追跡(3)
三人に見送られながら立派な庭園を抜けて、俺はユリウスの家を離れた。エレックがとっておいてくれているという宿屋に向かって歩きながら俺は物思いに耽る。
現状、知っておきたいことは全て知ることができたといって問題ないだろう。グングニルという名前のこの武器についても、ソラたちの居場所についてもわかった。強いて言えば、誰も犠牲にせずに元の世界に帰るための方法なんかを知ることができたら一番いいのだが、そこまで都合のいいことを望むのは欲張りか。
「軍に、ね……」
マーカスさんに誘われた話だ。たしかに彼の言う通り、すでに義勇軍として動き始めているソラたちの居場所を正しく知るためには、俺も同じく義勇軍に入るのが効率的だし正道だ。
だからといって、簡単に決められることでもない。
戦争や軍隊という言葉を耳にするたびに俺は学校の授業で目にしたショッキングな写真を思い出す。日本が敗北した第二次世界大戦。先の戦争の『悲劇』としての一面を強く押し出して義務教育に組み込んでいるのは正しくないことだと実感した。
本来、歴史では『戦争が起こった』ことを悲劇ではなく、ただの事実として伝えるべきだ。悲劇的な側面を強調されて教え込まれているせいで、真実以上の恐怖に囚われてしまう。現実として目の前に武力衝突が発生しようとしているのに、思考停止して頭の中に染み付いた『戦争は恐ろしいもの』という概念を受け入れてしまいそうになる。
戦争は、この異世界だけで起こっていることではない。元の世界に戻れば地球のどこかで行われている現実だ。『戦争は避けるべきだ』という理想や感情に固執するだけではなく、事実を見つめて……現実として、自分がどうするべきかを考えられるようにならないといけない。
……ちゃんと自分の頭で考えなくちゃ。少なくとも今、元の世界に帰るという目的を達成するためには……避けて通れない事柄なのだから。
俺は足を進めていく。エレックから受け取っていた簡易地図を見返しながら道をたどり、迷うことなく宿屋を見つけることができた。
今も頭の中で迷い続けている俺の思考とは正反対で、なんだか嫌らしい皮肉のようだ。
「やっぱり、相談、してみようかな」
自分一人で答えを出せない。だったら、俺とは違った視点からの考えを聞いてみよう。二人とも俺とは全く違う人生を歩んできているんだ。なんなら育った世界まで違う。比喩ではなく。
「うん。そうしよう。それがいいな……」
俺はそう決めてから、たどり着いた宿屋に足を踏み入れていく。
まだ時刻は夕方だ。二人の買い物が既に終わっているといいけど……。
「いらっしゃい」
宿屋に入ると、カウンターから店番の男性が気だるそうに声をかけてきた。
この宿でエレックかミアが部屋をとっておいてくれているはずだ。……というか、エレックだな。彼が今のミアに宿の申込みをさせるとは思えない。受付に名乗る必要があるからだ。
「あの。エレックっていう名前の人が部屋とっといてくれてるはずなんですけど……」
エレックの考えを想像しながら、ミアではなくエレックの名前で切り出す。店番の男性がカウンターの上にある帳簿を開いて名前を探しはじめた。それから視線を向けてくる。
「ああ、エレックさんね。聞いてるよ。一応、あんたのお名前を頂いていいかな」
思った通り、エレックの名前で部屋を抑えているみたいだ。安心してから俺も名前を名乗る。
「久喜、輝です」
「……ふむ。聞いてはいたが、まさか本当に『久喜輝』が現れるとはね」
店番の表情が好奇心に覆われたように歪む。しまった、と思ったのもつかの間、彼はすぐに真顔に戻った。
「まあ、騒がないように言われてるから、これ以上何かを言うつもりもないがね。お代ももらってるし。……部屋に案内するよ」
胸をなでおろす。エレックが予め言い含めておいてくれていたのだろうか。
……いや、ミアのためかもしれないし、そもそも職業倫理としては誰が泊まろうが騒がないのが当然だ。
「いえ、大丈夫です。お手数はかけません。部屋の場所さえ教えてもらえれば……」
俺は店番の提案を退けて部屋の場所を訊いた。当たり前とはいえ静かにしておいてくれるんだ。面倒はかけないようにしたい。
「そうかい。部屋は三号室。階段を登って左側だ」
「ありがとうございます」
店番の彼が指し示す先には木製の階段があった。この上か。
店番に会釈してからリズム良く階段を登っていき、彼が先程言ったとおり廊下の左側に『三号室』と書かれた札がかけられた扉を見つける。
ドアノブに手をかけて、扉を開けた。
「悪い。遅くなった……。ん?」
殺風景な部屋の中に、綺麗な少女が佇んでいた。
短めの黒髪に髪飾りをつけている。何か全体的に白くてフリルのついたふわふわした格好をしている。どこだかのお姫様のようで、一瞬、見惚れてしまう。
ほんのりと化粧もしている横顔。視線は窓の外に向いている。
「……あ」
呆けている場合じゃない。この人は誰だ? 部屋を間違えたか?
目線を少女からそらして、たった今押し開けた扉を見る。三号室で間違いない。部屋を間違えたわけではない。
一瞬、空き巣の可能性を考えたが、頭の中ですぐに否定した。化粧も含め、随分印象の違う格好をしているが、よく見ると顔つきに見覚えがあったからだ。
「……ミア、なんで急にそんな格好をしてるんだ?」
部屋の中の着飾った少女――おめかししたミア――は俺に気がつくと、慌てた様子でうつむいてしまう。
「あ、輝! えっと、これは……エレックが……!」
「おお、少年。戻ってきたか」
唐突に後ろからも声をかけられた。振り返るとエレックが麻袋を抱えて廊下に立っていた。
「ん、どうした少年? 早く部屋に入れよ。……あ、もしかして――」
彼は抱えている荷物の向こうでいたずらっぽく笑みを浮かべる。
「――ミアに惚れたか?」
「……う」
急に恥ずかしくなってくる。顔が熱くなってきている気がして、俺は「からかわないでくれよ」と言いながら取り繕った笑いを浮かべて部屋に入り込んだ。
○
俺、ミア、エレックの三人は部屋に備え付けられていた椅子に座って、お互い別行動していた時のことを報告しあっていた。
ミアは先ほどと同じく、見慣れない女の子らしい服装をしている。違和感のせいなのか、似合っているからなのか、つい目が彼女の姿の方に向いてしまいそうになり、俺はそのたびにそわそわしてしまう。
ミアはミアで今の格好が落ち着かないらしく、しきりにスカートの裾を弄っている。エレックだけが満足げに悪い笑みを浮かべていた。
「名案、だろ?」
ミアが何故こんな格好をしているかの理由についてはエレックから聞いた。彼の面白がる表情とは打って変わって結構真面目な理由だった。
ミアは今、闘技大会での出来事とサターンの蜂起のせいでハリアの住民からあまり良いイメージは持たれていない。だが、街に入った以上、人の目から隠れ続けることは不可能に等しい。
そこでエレックはミアを女装――本来、女性のミアに対して使う言葉ではないが――させることにしたのだと言う。
ハリアの人はミアのことを男だと思っている。それは、過去にミアが『デミアン』という、ダグラス家で家督になる男性が受け継ぐ名前を使用していたからだ。だからエレックはそれを逆手に取って、ミアに化粧を施して女の子らしい服を着せた。
本来の、少女としてのミアはハリアの人々には認知されていない。故に、この格好であれば問題なく外も出られたのだとか。
「なるほど……」
感心もしたが、エレックの個人的な趣味な気がしないでもない。現に彼はいたずらを成功させた子供のように楽しそうに笑っている。
一方ミアは居心地悪そうにしている。数年ぶりのスカートに慣れないんだそうだ。
「やっぱり落ち着かないよ。ボクが服を選びたかったな。……ボクには、こういうのは、似合っていないし」
そんなふうに文句を言う彼女だったが、俺の目から見ても充分に似合っていた。元々彼女は可愛らしい顔立ちをしているし、鍛えているものの体は華奢だ。しっかりと身なりに気をつければ容姿で男と見紛うことはないんだ。
自信なさげにしているミアに、エレックは笑いかける。さっきのからかうようなものではなく、優しい笑み。
「そうか? ミアは元が良いんだから、いつもみたいな男装じゃもったいないぜ」
さらりと気障な言葉を放つエレックに顔を真っ赤にして照れるミア。
「……う……そ、そんなことより! 輝の方はどうだった?」
必死な照れ隠しなのか、ミアは無理やり俺に話をふってくる。ミアをからかってみたくなる衝動を抑えつつ、俺は手に入れた情報を頭の中で整理し始める。
マーカスさんへの回答は明日の正午までだ。あんまり時間はない。
「収穫はあったよ。……それで、二人に相談したいことがあるんだ」
「相談……したいこと?」
ミアが居住まいを正して頷く。エレックも笑みを消して真面目な顔つきに戻った。俺はそれを確認してから続ける。
「今日、マーカスさんたちと話したんだ。そして、一樹たちが義勇軍に所属して、すでに第一陣としてハリアを出発していることがわかった」
「なるほど……。それじゃ、追いかけるのか? だが、仮にも軍隊だ、外部の人間である俺たちじゃ細かい居場所や行き先なんかの機密情報を探る手立ては……まさか」
エレックは鋭い。多分、俺よりも頭が切れる。だから俺の考えていることにも気がついているはずだ。
俺はエレックに向かって頷いた。
「うん。俺は義勇軍に加わろうと思う。マーカスさんにも誘われたんだ」
「相談したいことってのは、それか……」
エレックが渋い顔をする。彼は腕を組んでから、話を続ける。
「一応聞く。少年は、軍隊に所属することの意味、わかってんのか?」
最初にハリアにたどり着く前、たった数日だがラーズの所属している軍で彼ら軍人のことは見ていた。今思えば反乱軍の中には彼らもいるのだろう。そして、反乱軍と相反する義勇軍に参加するということは、彼らと命のやり取りをするということでもある。
エレックが言っているのはきっとそういうことだ。……俺に、殺し合いをするだけの覚悟があるのかを聞いてきている。
そしてそれに対する答えはまだ出ていない。
「わかっているつもりだよ。でも、軍に入っても、敵の兵士を殺すための覚悟は……まだないんだ」
正直に話した。甘えているだろうか。甘えているのだろうな。
別に平和主義だからでも無ければ、かけがえのない命を奪ってはいけない、という理想論に基づいた考えではない。
この十数日、ソラたちのうちの誰かを殺すことを考え始めてからずっと悩んでいて、素直に俺は怖かった。……他人の命を奪う行為。その責任を負うのが、怖いんだ。
「そうかい」
エレックは小さく息を吐いた。
「……少年の思った通りに行動すればいいと思う。誰かに言われたとおりにするべきじゃない。自分の行動には責任が伴う。選んだ責任からは逃げられないぞ」
彼の目が鋭く俺を射抜く。頭の中を見透かされているような気持ちになり、具合が悪い。……でも、はっきりと言ってもらったからか、少しずつ俺の中で考えは纏まってきた。
「……ありがとう、エレック。……やっぱり俺は義勇軍に参加することにするよ」
俺はやっぱり元の世界に帰りたい。自分の居場所はこの世界じゃない。だから帰る。そのためならソラたちのうちの誰かを殺すことも……選ぶだろう。
帰ることを諦められない。このままこの世界に居続けることを受け入れるなんて、出来ない。
「ミア、エレック。ここまでついて来てくれてありがとう。ここから先は俺一人で大丈夫。……本当に、二人には感謝してもしきれないよ」
「待って。……勝手に、終わらせないで」
制止をかけてきたのはミアだった。彼女はちらりとエレックの方に視線を向けてから話し始める。
「ボクは、輝を一人にしたくない。輝が一人で危険な場所にいくのは嫌だ」
「でも、ミア……」
俺は彼女のことを考える。洗脳されていたとしてもミアは闘技場で人を殺し、王都でその罪に……アークに向き合うことになった。殺すことの辛さを一番わかっているのは彼女だ。俺だって彼女を見ていて、命を奪う責任に恐怖したのだから。
「ミアは、敵を殺せるのか?」
そう問いかけたのは俺ではなくエレックだった。残酷なほど直線的で、それでも目をそむけることは出来ない問いだ。
ミアはうつむき、ぼそりと答え始める。
「ボクは、もう誰も殺せない。殺したくない。でも、輝が一人になるのは嫌だ。今の輝は魔法だって使えなくなってる。……殺されるかもしれない」
「それが、戦いだからな」
間髪入れずにエレックが冷たく返す。ミアはスカートの上においている手を固く握る。
……あんまりだ。ミアは俺のためを思ってくれている。俺だって元よりミアとエレックについてきて貰うつもりはないが、ここまで厳しく言わなくてもいいじゃないか。
俺が口出ししようとしたら、エレックに視線で制された。言葉はないが『黙っていろ』という意図が伝わってくる、圧のある視線だ。
「ミア。例えば少年を殺そうとする敵が現れたらどうする。敵を殺せるのか?」
意地悪な質問だが、戦場では起こりうることだ。ミアは押し黙ってしまう。小さな肩がいつもよりも小さく縮こまって見える。
思わず俺は、場違いではあるのだけど、声もなく広角を上げてしまった。
……ここまで想ってくれるなんて嬉しい。そう感じたからだ。
「ミア。もう、大丈夫だよ。……俺がフルに囚われている時に呼びかけてくれた。王城から逃げ出すのを手伝ってくれた。ここまでの旅にもついてきてくれた。恩返しのつもりなら、もう充分。充分すぎるくらいだ」
ミアが俺を見上げてくる。
「……輝」
そして、それから――。
「ボク、決めたよ」
――俺の予想に反して、覚悟を決めたような真剣な表情を浮かべた。
「ボクは輝を殺させない。でも、殺しもしない。敵が来たら輝を守る。でも、敵を倒すんじゃなくて……輝を引っ張って逃げる」
「……く、あははは!」
いきなり笑い始めたのはエレックだった。先程までの圧力はどこへ行ってしまったのか、顔を緩めて笑っている。
「そんなことが出来るなら、俺は賛成だ! 俺も一緒についていくぜ!」
唐突なエレックの手のひら返しに唖然とする俺とミア。ハッとして、気を取り直して反論しようとしたら無理やりエレックに口を抑えられた。
「俺たちも義勇軍に入る。止めたって無駄なのは、もうわかってるだろ?」
こうなってしまっては、もうどうしようもない。俺が止めても勝手に義勇軍に参加してついてきてくれてしまうのだろう。
俺はエレックの手をどかしながらため息をついた。
「……わかってるよ」
それから、また微笑んでしまう。
二人に危険を強いるのは申し訳ないと思っている。だけど、ついてきてくれる人がいることに嬉しさを感じている俺がいる。現金なものだが、自分の感情に嘘はつけない。
「……世話になりっぱなしだな」
小さくつぶやいてから、俺はミアとエレックと顔を合わせて、少し照れくさくなり、頭を掻いた。