緑じゃなくてピンクでしょ
「だ、か、ら!」
授業と授業の繋ぎ目の休み時間。
高校生たちはどんなに限られた時間でも目一杯、騒ぎ出す。
「緑じゃなくてピンクでしょ!」
私、桃井優那の声に草原洋輔が怪訝な顔をする。
「個人の自由だろ。」
草原がそう言って背を向けた。
隣の席の草原は何故かいつも文房具を全て緑色に統一している。私はそれが納得いかない。
草原はこの高校に通う学生の中で唯一、卒業した中学が一緒の男友達だ。初めて同じクラスになった時から彼の文房具は一貫して緑。いつ見ても緑、緑、緑…何故そんなにも緑が好きなのか私には理解出来なかった。
「緑オタク!」
私が言うと背を向けていた草原がこっちを向いて言い返す。
「そっちこそ。ピンクオタク!」
言い合っている私達に話しかけに来た友人がまた茶化す。
「桃草コンビ!また喧嘩してる!」
断じて喧嘩じゃない。これは議論だ。
ピンク。私はこの色をとてつもなく愛している。
私の文房具はベビーピンクで統一されている。でもピンクなら何でも好き。ローズピンク、マゼンタ、ツリアン、ウルトラピンク、フレンチローズ…私がピンクだと認めたものは全て愛でる対象だ。持っている洋服もピンクばっかり。アクセサリーもヘアゴムもバッグも色んな種類のピンクを混ぜ合わせる。
この世で一番、愛らしい色。
私がこんなにもピンクを愛しているのは幼い頃からだった。
上に三人の兄がいる貧しい家庭に育った私は着るもの、持つもの、全てが兄のお下がりだった。洋服は怪獣の絵が描かれた紺色のTシャツや黒の短パン、ブラウンのセーター。学校で使う裁縫セットは青だった。
「菜々の裁縫セットはね、ピンク!」
そう言って桃色の箱に入った裁縫セットを持ってきた友達が羨ましかった。
ランドセルだって仲の良い友達はみんな赤かピンクだった。私は兄のお下がりで黄色いランドセル。仲良しの友達と並んだ時、私だけ色が浮いていて悲しかった。
小学四年生の時、兄のお下がりのボーダートップスを着て、いつもの黄色いランドセルで登校したらクラスメイトが声を上げた。
「あ、蜂だ!蜂!刺されるぞ!みんな逃げろぉ‼︎」
私はあれから蜂蜜が嫌い。どんなに流行っていても美味しいと言われても蜂蜜入りのお菓子は買わない。
もっと小さい頃、仲良しの友達がフリフリのワンピースの衣装に変身して地球の平和を守る乙女のアニメにハマっていた時、私は兄たちのチャンネル争いに勝てず、いつも何とかレンジャーを見ていた。でも私はそれが嫌いではなかった。だって何とかレンジャーには必ずピンクがいるから。ピンクのヒーローは必ず女の子で、一人だけヒーロースーツがスカートのデザインになっている。そして地球の平和を守った後は鏡で髪型を気にする普通の乙女に戻るのが最高に格好良くて可愛かった。
ピンクは私にとって手に入れ難い乙女の象徴だったのだ。
それが高校生になったことでアルバイトをして自由にお金が使えるようになり、私は我慢していたピンクを沢山手にすることが出来るようになった。今まで抑えていた感情を爆発させるように部屋中をピンク、洋服をピンク、文房具をピンク、色付きリップもピンク、ヘアゴムもピンク、ピンク、ピンク、ピンク…ピンクで埋め尽くしている。まるで取り戻せない時間を取り戻すように。
私はピンクが好き。ピンクしか愛せない。この世界をピンクで埋め尽くしたい。この世のもの全てがピンクならば良いのだ。異論は認めない。
だからこそ…この男、草原は!
「よし、お前に緑の良さを教えてやる!明日の放課後、俺と一緒に来い‼︎」
草原に言われて渋々頷いた。
ピンク以外、認めるつもりはないけどね。
翌日の放課後、学校を終えた私達は制服のまま街中へ出た。学生や買い物帰りの主婦、お年寄りなどが行き交う人混みの中を二人で歩く。
「……で?どこに行くの?」
私が尋ねると草原は、うーん…と考え込む。ちょっと、まさかノープランじゃないでしょうね?
怪訝な顔で見つめていると、取り敢えず…と言い始めて、
「雑貨屋、付き合って欲しい。」と無表情で言う。私達は若年層から中年層まで気軽に立ち寄れる大手チェーンの雑貨屋へ向かった。
「あった。グリップがもうボロボロだから。」
草原の手にはエバーグリーンのシャープペンシル。また緑…見ていたクリーミーピンクのノートを元に戻してレジに向かう草原を見届ける。
雑貨屋を出ると草原が、食べる?と爽やかなグリーンパッケージのミ○ティアを出した。私は若干どん引いた声で、
…いらない。と返した。次に私がピンク色の苺味のグミを見せて、食べる?と尋ねると草原は、
俺、人工的な苺味、苦手なんだよね〜と拒否した。
お前に緑の良さを教えてやる!
豪語していたくせに…このままだと私は緑を好きにならないぞ。
「じゃあさ、ちょっとコンビニ寄っていい?」
草原に言われて近くのコンビニへ向かう。お菓子と飲み物を二本買って一本を私に差し出した。そして満足げに、
「よし!行くぞ‼︎」と声を上げる。
一体、どこへ⁇
草原に連れて行かれて辿り着いたのは地元の植物園。園内は緑、緑、緑……そこに赤や黄色、紫、ピンクなど鮮やかな色が散りばめられている。
街中と違って息苦しくない!味わったことのない心地よさだった。
「桃井!こっち‼︎」
ピンクのストックを眺めていると遠くで草原の声が聞こえる。声のする方へ向かうと私の目の前がピンク色のチューリップで埋め尽くされる。
わぁ!と思わず喜びの声が漏れた。
白と薄い桃色がグラデーションになった優しい色合いのチューリップが並んでいる。その所々に濃いピンクのチューリップが混ざっていて優しさの中に華やかさも添えられていた。綺麗…私はうっとりして同時に心が安らいだ。
「花も綺麗だけど葉や茎も綺麗だろ?」
草原に言われてチューリップの花弁の下を見る。花弁と同じくらい優しい色合いの薄い緑が愛らしい桃色を逞しく支えていた。
「緑とピンクの共存!」
草原が嬉しそうに笑った。
植物園を後にして草原に小さな公園へ連れられるとベンチに座って飲み物を飲んだ。
「ああ、そうだ。さっきのコンビニでこれ買ったんだ!」
草原がコンビニの袋からガサガサと音を立てて見せたのは蜂蜜キャンディだった。
げっ!最悪‼︎
草原には私がどれほど蜂や蜂蜜を毛嫌いしているか中学の時から散々話しているのに!
顔が引きつる私に草原が満面の笑みで、
「久々に食べてみようよ!」とキャンディを一粒差し出す。
いらない!と言いたかったが、あまりに笑顔なので渋々受け取る。袋を開けてキャンディを口に含むと砂糖では感じられない柔らかな甘味が口に広がった。
「美味しい?」
草原に聞かれて静かに頷く。
蜂だ!蜂!
苦い記憶と相反するような優しい甘さに涙が溢れた。しばらく涙が止まらなくて口いっぱいに広がる甘さを感じながら涙を流し続けた。一緒に飴を舐めている草原は何も言わずに隣にいる。頭の中はくるしくて、にがくて、でも口の中はあまくて、やさしくて、胸の奥がジーンとした。
少しの間、泣いていたが、涙がおさまってラベンダーピンクのハンカチで瞳を拭っていると草原が今度はシャープペンシルを買った雑貨屋の袋をゴソゴソと開けてスッと私に小さな袋を差し出した。受け取って中身を見るとキラキラの星形ネイルパーツだった。細かな星が丸い小さなケースの中に、空に輝く星のように沢山詰まっている。それが五つ並んでいた。
星形は私の大好きなピンク色が濃い色と薄い色の二種類。他にもレモンイエローとライムグリーン、空色も入っていた。
黄色は小学生の頃のランドセルを思い出すから好きじゃない。でも夜空に輝く星々は好き。ネイルに使うキラキラした星形の黄色も好き。
「ネイルするって前に言ってたから。」
草原の言葉に、ありがとう。と返すと何だか恥ずかしい気持ちになって頬が赤くなってないか気になった。
「今週の緑とピンクを愛でる会、終わり!」
草原が声を上げた。
来週もあるんかい。突っ込みたくなったけど嫌じゃないなと思ったから何も言わなかった。
帰り道、私と草原は地元で人気のケーキ屋さんのガラスケースを眺めていた。
ガラスケースの中には薄桃色のマカロンが鮮やかな緑色のクリームを挟んでいる。
「何味かな?」
私が草原に聞くと草原は、うーん…と首を傾げて、抹茶?ピスタチオ⁇と疑問を並べる。すると彼は閃いた顔をして、
「来週の愛でる会はこれだ!」と嬉々とした声を出した。
駅のホームで別れる前に草原に何でそんなに緑が好きなのか尋ねた。
草原は理由は分からないと返した。ただ、もしかすると…と前置きをして幼い頃から習い事の発表会や部活、受験など大事な場面に立たされた時に母親が緑色のフェルトで作ったお守りを渡していたからなのかもしれない、と。
「それ持ってると何でだか上手く行くんだよ。」
草原が柔らかく笑う。
「俺の母親がさ、ピンクヲタクちゃん会ってみたいとか言うんだよ。高校に入った途端に何でもピンクで揃える友達がいるって言ったら、乙女な子だねってさ。」
あ、そう。
素っ気なく返事したけれど乙女な子という言葉にときめいた。私が子供の時から欲しくて欲しくて手を伸ばしていた言葉だ。
私が欲しかったのはピンクじゃなくて可愛さだった。みんなが認める愛らしさ、可憐な女の子像。それを叶えてくれる色がピンク。
やっぱり緑じゃなくてピンクでしょ。
でも緑も好き。赤も好き。黄色も好き。全部、好き。
私はその中でピンクが一番。ただそれだけ。
カラフルな世界にピンクがあればいい。
色とりどりの中にピンクがいればいい。
ただ、私のピンクの隣は緑であってほしい。
ピンクの傍には緑でしょ。