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向き合う時(3)

 自分自身を見る。それは、本来であれば叶わないことだ。人間の目というのは『ここ』についている。前しか見れないんだ。

 それがどうだ。凪いでいる水面に映る姿を自らであると認識し、人間は鏡を創り出した。自己を見つめることができるようになった。無様な寝癖も、気に入っていない顔も、顔に浮いた面皰も、そして……その中にある醜い感情も。


「……まるで、鏡だな……」


 俺は呟いた。


 ドラゴンの許可を貰って通ってきた扉は閉まり、外界と隔絶された屋内。壁面は石だろう。隙間なく敷き詰められたそれらは陽の光など通さない。それでも今俺がいる場所が大きな広間であると認識できるのは、本来なら真っ暗なはずのこの場所を何十もの魔法の松明が照らし出し、火のはぜる音で飾るからだ。

 カビの臭いか、冷えた土や石のものか、それともその両方が混ざっているのか。独特のすえた匂いがする。

 広い石舞台に俺は立っている。その俺の対面。石舞台の反対側には制服を来た一人の男の姿。

 真っ黒い髪は伸びてきており、目にかかる有様だ。特徴の乏しい顔つきは歪み、憎たらしく笑みを浮かべている。ブレザーは着ておらず、白いワイシャツはくしゃくしゃに折れていて、その裾を飲み込んでいる少し大きめのズボンを学生ベルトでしっかりと留めている。

 鏡であれば、せめて今の俺の服装を映し出してほしいものだ。だが、目の前の男がそうではなく、過去の服装をしていることから分かる。これは鏡ではない。俺の姿をかたどっただけの存在――。


「――フル」


 口をついて名前が出てくる。

 ユリウスさん曰く厳密には違う存在なのだとのことだが、俺にとってはどうしようもなく『フル』だった。

 そう、王都で二度もぶつかりあった『嫉妬』の化身。俺の醜い感情の発露であり、その点においてはまさに『写し鏡』。

 不完全な鏡像はその歪めた口元を操って言葉を編んでいく。


「凝視するほどのものかい? そんなに面白いものかな。……見放された人間の顔っていうのは、さ」


 奴は自らの頬を撫でながら話す。ソラたちのことを思い出し、腹のあたりから突き上げてくる醜い感情を押し殺しながら俺は細く息を吐く。

 飲まれるな。嫉妬は殺せ。嫉妬に繋がりそうな感情も封じるんだ。考えるべきことはそこではない。……フルを、従えるための方策。


 さあ、どうやってフルを従わせようか。


 自らに課した問いかけは、しかし、すでに考え終わっていることでもあった。

 王都で精神世界にフルが現れた時は、倒すことでフルから開放された。彼があの時話していたルール――『斬ることで目を覚ますことが出来る』――が手がかりになることは間違いない。

 その上で懸念は二つ。

 一つは魔法無しでフルを下すことができるのかということ。そしてもう一つは、『嫉妬』に心を奪われないようにするということ。

 一つ目に関して言えば、俺が磨いてきた技が何処まで通用するかなんて分からないが、それでも殺されることは無いだろうと踏んでいる。フルは身体を欲していた。つまり、入れ物である俺を殺すことはしないはずだ。

 だから気をつけるべきは二つ目……。感情を嫉妬に支配されないことだ。


 考えながらフルを睨んでいると、奴はおもむろに口を開いた。


「君は力を求めてここまで来た。それは力を持ってる人が羨ましいからだろう?」


「違う。必要だと思ったから。それだけだ」


 フルが両手を広げてほくそ笑む。


「へえ……。たった独りで良くやるねえ。きっと今頃君を追いやった狛江ソラたちは仲良く談笑でもしながらヒュルーでよろしく過ごしてるんじゃないの?」


「それは関係ない。関係があるのは、俺がお前を従えるという事だけだ」


「きっと皆、邪魔な君が居なくなって喜んでるよ。ミアもエレックや狛江ソラの事を信用してるんじゃないかな。人殺し扱いしちゃうどっかの誰かさんの事なんかよりも」


 流石に俺の姿をしているだけのことはある。俺の醜い感情がくすぶっている場所をよく知っている。

 だけど、そこに目は向けない。燻る薪に風は入れない。


「それは俺の罪だ。謝るつもりだ。例え赦されなくとも償う。その為の力としてお前を従える。もう良いだろ。話はそれだけか?」


 俺は背中のグングニルを引き抜いた。こんな程度の言葉で嫉妬に溺れることはないが、対話を続けられるのは一方的に不利だ。戦いに持ち込もう。

 フルは「あちゃー」とふざけた様子で言いながら何も無い空間に手をかざす。溢れ出た銀色の光が槍を形作り、その手に収まる。冷たい銀の槍がフルの手で回る。


「……どうやら、君は嫉妬を上手に追いやってるみたいだね。全然干渉出来ないよ」


 不敵な笑みのまま、フルは言った。

 当たり前だ。苦労はしてるけど細心の注意は払っている。それも全て、フルに心を許さない為。嫉妬なんて醜い感情に身を落としたりはしない。


「残念だったな、フル。俺はそんな醜い感情ところに用は無い!」


 俺はグングニルを構えてフルへ突っ込んだ。ラーズに教えてもらった突進。しかし、捨て身のように飛び込むものではない。フルの目の前で身体を起こし、グングニルの長い刃を利用し長刀のように袈裟へ斬りかかる。


「はああっ!」


「くっ……!」


 フルは銀の槍で防ぎ、弾いてくる。だがその膂力には驚異を感じない。王都の精神世界で対峙した時と同じ。身体能力は高いとは言えないみたいだ。

 俺はすぐに体勢を立て直して突きへ転じる。辛うじて半身になり避けたフルの頬に掠って、一筋の薄い傷が出来た。


 ――よし。届く。俺の槍はフルに届く!


 直後、フルの空いている方の手のひらが俺の方へと向けられた。


「食らえ」


 来る。『アレ』だ。距離を取って避けきるしかない。

 俺は飛び退いてフルとの距離を稼いだ。奴の手のひらには小さな竜巻の様に銀色の風が集まっていく。懐かしさすら覚える。銀色の風は手のひらから俺に向かって放たれて、その過程で幾つかの鋭い刃と化す。

 ……『風の刃』。それも複数だ。


「やっぱり来たか……!」


「風を、捉えられるかな……!」


 フルが魔法を使ってくるだろうことは分かっていた。

 元は空気とはいえ『風の刃』は実体を持ったかのように対象を抉る。首や脇などの急所を切り裂かれてしまえば、回復魔法のない俺は出血多量で倒れるだろう。そして、死ぬ前に意識を失えば身体を乗っ取られてしまう。

 だけど、逆にいえば実体を持っているからこそ、それはただの風の様にとらえどころが無い訳では無い。『捉えられるかな』というフルの言葉はブラフだ。

 この世界に来た時に襲ってきた甲冑竜はその甲殻で『風の刃』を跳ね除けたし、王都の路地にいた奴隷商人の青年は魔法を使って『弾いた』。

 つまり――俺は右手に力を込める――実体であるこの『グングニル』でも充分弾く事が出来るということだ。そして、後は手数。俺は左手で腰の小刀を引き抜いた。右手にグングニル。左手に小刀。訓練を続け、ハリアの路地裏で形を成した変則二刀流。


「ふーっ!」


 息を吐く。それから少し吸って呼吸を止める。集中だ。見切れ。手の付けようが無い程の数じゃない。『刃』を弾いて活路を見出せ!

 右手前方、左脚、額、右肩。断続的な『風の刃』が次々と飛来する。真っ直ぐ首や腹などの急所を狙って来る『風の刃』は右手の槍で弾き、指先や足を狙うものは小刀で除きつつ、体捌きで処理できるものは避ける。

 八つ、九つ……そして、十を数えた最後の一つも体をひねって避けて、完全にかわしきった。


「まだだよ」


「何……!」


 正面を向くと、フルが槍を投げてきていた。額に迫るそれに気付いた俺は反射神経で首を傾げて避ける。頬に掠りはしたものの、皮一枚。薄っすらと血がにじむ程度だ。


「はあ、はあ……」


 止めていた息を吐き出して再度武器を構える。

 この攻防でお互い頬に傷一つ。……痛み分けだ。でも大丈夫、魔法無しでも互角に戦えている。このまま戦いを運んでいけば、嫉妬に心を許さずにフルを倒せる可能性がある。


「従え、フル。俺はもう、嫉妬を乗り越えた……!」


「どうかな……。まだ結論を出すのは早いと思うよ」


 フルの身体が銀色に光り始める。僅かに背が伸び、その手に一本の大剣。光が収まるとフルの姿は一人の少年の姿に変貌していた。


「さあ、輝。……続きをしようか」


「……狛江、ソラ」


 俺は歯を食いしばった。

 俺の目の前にいるのは制服姿の俺ではない。白いローブマントを身にまとい、あの白い大剣を携えた狛江ソラだった。


「芸達者だな、フル」


「褒め言葉、ありがとな。輝」


 狛江ソラはそう言うと大剣を手に走り出す。身構えた俺は彼の足の運びと手の動きに注意を配る。

 奴は狛江ソラとなった。だとしたら何処まで能力を模倣できるのだろうか。あの亜音速の移動も、ふざけたような馬鹿力も使えるのか。


「それ、行くぞ!」


 真正面から振り下ろされたる白い大剣。俺はグングニルを横に構え、左手の拳で峰を押し出すようにして受け止める。


「……ぐう……!」


 力は拮抗している。さっきまでの腕力よりも強い。

 だが、狛江ソラが魔法で馬鹿力を出した時の力はこんなものではない。……遊んでいるのか。否、強すぎる力で俺の身体を吹き飛ばさないように調節しているのかもしれない。


「なあ、輝」


 目の前にある人懐っこい端正な顔が俺に笑いかける。


「輝はずっと、俺にぶつかってきたよな」


 最悪なことに話し方までそっくりだった。その姿や声と相まって、否が応でも頭の中に狛江ソラの言葉として入り込んでくる。


「黙れ……!」


「最初はサウルか。俺が浮かれてるように見えたんだっけ。……本当か?」


 問いかけ。『本当』というのはどういうことだ。俺は確かにサウルで狛江ソラの脳天気な態度に苛ついた。事実だ。それ以上も以下もないはずだ。


「何を……」


「甲冑竜を前にして舞を見捨てようとしたお前と、助けようとした俺を比べていたんじゃないか?」


 息が止まる。あの時の感情が蘇ろうと、俺の胸の中で藻掻いているのが分かる。

 これか。フルの目的は。嫉妬を思い出させることだ。

 狛江ソラは俺を蔑むような目つきで嘲笑い、話を続ける。


「シュヘルでも、本当に『危険だから』って理由で逃げたのか? 違うことを考えてたんじゃないか?」


「煩い!」


 俺は力を込めて大剣を押し出し、即座に後ろへ跳ぶ。これ以上鍔迫り合いをしながら奴の話を聞かされるのは危険だ。

 狛江ソラは大剣すら構えず、嗤いかける表情のまま口を動かす。


「ま、結局は皆、俺を信頼してくれて、選んでくれたんだけどな」


 そして指をさしてくる。真っ直ぐに、俺の方へ。


「……輝、お前じゃなくて、さ」


「ふ……ふふ」


 俺は笑う。笑い飛ばしてぐらぐらと煮える腹の中の熱を潰す。冷たい一筋を下ろして熱を殺す。惑わされるな。考え込むな。奴の思う壺に放り込まれるな。


「分かってる、お前の目的は。だけど無駄だ。嫉妬なんて感情、俺は何度でも殺す。諦めるんだな」


「へえ……。飽くまでも拒絶する、か。それとも、俺じゃあ不足なのかな……」


 狛江ソラは困ったような顔で笑った。うんざりするほど本物に良く似た仕草に辟易しながらも、俺は視線を外さない。

 妙な変身のせいで一瞬調子を崩された。もう一度攻め直す。


「誰だろうが不足だ。俺の中に嫉妬はもう存在しない!」


「『誰だろうが』……ね。良いよ。本気で嫉妬を思い出させてやる」


「やってみろよ!」


 意識して、威勢よく言い放つ。そんな俺を一瞥したのちに、フルはまた嘲笑う。


「それじゃあ、こんなのはどうかな」


 フルの体が銀色に光り出す。光が溢れ、狛江ソラだった身体を覆っていく。

 また変身か。次は誰になるつもりだ。天見さんか、一樹か、エレックか、それともミアか。

 銀色の光に包まれたフルの形が変わっていく。大剣は失せ、体躯は小さく。そうして光が収まっていくと、そこには一人の少女が立っていた。

 黒い髪、ショートカット、猫の様なつり目、小柄で華奢な佇まい。高校の制服を着ていて、微笑んでいる。ああ。滅多に見れなかった、その笑顔。


「……あ、あ。そうか。……そう、来たか」


 全身が震えた。

 恐怖ではない。武者震いでもない。得体の知れぬ、胸を締め付けるような感覚が身体中を覆っていく。


「んッとにお前、良い趣味してんな……!」


 グングニルを握る手に力が入った。

 本当に奴は、俺のことをよくわかっている。俺の醜い感情が棲んでいる場所を、十全に理解している。


「久しぶりだね。君は元気だったか? 久喜君」


 少女は笑う。その外見は、俺が昔恋い焦がれたその人――『新山ヒカリ』そのものだった。

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