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第2章 青い獅子の夢

今や世界中の至るところで散見されるようになったこの公共の情報提供システムは、このデータセキュリティ管理会社でも同様の形状と役割を果たしていた。いつでもどこでも世界中の人と繋がる際に言語の障壁を超えるための翻訳機能が搭載されただけでなく、全人類の共通言語を形成していこうとするNEOSのプロジェクトに沿って、人の脳内の言語野に相手の所有する概念を遠隔的に認識させることを可能にした、自動認識言語機能なるものを加えたことで、それと連携させたブルーアースを介して人同士でより綿密な交流が図られるようになった昨今では、少しずつではあるが人同士の軋轢が薄れてきていた。だが、それも今日という日をもって終わりを告げようとしていた。


アトラスを目の前にしたその生命体はかぎ爪の生えた手を不意にかざすと、無作為にその表面を鷲掴みにした。

バチバチと大きな閃光が弾け、無数のスパークが空気中に伝播していく。その一方で彼の腕から流れる紫色の電流がその肌に表面化しながらアトラスへと流入していった。アトラス内部に蓄積された世界中の言語が何やら別の文字へと書き換えられていく。

何かを流し込んでいるこの生命体にとって、事を急いでいる様子は外からは見受けられなくとも、内心では業を煮やしていた。


このコンピュータは我らが世界の到来を実行するのが遅すぎる。

人間の手にかかるとろくなことにならない。

ならば俺の手で呼び寄せるまでだ。

我らが再建すべき故郷をこの世界に実現させる計画、アドベントを実行する最良の手段として。


けたたましい警報が鳴り響き、データバンクに異変が起きたことを警備員が察知した。

監視カメラに映った謎の存在を見て驚愕するも、直ちに出動するべく複数の人数を伴って、データバンクへと向かった。

その傍ら、何かを流し続ける彼の背後で、彼が出現した時と全く同じパルスが不意に弾け始めたことに気づかなかったこの生命体は警報が鳴り続ける間もその行為を持続していた。


バチバチとスパークが弾け、新たに何かが出現したことを彼が遅まきながらに気づいた時にはその新たな存在は戦闘態勢に入っていた。


「ゾフォレス」


振り向きざまに映った彼の目には、人型の青い存在がこちらを睨んでいるのが見えた。ただし、こちらも人の頭ではなかった。

彼はトラの頭をした猛獣の顔が描く激しい表情に一瞥をくれてやった。


「これはこれは。誰かと思えばかの有名なバルデオラ族の長か。しょうもない元王の下僕としてこき使われた側近の部族」


吐き捨てるように中傷されたバルデオラ族長は歯の奥で低く唸った。


「しょうもない、とは余計だ。強いて言うなら、《神の血》であるエネクトロフェスを戦争に誤用し、挙げ句の果てにはその神聖な血が持つ時空を超える作用を使い、貴様らが汚した世界をこの星に呼び寄せようとしているその行為自体こそが取るに足らない、『しょうもない』外道だとそう思い知れ」


「相変わらず、口だけは達者だな」


「何をほざく!」


バルデオラ族長は爪で空を裂き、歪んだ時空間から生み出した衝撃波を彼に向けて放った。だが、それはゾフォレスと呼ばれた存在の腕の一振りで簡単に弾き返された。跳ね返った衝撃波はバルデオラ族長がすんでのところで交わした背後のハードウェアが並ぶ棚に直撃した。

大きな爆発音がして火花が散った光景を振り返って目を取られている隙に、ゾフォレスはアトラスに触れていたもう片方の腕を真横にずらしてその空間を歪ませた。

低く唸るような風切り音が響き、そこから歪曲した時空間が彼を再び透明の膜として包んでいく。


「貴様とはまた会うだろう」


数分ののちに四人の警備員がそれぞれの手に拳銃を掲げて、データバンクの扉を押し開けたと同時に、その膜に包まれたゾフォレスは激しい衝撃音と閃光と共にその姿をくらました。

今となっては手遅れとなったバルデオラ族長が取る選択肢は一つだけだった。

彼はゾフォレスの後を追うようにして腕を水平に回し、時空を歪曲させようとしたが、驚きを隠せない警備員たちが発砲した銃弾を受けて膜を崩壊させてしまう。

咄嗟に彼は部屋の末端へ向けて突進し、窓ガラスを突き破って下へと落ちた。

地面にたたきつけられる前に再び腕を回転させて時空を歪曲させ、その体を角張った形状のバーチャル素子に変換して縮小させていく。

完全に消滅しきった時、わずかに残った膜の時空の歪みがアスファルトの道路に激突して大きな亀裂を与えた。

重低音が鳴り響いた大きな振動に、あたりを歩いていた一般市民たちが何事かと動揺するも、窓際まで来て下を見下ろした警備員たちは急いで国際警備機動部隊に通報することを決断した。

世界を網羅する部隊、NEOSの機動部隊を。






「ただいま戻りました」


勇治が帰社した挨拶の時もオフィスは忙しく動いていた。まるで誰も目にくれないようなその雰囲気に一人途方に暮れるような感覚を味わい、再び憂鬱な気持ちが重くのしかかってくるのを感じ取りながら、上司に案件の報告を済ませた。


「………そうか、残念だな。君には期待していたものだったが」


「申し訳ありません」


「いいんだ。ところで、ある人から君に話があるようだぞ。来週の月曜日の午後、会議室に来るように伝えてくれと言われてな」


「そのある人とはどなたのことですか?」


「おっかなびっくり、倉持社長だよ」


「倉持社長?」


オウム返しする勇治の反応を想定していたかのように苦笑いをする上司。


「そうさ。今の君の実績からして恐らくはアポの話ではないはずだ。何の話かまでは聞いていないが、とりあえず行っておいで」


「………承知致しました」


うろたえながら返事し、残りの業務を済ませるために自分のデスクへと戻った。

何のつてもない自分に、社長という身分の方が一体何の用で呼び出すのだろう?






「亮次、ほらおいで」


道端に咲く大きなひまわりの花びらをむしっている小さな男の子を催促していると、美玲の端末が振動した。

画面に表示されたSNSの名前を見ると「江田盛裕香」とある。

ママ友からだ。

詳細を開いてメッセージを見る。


それじゃあ予定通り、午後二時半に町田駅のJR改札付近で待ち合わせね!

亮くんの好きなクッキー、焼いてきたよ!

気に入ってくれるといいんだけどな………。


ふふ、とひとりでにくぐもった笑いが漏れる瞬間が亮次の目に留まった。


「ママ、何見てるの?」


「裕香ママからよ。クッキー焼いてきたって」


「ほんと~?やったあ!」


ふっと笑った美玲は息子にたしなめる。


「お友達にもちゃんと分けてあげるのよ」


「え~?どうしようかな」


「亮次はみんなのヒーローになるって、いつも自分でそう言ってるじゃない。ヒーローはみんなに優しくしなきゃだめよ?」


「そうか~。ん~、でもな~」


「何を迷ってるの?」


「ママ、僕、ヒーローって本当にいるのか分からないやっ。だからヒーローになるの、やめるっ」


「ふふ、クッキーを独り占めしたいがために、ヒーローをやめるのね。それじゃあ、亮次の好きな美弥ちゃんも守れないわね」


「ん~、それはだめだ!僕は美弥ちゃんを守りたい!だって、僕、美弥ちゃんと結婚したいんだもん!」


いっぱしにいっちょ前なことを言ってくれるわね。


「そうかあ。じゃあ、お友達にもクッキーあげなきゃね。だってヒーローはみんなに優しいはずなんだもの」


「そうなのかなあ」


先ほど取ってきた植物の茎を手でぶらんぶらんさせながら、亮次が押し黙る。


「ママ」


「なあに」


「ヒーローって、本当にいるの?」


やや現実に根差した質問だ。子供の純粋な質問にはいつも言葉が詰まる。だが、それだけ私たち大人がいくつもの当たり前の事柄に真正面から向き合いきれていない証拠でもある。

ここはしっかり伝えなきゃ。

亮次には本当に強い男になって欲しいから。

だけど、何て答えよう?

こんな時、章介ならなんて答えるかな?

………あっ、そういえば!

以前お買い物デートを三人でした時に、彼が私に話していた言葉があった。

彼が腕に抱いてすやすや眠っていた亮次の背中を優しく撫でながら話していたこと、それは………。


「ヒーローはね、誰にでもなれるの。だから、ヒーローはいる。だけどね、誰がヒーローになれるかどうかは、本当は誰にも分からない。唯一知っているのは亮次、あなたの心なのよ。初めからヒーローって呼ばれる誰かがいるわけじゃない」


「それは嘘だ。ヒーローって呼ばれる人はいるんだ!」


反射的に言い返す亮次に首を横に振る美玲。


「ヒーロー、つまり英雄というのはね、たとえそう呼ばれる人がいたにしても、その人の心から始まるものなの。他の人よりも大きな力を持った人が必ずしもヒーローになるとは限らないわ。その力を間違った方向に使う人だっている。むしろ、そういう人の方が今の世の中には多いの。だからこそ亮次、心は力をコントロールする舵取りなの。あなたの心が『誰かを守りたい』と強く願うなら、力を欲の方向へ持っていってはいけない。その心をみんなのために、自分以外の誰かに使うの。その心がいつしか本当の大きな力となってみんなに称えられるようになる。そうした時に初めて人はその人をヒーローと呼ぶの。いつだってヒーローは正しき心を持った人から生まれる。そのことをちゃんと覚えておいて。忘れちゃだめよ」


「………よく分かんないよ、ママ」


「ふふ、いずれ分かる時が来るわ。これだけは覚えておいて。正しい心は人を想う心なんだってこと。要するに思いやりや愛情ね。そのことだけは頭の中に入れておいて」


「分かった!」


素直に頷いて飛び跳ねる亮次を見て微笑む美玲。子供の無垢な気持ちを育てるのは生かすも殺すも私たち大人。真に子供への愛と成長を願うならその可能性を摘んではいけない。だって子供は可能性の塊なんだから。

そこまで胸中で独白すると、章介の言葉が思い浮かんできた。読書好きな彼が本から学んだという言葉だ。


―可能性とは信じ抜いた先に知ることになる、太陽へと向かう枝葉の広さと数そのものである―


可能性は必ずプラスに働くもの。その可能性は信じ続けることでいずれ強大な力となりうる。大木が無数の葉を伴って上へ上へと伸びていくことでさらに強靭な幹を形成するように。その小さな芽を途中で摘んでしまえば、多くの人が寄りかかるための幹を育むことはなかったことになる。だからこそ、初期段階において可能性は可能性として育てていくべきなんだ。それが人を守りたい信念に繋がるならなおのこと。

事あるごとにそう話してくれた章介の言葉に幾度も救われてきた美玲には、心がいかに大切なのかということを教えられた。彼がいてくれるからこそ今の私がいる。そのことを常に念頭に置いて彼と接していることを心がけているつもり。元夫とのあの生活の頃に比べたら、章介はまさに素敵な王子様そのもの。勇ましい心を持つ、頼りになるサムライよ。謙虚さや慎ましやかな気持ちを持つことの大切さを教えてくれたのも、彼。そんな章介に愛してもらえるなんて、本当に幸せなこと。きっと、この私が彼を、章介を幸せにしてみせる。

改めてそう決断した彼女のささやかな気持ちには、純粋に章介を想う無垢でひたむきな愛があった。章介もそれを理解してくれていることを前提に成り立っているその温もりは永遠で不変のものだと、本気でそう信じていた。


不意に亮次がもじもじし始めた。


「ママ」


「ん?どうしたの?」


「僕ね、夢を見たんだ」


「あら、どんな夢?」


亮次が切り出す。


「それがね………ライオンの頭をした人間の人が出てくる夢だったんだ………僕、そのライオンの人と約束したの」


「約束?気になるわね」


「君はヒーローになれる人だって。君はたくさんの人を救える力を持っているんだって、そう言ってたんだ!だから、君にいいものをあげるって言ってね、変な丸いものをくれたんだ。きらきら光るやつ。これをあげるから、君はヒーローになってたくさんの人を救ってね、ってそう約束してきたの!………指切りげんまんはしなかったけど。………でもね、だからね、ママにヒーローのこと、いるか聞いてみたの!」


そう言ってポケットから四つに折りたたまれた、くしゃくしゃになった紙切れを取り出した。


「僕、幼稚園でね、そのライオンさんのことを描いてみたの」


「あら、すごいじゃない!」


広げて見せてくれたその絵には、子供らしいたどたどしいシルエットで確かにライオンの頭をした人物が描かれていた。ただし、その全身は青かった。そして、その片手には亮次が言う通りの光る丸いものが握り締められていた。

これは………太陽?


「………ママ、僕、よくわかんないんだけど、この丸いものって、何かな?」


「ライオンさんに聞くことはできなかった?」


「夢で見た時は僕、それがなんだかわかるような気がしたから何も聞かなかった。だけど、目が覚めたらね、忘れちゃったの」


なるほど、うちの息子にはこんな才能もあるのか。

夢で見たことを真摯に受け取ってその中身を聞いてくる子供はそんなにいないはず。

美玲は思った通りのことを口にしてみた。


「ママは太陽だと思うわよ」


「………でも太陽は地球の外を回っているやつだよ?」


ふふっ、亮次ったら何気にちゃっかりしているわね。


「じゃあ小さな太陽さんかもしれない。何かの模型とか?」


「んん~、模型ってプラモデルとかいうやつ?」


「そうよ」


「でも、太陽のプラモデルって見たことないやっ。それにプラモデルは光らないよ!」


「確かにそうね」


思わず笑いを含まずにはいられない美玲だった。この会話を楽しめるひとときがとても愛おしい。


「でも、地球儀ならあるから、太陽儀っていうのも、あるのかもね」


最後にオリジナルの造語で締めくくった亮次の頭の中は、次の関心事に移っていた。


「あ!裕香ママだ!」


亮次が指を指す先に視線を移すと、歩道の遠くで手を振っている二人の親子が目に入った。

美玲はにっこりと笑って手を振った。


「美弥ちゃーん、こんにちは!裕香ママも!」


亮次は走っていって美弥に駆け寄っていった。


「美弥ちゃん!一緒に遊ぼ!」


「あらまあ、気が早いだこと」


笑いを抑えられずにはいられない二人の母親が会った地点はちょうどガラス張りの奥に液晶テレビが設置されている場所だった。

さり気なくテレビの報道の声がする。


「今しがた午後一時三十分頃、セキュリティ会社で謎の襲撃事件がありました。当社の警備員の情報によりますと、今まで見たことのない生命体がデータバンク内に侵入しており、その頭はトラの顔をしていたと証言しております」


二人が視線を向けた画面には、高層ビルの上部の窓ガラスが大きく割れている光景が映っていた。

二人は思わず顔を見合わせる。


「………トラ?一体全体、どういう………」


裕香ママは困惑した表情を見せたが、美玲はさらにくぐもった表情を見せていた。

つい今しがたまで亮次と動物の頭をした人間の夢の話をしていたからだ。

もちろん、ただの偶然に過ぎないことは美玲自身が一番理解していたつもりだったが、それでも思わず寒気を覚えずにはいられなかった。

さり気なく亮次が描いた紙に視線を落とす。

ライオンにトラ………。亮次は何か天から秘密のメッセージでももらったんだろうか。

美玲は首を横に振った。

そんな馬鹿げた考えに取りつかれるべきじゃない。

亮次がどんな夢を見たにせよ、このニュースとは何の関連性もないわ。

とはいえ、警備員が見たトラの頭をした人間の存在というのは果たして本当なのだろうか。

本当に奇遇に過ぎないことは理解しているのだけれど、それでも………。

なかなか疑念を払拭できない美玲は、無理やり頭からその不安を追い払い、「さあ裕香、早くカフェに入ろう!」と催促した。






「隼人、着いたぞ」


隣で眠りこけていたインターン生に声をかけると、章介は駐車した車から颯爽と降りた。


「う~ん、よく寝たな」


背伸びをしてシートベルトを外す隼人の顔にはさっきまで気概に溢れた表情が抜け落ちていた。朝早くから起床して興奮していたせいか、その反動で眠気に襲われたらしい。片目には目やにがついている。


「目やについてるぞ。待ちに待った講演会なんだから、ちゃんと起きろ」


「ああ」


両目をこすって車から降りた隼人のやる気のなさそうな返事に半ば辟易しながら、「ほら、行くぞ」と促す章介。

そう催促した彼の正面に映った人だかりを見て、思わず唸った。

もしかして………。


「おい、隼人。あれって………」


章介の声に前方を向いた隼人の瞳孔が一気に開く。


「嘘だろうっっっ!!!おい、マジか!!!」


噂をすればそこには二人の一大科学権威がファンの対応に明け暮れていた。


「………それで、カオスが到来する時期はいつ頃と思われますか?」


「カオスの信憑性をメディアは疑っていますが、実際は本当に来るんですよね?」


「カオスの仕組みを世に正しく認識されるための広報活動は何か考案済みですか?」


怒涛のように質問を受ける科学者たちは、お互いに困ったような表情を見せながら両手を手前にかざしてその場をやりすごそうとする。


「申し訳ない、皆さん。諸々のご質問についてはこれから開演する講演会の後に順々にお答えしていくので、今はどうか私たちのことをお見逃し下さい。スタッフとスケジュールの最終確認をしたいので」


そう述べた、右手にいる眼鏡をかけた短髪の思慮深い瞳の男性は本当に申し訳なさそうに会釈する。対するもう片方の学者も作り笑顔でその場をしのごうとする。

どちらがどの学者なのか章介には分かりかねたが、熟知している隼人は興奮して「うおおお!!!ガルトニックさん!!!」などと声を張り上げている。

隼人が人だかりの方へ向かおうとした直後、二人の学者は背後にある施設へと続くフェンスの向こう側へと姿をくらましてしまった。


「ああ、もう少しで話が聞けるところだったのに!」


がっかりした彼を励ますように、章介がその肩に腕を乗せる。


「まあ、いいじゃないか。後でまたお見えになるんだし。元気を取り戻して、施設に入ろうぜ!」


逆に章介が明るくなったことを受けて、隼人は少しばかりふてくされてみせる。


「そんな顔すんなよ~。ほら、行こうぜ!」


二人は巨大なドーム型の複合施設の入り口へと向かった。






講演会が始まると同時に会場は波打つように静かになった。

二人の学者は真剣な面持ちで会場を見回すと、マイクを持ったガルトニックが厳かに口を開いた。


「会場の皆さん、今日お伝えすることはとても重要な内容です。私たちが住むこの地球でこれから起きようとしていること、その一部一部をこれまでの主張の中で伝えてきましたが、今回はその核心部分を追求するものです。心して聞いて頂ければ幸いです。それでは、始めましょう」


ガルトニックはコルドビックに向かって首肯すると、舞台の上に置かれたスクリーンにパワーポイントで画面をスライドさせてショートプログラムを開始した。タイトルには「人工知能アトラスがもたらす世界崩壊の危機」とある。


「現代において、様々なテクノロジーが出現するようになってからというものの、私たちの生活は向上と発展の一途を遂げていき、とても便利になったことは言わずもがなだと存じます。ですが、その一方でコンピュータの発達によってある途轍もない危機に直面していることもまた事実です。普段私たちが使用している言語がビッグデータとして人工知能に蓄積されていくことで、その言語としてのデータが私たちの生活基盤を跡形もなく破壊してしまう事態をはらんでいることに、私たち二人の学者は気づいたのです」


ガルトニックがそこまで言い終えると、代わりにコルドビックが話し始める。


「皆さん、本日お伝えする話は決して生易しい内容のものではありません。私たちの未来の命運がかかっています。その話をこれからしましょう。覚悟して聞いて下さい」


そこまで述べると、ガルトニックが本格的に講演を始める。


「今世界が直面している人工知能による巨大な危機、それは………」






バルデオラ族長、リグは町の外れにある小さな研究所の裏庭に位置するガレージの奥へと向かった。その壁に取り付けられている大きなレバーを下げると、ガレージの目前にあるシャッターがきしんだ音を立てて開いた。その奥にあったのは、ガラス張りでできた蛍光灯のような白い光で染められた小さな部屋だった。彼がその中へと入ると、シャッターが自動的に閉じて、音声アナウンスが流れた。それと同時に四方の壁から様々な形状をした青い半透明のアイコンやディスプレイが空中に表示され、彼の碧色の体に接触していく。


「超次元拡張生体アーマー第1号、通称バルデオラ・リグ・デルフォリウス、帰還を確認。現在、その外部機能を検出中」


各々のディスプレイが角張った形状を伴いながら変形していく彼の結晶化した全体の皮膚を小さなパーツごとに手際よく取り除いていく。


「脳内シナプスと言語自動認識ユニットを本体から切断中………システムに異常なし」


「遠隔操作用バイパスのコードを切断中………システムに異常なし」


「多重バーチャル神経系統を切断中………システムに異常なし」


一つ、また一つと部品が取り除かれていくにつれ、トラの顔をしたヒューマノイドの表層部が分解されていく。中から現れてきたのは、屈強な容貌をした一人の男性だった。顔のパーツが外され、最後に胸部に設置されていた円形の水晶体が四方に開いていくと、彼は中から何やら光る丸い物体を取り出した。全てのパーツが取り外された途端、部屋の一番奥にある壁がひとりでに分解していった。そのさらに奥から顔を覗かせた人物がいた。拡張生体の開発者だ。


「宮菱博士、報告したいことがある」


唐突に話しかけた彼に、宮菱は首を捻った。


「"彼"の測定プログラムで検出したところ、あの敵となる存在には内部に他の生体となる何らかの反応は見られなかったぞ」


「リグの言うゾフォレスか」


「そうだ」


「リグに聞けば答えてくれる。そうだろ?」


手にしている丸い物体、まるで太陽の形状をしたそれに語りかけると、自動音声のように、だが引き締まった声が響いた。


「奴は超次元生命体そのものだ。遥か太古の昔からずっと別のヒューマノイド種族と体を連結しようとはしなかった部族だ」


「部族?」


「奴はトカゲ型部族ワーヴィルの族長だ。部族という言葉の意味はお前ならとうに知っているはずだと思っていたが、航」


航と宮菱が顔を見合わせる。


「いや、初めて聞くぞ」


「そうだったか。そういえば、俺が博士によって起動してもらってからまだ多くを語ってはいなかったか」


「聞かせてくれ」


航は研究室の中を歩き、ある一つのガラス張りのデスクまで辿り着くと、球体をその中央にある窪みにはめ込んだ。

たちまちにしてデスクと連結しているディスプレイにトラの顔が映る。


「俺もまだ全ての記憶を取り戻せていない。故に語る言葉の内容一つ一つが断片的な意味合いをはらむことになることは避けられない。それでもいいなら、知っているいくつかのことを話そう」


一拍置いて続ける。


「汝ら人間が俺たちの種族に対して知っていることと言えば、我々が自らを"神なる種族"と定義していることくらいだろう。だが、名前には由来があるように、我々の種族に正式な名前と由来がある」


回転椅子に座って航が尋ねる。


「………どんな名だ?」


(ディエティ)だ。かつて、遥か彼方にある母星に端を発する、宇宙種族の中では動物型ヒューマノイド種族と称された存在たち」


「君を開発したこの私といえども、初めて聞く話だ」


宮菱が難しそうな顔をする。


「恐らくそうだろう。ディエティ族は母星と共に滅びたはずの存在だからな。故郷を失った我々にとって住むことが可能な系外惑星は他になかった。故にその語られるべき情報源がほぼないに等しかったからだ」


「他になかった、とは、現に今お前がいるこの地球以外には惑星を発見できなかった、ということか?」


「そうだ。当時我々の惑星は巨大な危機に見舞われていたからな。そのあたりに関してはよく覚えている」


「巨大な危機?」


「戦争だよ」


バルデオラ族長が低く唸った。


「超時空大戦、すなわちエクシード・ウォーと名付けられたこの巨大な戦争が我が母星を存亡の危機に陥れたのだ」


「ということは、戦争を始めた張本人がいると考えてもおかしくはないよな」


「いかにも」


一拍置いて、リグが目を瞑る。


「我が種族は大きな二つの勢力に分裂したのだ。ある秘宝をめぐってな」


「………秘宝?」


「世界を創造する力を秘めた、かつて我が種族の王が所有していた、ディエティ族の最後の希望となるものだった」


「"だった"ということは、その"最後の希望"は潰えたのか?」


「今はもうどこにあるか全く検討もつかない。それだけが我が世界を救う使命を担っていた」


「そうか。残念だったな」


「今に至っては同情などしなくても構わないさ」


侮蔑には見えなかったがどこか過去の自分を嘲るような含みのある笑いを浮かべるリグ。


「それで、故郷が失われた後、どうやってここ地球に来たんだ?」


さばさばした雰囲気で質問を繰り返す航に、これだけはといった面持ちでリグの表情が悲しみに歪んだ。


「それが思い出せないんだ………到来の際にこの地球に何等かの大きな災厄が起こったことは漠然と覚えてはいるが、それが何なのか………今はただ、思い出すだけでも辛くなる」


「分かった。今はその話は置いておくとしよう」


目を指でこすり、頭をもたげる航に宮菱が代わりに質問をする。


「それはよしとしていてもだ。君たちディエティと呼ばれた種族が単に新たな故郷を探すためだけにここへ来たわけではなさそうだ。君たちの敵に位置する者が今回ⅠT会社を襲撃したことには何か意味があるとしか思えない。何らかの目的を少なくとも向こう側の勢力は持っているはずだ」


「それについては少しわかる程度だが、知ってはいる」


「それは、何だ?」


今度はリグが目を瞑った。


「奴らにはある大陸がもたらす世界を持っている。その世界をこの地球に蹂躙させようとしている」



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