身分(1)
【王都】〔おう・と〕
王宮のある都市。帝王のいる都市。
丘の上には見上げる程に高い壁があった。周囲に広がる田園地帯から突然現れたようなそれは白い石で組まれていて、更には見張り用の塔も点在している。そんな城壁がぐるりと広がっていて、真ん中には立派な城門があった。その高い城壁を越えた先には巨大なお城も見える。
俺は地図を開いて大体の現在地を確かめてから呟いた。
「……ここが王都のバルクか」
間違いない。王都と呼ばれるだけの巨大さはある。ユリウスさんの言うことが正しければ、ここには元の世界に帰るための手がかりを調べることが出来る図書館が存在している。
もうひと踏ん張りだ。意気込んだ俺は地図をしまって城門の方へと歩いていった。
湖の街、ハリアからここまでの旅路は大きなトラブルもなく、比較的快適なものだった。ライツやドラゴンの様な化物に出会うこともなく、シュヘルを出てから遭遇したような黒い衣服の得体の知れない人間にも会わずに済んだ。
街道もよく整備されている上、行き交う人もそれなりに多いから迷うこともない。距離があったので時間こそそれなりにかかってしまいはしたが、順調だと言える。
「ん……?」
俺の前方一キロくらいを進んでいた行商が城門で鎧を着た衛兵と何か話しているのが目に止まった。何事かを話した後、行商が何かを取り出して衛兵に見せて、街の中へと入っていった。
なんだろう。街の中に入るのに手続きか何かが必要なのだろうか。……まずいな、何もわからない。
不安を覚えながら城門へ近づいていく。衛兵は俺に気がつくと「そこで止まれ」と声をかけてきた。
「……何ですか?」
「手形や身分証はあるか?」
手形? 身分証? ……そんなものは持っていない。そういったものが必要だとも聞いていなかった。
俺は無言で首を横にふる。衛兵は小さくため息を付いた。
「まあ、持っていないだろうな。どこぞの田舎から出てきたのか?」
彼は俺の足元から頭の天辺までをしかめっ面で見てくる。服装を見て田舎者だと言ってきたのだろうか。白いパーカーなど、なるべく元々着ていた服に近しいものを選んではいるが、一応ハリアの街で購入した服だけど……。この世界の人間から見たら、元の世界の服装の組み合わせ自体がダサいものなのかもしれない。
「あ、はい、まあ、そんな感じですね……はは」
俺は下手に出て、こびた笑みを浮かべる。すると衛兵は手を差し出してきた。
「じゃあ、荷物の検閲をさせて貰う。持っているものを寄越せ」
「……わかりました」
反抗しても仕方ないので俺は素直に荷物を渡した。どうせ入ってるのは食糧と野宿セットくらいのものだ。特段怪しまれることもない。
手荷物を受け取った衛兵は荷物の中身を出しては調べてを繰り返している。暇なのか仕事なのか知らないが、彼は俺に質問をしてきた。
「どっから来たんだ?」
「ハリアからです」
「ハリアか! じゃあ闘技大会は見たのか?」
「はい。決勝以外は」
見てたというか、出てたんだけどな。
「へえ、羨ましいな。今年は大荒れだったって話だった……おい」
朗らかに話していた衛兵が急に俺の荷物を改める手を止めた。何かまずいものでも入っていたか……?
彼は何かに気付いたようにバックの中から何かを取り出す。
「これは……」
驚いたような表情を見せてその手に広げたのは一枚の羊皮紙。闘技大会の賞状。ユリウスさんに渡されたものだ。
「あるじゃないか、身分証明出来るもの。というか、参加してたのかよ! 何で言わなかったんだ!」
「それで、身分証明に?」
知らなかった。紙切れ一枚で身分証明出来るんだ。……もちろん、俺にとっては結構大切な紙切れ一枚なんだけど。
衛兵は荷物の中に賞状を戻しながらうなずく。
「王の命だ。ハリア闘技大会の功績者は門を通す様に言われてる」
そう言って彼は俺に荷物を返してきた。
「そうなんですね……ありがとうございます」
俺は小さく頭を下げて、荷物を背負いなおす。そしてやけに大きい王都の城門をくぐって街に足を踏み入れた。
「おお……!」
城壁の中は、かなりの賑わいを見せていた。
まず人の数が半端じゃない。ハリアの祭も大勢の人が集まっていたが、王都はそれを遥かに凌ぐおびただしい数だった。
門を通るとすぐにとてつもなく巨大な噴水があり、それを中心とした広場には行商、兵隊、一般人……と、様々な人々が蠢いている。
建物はこれまで同様石造りから木造からレンガやコンクリらしき物まで時代がバラバラだけど、比較的レンガコンクリが多い。見た目にも西洋と中近東、近代的な建物もわずかにある。
様々なモノが雑多に溢れていて、都会独特の無秩序さが見える。
ひとり圧倒されて立ち尽くしていると、背後から先程の衛兵が話しかけてきた。
「ようこそ、王都へ! 迷子になるんじゃないぞ!」
そう言って俺の背中を荷物ごと叩いてくる。俺は苦笑しながら振り向いて頭を小さく下げて、目の前の広場の方へ足を踏み入れていった。
「さて、どうしようかな……」
何はともあれ、まずは宿を抑えよう。今日中に図書館で目的の情報を得られたとしても、それから準備をしたりする必要も出てくるかもしれない。だとすれば滞在期間は一日二日では済まないだろう。
図書館を探すのは泊まる場所を見つけてからでもいい。
人波に流されかけながら考えていたら、今度は広場の端の方から大きな声が聞こえてきた。
「……ハイハイハイ! 本物だよー! 本物の魔導石だよー!」
声の方を見ると、その騒がしさの中でも一際目立つ集団があった。どうやら行商のようだ。
……少し面白そうだな。まだ昼日中だし時間はある。元の世界に帰ったらもうここに来ることも二度と無いんだ。折角だし行ってみよう。
「本物の魔導石だよー! ヒュルーの鉱山で取れた本物だよー!」
近づいていくとその人だかりはやっぱり行商人が中心となって出来ている。小太りの行商人はその手に握り拳大の黒光りする石を持っていた。
彼の呼び込みの文句から考えるに、あれは魔導石とかいう代物なのだろう。魔導石とやらが何なのかはわからないが。
「君……これはニセモノだろうから止めとけよ」
目を細めて食い入るように見ていたからか、隣にいた中年の男が話しかけてきた。俺が「はあ……」と相づちを打つと、彼はあきれた様子を見せながら続ける。
「あんな安い値段で魔導石が民間まで回ってくるわけがない。ただの黒曜石か、良くて魔力の少ない粗悪品だ」
「そうなんですね……。ちなみに、魔導石って、なんですか?」
中年の男は呆れた表情を今度は俺に向けてきた。
「王都にいて知らないのか……って、まあ。そうだな。君の格好を見ていると、他所から来たんだろうしな」
また格好の話だ。この世界の人は結構格好で人を判断する。
……いや、それは元の世界でも変わらないか。『足元を見る』という慣用句も元は、旅人の靴の汚れを見て宿場が宿泊費を釣り上げたという逸話がもとだったはずだ。
「済みません。それで、魔導石っていうのは……?」
「ああ。魔力を溜め込んでる石だよ。それと魔法陣があれば魔法使いじゃなくても魔法が使えるって話だ。ま、ほとんど国が買い占めてるから俺らには関係のない話だけどな」
「へえ……」
燃料と装置の様な関係性だと思った、ガソリンと車がわかりやすいたとえなのかもしれない。
この世界での魔法の価値というのが大きいことは、今までの旅で知っている。元の世界でも自動車が出来て人類の交易や行動が発展したように、魔導石と魔法陣がこの世界で普及したら、暮らしぶりも大きく変わるのかもしれないな。
……おっと。本題に戻って宿を探さないと。
俺は魔導石について教えてくれた中年の男に礼を言い、再び広場を進んでいく。フォルやハリアにはなかった珍しいものがいくつも置いてあったりはしていたのだが、一つ一つを見ていたら日が暮れてしまいそうだったので足早に広場を抜ける。
広場から伸びる太い道を歩いていくと、宿屋らしき看板の出ている建物がいくつも並んでいた。中には綺麗で新しそうな宿もあったが、俺は自分の財布の中身のことを考えて、なるべく安く泊めてくれそうな場所を選んで入っていった。
○
早々に泊まる場所を確保した俺は食料品などの旅の荷物を部屋に置いて、貴重品だけになって軽くなった荷袋を背負って街へ出た。
目指す場所は図書館。ユリウスさんにもらった地図をもとに王都を歩いていくと、比較的人通りの少ない街の一角に巨大な建物がたっているのを見つけた。
「ここみたいだな……」
元の世界のものと比べても巨大な図書館だった。昔テレビ番組でみた欧州の教会の様な細かい装飾が外壁に施されていて、荘厳にも思える。城門や遠くに見えるお城と同じく白い石造りのように感じられたが、よく見るとところどころに金属の補強もされていた。
装飾過多の割には色味は少ない。ハリアの闘技場の様な派手な色使いはされておらず、石の白色が目立っていた。
「何冊あんだろ」
蔵書されているだろう膨大な本の中から帰るための方法を調べなくてばならないと思うと気が遠くなる。インターネットで検索をするのとはわけが違う。本格的に時間がかかってしまいそうだ。
重い木製の扉を開けると、内部は本と本棚で埋め尽くされていた。壁に沿ってそびえ立つ棚にはハシゴがかけられていて、何人もの人が本を探している。吹き抜けで三階まである。遠くには他の部屋に行くための扉もいくつか確認できる。
「うわ……」
普段本を好んで読まない俺は、大量の本を前にして頭が痛くなった。
「いらっしゃいませ。ご利用は初めてですか?」
女性の声が聞こえて脇を見る。入り口近くにカウンターがあり、司書と思しき若い女性が座っていて俺に笑みを向けてきていた。
俺はカウンターへと近づいていって、話しかける。
「はい、はじめての利用です。魔術の本を探してて……」
女性司書はお手本のようなサービススマイルを浮かべる。
「かしこまりました。それではまず、閲覧証を作成しないといけないですね」
「閲覧証?」
俺はおうむ返しで聞き返す。女性司書は小さくうなずく。
「はい。本館をご利用いただくためには閲覧証が必要となります」
「そうなんですか」
レンタルビデオ店の会員証みたいなもんか。多分。
「閲覧証はここで作ってもらえるんですか?」
レンタルビデオ店の定石通り、新規作成を頼む。すると女性司書はまた頷いた。
「かしこまりました。それでは身分証を提示してください」
そんなもの持っていない。しかし、俺は城門での衛兵とのやり取りを思い出して荷袋を漁る。取り出したのは一枚の羊皮紙。ハリアの闘技大会の賞状である。
「これで大丈夫ですか?」
羊皮紙を手渡す。だが、予想に反して女性司書は困っているようだった。
「成る程……。確かに問題は無いはずですが……」
「え! 駄目ですか? ……さっき門は通れたんですけど」
女性司書は羊皮紙を見ていた視線を俺の方に向けてきた。
「闘技大会の功績者が本館に来られたことが今までありませんでしたので……。一度館内で確認をさせてください。賞状も偽物では無い様ですので、二時間後には発行できると思います」
「わかりました。それじゃあ、出直します」
そうして俺は司書に賞状を預けて、図書館を後にしたのだった。