罪科(1)
夕方が徐々に近づいてきて、傾斜のついた太陽光が赤みを帯びて降り注ぐ。その中にひっそりと現れたのは石と木で作られた家々だ。フラルダリル鉱山の周辺と同じく乾燥している大地だが、一本の川が流れ込んでおり、それを挟み込むように村が広がっている。その外縁部には小さいながらも農地があり、何らかの植物が並べて植えられていた。そしてそれよりも外側には簡易な柵が立てられている。
ここまでであればただの小さな村の風景であるが、そこには似つかわしくないものもあった。
武装した兵士たちの存在だ。
のどかなこの『ヒュルー』という村にたどり着いた俺たち義勇軍は、このヒュルーで先遣隊との合流を果たした。元々反乱軍が接収していたヒュルーだったのだが、義勇軍の先遣隊が奪還すべく襲撃しており、俺たちがヒュルーに着く頃には既に敵軍の姿は無かった。
今はマーカスさんたちが先遣隊の指揮官と軍議を行うために村の中央にある大きな石造りの館に籠もっていて、俺を含めて義勇軍の戦士たちは各々が野営の準備を始めていた。
「屋根のあるところで寝られると思ったんだけどな……」
俺は軽い不満を抱きながら薪を組んで、夜の闇に備える。
村にある家屋の数では義勇軍を収容することが難しいのは理解している。我慢するしか無いだろう。分かってはいても嫌なものは嫌なのだが。
「良いなあ」
俺が野営準備をしている村の外れ。その近くにある家の一つを恨めしく眺めてから、慌ててその感情を殺す。弱い気持ちだとしても、嫉妬を抱くのは避けたい。
一度目をぎゅっと瞑ってから、また開く。するとその家の窓から未就学児ほどの年齢の男の子が顔を覗かせているのが見えた。
子供は好奇心旺盛だ。村に現れた兵士が気になってしまうのだろう。気まぐれに手を振ってみると、その顔は引っ込んでしまった。嫌われてしまったのだろうか。
「……ふふ」
控えめな笑い声が聞こえてそちらに視線を向けると、両腕に食糧袋を持ったミアだった。その横には同じく食糧を抱えながら頬を緩めているエレックもいる。
「少年は子供に好かれない、と」
「……見なかったことにしてくれ」
嫌なところを見られてしまった。これでまた俺をからかうネタが増えたわけだ。
ほんの少しうんざりしていると、エレックは食糧袋を地面に置いて俺の隣に座り込んだ。
「どうやら、大きな衝突にはならなかったみたいだな」
エレックが周囲の建物を見ながら言う。彼の言う通りヒュルーの家々はほとんど無傷だし、住人に死人が出たという話も入ってきていない。
これも聞いた話だが、義勇軍先遣隊の攻撃に対して反乱軍は大きな抵抗をしなかったらしい。フラルダリル鉱山に駐屯していた反乱軍の大多数がヒュルーへ向かっていたはずだったのだが、それも終ぞ現れなかったとのことだ。
逃げ去ってしまったのか、それともまた戻ってくるのか。どちらにせよ警戒しておくに越したことは無いと判断した先遣隊は、とりあえず簡易的な柵を村の周囲に張り巡らせて備えたのだという経緯を戦士の誰かが話しているのを俺は既に小耳に挟んでいた。
「反乱軍は、どういうつもりなんだろう」
俺がエレックへの返事代わりに提示した疑問。ただ、その答えにそこまで大きな興味は無いのが本音だった。
俺は組み終わった薪を一瞥し、立ち上がる。ミアとエレックが俺を見上げる。
「ふたりとも、まだしばらくここにいる?」
ミアがうなずく。エレックは「今日も訓練するか?」と聞いてきた。俺は首を横に振って、地面に置いていたグングニルを拾った。
「ちょっと村を回ってみたい。一周したら戻ってくるよ。それから稽古、つけてくれると嬉しい」
村を回りたいというのは嘘ではないが、正確ではない。村を回るのはソラたちの居所を探るためだ。もちろん、二人には話さないが。
都合、戦争に参加してしまっている状況だけれど、俺の目的は変わっていない。『元の世界に戻ること』。『そのために誰かのアクセサリーを奪い、その持ち主を殺すこと』。
俺は小さくため息をついてから、ミアとエレックをその場に残して、一人でヒュルーを歩き始めた。
○
ヒュルーという村は、俺が今まで見てきた村とは違った特徴を持っていた。
周囲に大きな森などが存在しないからか、主な建材は石やレンガになっている。梁や骨は木製だけれど、全てが木製の建物というのは見当たらなかった。
そして一番の違いは農地の小ささである。村一つが全員食っていけるほどの広さの農地が無い。その割に、見かける村人はやせ細っていたりはしない。何か食い扶持はあるんだ。
「鉱山労働か……」
村の通りを歩いていた俺は、すれ違う家々の外壁に立てかけられているツルハシを見て理解した。
元々、この村は魔導石を産出するフラルダリル鉱山の鉱夫やその家族がいる村だ。鉱石という充分な生産物がある。交易さえ可能ならば食糧は手に入るはずだから、無理に農業に従事する必要はないということだ。
雨もふらなさそうだし、農業自体、この乾いた大地にはそもそも向いていない気はする。
「そういえば」
ふと、疑問が湧いてきた。それは『この世界に季節はあるのだろうか』という疑問だ。
地球であれば、乾いた土地にも雨季があったりするものだし、日本であれば梅雨なんかもある。
「今度ミアにでも聞いてみようかな」
俺がこの世界に来てから基本的に気候は安定していた。嵐に遭うこともなかったし、寒さに凍えることもなかった。暑さは……はじめのジャングルで感じたくらいか。
気温の差があるということは、風が吹くということだ。暖かい空気が空へ向かい、冷たい空気が地面に降りてくる。
風が吹くなら季節もありそうだな……。
知識があるわけではないけど、なんとなくそんなことを考えながら歩みを進めていく。村の大きな道に沿って歩いていくと、石造りの大きな館が遠くに見えた。
「まだ打ち合わせしてるのかな」
地面を蹴って小さな砂埃が舞う。靴の底から細かな砂地を感じ取りながら、俺は見覚えのある横顔を視界に捉えて立ち止まり、目を細めた。
「あれは」
胃の辺りが縮こまり、心臓が持つリズムが速まる。道の真ん中を歩いていた俺は慌てて端に寄り、放置してあった木樽の影に隠れる。
見覚えのある横顔までの距離は二十メートルくらいか。石造りの館から離れるように、どこかへ向かって歩いている。向こうはまだ気づいていない。
「いきなりだな」
ある程度心の準備はしているつもりだった。追い求めていたのだから。ただ、こんなに簡単に見つけられるとは思わなかったから動揺してしまう。
そう、見つけたんだ。
俺の目は自然と見覚えのある横顔を……その色素の薄めな白い肌と黒いセミロングの髪を持つ女の子を追う。
「……天見さんか」
天見、舞。ソラたちと行動している元の世界の人間の一人だ。いつだか着ていた高校の制服は着ておらず、代わりにフード付きの白いローブマントを身に着けていた。
前回会ったのは王都か。俺が嫉妬の力に溺れて、アークを『風の刃』で攻撃した時に彼女がそれを防いだ。その後はフルに身体を乗っ取られて、……殺そうとしたんだっけ。
見失わないように目で追いながら、口元に拳を当ててため息をついた。
彼らから物資を盗んで逃げたこともあり、元々悪かった心象は今や最悪最低となっているだろう。話しかけた瞬間に即攻撃されてもおかしくない。
こちらの手に『魔導石』があるとは言え、フルの力も無い今の状態でまともにやりあったら勝ち目はない。だから、まともにやり合わない方法を考えよう。
「ベタだけど、寝首か」
俺は天見さんの白い首もとを眺めてつぶやく。そして、そこに小刀を突き立てて、赤い血が流れる……というところを想像し、気分が悪くなってやめた。
「……一度、一樹とは話しておくか」
暗殺が成功したらもう二度と彼らの前に姿を現すことができなくなる。その前に一樹と情報交換をしたい。もしかしたら向こうで何かわかったことがあるかもしれない。
「どっちにしても、居場所は突き止めておかないと」
俺の視線の先で、天見さんが通りに入っていった。俺は木樽からそっと身体を出して、細心の注意を払い追跡する。石造りの館の近くをうろついている他の戦士たちにも怪しまれないように、なるべく自然に歩く。
天見さんが先程入っていった通りの前までたどり着いて、俺はゆっくりと角から通りを覗き込む。天見さんの後ろ姿を見つけて息が止まりそうになる。彼女は通りに入って五軒目の建物の前で立ち止まって、そのまま中へと足を踏み入れていった。
おそらくあそこがソラたちの潜伏場所。
「もう少し、近づけないか」
暗殺するにしろ、一樹だけと話すにしろ、彼らにバレないように忍び込む必要がある。侵入は夜に行うとして、明るい今のうちに彼らの潜伏場所をよく知っておきたい。二階はあるのか。裏口はあるのか。窓はどこか。
「……行くか」
一瞬だ。一瞬あの建物の前を通ろう。その時に横目で見て把握するんだ。
息を飲んで、通りに入る。額に汗が滲み出す。グングニルを握る手が震える。一歩、二歩、三歩……大丈夫だ。一軒目を越える、二軒目を越える。よし、この調子で進めばきっとバレないーー。
「ーー止まれ」
少年の声と同時に、背後から、俺の頭の横からするりと剣が伸びてきた。俺は無言で立ち止まる。気配など感じなかった。足音でさえ。
「そのまま、振り返るんだ。そんな物騒なものを持って、何か用か?」
拳に力が入った。続いて聞こえてきた背後からの声で、誰が俺の後ろに立っているのかが分かった。……狛江、ソラだ。
俺はグングニルを強く握る。まだ、目の前の不審者が俺だとは気づいていない。服も変わったし、持っている武器も違うから勘違いしたのか。
……好機かもしれない。
今、振り向きざまにこのグングニルを突き出す。魔法を使っていなければ反応できないはず。そのまま彼の金色のペンダントを掴み取って逃げ出せば終わりだ。すぐに荷物を回収しに戻って、そのままこの村を出る。そうしたらフラルダリル鉱山へ逃げ込み、坑道内で三日を過ごす。
やれる。できる。元の世界に帰れるんだ。
「おい、聞こえてるのか?」
ソラが催促する。俺はグングニルを握り、……ただ、ゆっくりと振り返った。
焦るな。偶然できた好機なんかに舞い上がって流されるな。今は下調べで、実行は今日の夜。自分の考えた方針を信じるんだ。
「……お前……!」
やはり、声の主はソラだった。天見さんと同じ白いローブマントを身にまとっており、剣を構えたせいで開いた上着の隙間から、その中に鎧のようなものを着ているのが見えた。
彼は目を見開いて、それから剣を首元に寄せてきた。
「何で、ここに……!」
刃物が首元に触れているその圧力に震えてしまいそうになりながら、それでも俺はソラから目を逸らさない。
一方の彼はなぜだか憔悴しきっているように見えた。うっすらとクマが浮かび上がっているし、眉間にシワを寄せて作るその表情は威圧感とともに、痛々しさすら覚える。
俺はゆっくりと口を開く。
「敵意は、ないんだ。これを、下ろして、もらえないか」
伝わるように、視線でソラの鋼鉄の剣を見る。刃先が欠けていたり、刀身に幾つもの傷がついていて、彼が何度もの戦いをくぐり抜けたのであろうことが読み取れた。
俺の訴えに対して、彼の顔つきは変わらない。そこに鬼気迫るものを感じた俺は恐怖しながらも、何故か憐れみも同様に感じていることに気がついた。
だからだろう。余計な一言を言ってしまったのは。
「……どう、したんだ。何か、あったのか」
「五月蝿え!」
ソラが急に激昂する。彼はその剣を引き、空いている左手で突き飛ばしてきた。
「ぐっ……」
相変わらずの馬鹿力だ。尻もちをついた俺は立ち上がって後ずさる。
ソラが剣を構えている。しかも、よく分からないがキレている。でも、戦いになるのは避けたい。真っ向からじゃ、俺は歯が立たない。
「お前はまた……、俺たちの邪魔をするのか……!」
ソラの胸元にある金色のペンダントが淡く光り始める。まずい。『光の弾丸』だ。あれはカイルの『氷の刃』とは段違いの速度なんだ。魔法無しで、避けられるわけがない。
俺は焦って叫ぶ。
「違う! 話を聞いてくれーー」
「ーーソラ? 何騒いでるのー?」
その声は、俺の背後で扉が広く音が響くのと同時に聞こえてきた。この声にも覚えがある。確か、この声は……。
「綾香! 来るな!」
「え? 何、で……」
思わず振り返る。ソラの制止を無視して、彼らの潜伏場所の家から、白石綾香が現れた。いや、それだけじゃない。続くようにして、天見舞と成瀬速人。
シュヘルで袂を分かった彼らが、その場に揃ってしまった。