震える手で(2)
港湾都市ヤマトから離れた丘には石造りの砦が構えられていた。砦には隣接するように黒いドーム状の建造物が存在している。大きさはちょっとした公園程度か。あるいは幼い頃に訪れた科学博物館のプラネタリウムより少し大きい程度のものだ。
そのドームから今また、金色の光が天へと向かって二つ、三つと放たれていく。それをドラゴンの背中から見つけた俺は叫ぶ。
「グウェインさん! あの黒い建物です!」
嫌でも目を引く光の筋は見覚えのあるものだ。狛江ソラが『光の弾丸』を放っているのは間違えようのないことだった。狛江ソラが何者かと交戦中なのだと考えていいだろう。相手はラルガ率いる反乱軍。あの砦とドームは反乱軍の拠点か。
戦っているのであれば、一刻の猶予もない。あの場所に彼らはいる。ミアやエレックもいる。……戦いである以上、全員が全員、無事でいられない可能性もある。
俺は再び叫んだ。
「このままのスピードであの建物の上を通過してください! タイミングを見計らって、飛び降ります!」
「……正気か?」
グウェインさんの問いは尤もだ。俺だって怖い。しかし時間的な余裕もない。ここまで来て、会ったときに誰かが死体だったら困るんだ。……俺が。
「今の俺なら、できます! 精霊の力があります! お願いします!」
「……分かった。であれば、ここで別れを告げよう。その道に栄光の在ることを祈る」
俺は小さくお礼をつぶやいた。……栄光が在るかどうかはわからない。そもそも、それは俺が求めているものではない。
俺はグウェインさんの背から地上を見下ろす。ドームは近づいてきている。真上に来た瞬間に飛び降りるのでは遅いだろう。慣性がある。少し早めに飛び降りないといけない。細かい調整は……風を操って成すしかない。
「力を借りるぞ……」
左手をグウェインさんの背中の鱗から離して胸元のペンダントに触れる。力が全身に染み渡っていくのと同時に、周りの空気へも俺のイメージが干渉していく。白銀の風が覆うように集まってきているのを確認してから、俺は右手の力を抜いていった。
「……グウェインさん、ありがとうございました」
応えは返ってこなかったが、それでもグウェインさんの首が少しだけ上がり、俺を振り向いたように見えた。
「う、おおおおお!」
右手からすべての力を抜くと、身体が宙に投げ出された。ジェットコースターで坂を下っているときのような気持ちの悪い浮遊感に叫び声を上げながら、なんとか周囲に集めていた風をまとめてあげて身体を覆う球体を形作っていく。体勢を整え、白銀の帯の隙間から地上へ視線を送る。
天井にいくつかの穴が空いている黒塗りのドームが重力に引かれてものすごいスピードで近づいてきている。タイミングは良かったみたいだ。このままいけばドームの天井に正面衝突して即死できるだろう。
衝撃で即死しないために俺が考えた方法は至ってシンプル。集めた風を逆噴射するというもの。やったことはないから少し早めに始めよう。
「……はああ!」
ドームにぶつかるよりも手前で白銀の風を下に向けて放つ。風の刃のように闇雲に密度を上げるのではなく、ヒュルーで矢を逸らしたときのように、あくまで風を……空気の塊を流していくイメージ。
「くう……!」
反動で全身に重力がかかっていく。吐きそうになりながらも空気を地上へぶつけていく。しかし、徐々にスピードは落ちていくものの、思っていたよりも速度が落ちてこない。地上につく頃にはうまい塩梅で止まれそうだが、ドームの天井への衝突は避けられそうにない。
……このままだとぶつかる……!
「く、そ……!」
俺は右手で背中のグングニルを抜き取った。そして、全身に流していた力を両腕に集める。
ぶつかるのが避けられないのならば……叩き壊す!
「うあああああ!」
グングニルを両腕で構えて振り下ろす。黒塗りの天井へ打ち付けると雷鳴のような爆音が響き、崩れる。衝撃で痛む両腕をそのままに、再度地面へ集めた風をぶつける。舞い散る塵芥の中、次の瞬間俺はなんとか地面に着地していた。
「いっ……て」
着地の衝撃で両足が、そして天井を壊したときの衝撃で両腕の感覚が怪しい。痛みとも麻痺ともとれない感覚を覚えた俺は即座に魔法で肢体を治していく。
がらがらと天井の一部が引き続き崩れていく音が響く中で、俺は周囲を見渡した。土煙が凄くて視界が確保できない。『彼ら』はどこにいる。
想定外だ。ドームの天井に着地してから、空いている穴を通ってドームの中に入ろうと思っていたのに。……分かってはいるけど、思いつきで行動するのは、良くないな……。
俺は立ち上がってから左手で小刀を抜き去った。ここは戦場だ。警戒をしておくことに越したことはないだろう。
目を細めると土煙の中からドームの内観が伺えてくる。俺が今いるのはドームのほぼ中央。光源は天井の穴と、その他に天窓もあるみたいだ。
口の中に入った砂を吐き捨ててから俺は考える。ここで風を吹かせて視界をスッキリさせても良い。だがそれは、この場にいる人間に自分の位置を知られるということ。もし俺に対して害意のある存在がいれば狙い撃ちだ。本来であればこの土煙を利用してこそこそと隠れるべきであろう。でも……。
「……でも、それじゃあ向き合ってるとは言えないよな……」
俺は意を決して風を呼ぶ。白銀の風が土煙を押し出すように広がっていく。クリアになっていく視界の橋で何かが、きら、と光った。
すぐにその方向に目を向ける。そこには黒い鎧を身にまとった男がひとり立っていた。天井の穴から入る陽光を受けて反射する日本刀を携えている。光っていたのはアレだろう。刃向う者を威圧するあの眼は変わらない。ただ、最後に見た時よりも若干やつれているだろうか。
あの男は、ラルガだ。ラルガ・エイク。……元、王国の将校であり、今回の反乱の首謀者。ラーズの上司。俺がこの世界で会った中で最も強い覇気の籠もった眼を持つ男。
「輝……なのか……?」
声がした。ラルガのいる方ではない。真逆。俺の背後。振り返ると、そこには身の丈もあるような仰々しい白い大剣を片手に持った男がいた。
額に汗を浮かべ、肩で息をしている。白いマントローブを身に着けているが、肩口に血が滲んでいる。正義感の強そうな眼には、驚きと……少しの衰弱の色が混ざっている。
狛江ソラ。幻影や、魔法で姿を見せられているのではない。本物だ。
彼は俺が何かを言う前に叫ぶ。白い大剣を構えながら。
「ハリアに戻ったんじゃ……! それに……魔法まで……!」
俺は苦い気持ちになってしまう。あのヒュルーの夜、俺は彼のことを言葉で傷つけた。今になって考えるとそれは、卑怯な言い分だった。俺が糾弾されたことに対して、その場にいた人たちの目を逸らすための言い訳だ。……あれも、『自分のため』だった。
だけど、俺は今、もう一つの『自分のため』にここに来たんだ。
俺が俺であるため。俺が誤りだと感じているのであれば、それを認めるべきだ。そのままにしておくことはできない。そうやって向き合うことを避け続けるのは止めたんだ。
震える口元を何とか動かす。
「……お、俺は――」
「――どうして、この場所に来たんだ!」
俺が話し始めるのを遮って、ソラは訊いてきた。ハッとして口の動きが止まる。同時に、もう一つ声がドーム内に響く。
「聞こう。私も興味がある」
重く沈むような声。発言の主はラルガその人。日本刀を手に一歩、一歩と近づいてくる。
「貴様は、フォリア橋の再建時に私の部隊にいたな……。その『力』。乗り越えたのだろう。如何様な『業』かは知らぬが」
そして、彼は剣先を俺に向けてきた。
「だが、貴様は何故ここにいる。私の敵か? それとも味方か? ……答えられぬだろう。貴様からは戦士としての気迫を感じない」
口をつぐんでしまう。
敵か、味方か。確かにそれは俺の中に存在しない。それどころか本当は、誰かと命のやり取りをする覚悟だって持っていないんだ。
戦士ではないと言われればその通りなのだろう。もともと俺が義勇軍に入ったのだって、ソラたちを追うためだった。……そのアクセサリーと命を奪い、元の世界に帰るために。もちろん、今やそれすらも諦めている。
「俺は……」
両腕に力を込めると、グングニルが地面に擦れて硬い音を立てた。
そう。握っているのは武器だ。だというのに俺は殺すつもりも、害するつもりもない。
「やはり答えを持たぬか。ならばこの場所は貴様のいる場所ではない。いるべきは――」
「――輝! 退け!」
後ろからソラの怒鳴り声。俺は驚いて右へ動き、ラルガは一気に後ろへ飛び俺との距離を開け、そのまま踵を返して走り去る。ラルガのさっきまでいた所には金色の光線が届いて爆発した。俺がここに来るための目印にもなった『光の弾丸』。その出力は人の命を奪うに充分すぎるほど。……殺す気で撃っている魔法だ。
「さっきは助かったけど……でも下がってろ! もたつく位なら帰れ!」
乱暴に言いながらソラが俺の真横を駆け抜ける。ラルガとの戦いを続ける気だ。
「くそ」
ああ。もっと俺は考えるべきだった。想いを遂げるための力は手に入れたはずだ。だけど、その想いはまだ未熟だ。ソラとラルガの問いがそれを浮き彫りにした。
……で、また逃げるのか? いや。そうじゃないだろう、久喜輝。
「とにかく、ソラを追おう」
後悔しながら俺は槍を抜き、再び白銀の風を身に纏う。
「……て言っても、見えないな……」
先ほどの『光の弾丸』による爆風によって視界が悪い。二人のあとを追いかけながら風を起こして煙を吹き飛ばした。
建物の壁に見事なまでの大穴があいている。たぶんラルガが逃げるために空けたんだ。近くにソラもいないので彼もこの穴を通って外に出たのだろう。
読み通り、大穴から建物の外に出るとラルガとソラが青空のもとで対峙していた。
「逃がすかよっ!」
掛け声とともにソラが大剣を右手に猛スピードでラルガに突っこんでいく。空いた手には金色の光。彼が手を突き出すと、留まっていた金色の光は光線となってラルガを襲う。その様はまさに『光の弾丸』。
ラルガは片手をあげ、手のひらを『光の弾丸』に向けてかざした。すると彼の手から黒い光とも表現できそうな闇がほとばしる。
「あれは……!」
闇が輝いた直後、ソラの放った光線は上へ垂直にそれて飛んでいく。次いでその手のひらを、走って近づいていたソラに向けた。
「ぐ……」
……たったそれだけでソラの走る勢いは殺がれていき、終いには片膝を地につく。彼の衣服や髪が地面に引っ張られるように押し付けられている。いや、押しつぶされそうなのだろう。今にも彼の身体が軋む音が聞こえてきそうだ。
「待ってくれっ……!」
俺は二人に向かって駆ける。ラルガが何を操っているのかは良く分からないが、どうやら力の向きを弄る魔法らしい。こんなもの食らったらまともに戦えるわけがない。ハッキリ言って反則技だ。
「おい、大丈夫か!」
槍を持ったまま俺はソラに並んだ。ラルガが力を弱める気が無い事はわかっているが、ソラが剣を収める気が無い事も近くまで来てわかった。
戦争を止めるって言っていた奴が今、命を奪い合う為に目の前で目の色変えて剣を握っている。これも一つの覚悟なのだろう。俺には理解の及ばない形の。
「輝……お前はさっさと消えろ……! どの面下げて戻ってきたんだよ……!」
ソラはラルガを睨み、押さえつけてくる力に負けじと歯を軋ませながら必死に動こうとしている。
「だけど……!」
「私も賛成だ」
ラルガだ。依然として手のひらをかざしソラを鋭い目付きで見ながら、横にいる俺に言う。
「もう一度問う。お前の立場は何だ? 敵か、味方か、それとも第三勢力か? まさか何の主張も持たずに出てきた訳ではあるまいな?」
畳み掛けてくる問いに身体の動きが止まりそうになる。魔法を使われていないのに、だ。
「それは、わからない……けど!」
しかし、俺は首を振って、それからグングニルを握る。
わからないけど……少なくともソラが死ぬのを見過ごせる立場じゃない。でも、ソラと共闘してラルガを倒す立場でもない。なら、こうするしかない。
俺は左手に風を集めて『風の刃』を作り出した。
……この二人を切り離す。俺の目の前での殺生はさせない……!
作った『風の刃』を威嚇としてラルガとソラの中間地点の地面へ放った。土くれが飛び散り、視界が悪くなる。さらに風を起こして砂塵を巻き上げ、簡単な目眩ましを行う。
砂撒きは卑怯な気もするけど、簡単でかつ効果がある。ハリアの路地裏で戦って身につけた俺の得意技だ。
「……ぐっ」
目の端でソラの動きが戻るのをとらえた。髪や衣服も押しつぶされていない。ラルガの魔法が解けてる。……これは。
「輝! どうして助けた――」
「――動かないでくれ」
俺はソラの大剣を槍で押さえつけるようにして止める。少しして土煙が落ち着き、視界が良くなってもこの状況を見たラルガは攻撃をしてこなかった。
「この場は引分けてください」
俺はソラの武器を抑えながらラルガに言った。
これが現時点での俺の最善解、だと思ってる。今後どちらに付くにせよ、判断材料も時間も無さすぎる。だからどちらにも付かない。どちらにも手出しをさせない。
「随分と中途半端な立場だな。だが――」
ラルガの手のひらがこっちを向いた。瞬間全身が粟立つ。何だよこの恐怖は。刃物のようなラルガの視線。その中に明確な敵意を感じた。
「――だが、私から襲うならば貴様はどうする。その立場を保てるか?」