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それでも彼は、価値を欲した(6)

 劇本番の日がやって来た。結局俺はファミレスに逃げ込まず、今は学校の体育館にいる。劇の時間まで後数十分。最後のリハーサルを行っていた。

 俺が演じる悪役の手下Bには台詞が無い。主人公である藤谷の前に飛び出していって斬り殺されて倒れる演技をする。今はリハーサルだから恥ずかしいしわざわざ倒れたりはしなかったが、藤谷が剣を振る軌道だけは覚えておいた。

 ……大上段からの袈裟斬り。本番ではそれを避けて、側頭部を狙って振り抜く。流石の藤谷といえど不意打ちには反応できまい。

 その後は新山さんのナレーションで暗転。暗い内に舞台から去るだけ。段取りはこれで充分だ。


「ねえ」


 舞台脇に掃けたところで声をかけられて振り向いた。新山さんが台本を持って立っていた。台本は使い込まれているのかしわだらけ。色んな所に付箋や書き込みもある。

 俺の手にある新品同然な台本と見比べて苦笑した。


「……何で笑ってるの?」


「いや、別に。それで、何か用かな?」


「……しっかり倒れる演技して貰わないと話を進められないから」


 リハーサルできちんと倒れなかった事に対して非難しているんだろう。思えば皆はリハーサルでもしっかり演技していた。誰にも見られていないっていうのに。

 ……どうせ俺なんかを気にするやつなんていないのに。練習に出てない俺に期待するやつなんていないのに。


「ねえ……聞いてるの?」


 新山さんが聞き直してきた。俺の頭の中で何かが切れる。

 俺にはこんなくだらないことに本気で打ち込む余裕なんてない。俺のやるべきことがあるんだ。


「わかってるよ。精々皆さんの足を引っ張らないように頑張らせていただきます」


 くそ……苛々する。俺は皆が楽しく練習していた時にずっと屋上で痛めつけられていた。いや、違う。俺は劇なんかやっている場合じゃないんだ。

 ……どうして、俺は。


「何それ……!」


 新山さんの顔が険しくなる。わかってる。悪いのは俺だ。俺は何故、こんな風に苛ついている。

 どうして、俺は嫉妬している。楽しげな級友たちを羨ましく思っている……!

 ……駄目だ。自分が何を考えているのかも良くわからない。得体の知れない悪い感情に飲み込まれていく。わけもわからず涙が浮いてきた。二枚のレンズが曇り始めた。


「本番は、ちゃんと、やるから……!」


 そのまま新山さんに背を向けて裏口から体育館の外へ出る。新山さんが呼び止めるような声をだしていたが無視をした。

 裏口の非常階段を上っていくと体育館の屋根まで行ける。外は人気がなく涼しく風が吹いていた。

 俺はそこで劇が始まるまで、目が腫れないように気を付けながら訳のわからない涙を流した。



 落ち着いてから顔を洗って体育館に戻ってくると、客席は中々の賑わいだった。

 イケメン万能人として有名な藤谷と、ちょっと変わり者だが美人な生徒会長の山吹さんが主役格の劇であることを思えば、まあ当たり前なのかもしれない。


「お、輝! どこ行ってたんだ? もう始まるぜ!」


 振り向くとユウスケがいた。ぎりぎりまで大道具の準備をしていたのか、彼はクラスTシャツを着て手には軍手を装着している。


「うん。わかってる。舞台袖に行けば良いんだよな」


 答えるとユウスケが迷うような表情をした。


「俺、仕事あるから行かねえと……。……輝、大丈夫、だよな?」


 ユウスケの視線から不安のようなものを感じ取った。何かを感づいているのだろうか。

 新山さんといい、藤谷といい、冴島先生といい……。この学校は妙に勘の鋭い人間だらけだ。……昨日会った自称勘の鋭いフリーターの音羽さんもびっくりするだろう。

 俺は平気であることを伝えるために、頬を緩める。


「大丈夫だって、早く仕事行けよ」


「悪いな。……終わったらカズトたちと一緒に皆で回ろうぜ」


 終わる頃には、俺の居場所はなくなってそうだけど、な。


「……ん。じゃあね」


 微笑みを崩さないようにしたまま、俺は曖昧に答えて舞台袖へ向かった。

 舞台袖には役者が揃っていて皆大なり小なり緊張している。彼らはこの劇に向けて一生懸命練習してきたのだろう。緊張の一つもするはずだ。

 俺はというと、劇の成否よりも上手く藤谷を叩き伏せられるかの方が気になっている。絶対に、失敗はできない。

 窓の黒いカーテンが閉められ、体育館の電気が落ちて一気に暗くなる。始まったみたいだ。

 俺は自分の番が来るまで呆けている。何度か客席から歓声や拍手に笑い声が聞こえてきたが、台本をまともに読んでいない俺には客が何に反応しているのか全くわからなかった。


 そして、俺の番が来た。


 悪役の手下Bの小道具は安っぽくて短めの剣。どうやら悪役の手下Bは聖剣を持っている主人公相手に棒っ切れの如き小太刀で挑むクレイジーな奴らしい。

 手下A役の級友と共に舞台へ飛び出す。照明は眩しかったがすぐに慣れた。手下Aが主人公の藤谷と長々しいやり取りをしている。

 俺はちらりと客席の方を見た。


「……いるよな、やっぱ」


 一番前の真ん中に、戸上とその取り巻きがいた。取り巻きは皆、嘲るような不快な笑みをしている。

 戸上と、目があった。

 その瞬間の戸上の視線は胃を握り潰すような『あの感じ』が満ちていた。身体中を痛めつけられた恐怖が戻ってきた。

 息が荒くなる。前を見ると、手下Aと藤谷の殺陣が始まっていた。手下Aが倒れたら藤谷は次に俺を狙ってくる。ついに、その時だ。


「うわああ!」


 手下Aが絶叫とともに倒れた。藤谷の視線が俺へと移る。彼は俺の目の前まで来ると、剣を大上段に構える。


 ……さあ、やれ。久喜輝。あの夏に始まった戦いを、ここで終えるんだ!


 俺は剣を握って、左脇に構えた。そして、藤谷を睨む。

 対峙する藤谷が一瞬驚いた表情をする。が、彼は台本通りに袈裟に剣を振り下ろす。


 ……ここだ!


「はああ!」


 演技で叫んで気合を入れる藤谷とは対称的に、俺は息を止めて左へ素早く避ける。そして、小道具の剣で藤谷の側頭部を狙って左脇に抱えていた剣を振り抜いた。


「な……!」


 手応えがない。俺の振り抜いた剣は藤谷の頭上を通過し、空振っている。

 不意打ちだというのに、こいつ、とっさにしゃがんで避けたんだ!


「……輝……?」


 藤谷が戸惑いを湛えて俺を見上げる。俺は歯を食いしばって、振り抜いた剣を今度は藤谷に向けて叩き下ろした。


「輝、何、を……!」


 剣を横に構えた藤谷に受け止められてしまう。数瞬の鍔迫り合いになるが、藤谷が力ずくで押し返してくる。


「く……!」


 押しのけられた俺は一歩退く。藤谷も退いて、すぐに綺麗な正眼に剣を構え直した。

 その向こう、舞台袖の連中がざわついているのが見える。


 落ち着け。まだ終わっていない。周りだってよく見えている。


「……少しはやるようだな! 賊よ!」


 突然藤谷がセリフを叫んだ。

 さっきのリハーサルでは言わなかった言葉だ。アドリブである。この状況を、何とか切り抜けようとしているのだろう。

 ……そこに俺が乗ってやる義理もない。


 俺は下段に剣を持ち、藤谷との距離を測る。一足で踏み込めそうな距離ではあるものの、藤谷の正眼があまりに綺麗で、どこから打ち込めば良いのか迷ってしまう。


「こちらから行くぞ!」


 藤谷がまた叫ぶ。と同時に上体ごと踏み込んできて、その切っ先が俺を狙う。突き、だ。

 ……見える。

 皮肉にも、戸上たちに殴られて、蹴られ続けたせいだろう。その予備動作と剣の動きで大体どこを狙われているのかが直感的に分かった。

 俺は姿勢を低くする。そして突きをかわして、下段に持っていた剣ですくい上げるように斬り上げる。


「ふん!」


 だが、藤谷は気合一声上げて、剣を横に構えて受け止めた。

 あんなに上体を入れた突きだったのにもう戻してきたのか……? この動き……!

 俺は押し合いを避けて、すぐに引いた。


「……剣道でもやってたのか……」


「……かじっただけだ。輝も筋はいい。俺が教えても良いぜ。一緒にやるか……?」


 藤谷が小声で、俺にだけ伝わるように言う。

 駄目だ。藤谷には余裕がある。このままでは負ける。そうしたら、前田さんの写真は誰が消す。

 めげるな……。俺は、俺の価値は、今この場においては……藤谷より、上なんだ。

 手汗で滑りそうになる剣を握り直して、俺も正眼に構える。


「何を悩んでるのか知らねえけど……」


 藤谷が剣を再び上段へ。そして次の瞬間、俺の目の前に瞬間移動してきたかのごとく寄せてきた。


「話なら、後で聞くから……」


 そして、剣を振り下ろしてきた。


「もう隠すなよ……!」


「……ぐ!」


 刹那、俺は剣を横に構えて受ける。


「うるせえ……!」


 俺は藤谷の剣を押し上げながら弾いて、左から右へ勢い良く振る。


「黙って倒れろよ……!」


 不思議と躊躇はない。まるで俺が元々藤谷に対して憎しみを抱いていたかのように、身体はスムーズに動く。

 彼はそれを、再び姿勢を低くして避ける。今度はその動きもよく見える。俺はすぐさま上から叩き潰すように振り下ろす。


「へ……?」


 次の瞬間、俺の手にあった棒っ切れは舞台袖まで弾き飛ばされてしまった。……藤谷の、剣によって。

 誘い込まれた? わざとしゃがんで? 狙いは始めから、俺から武器を奪うことだった?

 カズトは俺の喉元に剣を突きつけると「観念しろ!」と客席に聞こえるように……まるでそれが、元々の台詞だったかのように言った。

 客席から拍手が沸き上がる。鬼気迫る殺陣のように見えたんだろう。俺は本気で藤谷を殴ろうとしていたのだから。

 拍手がまばらになると代わりに一部から笑い声が聞こえてきた。


「雑魚っ!」


「弱すぎだろ!」


「はまり役だぞー!」


 戸上の取り巻きだった。色々言いながら腹を抱えて笑っている。その中で戸上は鼻で笑うように嘲笑していた。


 俺は、負けた。たった一つの価値でさえ、守り通すことが出来なかった。


 すると急に舞台が暗転した。遅れて新山さんのナレーションも流れてくる。真っ暗な内に藤谷が俺を無理矢理引っ張って舞台袖に放ってきた。

 俺は茫然としながら、舞台の光の中へ戻っていく藤谷の背中を見ていた。


 俺には何も出来ない。……俺には、価値なんて、無い。



 俺が一人で無力感に打ちひしがれている内に劇は終わってしまった。


 級友たちと顔を合わせていたくなくて裏口から体育館を抜け出す。裏口で座り込んで茫然とし続ける。しばらくそうしていると客が体育館からはけ始めた。

 皆口々に感想を言いながら去っていく。その中で俺は聞き覚えのある声を聞いた。


「お前ら待てよ!」


 体育館の入り口近くから聞こえてくる。ちょっとした騒ぎになり始めているようだ。俺は様子見に顔を出した。

 藤谷と戸上たちが口論をしている。……というか、戸上たちに藤谷が食って掛かっていた。


「輝のこと、何か知ってるだろ! 言えよ!」


 藤谷が戸上の襟を掴んでいる。しかし、襟を掴まれている当の本人である戸上は面倒くさそうな顔で虚空を見ているのみ。その彼と不意に目が合ってしまった。


「……あ。問題の輝じゃないか。ちょっとこっち来なよ」


 俺は戸上に逆らえない。渋々とその騒ぎの渦中へ進んでいく。藤谷もそれに気づいたようで一旦戸上から離れた。

 戸上は外向きのへらへらとした笑顔をはっつけながら話し始める。


「輝ー。何とか言ってくれないかなあ。藤谷君が変な言いがかりつけてくるんだよね」


「ふざけんな! お前ら輝がやられる演技をしているのを見て笑ってただろ……! 今日の輝がおかしかった理由、知ってんじゃねえのか!」


 藤谷は感情的に叫ぶ。戸上は変わらずへらへらとしているものの、その取り巻きの表情が険しくなっている。下手をしたら、すぐにでも殴り合いが始まりそうな険悪な雰囲気。

 そんな中で、藤谷が俺を振り返った。


「少し前に、駅前のゲーセンで輝が戸上たちにひどい目に遭わされたって噂も聞いた。お前がずっと元気無いのもここんとこおかしいのも、そのせいなんじゃないのか!」


 小さく息を飲んだ。

 確かに、戸上による俺へのリンチは屋上以外でも行われた。駅前のゲーセンでも随分いじめられた。誰か、見ていた人間がいたんだろう。


「やだなあ。証拠は無いんだろ? 『写真』でもあるのかな?」


 戸上が写真を強調して話す。

 わかってるよ。俺は今日、劇の最中に藤谷を倒すことは出来なかった。つまり、戸上からの脅迫はまだ活きている。誰かにばらしたら前田さんの写真をばらまくっていう、脅迫は。


 ……そこまで察して、ふと疑問が沸き起こる。


 もう、充分じゃないのか。

 これだけのリンチを受けて、耐えてきたんだ。藤谷やクラスを裏切ってまで庇おうとしてきたんだ。ここまでやったんだから、ユウスケだって俺を責めることはないだろう。


 もう、疲れた。ぶちまけてしまおうか。全部、終わりに。


「俺は……」


 口を開いた瞬間。脳裏に、音羽さんの言葉が蘇る。


 ――誰かのためでも、自分のためでも、覚悟を持って行動することがあなたの価値になる。その価値があなたを支えてくれる。


 今の何もない俺の価値は、何だ。

 痛めつけられていることは、友人の彼女を庇うことは、俺に残された最後の誇りであり、価値じゃなかったのか。

 目の前にいるカズトのように、強さという価値は存在しない。だけど、弱くても、新山さんに好かれることはなくても、俺だから守れるものがある。


 ……それが、俺の価値だろ。


「……ない……」


「……輝?」


 訊き返してくる藤谷。俺は思い切り息を吸って、肺に空気を満たす。


「俺が、戸上と友達なだけだ。戸上と遊んだりしているだけだ。藤谷には関係ないだろ」


 言ってしまった。それでも後悔はしていない。藤谷は俺を見て絶句し、戸上が話を引き継ぐ。


「……だ、そうだ。藤谷君の勘違いだったようだね。じゃあもう良いかな。失礼させて貰うね」


 満足げに戸上たちは去っていく。俺も、もうここにいる必要はない。帰ろう。

 きびすを返して、荷物を置いてきてしまった教室へ向かう。


「……本当なのか」


 弱々しくそう問いただしてきた藤谷に何の返事も寄越さずに、俺はその場を後にした。



 学園祭最終日も終わりが近づいている。数時間後には青空に花火が打ち上げられるんだそうだ。

 俺は荷物を手に下校を始めた。まだまだ一般客が入ってきている。中庭でこれから軽音楽部の演奏が始まるらしい。

 全部関係ない。最早この学園祭に俺を満たす要素は残っていない。

 歩きながら足元を見ていた顔をふとあげると、校門に新山さんが一人立って俺を見ていた。

 新山さんのいる二メートルぐらい前で足を止める。


「まさか、俺に用?」


「……帰るの?」


「悪いか」


「赤田君が、皆で回ろうって言ってた」


「さあ。俺は行くとは言ってない」


「打ち上げもあるけど」


「行かないね」


「クラスで……孤立する」


「とっくにしてると思ってたけど」


「でも……」


「うるさいな! 何なんだよ!」


 俺はカッとなって叫ぶ。周りの空気が凍る。通行人が俺を奇異の目で見ていた。


「もう、構わないでくれ……! お前と話してると、苛々する……!」


 俺は足早に新山さんとすれ違う。すれ違い様に見た新山さんは泣いていたように見えた。

 関係ない。知ったこっちゃない。俺の求めた価値は……俺だけの価値は、こんなところには無いんだ。あるのは、屋上。ここじゃない。

 俺は自分に言い聞かせて、それでも耐えきれずに、走って学校を抜け出した。

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