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追跡(7)

「おい! 輝くん! しっかりしろ!」


 声が聞こえる。どこかで聞いたことのある声だ。視界はおぼろげだ。しゃがみこんだままで、俺は動かない少女を腕の中に抱いていた。


「……くそ! この子、このままじゃ……。早く包帯を持ってこい!」


 声の主は随分焦っている。誰かが俺の腕から少女を奪い去る。ゆっくりと顔をあげると、眼鏡をかけた背の高い茶髪の青年が少女を抱えて誰かに指示を飛ばしていた。


「強心草と止血薬も早く! 絶対助けるんだ! 子供を死なせてたまるか!」


 そして、茶髪の青年が俺を見下ろす。眼鏡が陽の光を反射して、その顔が見えない。それでも、その眉間の皺が、固く結んだ口が、頬を伝う汗が、彼の悲しみと必死さを表しているようだった。


「……こんなところで再会するなんて、思ってもみなかったよ……」


 今の俺には回復魔法は撃てない。だから、この人に任せるしか無いと思った。そう思った瞬間、全身の力が抜けていく。まぶたが落ちて、暗闇がやってくる。


「輝くん! ……おい! 担架をもう一つ持ってこい!」


 耳から入ってくる喧騒と一緒に、俺は意識を手放した。



「う……」


 目を覚ます。仰向けに地面に横たわっている。俺は慌てて上半身を起こし、今の状況を飲み込もうと首を左右に動かして周囲を見渡した。

 あたりが暗い。もう日が落ちて夜になっている。傍らに焚かれている篝火の明かりがぼんやりと闇を照らす。俺の寝ている場所は薄い布の上だった。直ぐ側にはグングニルと小刀もある。


「武器……ああ!」


 そうだ。戦いは……ミアはどこだ!

 寝ぼけていた頭が回り始め、次第に状況を思い出していく。俺のいた義勇軍が反乱軍による強襲を受けて始まった乱戦。その中でミアは俺を庇って背中に傷を負った。

 ……その後の記憶がおぼろげだ。それでも、武器と一緒にここに寝させられていたということは捕虜になったわけではない。きっと義勇軍が勝ったんだ。だったら、俺の今寝ている場所は……。


「うう……痛え……」


 突然、傍らから呻き声が聞こえて俺は身体を震わせて声に向き直る。篝火に照らされて、赤黒い包帯を上半身に巻いている男が横たわっているのが見えた。


「畜生……許さねえ……!」


 ぶつぶつと怨嗟を呟く男。よく見ると右腕の肘から先が無い。


「くそ……くそ……」


「いてえええ!」


「助けてくれ……」


 四方から呻きがこだまする。右腕を失った男から目を離し、暗闇に慣れてきた目で再度周りの様子を伺うと、何人もの人間が地面に身体を横たえていた。

 ……怪我人の治療所だ。ここは。よく見ると怪我人だけではなく、懸命にその手当を行う人が何人も暗闇の中で動き回っているのがわかった。


「ミア……エレック……」


 俺は武器を手に恐る恐る立ち上がる。野営にあまり活気はなく、悲しみや怒りの冷たい空気が流れてくるようだった。


「ミア! エレック!」


 俺は周りに目を走らせる。黒のショートヘアを探す。金髪の青年を探す。小柄な女の子を探す。長身の男を探す。

 いない。……いない。いない。いない。


「そんな……まさか」


 呼吸が震えた。目の裏で、ミアが俺を庇った光景がフラッシュバックした。胃の中身を戻しかけて、ひざまずく。

 死んだのか? 俺のせいで? 俺の非力のせいで?


「……あ、ああ――」


「――輝くん!」


 俺を呼ぶ男の声。涙をこらえて、俺は声の主を振り向いた。

 背の高い茶髪の青年。眼鏡をかけており、無精髭を生やして疲弊した様相。でも、その優しい顔立ちには覚えがあった。


「……イースさん」


 彼の名前はイース・ツナシ。フォルという町で出会った医者の青年だ。彼は俺がライツというネズミの化物につけられた傷によって死にかけていたところを助けてくれた恩人だ。


「もう、君は大丈夫そうだね。……この戦いに参加してるなんて思わなかったよ」


 そう言って力なく笑う。その痩せこけた頬を見て、目をそらす。彼は医者だ。魔法に頼らずとも、多くを救いたいと思っているような人間だ。だからこの戦争にも軍医として義勇軍に参加したのだろう。

 ……待て。軍医なら、ミアの場所を知っているかもしれない。

 俺はもう一度立ち上がる。


「イースさん! ミアを……このくらいの身長の女の子を知りませんか! 背中に傷を負っていて……! 俺も、さっきまで一緒にいたんですけど……!」


「……ああ。……そうだね。……案内する。足元、気をつけてくれ」


 イースさんが踵を返し、歩き始めた。俺は慌ててその後に続く。『無事なんですか』と問い詰めることが出来なかった。いや、訊くのが怖かった。

 唸り声を上げて苦しむ者。安静にして休む者。既に動かなくなってしまっている者。その人たちを通り抜けた先に、ミアはうつ伏せで寝かされていた。そして、その横にはエレックもしゃがみこんでいた。


「あまり刺激を与えないように――」


「――ミア! エレック!」


 イースさんの言葉を無視し、駆け寄っていく。動かないミアと、俺の存在に気がついてこちらを見るエレックに近づいていき、俺は腰をおろした。


「……少年。無事だったか。良かった」


「……エレックも。ミアは……」


「見ての、通りだよ」


 暗い目を落としているエレックの視線を追いかけると、一人の少女が寝かされていた。

 ミアの服は途中まで捲られていて、包帯が巻かれている。赤黒い血が真っ白な包帯に今も染み出している。


「ミア……!」


 ミアの顔が嫌に白い。目は閉じたままで、ピクリとも動かない。投げ出されているその手を握ると、心が凍るほど冷たかった。

 呼吸はしているようだった。上半身が上下に動いている。でも、ミアが消えようとしているのは見てわかった。

 後から来たイースさんが俺の隣に座り込み、ミアの手をとって脈を計る。計りながら、話しかけてくる。


「この子は輝くんの仲間なんだね?」


 俺は無言で頷く。大切な、仲間だ。


「斬られたとき、相手の刃物が背骨に引っかかったみたいで、傷は内臓まで達していない。傷口は縫った。薬も使えるだけ使ってる。君の仲間だと思ったから、手は尽くした。だが……血を流しすぎている。失血死の恐れがある。……むしろ、良く持ってるよ」


「失血死……? ミアは死ぬのか? 呼吸だってしてる。手も冷たいけど脈はあるだろ!」


「……それもじきに無くなる。……もしかしたら、君が来るのを待っていたのかもな。側に、居てやってくれ」


「そんな……」


 俺の横に座っていたイースさんが立ち上がった。


「他の患者が待ってるからもう行くよ。輝くんに会えて良かった。……君は一旦ハリアに戻った方が良い。戦場ここは君みたいな少年や、彼女のような少女が来るべき所じゃないんだ」


 彼は疲れた声でそう言うと、ずれた眼鏡を直しながら去っていってしまった。動かないミアと、何も言葉を発せない俺とエレックと、しばしの沈黙がその場に残される。

 俺はミアの手をとって、その冷たさを打ち消すために握り続けた。


「少年……。ミアは、お前を、守ったんだな……」


 エレックがぼそりとつぶやいた。俺は何も言えずに、ただうなずく。


「そうか。……ミアは、少年を守りたいと言っていたよ。名前をくれた人だからと、言っていた」


 名前なんて、命をかけるほどのものでもないだろう。元の世界じゃ、当たり前に与えられて、当たり前に名乗り続ける、そんな程度のものだ。

 それなのに、俺はミアのことを知っているから、名前程度とは思えない。彼女が服従の魔法から開放されて、手にしたものだとわかっているから。


「……ミア……!」


 俺はミアの冷たい左手を握る。小さくて、しなやかで、陶器のように透き通る。すると、わずかに、握り返してきた。

 驚いて、ミアの顔を見る。目は開いていない。口を動かしていた。『ありがとう』と、動かしているように見えた。直後に、握り返す力が抜けていく。


「あああ……!」


 俺が巻き込んだ! 俺が殺した!

 また涙が込み上げてきた。頭を垂れて、胸元から飛び出してきた銀色のリングが俺の視界に飛び込んできた。


「……アクセサリー……」


 俺は藁にもすがるような思いでそのリングを握った。魔力があれば、『フル』さえいれば命を繋ぎ止められる。

 思い出す。

 フォルにたどり着くまでに死なずに済んだのは何故か。ハリアの闘技大会で傷を何度も癒せたのは何故か。ハリアの路地裏で傷ついたミアを癒したのは何か。ソラと対峙して、腕まで吹っ飛んだのに五体満足でいられるのは何故か。


「イメージだ……」


 フルは言っていた。想いの力が魔法を使うのに必要だと。『覚悟』でも『嫉妬』でもいい。目の前のミアを救うためなら、フルにこの体を受け渡したって良い。

 俺は、彼女を助けたい……!


「応えてくれ……! 頼む……!」


 決意と共に俺はペンダントを強く握った。そして目をつむる。

 ミアの傷が治る――。

 ただそれだけを脳内で考えて、ミアの傷口に手をかざした。


「はは……」


 だけど、目を開いてもミアの傷は治らない。それどころか、銀色の光すら現れない。……変化なし。やっぱり俺はただの無力な人間なんだ。


「あはは……」


 本当に、心底笑えてくる。

 『覚悟』? 『嫉妬』? 何だよそれ。何の価値もない。そんなくだらないものに巻き込まれて目の前の少女が死んでゆく。


「俺に……魔力があれば!」


 俺が目を固く閉じた瞬間、いきなり乱暴に肩を掴まれた。涙をこらえて振り返る。エレックが目を見開いていた。


「……少年、魔力があれば何とかなるのか?」


 先程まで全てを諦めたような顔つきだったエレックの表情に力が戻ってきていた。いや、力というには足りないかもしれない。これは、祈りに近いものだ。

 俺はエレックからミアへ視線を逸らして、それから王都の図書館で得た情報や、エレックから聞いた魔法武器についての話をつなぎ合わせていく。


「……魔法を使うには、魔法陣と魔力が必要だ……。……あの奴隷商が使っていた魔法武器がその証明だ……。あいつが『飛ぶ斬撃』を使うためには魔法陣を刻み込んだ武器と、動力としての『魔導石』が必要だった……」


 この世界に来て見聞した知識を元に、浮ついた仮設が組み立てられていく。


「……俺のこの『アクセサリー』は魔法陣も、魔力も無しで魔法が使える様になるアイテムだった。魔法武器と同じ仕組みだと考えれば、アクセサリーには魔法陣が備わっていて、宿っている精霊が魔力の源なのかもしれない……。精霊は封印されてしまった。だけど、ここにこうして銀のペンダントは存在している……!」


 つぶやく声に力が入る。

 この俺の仮設だって、確証は無い。それでも、都合がよくたって、祈らずにはいられない。この気持はエレックも同じなのだろう。


「だったら、魔法陣はここにある……! あとは動力が……魔力さえあれば『アクセサリー』が使える。……回復魔法が使える! ……でも俺には魔力が備わってない。『魔導石』だってここにはない……」


 そう。結局手詰まりだ。あの奴隷商から魔導石を一つ二つ奪っていれば話は違ったかもしれない。でもここにはそんなものは存在していない。無力な俺がいるだけだ……!

 だというのに、俺の言葉を聞いたエレックの表情はまだ、絶望に飲まれていなかった。


「だったら! それを俺が使えば良いんだろう!」


「……そうか。エレックも魔法、使えるんだ……!」


 普段使用しない程度にしかないと言っていたエレックの魔力でも、ミアの傷を癒やすのには充分足りるかもしれない!

 急いたエレックが俺の胸元の銀のペンダントを掴み取ろうとする。だが、静電気が流れるときのような、電流が走るときのような音がして、エレックのその手は弾かれてしまった。


「く……! 触れもしないってか……!」


 だが俺は、それでも可能性を感じていた。弾かれたエレックの手を右手でつかみ、それから空いている左手でペンダントを握りしめた。


「少年、何を……!」


「良いから……!」


 俺は銀のペンダントから力を引き出していたときのことを思い出す。冷たい金属の装飾品。それが、『生身の人間』に変わっただけだ。力を引っ張り出して、ペンダントから全身に回す。その工程に変わりはない!

 ……エレックを、一個の『アクセサリー』だとイメージして、力を引き出す!


「ぐっ……!」


 エレックが苦しそうな声を出す。同時に、彼の手を握る俺の手のひらを窓口として、異質な『力』が流れ込んできたのを感じた。


「痛っ……!」


 手のひらから痛みがどんどん上がってくる。異質なものが無理やり身体に流れ込んできた拒否反応なのかもしれない。自分の右手を一瞥すると、皮膚の所々が裂けて血が流れ始めてきた。


「少年! 血が……!」


「良い! 我慢する!」


 痛みは腕を通って胸元までたどり着く。アクセサリーに『力』が行き渡り、ぼんやりと光りを宿し始める。光の色はフルの銀色でも、俺の白銀色でも無い。……柔らかい、緑色。


「ぐううう……!」


 アクセサリーまでたどり着いた『力』を、今度は左手へ持っていく。エレックの『力』が、俺と異質の『力』が左腕の細胞を蹂躙しながら、手のひらへ集まっていった。

 力を介している両腕が焼けるようだ。内側からぐちゃぐちゃにされているようだ。


 ……でも、構ってられるか!


 すぐにでも止まりそうなほど弱々しい呼吸をするミアの背中。その傷口に左手をかざす。

 治癒のイメージだ。今までの旅で何度も何度も使ってきた回復魔法を使うときのイメージ。胸元のペンダントが更に輝く。同時に俺の左手から、淡い緑色の光が溢れ出した。

 ミアを慈しむ優しい色の光。エレックの想い。


「ぐ、おおおおお……!」


 光に照らされたミアの背中の傷口が閉じていく。少しずつだがミアの顔色も良くなってきた。それに比例して両腕の皮膚が破け、真っ赤な血が滴り落ちる。そして、俺の両腕を蝕んでいた痛みが無くなる頃には、ミアの傷口が完全に塞がった。


「はあー……はあー……」


 俺はエレックから手を離す。エレックはと言うと、全身から汗を吹き出して息を荒げている。無理やり魔力を毟り取って回復魔法に転用したんだ。きっと苦しいはずだ。

 でも。それでも……。


「……う」


 唸り声と共に、ミアの頭がピクリと動く。徐々にそのまぶたが開いていく。


「……ここ、は……」


「ミアっ!」


 魔力を無理やり酷使された自分だっていつ倒れてもおかしくないというのに、エレックはミアに抱きついて、その頭を撫でる。


「え、エレック! ちょ、ちょっと……!」


 ミアが照れたり慌てたりするのをお構いなしにエレックはミアに抱きつきながら涙を流していた。嬉し泣き、だ。

 その光景を見て俺は大きく息を吐いた。


「……良かった……」


 俺の腕に通った魔力からエレックの想いの端は感じられた。彼がどれだけ彼女を大切に想っているのかも、十二分に伝わってきた。一方的に抱きつかれて混乱するミアと、むせび泣きながらミアに抱きつくエレックを見た俺は静かに立ち上がる。

 両腕のしびれる痛みは続いている。力は入るが、このままにしておいたら服が血まみれになってしまいそうだ。先にイーズさんのところに包帯を貰いに行こう。それに――。


「ほんとに、良かった……。ありがとう。ミア。エレック」


 ――邪魔しちゃ悪いかな。

 俺は二人を置いて、そっとその場を離れた。

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