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そのとき彼は、想いを抱いた(5)

「お、輝。ケガ大丈夫か?」


 俺が応援席に戻るとユウスケが声をかけてきた。その隣には茶髪を後ろで一つにまとめている髪型の女子がいた。直前までユウスケと何か話をしていたようだったが、彼女も俺に気づいて目を向けてくる。

 彼女の名前は……確か、前田ユミ。クラスでもおとなしめのグループにいる、おっとりした雰囲気の女の子だ。

 俺は彼女を一瞥した後、心配そうなユウスケを安心させるべく手をひらひらと振ってみせた。


「大丈夫大丈夫。血もあんま出なかったし。この後のリレーも問題ないよ」


 言ってから、前田さんにも向き直る。


「そんなわけで全然問題ないから、リレー、よろしくね」


 人の名前を覚えるのが得意ではない俺が彼女のことを知っているのは、彼女が俺の前の走順の女の子だからだ。彼女からバトンを受け取って藤谷に渡す。それが俺の役割である。

 前田さんは小さくお辞儀を返してきた。


「うんー。頼りにしてるよー。じゃあ、後でねー」


 おっとりとした話し方でそう言った彼女は、他の女子の方へと行ってしまった。俺は「うん、後で」とその後ろ姿に声をかけてからユウスケに話しかける。


「そういえば、ユウスケ、結構前田さんと話してるよな。仲いいんだっけ」


 何度か彼らが親しげに話をしているのを見かけたことがある。何の意図もなく、話題の一つとして訊くと、ユウスケは視線を逸らしつつ人差し指で頬を掻いた。


「ああ、ユミ? まあご近所さんだしな。……つか傷ホントに大丈夫か?」


 若干、ユウスケに話題を逸らされた感はあるが、掘り返すつもりもない。俺は足で地面を大袈裟に叩いてみせる。


「この通り。さっきのも、ちょっと擦っただけだし」


 実際、傷口に触れなければもう痛くもない。ユウスケもうなずく。が、表情に陰りが入る。


「そっか、良かった。……さっきは、ごめんな」


「さっき?」


「ああ、皆に褒められてちょっと浮かれてた。気づいたら輝いなくなってたし……あんまり、いい気分じゃなかっただろ?」


 そこまで言われてユウスケの言う『さっき』に思い当たる。

 俺が盛大に転んでみせた二百メートルの後、級友に囲まれた。転んでビリッケツになった俺は居心地が悪くてこっそりとその場を抜け出したんだ。

 確かにいい気分ではなかったが、今はこうして立ち直れている。


「……それも、大丈夫。リレーで挽回するからさ」


 そう答えるとユウスケの顔の陰りが消えた。


「やる気無くしてたと思ったよ。輝って意外と根性あるんだな」


「いや、俺にはないよ。ただ――」


「――おい! 山吹が作戦会議するってよ!」


 声に振り向くと、俺たちを呼んでいる男子生徒がいた。石田だ。

 ユウスケには『大丈夫』と言ったものの、俺が転んだことを囃し立てられたのを思い出して少しだけ顔を歪めてしまう。


「分かった。すぐいくよ」


 返事をすると、石田は笑みを浮かべる。


「慌てて転ぶなよー。ドジっ子なんだから」


 冗談交じりではあるが悪意ある言い方だった。でも事実だし、俺にどうこう言い返す資格はないか。


「次は気をつ――」


 頭を下げて謝ろうとしたら、ユウスケに首根っこを掴まれた。何事かと驚いていると、ユウスケは石田を睨みつけていた。


「――ま、転んでもお前より速いから大丈夫だよ、輝は」


 不機嫌で刺々しい声色。いつものユウスケらしくない。そんな言葉を向けられた石田は浮かべていた笑みを引っ込める。


「んだよ、怖いな。マジになっちゃって。……とりあえず、呼んだからな」


 石田は捨て台詞のように吐き捨て、踵を返して応援席の前の方へ戻っていく。その先では既に級友が山吹さんと藤谷を中心にして集まっていた。

 ユウスケが俺の首根っこから手を離し、「行くぞ」と一言。先に歩き始めてしまう。

 彼が何に怒っているのかが分からなかった俺は、「お、おう」と小さく返して彼についていった。


 俺たちが山吹さんと藤谷の側まで行くと、山吹さんは待っていたかのごとく口を開く。


「では、作戦会議を始める」


 凛とした声。堅苦しい口調。初めこそ違和感を感じていたそれらにもなれてきた。

 彼女は長い黒髪を後ろで結んでポニーテールにしている。見た目が優れているので似合っていはいるものの、かわいいというよりは、強そうだ。


「先ず、走順については、このままで……」


「ハイハイ! 俺良いこと思い付いたんだけど!」


 山吹さんの話を遮って挙手しながら、誰かが声をあげる。おちゃらけた様子の石田だった。彼を鋭い眼差しで刺しつつ、山吹さんは手のひらを彼に差し出した。


「『良いこと』? 興味深い。言ってみてくれ」


「おう! 走順なんだけどさー」


 山吹さんの許可をもらい話し始める石田。一瞬、俺と目があった。


「久喜の代わりに、カズトに走って貰うってのはどーよ?」


「え?」


 訊き返す俺に、クラスの目が集まる。石田は続けた。


「全員リレーは一人百メートルだよな。で、アンカーのカズトが二百メートル。でもさ、久喜が百走ってカズトが二百走るより、カズトが三百走ったほうが速いと思うんだよね。皆も見てたろ? カズトの二百ん時の速さ!」


 そんな。俺は、まだちゃんと走れていない。新山さんとの勝負の決着をしっかりつけるためにも、走らないといけないのに。


「でも俺」


「久喜さあ! 膝、大丈夫か?」


 強めの語気で、俺の膝を気遣う言葉を投げてくる。同時に、クラスの目が俺の膝へ集まった。

 痛くない。でも、見た目には皮膚も切れていて、痛そうに見えるだろう。


「無理すんなよ、久喜。怪我人だって言えば多分代走は許してくれるんじゃないかな。……それに、その怪我が原因でまた『転び』でもしたら、嫌だろ? 周りに迷惑かかっちゃうし」


「でも……」


 周囲を見ると、クラスの皆が心配そうな表情を見せていた。石田は……笑っている。さっきの事で嫌われてしまったのか。

 ……いや、もしかしたら――考えすぎかもしれないが――元々、石田が走る予定だったアンカーの前のポジション。それを俺が奪った形になってしまったから、面白くないのかもしれない。


「……えっと」


 だけど、でも、石田の言う作戦は正しいようにも思えてくる。俺よりも藤谷の方が速いのは分かりきっている。俺が休んでカズトに任せるのが一番クラスの為になるのかもしれない。例え頑張っても失敗するんじゃ意味がない。

 だとしたら、俺は……。


「俺は無理だな」


 山吹さんの隣で腕を組み、口元を歪めている藤谷が通る声で言い放つ。その複雑な表情からは彼がどう考えているのかはわからない。


「俺は無理だ。さっき二百メートル走ったので体力限界。後は全員リレーの分しか残ってねーや。輝に走ってもらおーぜ。な、輝」


 そう言って俺に向かって笑顔を見せた。


「……私もカズト君に賛成だな。二百メートルで失敗したんだから、少しは働いて貰わないと困る」


 その辛辣な言葉の声の方を見ると、そっぽを向いた新山さん。


「それによお」


 俺の隣から聞き慣れた間延びした声。


「輝は転ばなきゃ結構速いんだぜえ! 転ばなきゃ!」


 言いながらユウスケが俺の肩に手を乗せて、続けた。


「皆も、練習での輝は見てただろ?」


 ユウスケの顔を見るとそれはもうお手本のようなしたり顔で、俺はというと恥ずかしくて顔から火が出そうだ。


「たしかに! まだ久喜くん、ちゃんと走ってないし!」


「速さで言うならむしろ久喜じゃなくて僕の代わりにカズトが走ったほうが良いかと思われ」


「お前はサボりたいだけだろ」


「折角速いんだし走って欲しいな」


「健気に練習してたしねー」


 一部、ふざけて冗談をふかす生徒もいたが、皆は口々にユウスケの言葉に乗っかってくる。それが意外で俺は呆然としてしまう。

 藤谷が走ったほうが良いのは事実なのに、どうして皆、俺をかばってくれるのだろうか。


「――と、いう事だ」


 場を制するように山吹さんが手を叩き、石田を見て、それからクラス全体へ笑みを向ける。


「石田もクラスの為を思っての発案をしてくれた。久喜もこの体育祭の為に努力した。皆も久喜やクラスの為を思いやれる。我々のこの団結力があれば、全員リレーでの優勝も夢ではない。……皆、絶対に勝つぞ!」


 クラス全員が「おー!」と閧の声をあげた。思ってもみなかった展開に俺は中途半端に声を出す。そんな中で藤谷とユウスケが俺の頭を次々叩いてきた。


「い、痛っ」


「諦めんのはえーよ。……昔どっかで見た言葉だけど。『挑戦なき道に失敗は無い。失敗なき道に成功は無い。挑戦なき道に成功は無い』ってな。諦めて良いことなんてあんまりねぇぞ」


「お、それカッコいいなカズト! ……まぁ何というか俺はそんな上手く言えないけど、努力したんだから走っとこーぜ!」


 藤谷とユウスケは順にそう言って、笑う。つられて俺も笑った。


「次は全員リレーだ。皆、行こう」


 山吹さんのその言葉にうなずいて、俺たちは校庭のトラックへと向かって歩き出した。



「位置についてー。よーい。ドン!」


 そんな淡白な合図から始まった全員リレーは、すでに中盤まで来ていた。

 同学年の五クラスの中で今は二位。さっきユウスケが四位から二位まで持っていってくれたお陰だ。

 少しずつ近づく本番に緊張しながら声援を送っていると、気付かぬ内に新山さんが隣に来ていた。俺は声援を送る手を止め、彼女に向き直る。


「新山さん、さっきはありがとう」


「別に……転ばなきゃ良いよ」


「そっか」


「そう」


「頑張る。決着、ついてないし」


「……そう」


 ふと、うちのクラスを見ると、三位に下がっていた。でも一位二位とは差が小さい。まだまだ追い付ける距離だ。

 ……後二人で俺の番みたいだな。

 深呼吸を一つ。そして新山さんを振り返る。彼女はうちのクラスの走者を目で追っている。


「じゃあ。さっきは本当に、助かったよ」


「……不戦勝はすっきりしないから嫌だって、言っただろ。それ以外の意味は無いから」


「うん、わかってるよ」


 ひと月前、あの廊下でのやり取りの中で、俺のことを『好きになれない』と言った新山さんなりの激励だろう。

 それから自分のクラスの走者に目を向けると、前田さんにバトンが渡ったところだった。次だ。無表情の新山さんを残して、俺はレーンに入った。

 今の順位は……四位。少しずつ順位が落ちてきてる。ここで少しでもトップと差を詰めないと、いくら藤谷でも追い付けなくなってしまう。


「久喜くんっ!」


 前田さんが迫ってきていた。隣で三位のクラスの走者がバトンを受け取っている。


「早く! 頑張って!」


「うん! ……あっ」


 前田さんの声にもう一度振り向くと、前田さんがバトンを落としてしまっていた。

 俺は慌ててバトンの受け渡しが出来るゾーンのぎりぎりまで戻って、前田さんからバトンを受け取る。そうこうしているうちに他のクラスの走者は皆先へ行ってしまった。

 ……マズい。現在五位にまで落ちてしまった上、差が開いている。ここから追いつくのは難しいか?


「いや……」


 腐るな。結果はまだわからない。追い付けるかもしれない。少しでも良い順位を、藤谷に届けるんだ。

 駆け出す。転んで膝を打ったはずなのに、さっきの二百メートルの時よりも嘘のように軽い足。早速一人の走者を抜かす。

 四位だ。

 走る。二百メートルの時のよりもよく集中できている。また一人抜かす。

 三位。

 一点の曇りも無く走ることの為だけに体が動く。不思議な心地よさ。また一人抜かす。

 二位。

 前を見る。一位は遥か先。いつの間にこんなに離された。

 だけど縮める、この距離を。両の足が叩く地面の反発力をも速さに変えて。……速さに、変えて!

 俺はバトンを持つ手を思い切り差し伸ばした。


「頼むっ! ……カズト!」


「任せろ! ……輝!」


 バトンを受け取った藤谷は、二百メートルの時見せたよりも速いスピードで相手を抜き去り、一位の座を奪い取った。


「は……あいつ……何が『体力限界』だよ……嘘つきが……」


 うちのクラスから歓声が湧き上がる。そして、圧倒的大差をつけて……ゴールテープを切った。


「はあ、はあ。……やった、勝った」


 藤谷の元へ駆けつける級友たち。俺もすぐにでも行きたいけど、さっきの走りが限界を越えていたのか、足が満足に動かない。

 たった百メートルで。……たった百メートル、俺の全力だ。

 歓声が聞こえる。そんな中、息が上がり切って力尽きた俺は校庭の砂地に倒れ込んだ。

 藤谷と違って周りに誰もいない。それは、努力しても結局彼には勝てなかったということでもあった。俺の考え方が正しいと証明された証拠でもある。

 だけど、どうしてだろう。そう悪い気分じゃあ無い。努力なんて無駄だと主張していたのは俺なのに、その俺が、無駄ではないと思ってしまう――。


「……ほら」


 ――小さな影。目を開いて前を見ると、小さな手が差し出されていた。


「転んじゃ駄目だって言っただろ?」


 手の主を、見上げる。いや、見なくてもわかっていた。


「……ありがとう。新山さん」


「……お疲れさま」


 その手を取って、立ち上がることまでは俺の足が許してくれなかったが、上体を起こして地面に座ることは出来た。

 俺を座らせた新山さんが隣にしゃがみこむ。


「優勝したね」


「藤谷のお陰だけどね」


「でも、五位から二位まで持っていったのは君だろ?」


「……うん」


 俺には本来、そんな力はなかった。でも、新山さんに焚き付けられて、練習して、転んで失敗して、折れそうになって、それでも支えてくれる人のおかげで得た結果だ。

 だから、だからこそ自信を持って言える。


「……俺だ」


「本当、見直した。『好きになれない』っていうのは訂正しても良いかな」


「……え?」


 驚いて隣の新山さんの顔を覗き込む。いつもの無表情からは想像が出来ないような見惚みとれるような笑顔だった。


「……ん?」


 またいつもの無表情に戻って首を傾げる新山さん。慌てて目をそらして、でも落ち着いてからゆっくりと空を見上げる。

 青空に申し訳程度に漂う雲の流れが遅い。風のない、穏やかな天候だ。


「いや、これからも転ばないように気をつけなきゃな、って」


「……そう」


 ああ。本当に、良い天気だ。

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