってある紙――義勇軍の人員と物資の状況が記されている――を掴みとった。


「奇襲をかけるにしても、ここにある物資では、ヤマトで城壁攻めを行ってからハリアまで引き返すほどの物資はない。部隊を率いて攻めるのは無理だ。だから自ずと、少人数で乗り込んでの暗殺が唯一とれる方法となる。……暗殺の成功率は総じて低いということを、知っているか? 貴様は」


 ソラは「そうだとしても、誰かがやるべきだ」と言い、それから自らの胸を小さく叩いた。


「……俺が、行こうと思ってる。今の俺には鍛え上げた光魔法と『グラム』がある。シュヘルでの借りは、きっちり返すさ」


 金色のペンダントを胸元から取り出して見せるソラ。しかし、青年戦士が何か反応する前に、その隣に座るポニーテールの少女が割って入ってきた。


「一人で、とは言わせないよ」


 白石綾香。彼女はペンダントを握るソラの手を掴む。


「あたしは、ソラに何度も命を救われてる。あんたを急に一人になんてしない。それに――」


「――将軍を打ち倒すことは、元々、我々が目指していた目的でもあります。一人で行かせて成功率が下がるより、複数人で向かったほうが良い」


 綾香の言葉をつなげるように速人が言う。さらにもうひとり、黒い髪の少女――天見舞――も頷いた。


「私もついていくよ。シュヘルでのことは……私たちだって、同じだから。……一樹くんは、どうするの?」


 舞に問いかけられて、一樹は「もちろん行くさ」と返した。


「シュヘルについては、俺は当事者じゃないから何も言えない。でも、俺はソラが精霊から聞いたっていう『黒王の復活を止めろ』という言葉が気になってな。……元の世界に帰るための、『ちゃんとした』手がかりだと思っているから、確かめなきゃならねえ」


 彼は『ちゃんとした』という部分を強調して発言する。そして、椅子ごとソラに向き直る。


「俺たちがこの場所にいて、ラルガを止められる可能性を持っているってのは『必然』であり、何かの『意志』だ。……今更逃げ出せるはずはないんだ。だろう? ソラ」


 一樹は脳裏に、逃げ出してしまった友人の姿を思い浮かべて、複雑な表情でソラを見る。ソラは一樹に対して強く頷くと、それから白いローブマントの少年少女たちを見回した。


「……ありがとう。皆。もう少しだけ、俺についてきてくれ」


 口々に「もちろん」だとか「当たり前ですよ」など、返事を返す彼の仲間たち。ひとしきりそれを聞いてからソラは改めて青年戦士を見据える。


「そういうわけで、俺たちはヤマトへ向かう。……問題、無いよな?」


「ふ……。白々しい。貴様の目は、問題があると言っても勝手に行動する人間の目だ」


 青年戦士は笑みを浮かべて、それから今度はエレックの方に視線を移した。


「貴様らはどうする。狛江ソラから『この会議に同席させてほしい』と頼まれたから席を空けておいたんだ。彼らの仲間なんだろう? 同行するのか?」


「いや、それは――」


「――それについても、俺から話をさせてくれないか?」


 首を横に振りかけたエレックを止めるように、ソラが椅子から立ち上がって話に入り込む。彼はエレックとミアを交互に見てから、言いにくそうに話し始めた。


「ヤマトの領主館に、サターンもいるとのことだ」


「ああ。それなら、……予想はしていた」


 エレックは拳を握る。彼が手に嵌めている革の手袋が、ぎちりと擦れる音を出した。


「革命軍の兵士には、服従の魔法の被害者が何人もいた。……あの魔法はダグラス家の秘術だ。サターンが敵方にいるとしか考えられない。だから俺もヤマトの領主館には行くつもりでいる」


 彼は握った拳を開き、それから、「でも、それは」と言ってから、ソラを指差す。


「お前らと一緒に行くかどうかとは、別だ。……王都でのこともある。決めるのは――」


 言葉を中断し、エレックは隣に座るミアへと視線を向けた。


「――ミアに任せたい。ミアがあいつらを許せるなら、同行しよう」


「エレック……」


 裁量を委ねられ、ミアは静かに息を吐いた。彼女は目を閉じて考える。

 彼女の中にはもう、王都での一件に関連した狛江ソラとその一行に対する憎しみは残っていない。どちらかというと、彼女は、久喜輝を拒んだ彼らと同行することに対して踏ん切りがつけられていなかった。

 それでも、ミアは頷く。


「ボクは、大丈夫。それよりも、服従の魔法を止めなきゃいけないんだって、思うから」


 彼女は言葉にしておきながら、『違う』と心のなかで思っている。彼女の決心はサターンの服従の魔法を止めるためだけにされたものではない。

 ……輝と袂を分かってしまった――輝がヒュルーを去る時に、無理矢理でもついていくことをしなかった――こと。それが彼女の心のなかに重くのしかかっている。

 輝との別れを自分で選んでしまったこと。その罪悪感が自身に決心を促したのだと、彼女は自覚していた。

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