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震える手で(3)

 土煙の吹き去っていく丘の上で、男は手のひらを俺に向けて睨みをきかせていた。ラルガ・エイク。その表情は俺を試すように鋭く、それでいて愉しむように口の端を僅かに上げている。


「久喜、輝。今から私は貴様の敵となろう。貴様を攻撃してもいいし、そこにひざまずく光魔法の少年を潰し直してもいい。……さあ、どうする? その少年と共に私に立ち向かうか?」


 まずい! 殺される!

 焦りでふやける脳。荒くなる呼吸。身体が恐怖で反応する。ソラに突きつけていたグングニルをかすかに動かす。しかし、そこで止める。

 落ち着け。恐れに追い立てられて考えなしに判断するな。俺が大切にしているものは何だ? 『自分のため』だろう!

 あくまで俺の目的は『ラルガの暗殺』ではなく、『ソラたちの安全の確保』だ。履き違えるな。手段として『戦う』という選択肢はあったとしても、それは目的じゃない!

 息を吸い、そして吐く。少しだけ思考が明瞭になった気がした。


「……俺を、襲う理由を聞きたい。俺にはあなたと戦う理由はない」


 グングニルはソラに突きつけたまま、俺はラルガの冷たい目を正面から見つめ返す。息の詰まるような沈黙の中、彼は手のひらを掲げたまま、それでもゆっくりと目を細めた。


「ふ……。動じぬか。であれば、それもまた信念になり得るのだろう。……先の言葉は撤回しよう」


 微笑とともにラルガの手が下がる。今までぶつけられていた強い敵意が霧消していくように感じた。自然と緊張していた身体が弛緩していく。俺はこわばっていた右手の力を抜いていった。


 これは……助かった……のか……?


 油断とも言えるような思考に至った。だが、次の瞬間だ。突如ラルガやソラとは別の気配が現れたのを感じた。


「ラルガ様!」


 男の低い声が響く。声の方を見ると黒いローブを着た男。黒いローブがはためくその隙間からは細かい装飾の入った鎧がちらつく。兵士だ。それに、あの黒いローブは……。


「……カイルや、ノールと同じ……!」


 過去に二回、同じような黒いローブをまとった敵兵士と戦ったことがある。フラルダリル鉱山で氷使いのカイル。ヒュルーで大剣使いのノール。……どちらも魔法を使って人間離れした戦い方で仕掛けてきた。殺されなかったことが信じられないくらいの強さだった。

 ……未だ生きている。それだって、自分の力で成し遂げたわけじゃない。

 カイルは偶然ユリウスさんが来てくれて助かった。ノールだってソラの登場によって命を拾うことができた。ただの偶然だったんだ。

 もし、今現れたこの男がカイルのような好戦的な存在だったら……万に一つも勝ち目はない。

 脂汗が噴き出す。体の芯がすうっと冷える感覚。高い所から大切なものを落としてしまった瞬間のような、刃物を近づけられた時のような。

 声は出せない。不用意な動きは取れない。

 黒いローブを身に着けた鎧の男はラルガの側までいくと、うやうやしくひざまずいて頭を垂れる。


「移動の準備が出来ました。すでに主だった将校も兵も要塞に移動しています。後は閣下と私ともうひとりのみです」


 彼によって報告がなされた後、ラルガは抜身の刀を鞘へと納めた。鎧の男がそれを見てから、俺とソラへ一瞥くれる。


「始末しないのですか?」


 男の言葉に心臓が跳ねる。グングニルを握る手に力が入り、刃先が震える。俺はまるで親に怒られている幼い子供のように、ラルガの言葉を伺い待った。

 ラルガは、鎧の男を見下ろして重々しく口を開く。


「良い。捨て置く」


 ……助かった!

 彼の言葉を聞いて、情けなくも俺は安堵した。フルと話をつけて力を得たのは事実。だけど、その力を頼んで足を勇ませるほど傲慢にはなれない。勝てる確証だって無いのだから。

 ラルガは「立て、ノーバート」と命令する。


「用は済んだ。転移を頼む」


 指示を受けた鎧の男――ノーバートと言うのか――は立ち上がる。


「途中ラーズを拾っていきます。離れないでください」


 二人はどうやらこの場を去る、いや、去ってくれるようだ。俺はわずかに安心してしまい、グングニルに入れていた力を緩める。それが隙になってしまった。


「待てよ! 逃げるのか!」


 グングニルを掻い潜ったソラが震える足で立ち上がりながらそう言って吠える。しかし、ラルガたちは視線を寄越すこともしてこない。


「くっ……。無視するな」


 歯を食いしばるソラ。言いながらわかっているんだろう。己の敗北を。グラムの剣先が震えている。手も足も出ない相手に気力のみで戦っていたんだ。むしろこの状況でよく挑発ができる。まだ魔法の一つも食らっていない俺ですらこうなのに。

 ラルガはうんざりしたような表情でひと目、ソラを捉えた。


「逃がしてやるのはこちらだ。彼の登場で長らえた命に感謝しろ」


 言いながら彼は俺に視線を移す。言葉の出ない俺は口を半開きにさせていた。ラルガが含み笑いをすると、それを合図にノーバートと呼ばれた男が魔法を発動させ、魔法陣を展開する。魔法陣からの光に紛れるようにして二人は転移して行ってしまった。

 魔法陣も掻き消え、後には俺とソラのみが残った。


「……はー」


 息を吐く。生きてる。それにとりあえずはソラも死んでいない。俺は彼らには謝らなくちゃいけない。死んでしまわれたら、駄目なんだ。

 横を見ると、ひれ伏すようにどさりと地面へ身体を預ける姿があった。


「くそ……! 逃がした……! でも助かった……! くそ! くそ!」


 悔しそうなソラの声は絞り出す様。それでも身体がついていっていないのがわかる。小刻みに震えているからだ。

 無理もない。精霊の力を手にした俺だって恐怖に走らされた心拍数を下げるのに必死だ。汗で背中にシャツが張り付いてることにも今更気がつく。この世界に来たばかりの俺では堪えきれず戻してしまっていたかもしれない。


 死が、真横を通り過ぎていったのだという実感を、強く覚えた。


 そうやって二人で言葉も交わさずしばらく潮風に打たれていると、ソラはゆっくりと立ち上がる。まだラルガの魔法で押しつぶされた身体が痛むだろうに。意志の力で無理やり立ち上がっているのかもしれない。


「あ……。もう少し、休んだ方が――」


「――行かないと……!」


 かけた言葉をソラに遮られて、それから疑問で返す。


「行くって、どこへ?」


 返答代わりのソラの視線の先を見る。大きな砦があった。ソラたちはおそらくここを通って来たのだろう。俺が空から着地したあのドームが別館ならこっちの砦は本館か。よく見ると裏口か何かの扉から人が二人出てくるのが見えた。

 敵の新手か? いや、ノーバートは撤退の準備は済ませていると言っていた。違うだろう。ならあれは……!


「あ……」


 目を凝らす。弓を持ったポニーテールの女が片足を引きずりながら、もう一人の女に肩を貸されて歩いてきている。疑う余地もない。


 ……綾香と舞だ。


「おい! 綾香! 舞! 大丈夫か!」


 ソラはさっさと駆け出して行ってしまった。俺は、躊躇う。だって、あの夜の白石綾香の怒った顔も、天見舞の流した涙も全部ついさっきのことのように覚えているからだ。

 駆け寄っていくソラに気が付いた二人。彼女らは歩みを止める。舞は綾香を砦の裏口の近くの壁に寄りかからせるように座らせた。すぐにそこへソラがたどり着き、綾香に何事か話しかけている。


 それを俺は、見ているだけだった。


 足が重い。靴に鉛でも流し込まれているかのように重い。腹も重い。胃に鉛でも流し込まれているかのように重い。頭も、腕も。全身が重い。


 百メートル有るか無いかの距離で立ち尽くしている俺に、舞が気付いた。よく見えないけどとても衰弱している様子で俺のことも誰だか識別できていないのだろう。一歩、俺の方へと踏み出してきた。


 思わず足がさがった。足をさげるのは軽かった。謝るって決めたけど、謝るって決めたのに、いざとなると駄目になる。俺の心は逃げたがっているとわかる。

 でもそれは『自分のため』という覚悟とは似て非なるものだ。ここで逃げることは本当の意味で俺のためにはならない。一度ハリアへ逃げ帰った俺には充分わかっているはずだ。逃げた先には何もなかった。


 進め。そのために来たんだ。


 俺は歩み始めた。距離が近づいてくると舞の表情が変わっていった。彼女は複雑な表情をしたかと思うと俺から目を逸らし、顔をそむけ、踵を返し、背を向けて、ソラと綾香のいる方へと引き返していく。両足がまた、信じられないほどに重くなる。それでも俺は無言で彼女の後をついていく。槍は背にしまった。


「なんでここにいんのよ……」


 それが俺の存在に気が付いた綾香の第一声だった。敵意たっぷりに、弱弱しく。右足のふくらはぎに真っ赤な布が巻きつけられている。応急処置も虚しく血が止まりきってない。おかしい。舞の魔法で回復できるはずだ。

 いや……違う。できないのか。

 よく見れば綾香の衰弱ぶりは傷だけが原因になってるわけではなさそうだ。彼女の横で壁にもたれている舞にも同様の衰弱が見て取れる。……俺もよく知っている種類の疲労だ、これは。


「魔法を使いすぎたり、した?」


 意識して話したけど声が震えてしまった。ばれてはいないだろうか。


「こたえるぎり、ないよ……」


 綾香が答えるが、彼女も口がうまく回っていない。そんなに追いつめられても俺に敵意を向ける。謝ろうとして、堪える。今はそれどころじゃない。


「傷、塞ぐ、から」


 俺は自分のペンダントに触れて魔力を慎重に引き出した。力を取り戻してから他人を治癒するのは初めてだ。綾香の足の赤い布を解く。彼女は「やめてよ……」と弱弱しく言っていた。俺は殴られないうちに傷の修復のイメージを働かせる。

 じわじわと傷口がふさがり、血は止まった。だがこの疲労を見るにすぐには動けないだろう。綾香は目を閉じてしまった。寝てしまったのかな。

 ゆっくり俺は立ち上がる。他の人は無事なんだろうか。ノーバートは、主だった将校も兵も移動したと言っていた。けれど主だっていないような兵卒はまだこの大きな建物に残っているかもしれない。


「綾香、掴まれ」


 俺が砦を見上げていると背後でそんな声がした。見るとソラが綾香をおんぶしている最中だった。おぶれるのだろうか。ソラも充分、ラルガの魔法によってダメージがあるはずだ。それに、魔法だって何度も使っていた。疲労だってきっとある。

 それでもソラは、綾香をしっかりと背負うと、俺を見据えた。


「輝。一つ頼む。中には敵がいるかもしれない。他の皆がまだ戦ってるかもしれないんだ。引き返したいからついてきて欲しい。悔しいけど今の俺一人の力じゃ、二人を守りながらはいけない。お前にしか頼めない……頼む」


 彼の顔には悔しさがにじみ出ている。俺に頼むしかなかったことに対する遺憾なのだとすぐに分かった。それでも――自らのプライドを捻じ曲げてでも――仲間を守ろうとする彼からは『誰かのため』という、どこかで聞いたような、それでいて、俺とは絶対に相容れないであろう信念を感じた。

 ……感じて、俺は。


「わ……わかった。俺が、先に入って安全を確認しながら進む……から。……後からついてきて」


 俺も、絞り出した言葉だった。行為は『誰かのため』を望むソラの指図の通りだ。でも、俺の『自分のため』にも必要な行為だった。

 俺は砦の入り口に手をかける。彼ら彼女らの視線を背中で感じる。向き合っていない分、足の重さはさっきよりもマシになっていた。それでも本当は、その本来の重さを感じながら歩かなくてばならないのだろうとわかっていた。

 そしてその時はそう遠くないことも、俺は確かに予見していた。

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