震える手で(4)
砦の中を進む。先頭は俺だ。石造りの内部は荒らされていて、死んでるのか生きてるのか判らないような革命軍の兵士が所々に転がっていた。
砦の廊下を進むと部屋がいくつかあり、覗いても誰もおらず、家具を除いた物品や物資もあまり残っていなかった。ノーバートという男がラルガに報告していた通り、無事で動ける革命軍は魔法か何かでさっさと撤退したんだろう。まさにノーバート自身がやってみせたように、瞬間移動を可能にする魔法があるみたいだし。
仮に難度が高く、消耗も激しいような高リスクの魔法だとしても、一時期ヒュルーの鉱山を抑えていた彼らならば魔導石も沢山持っていたに違いない。どうにでもなったはずだ。
そこまで考えたあとでふと後ろを振り返る。ソラは眠っている綾香を背負い、時折その背の少女を気遣いながら歩いている。俺と目が合うと少し気まずそうだ。そしてもう一人、舞はフラフラとした足取りだが何とかついてきている状態。顔をうつむけて、自らの足取りをしっかり確認しながら歩いている。もしくは、俺と顔を合わせたくないのか。
苦い気持ちでそれを確認したあと、ソラの右手にある仰々しい大きさの白い大剣『グラム』に自然と目が行ってしまった。
血がついているようには見えない。でも考えてしまう。……ここに転がる兵士たちは彼がなぎ倒していったのだろうか、などと。
一体彼らはどれだけの命を踏み越えてここまで来たのだろう。いや、そうやって進んでいくしかなかったんだ。今俺たちが直面しているのはれっきとした戦争だ。俺だって人に刃を向けてきたし、エレックが何人もの兵士を殺していた。何ら変わりない。今この場においては軽蔑を向けるべき行為ではないと理解している。……その逆。俺が軽蔑を向けられている可能性は、あるだろうけれど。
「はあ、はあ……」
強い呼吸音。グラムの剣先から視線を移す。
「う……」
つらそうに肩で息をしていたのは舞だった。綾香を背負っているソラと比べても足取りが遅い。
この疲労感は特徴的だ。俺もシュヘルからフォルへ向かう途中の森の中で『ライツ』という大きなネズミのような動物に襲われた際に、魔力を使いすぎた時の疲労を経験した。だから靄のかかったように意識が朦朧としてしまうことも、いくら気張っても体に力が入らないこともわかる。
ソラが綾香にしているように俺も彼女をおぶった方がいいだろうか。これまで進んでみた限りでは、動ける兵隊が砦に残っている様子もない。早く進めるならその方が効率もいいだろう。
臆病な自分に言い聞かせるような理屈を脳内でこしらえた俺は、ようやく口を開く。
「あ……」
それなのに。
「……と」
それなのに、俺の口はまともに動かなかった。理由は明確だ。瞬間、顔を上げて俺と目をあわせた舞が、目を逸らしたからだ。その小さな拒絶ともとれてしまう反応に、俺は無様に怯えて口を閉じ、飛び出しかけた言葉を喉の奥まで押し戻していった。
おぶろうか。その一言がどうしても出てきそうになかった。断られたら、無視されたら。俺はきっと平静を保ってはいられない。
ここに来るのだと決意したときの覚悟はどこへ行った。全身は変な汗のせいで気持ち悪い肌寒さだ。……心で決めて、それをすぐに行動に移せるほど、簡単じゃない。腐るな。怯えてしまったのは事実だ。だけどここで完全に諦めてしまったら終わりだ。
今はだめでも、また機を伺って試みよう。まずは……ここを抜けるのが先だ。
自らの非力と胆力のなさを憾みながら俺は前を向く。すると、左へ曲がる道と真っ直ぐに進む道で廊下が分かれていた。どちらに進むべきか。チラチラと同行者の顔色をうかがう様で情けないが、俺はもう一度振り返ってソラの方へ視線をやる。
「……ここは、真っ直ぐでいいのか?」
「ああ。出口まではずっと真っ直ぐだ」
「わか――皆、止まって」
物音がした。左へ向かう廊下から聞こえた。一定のリズム……足音だ。歩幅の狭いのと広いの。複数、少なくとも二人いる。リズムは曲がり角から飛び出してくる前で止まった。向こうもこちらに気付いたとみて間違いない。
……会敵してしまった。
俺は細心の注意を払って小刀を抜き、右手に持ち替える。いくらグングニルが短いとはいえ廊下で使うのは取り回しが悪い。戦闘が激化してうっかり振りかぶってしまえば天井に引っかかってしまうだろう。
俺は胸元に手をやろうとして、思いとどまる。ペンダントに触れると安定して大量に魔力を取り出せるが銀色の光も溢れてしまう。風を纏うのも目立ちすぎるからNG。どちらも相手にこちらの動きを悟られないためだ。
それから俺は素早く、音を立てずに振り返る。ソラへ目配せすると、緊張した面持ちで固まっていた。彼も流石に状況は飲めているからか。下手に動いて暴れたとして、全員が無事で切り抜けられるかはわからない。
こっちには負傷者が二人いる。舞はまだしも、綾香に関しては全くの戦闘不能状態だと考えていいだろう。万が一ということがある……乱戦は避けなくてばならない。そのためにも、落ち着いて対処する必要がある。
「ふう……」
俺はソラへ手のひらを差し出して、『そのまま動かないでほしい』という意志を示す。彼が参戦するために綾香を地面に下ろすなどしたら物音が向こうに伝わってしまうのは容易に想像できる。それよりもソラにはしっかり綾香を背負ってもらって、万一の際に逃げられるようにしておいてもらいたい。
その意図が伝わったのか、ソラは頷いて動きを止めた。隣を歩いていた舞も同様である。彼女は目を細め、今にも座り込みたいほどの状況だろうに歯を食いしばって立ち止まっている。
……あとは、俺が相手を御することができるかどうか、だ。
俺は体に魔力を通した。自身を一つのゴムチューブのようなものだと想像し、そこに風のような空気の流れを通していく。一気に空気を含ませてはいけない。ゴムチューブが破裂してしまう。ゆっくりと、チューブの弾力と耐久力を確かめていきながら、徐々に空気の流れを太くしていって、満たす。
イメージが固まっていき、空気が吹き込まれていくのに比例するように、全身に力がみなぎってくるのを感じる。
ここまでは上手く行っている。あとは使いこなせるか……。
この魔力の使い方はつい最近できるようになった技術だ。触れざる島で『嫉妬』と向き合って魔力を取り戻したあと、グウェインさんの鎖を叩き壊す際に使った腕力向上の魔法がある。あれを、俺の腕が壊れないように、かつ、派手な光や目立つ銀色の風が溢れてこないように調整したのがこの技術。
もちろん、実践で使うのは初めての技術である。この本番一発で成功させられるか。上手く行けば……あの破壊力ならば、並の兵隊を圧倒できるだろう。
それに、こっちには治癒魔法もある。一撃で急所を突かれさえしなければ、傷を治しながら何とかやれるはずだ。
意を決した俺は空気を吸い込む。それから息を止めて曲がり角を飛び出した。
刹那、向かってきたのは剣の一閃。狙いは腋の下。動脈か。俺はその一撃を身を捻りながら小刀で受ける。しかし、深い上に重い。無理な姿勢でこれを受け流すのは苦しい。
「く!」
この一瞬で的確な一撃だ。相手は俺と違って場馴れしている……!
足がもつれ、バランスが崩れていく。視界がゆらぎ、俺は盛大に尻もちをついた。まずい、何とか体勢を建て直さないと……先頭を引き受けておいてなんてザマだ。
焦りながら俺は敵の姿を捉えようと顔を上げる。目に飛び込んできたのは見覚えのある顔だった。お互いの視線が合わさり、お互いに動きが止まる。
剣は俺の首をはねる寸前で止まっていた。その持ち主は俺の姿を見てうろたえる。
「あ、れ。『お前』……」
違和感の感じる呼び方。俺を『少年』と屈託なく呼んでくれた頃には、……きっと、戻れない。
「……エレック……」
そう、エレック。さっきの鋭い一撃は彼のものだったのだ。お互いに唖然として固まっていると、廊下の奥からもう一人。……一人の少女。
……いざ目にすると、本当に、心が重いのだと、そう思った。
「……ミア」
俺は来たんだ。力だって手に入れた。心は頼りなくても、俺は謝りたい。あんな風に別れてしまった俺に心を開いてくれるだろうか。
「エレック! ミアも、無事で良かった……!」
俺の下らない感傷に切り込んでくる狛江空の声。「ああ」と、エレックは片手を挙げて応じる。そこに暗い色は感じられない。俺が離脱してから何日も経っている。お互いに話し合って王都でのわだかまりは解けたのだろうか。
遅れて舞も辛そうに足を引きずりながら現れる。それに気付いたエレックは剣を仕舞って彼女に駆け寄り、肩を貸して支える。
「これは……。大丈夫か?」
エレックに支えられ、舞は小さく首を振る。
「魔力、使いすぎたみたいで……でも、大丈夫です」
「良かった。……二人も無事、で良いんだよな」
エレックは綾香を背負うソラへ目を配る。ソラは綾香の方を気にしながら「こっちも魔力切れだ」と返した。そして、俺の方へ視線を向けた。
「傷はあったけど、輝が治した」
その言葉と同時に、一斉に俺に対して意識が向いたのを感じた。綾香を除いた四対八つの瞳。
詰まったものが外れたように、吹き出してくる汗。顔が熱くなっていくのと反面、身体の芯が冷えていくような体感。
沈黙は数秒か。それとも数分か。時が経つほどこの場の空気が全身を締め付けるようだ。俺は浅く息を吸って、それから自分が情けなく尻もちをついていることに気がついてゆっくりと立ち上がる。
誰に目を向ければ良いのかがわからなくて、床や壁、誰かの足を、見ても見なくても良いものを探して収まりのつかない視界。
「……あ」
小さな、空気の漏れるようなか細い音。それでも、この凍った空気を溶かす声を発したのは、……疲弊しきった様子で、それでも笑みを作っている舞だった。
「久喜くん、魔法使えるように――」
「――どうして此処にいるんだ。『お前』は帰ったんじゃないのか」
遮ったのはエレックだ。先程合流したときの綾香と同じ問い。
――なぜ、ここに。
俺の存在はこの場に違和感であることはわかっている。それでもやっぱり、信頼をしていた、仲間だと思っていた、ともに冒険をした人から言われるのは……筆舌に尽くしがたい。
「それは……」
答えに悩む。いや、悩んでいるわけじゃない。怖いんだ。答えはもう出ている。謝るために戻ってきたんだ。だから、理由を話すというのは、この場で懺悔をするのと同じ。
そして、それが受け入れられなかったら。赦しを得ることができなければ。俺は、大切なものを永遠に失ったままになる。
だから、怖いんだ。
「エレック」
答えあぐねる俺の代わりに応えたのはソラ。彼は綾香をおぶったまま、廊下をまっすぐに歩き出した。
「速人たちがまだ戦ってるかもしれない。先に合流したいんだ。……話は後でもいいか?」
「……ああ、わかってるよ」
エレックはそう言うとソラの如く、舞を軽々と背負う。いきなりで驚いている舞に「落としちゃうから動かないでくれよ」と笑いかける。そして「じゃあ、行こうか」とソラへ呼びかけた。ソラは頷き、それから俺の方を見る。
「輝。先導、頼めるか。戦えるのはお前だけらしい」
ソラは言う。拳を強く握った俺は、首肯しかけてから彼の言葉の違和感に気がつく。
お前だけ、と言った。戦わせるつもりではないけど、ミアだって実力者だ。それをソラが知らないはずはない。そう思ってミアを見る。彼女の手に、赤い血が滲む傷――。
「――ミア、それ……!」
「大丈夫」
俺が言葉を続ける前に、ミアはそう言ってかぶりを振る。
「大丈夫だから。急がないと」
一瞥。断固とした意志を感じる。「でも」と小さな声を出して、ミアの目を見る。深い色の目だ。毅然としていて、その奥に芯があるのを感じる目だ。それを確認した俺は一同の先頭へと歩んでいった。
できるはずない。俺には。臆病な俺には。強い拒絶をはらんだような、悲しみをはらんだような彼女の言葉を乗り越えることなど。
……傷つけたのは、俺だ。
武器を握りしめ、俺は先頭で歩き出す。数歩も進まぬうちに後ろでエレックが話し始めた。
「ソラ。このまま進んでも入り口は瓦礫で埋まってるはずだ」
「そうだった……別の出口を探さないと」
「……このまま真っ直ぐ進んで、大広間には向かわずに二つ目の分かれ道で左へ曲がる。突き当りに食堂があって、道なりに入れば食糧を運び入れるための裏口だ。裏口から出て回り込めば正門に出られる」
「わかった。……輝、聞こえてたか」
エレックとソラの会話に耳をそばだてていたら不意に振られて「うん」と動揺しながら返事をしてしまった。声が震えてしまったのはそのせいだろう。決して、エレックが直接俺に対して話をしてくれなかったことを気にしてのことじゃない。俺は自分にそう言い聞かせた。これ以上怖くなってしまえば、足を止めてしまいそうだから。
俺はエレックの指示を頭に浮かべながら廊下を歩き続ける。後ろから全員がしっかりついてきているのを時折確認し、――しかし一度も彼らと目を合わすこともできずに――件の曲がり角。二つ目の分かれ道までたどり着く。
そっと食堂を覗き見るものの、相変わらずのもぬけの殻という様相であり、人の気配すら感じない。木製の長テーブルがいくつも並んでおり、確かに更に奥には小さな扉も見える。あれがエレックの言っていた出口なのだろう。
俺は半ば癖のようにテーブルや部屋の隅に食糧がないかを目で探る。しかしパン切れ一つも見当たらない。見事に撤収しきっているみたいだ。
「ここだな」
食堂の奥、出口につながると思われる扉の前まで来るとソラがつぶやく。エレックがうなずいているのを確認した俺はゆっくりと扉を開いて外に出た。
潮風。裏庭のようなところだろうか。外気が肌に心地よい。地図感覚が合っていれば、建物に沿って右回りに進めば正門まで出られるだろう。
……ここも、敵の気配は感じない。本当に撤収しきったのだろう。
「輝」
扉の前、屋内からソラが呼び止めてくる。振り返ると彼は「最後尾を頼めるか」と言ってきた。
「皆が出るのを確認してからついてきて欲しい」
「でも……」
「いいから」
有無を言わせないソラの圧。どうせ敵兵はもういないだろうと思いながらも、俺は受け入れて踵を返す。隊列のしんがり、一番後ろを抑えろというのだろう。砦の中に戻ると、外より空気が冷えていることに気がつく。篝火はあれど薄暗さも拭えない。
……煮え切らない、自分の心のようだ。
くだらないことを考えてから俺は食堂の入り口を睨んだ。与えられた役割だ。一応全うしておこう。
背後からは足音。次々この砦をあとにしていく気配を感じる。ソラたち、エレックたち、そして……。一つだけ足音が止まる。
俺は息を飲んだ。それから目をつむる。動機が激しくなっていくのを感じる。お腹の底に鉄の球があるような鈍い重さ。吐き気。
足を止めたのが誰か。俺はわかっている。きっと彼女は俺の方を振り返って立ち止まっている。しかし俺は振り返れずに……身動きをとれずにいた。
比喩ではない。足が、離れない。
恐怖が俺の足を釘づけている。拒絶されたくないという想いが、過去の出来事と繋がって足かせになっている。重い。……重いよ……。
扉から入り込んでくる潮風が俺のいるところまで届いてくる。時間がないと聞いていたのに。立ち止まっていられないのに。
「輝」
声。
目を閉じているからか、さっきよりも意識してしまう。
か細く震えていて、それでも一つの芯を感じる声だ。何度も聞いて、もう一度聞きたいと願ってやまなかった声だ。俺の名を呼ぶ、声だ。
そうだ。俺はこの声を聴くためにここまで来たんだ。『嫉妬』の言うように卑しくて醜い心だとしても、都合がいいだけだとしても。
目を開いて、息を吸い込んだ。ゆっくりと地面から離れる俺の足。
振り返ったその先、差し込む光に眩む。開きっぱなしの扉を背に、一人、黒い髪の少女が立っていた。