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月の精霊(6)

「凄え……」


 教室の黒板の上に設置されている大型モニターを見上げながら俺は呟いた。


 フルが使った『風爆破』という魔法の威力は凄まじかった。


 フルの伸ばした両手の前にあった銀色の球。それが一気に輝きを増した瞬間、前方のすべてを薙ぎ払うような突風が吹いた。

 いや……。最早、風という表現では正しく表せないと思ったくらいだ。空気が物質であったことを思い出させるような大質量の分子の塊。空気の塊が一気に前方の空間を押し出したのだ。


「こんなところか……」


 えぐれた地面。吹き飛ばされた塵芥と瓦礫。白石さんが生やした樹は無残に崩れ落ちている。フル以外の声も音もない。あの樹か、瓦礫かに皆押しつぶされてしまったのだろうか。


 勝利だ。望んでいた勝利だ。俺が、俺の『嫉妬』がずっと望んでいた……。


「……やった、んだよな……」


 俺は視線をモニターから外してしまう。

 勝利だというのに、望みを達成したというのに、何故か晴れ渡る気持ちよさというものがない。むしろ、何か取り返しのつかないことをしてしまったような。重たい、苦々しい、気分の悪さ。


「……何だ、これ……」


「いやあ。スッキリしたな。なあ、輝」


 フルは語りかけてくる。俺の返事が、声が聞こえているのかわからない。それでも俺は取り繕うようにモニターに視線を戻す。


「……ああ。最高だよ、フル」


 放った言葉とは裏腹に俺は考える。

 何を気にしているんだろう、俺は。人を傷つけてしまったからか。実は仲良くしたかっただけで、本当は傷つけるつもりなんてなかったのか。

 ……そんなはずはない。俺は本気でソラたちを倒すつもりだった。それに、あんな奴らと仲良くだなんて……ごめんだ。その証拠というわけではないが、今だって、確かに喜びを感じている。

 俺を見下してきた奴らを倒せたんだ。『嫉妬』のままに結果を出せたんだ。それでいいじゃないか。


 ……それでも喉に引っかかるような、胸につっかえるような、この気持ち悪さは何だ。


「……あれ、生き残りかな」


 モニターからフルの声が聞こえた。彼は何かに気づいている。視界が動き、フルが振り向いていることがわかる。

 振り向いた先では、一人の少女が……ミアが歩いてきていた。彼女は先程フルが放った『風爆破』とやらには巻き込まれなかったんだ。多分、一緒に居るエレックも無事だろう。良かった。喜ぶべきことだ。だというのに。


「……輝」


 彼女は酷く悲しそうな顔をしていた。俺の見たことない表情だった。ハリアの路地裏でダグラス家の使いに囲まれて殴られていた時も、サターンに見放された時でさえ、あんな表情はしていなかった。

 どうしてだろう。何を悲しく思う必要があるのだろう。俺はソラたちに勝った。ミアもエレックも助かった。良いことしかないじゃないか。


「……ん?」


 フルは首をかしげながら、ミアを視界の中心に捉える。彼女は一歩一歩近づいてきていた。俺が前に、ソラに向かって投げつけた小刀を持っていた。拾ってくれてたのだろうか。


「輝、どうしたの。今の輝は、ボクの知ってる輝じゃない」


「そうかな? でもまあ、良いじゃないか。君もあの餓鬼に狙われてたんだろう? 敵がいなくなって万々歳だ」


「輝、戻ってきてよ。勝てたって、自分を失うなんて……。本当に、悲しいことだよ」


 服従の魔法によって自分を失っていた。その経験のあるミアの言葉が、俺の『引っ掛かり』を揺れた気がした。

 コロッセウムでフルに手をかざされてからずっと感じている、足が浮ついたような、地を踏みしめていないような違和感に拍車がかかる。

 ……何か、俺は勘違いをしている、そんな気がする。


 俺の思考を邪魔するかのように、フルが高らかに笑った。


「ははは! 何を言っているんだ、小娘! 結果、勝てたんだぞ! それが全てだろう!」


「ボクは、『お前』には話してない。……輝に話してるんだ!」


「――ぐ。……気づいてるよなあ、やっぱ」


 ミアの視線にフルが圧されている。そんなフルは珍しいと思った。でも、それも仕方ないだろう。俺だって、今のミアと相対していたら息を飲んでしまうかもしれない。彼女の視線は、いつかのラルガさんや、サターンさんと同じ様な圧力を放っていた。

 ミアは、手に持っている小刀を握りしめる。


「自分を失っていたボクが、『ボク』を取り戻せたのは、輝が折れなかったから。どれだけ追い詰めても、自分を奮い立たせて、最後には左手まで犠牲にして、それでも戦ったから」


 ミアの言葉でハリアの闘技大会を思い出す。

 そうだ。俺はあの時、何度も逃げ出そうと思ったんだ。勝てない。敵わない。それでも逃げなかった。ラーズに教えてもらった『覚悟』があった。『自分の為に、自分の身を危険に晒す覚悟』があった。

 ミアは続ける。


「そして、あんなに強いお父様を相手にしても、輝は逃げなかった。……ボクを守ってくれて、……本当に嬉しかったんだよ」


 サターンを前にした時も俺は逃げようとしていた。それでも逃げ出さなかったのは『自分が自分であるために、自分の身を危険に晒す』。その覚悟があったから。

 ミアはフルの、目の前まで来て、立ち止まった。


「……例え自分の思うままに出来なかったとしても、自分を見失ったりしない。自分が自分であるために、戦っていたのが、ボクの知っている輝なんだ。ボクを守ってくれた輝なんだ……!」


 俺は自分の中で引っかかっていたものに気がつく。浮ついていた心が、少しずつ元の位置に戻っていく。心を固めていたろうが、少しずつ剥がれていく。

 ミアはフルではなく、俺に訴えながら手を伸ばしていた。


「自分を取り戻してよ、輝!」


 モニターに映るフルの手が、彼女の手を跳ね除けた。


「触るな。近寄るな。小娘。これからあの餓鬼を探してトドメを刺さないといけないんだ」


 フルは右手に風を集め始める。銀色に輝くそれは、徐々に手のひらの上に凝縮されていく。


「邪魔するなら君も殺しちゃうよ」


 ミアが恐れを顔に表わして、二歩後ずさる。小さく口を動かして、俺の名前を呼んでいた。


「……やめろ……」


 俺はモニターを前にして呟く。


 ミアを傷つけて欲しくないと思った。俺が『覚悟』を得られたのは彼女がいたからだ。俺が俺であるために、そのために戦う覚悟を。

 確かにその俺の『覚悟』ではソラに勝てなかった。フルによってもたらされた『嫉妬』によってようやくまともに戦うことが出来た。

 でも俺はこのまま、自分じゃない誰かにすべてを明け渡して良いのか。


「そんなわけ……良いわけ無かったんだ……!」


 俺は後悔する。

 自分を諦めて、自分を見限って、辛くたって逃げないで戦うための『覚悟ぶき』も捨てて。そうやって本能のままに求めた『嫉妬』でソラに勝ったって、手放しで喜べやしない。それが本当の勝利だと、思えない!


 俺が、戦うべきだった。それで負けたとしても、いつか勝てるときまで何度だって諦めずに!


「ぐ……何だ……? 抵抗されてるのか……? 馬鹿な……」


 モニターに映るフルの手のひらの上から銀色の風が消えていく。

 俺は夕焼けの教室の中、モニターを見上げながら動かない身体を無理やり動かそうと力を込める。勿論、簡単には動かない。まるで手応えはない。でも、構わない。諦めることだけはしない。


「俺が間違っていた」


 力を入れ続けていると、わずかに、でも確かに体が動き始めた。


「俺は弱い。でも、叩いて叩いて強くなる……強くなりたい。そのために『覚悟』が必要なんだ」


 確かに『嫉妬』という原初の想いは強いだろう。だけど、俺の『覚悟』だって、そう簡単に捨てていいようなものじゃなかったんだ。

 必要なのは、『自分が自分であるために、自分の身を危険に晒す覚悟』――。


「――俺が、俺であるための覚悟だ!」


 全身に電気のようなものが走り、体が動いた。同時に黒板の上の大型モニターが消えて、真っ黒な暗闇を映し出す。

 夕日の差し込む教室で、俺は机に手をつく。久しぶりに体を動かせるようになって、若干の違和感がある。


「う……」


 ゆっくりと体の感覚を確かめていきながら机から手を離す。そして真っ暗なモニターを一瞥してから拳を握った。


「ここにずっと居るわけにもいかない、な」


 俺は前回フルに『精神世界』とやらに連れてこられた時のことを思い出す。

 確かあの時に彼は、『フルを斬ることで目を覚ますことが出来る』というルールをのたまっていた。

 今もそのルールが残っているのかはわからないが、可能性があるなら、やるしかない。


「……フルを探そう」


 そう思った俺は邪魔な机を二、三個退けながら教室を出た。

 廊下に出た俺は左右を見渡す。めぼしいものを探すが特に変わった所は何もない。いつもの学校だ。違うのは人一人すら居ないということだけ。


 フルは何処にいる。


 俺は廊下をゆっくりと歩き始める。歩く度に俺のボロスニーカーの磨り減ったゴム底が廊下と擦れて独特の音をたてた。

 スニーカーで廊下を歩くという行為に新鮮さを覚えながら、呑気なことに若干の罪悪感を感じる。横目で廊下の窓の外を見ると日が低いところまで落ちていた。オレンジ色の光が少し眩しい。


「夕日……」


 フルの言うように、ここが『精神世界』だというのなら、この夕焼けも俺の心と関与している可能性は高い。……だとすると、フルがいるのは『あの場所』で間違いない。

 廊下を突き当たりまで歩くと階段があった。壁に書いてある階数表示を見る。ここは四階だったのか。だとしたら上階に上がる階段は、屋上ゆきだ。


 ……屋上に、行ってみよう。


 眩しいオレンジに目を細めながら俺は階段を登る。


 この階段を登るのには抵抗がある。夏から冬にかけて、何度も何度も屋上で殴られ続けた。蹴られ続けた。『藤谷カズト』と『新山ヒカリ』によって止められるまで、俺は呼び出される度にこの階段を自らの足で登らされた。それが、完全なる服従の証だった。


「最悪だ……本当に」


 胸をこみ上げてくる不快感。心だけじゃない。体が拒否している。それでも、逃げ出さない。今の俺には弱い自分を叩き上げてくれる『覚悟』がある。


「……負けるかよ」


 吐き気を耐えながら階段を上りきった。そして、階段の先の分厚い扉に手をかける。

 この扉の先に屋上が広がっている。何度も痛めつけられた場所。それを自らの手で開くんだ。それにフルもいるかもしれない。心が昂る。俺は今、怖じ気付いている。


「……はあ、はあ」


 呼吸が早くなる。苦しい。俺は重い扉に手をかけた格好で立ち止まってしまった。


 フルは指をさすだけで俺の動きを止めてきた。そんなフルと屋上で闘うことになったらどうする。勝てるのか。そもそも、魔法は使えるのか。逆に、フルが屋上にいなかったらどうする。他に探すあては思いつかない。

 何より……俺はこの『屋上』で、自分を保っていられるのか。


 幾つもの疑問と恐怖が俺の心を惑わせる。手が震えてきた。


「……落ち着け。俺」


 目を閉じて。息を吸い込んで。吐き出して。……しっかり目を開く。

 落ち着く呼吸。酸素が行き渡る。体の隅々まで活力が戻ってくる。


 ……ここで、こうしているだけじゃ逃げているのと一緒だ。俺は今、進まないといけない。俺が俺であるために。


 俺は扉に少しずつ体重をかけた。徐々に開く扉。扉から漏れるオレンジが俺を照らす。


「――良いところで、邪魔してくれたね」


 制服姿の過去の俺、フルは屋上の手摺に寄りかかって、遠くの街並みを見下ろしながら声をかけてくる。そして俺に向き直り、こっちに向かって歩いてきた。


「驚いたよ。また動けるだなんて。自ら、屋上ここに足を踏み入れることが出来るだなんて」


「……フル!」


「そんな怖い顔をするなよ。ま、こっちも時間をかけるつもりはない。さっさと終わらせようか?」


「終わらせる……?」


「何をとぼけてる。わかっているだろ? オレとお前は相容れない」


 そう言ってフルは右手を天高く掲げた。銀色の風がフルの周囲に巻き起こり、その手に集まっていく。


 そうだ。相容れない。体はひとつ。俺の居場所で容量満タン。フルに貸せるような余裕は無いんだ。


 俺は拳を強く握って前に突き出す。その手に力を込める。出来るはずだ。『嫉妬』がなくても、今の俺にははっきりとした『想い』が、……『覚悟』がある!


「体を……返して貰う! 俺が俺であるために!」

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