クラスの髪女
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねえ、こーちゃん聞いてくれよ。つい最近、学校で友達と話してたらさ、目の前をクラスメートの女の子が通ったんだよ。髪がすんごく長い子。
――え? その子が実は学校にいない子だったってオチ?
こーちゃん、最近はネタ潰しにはまってんの? そりゃ作り手として、苦心して考えたネタが他人様と被った時なんかもろ悲惨だろう。だから他の人の同じような状態が許せない、てのも分からなくはないけど、少し落ち着きなって。そんなネタでこーちゃんに声かけるほど、僕はアホじゃないよ。
その女の子、だいぶ先を急いでいたのに加えて、ちょうど風が吹いてさ。縛られていない髪の毛が、ぶわっと広がったんだよ。その一部が、僕の鼻の穴をくすぐるような形でこしょこしょと……たまらずくしゃみが出ちゃったんだよね。
そしたらその女子にものすんごくにらまれてさ。僕が髪の毛を汚した~、とかで悪者扱いよ。僕の弁明なんぞ何も聞いてくれなくてさ。これって本当に僕が悪いの?
女の人は髪の毛が命。そう言われて久しいけど、実際にどれほどの効力を有しているのだろう。
その髪の毛をめぐって、また面白い話を聞くことができたんだ。こーちゃんも耳に入れておかないかい?
僕の父親が学生だった時も、クラスでだいぶ髪の毛の長い女の子がいたらしい。お姫様カットが流行していた時世に、尻近くまで届くロングヘア。目立ったのなんのって。
さすがに校則に引っ掛かるだろうと、父も思ったらしい。しかし何カ月たっても、彼女が髪型を改めることはなかった。唯一、理科の授業では首の後ろで束ねていたけど、それ以外は振り乱したまま。
そして別の大きな問題がひとつ。彼女の髪は、ものすごくフケが多かったんだ。彼女が人前で髪の毛をいじることはほとんどなかった。その代わり、彼女の髪からはしばしば微細な粒が落ち、空を泳いでいたんだ。
たとえ髪そのものがきれいでも、取り巻く環境がダメダメなら、評価はがた落ちだ。己の椅子や机の上を、フケでしばしば白くする彼女に、ほとんどの子の視線も白くなっていたとかなんとか。
そして父も、僕と同じような被害に遭った。昼休み、校舎の廊下で彼女とすれ違いざま、後ろになびいていた髪の毛が、父の目をかすめたんだ。
ただの髪じゃない。いつもフケが待っているような不潔な髪だ。そんなものが、この目の中に……。
「待て!」と手を伸ばしたけど、彼女はかなり急いでいるらしく、髪の毛の先さえもするりと逃げた。周りにいる人の目が、ほんのわずかの間だけ父の方へ向けられ、すぐに小さくなっていく彼女の背中を追い始める。知り合いは周りにおらず、父を心配する人も、彼女を止めようとする人もいなかった。
目の中がむずむずする。普段の彼女の髪の毛を知っている身としては、彼女を追うより先にやるべきことがあった。手近な水道に駆け寄り、回る蛇口を上向きにする。
絶え間なく眼球へぶつかってくる水道水。瞳を開きっぱなしにするのは辛く、何度も瞬きをする。まぶたが合わさるたびに、ゴミが紛れ込んだ時のごとく、皮の内側でゴロゴロと転がる感触がした。ずっと洗い続けているのに、取れる気配がない。
結局、昼休みの大半を洗眼に費やした父。彼女が帰ってきたらとっつかまえて、文句のひとつもぶつけてやらなきゃ気が済まない。自分の席に腰掛けて腕を組み、いらいらと足で床を鳴らしながら彼女を待つ。
彼女が戻ってきたのは、授業開始のチャイムとほぼ同時。ドアを開けてドタドタと駆け込んできたすぐ後ろで、午後の一コマ目を見る数学の先生が入ってくる。彼女が席に着くまでの間にも、フケはそれなりの量が飛んだ。足跡を残すほど、とは言わないけれど、追跡できないほどでもない。リアル「ヘンゼルとグレーテル」の目印パンくずだ。
号令準備に入ってしまい、そのまま授業に移行。父は仕方なく、時間を改めることにした。片目のうずきは、いまだに止まない。
父の席は教室中ほどなのに対し、彼女の席は廊下側の一番前。しかも彼女は部活に入っておらず、帰りのホームルームが終わった後、悠長にこの場へとどまっていることなど、ほとんどなかった。
案の定、その日も彼女は締めのあいさつが済むと、そそくさと通学カバンを肩に引っ掛けて、教室を後にする。引き止めたかったけれど、中学生といえばちょうど男子、女子が互いを意識し始め、距離を取ることも多い年ごろ。公衆の面前で、大声出しながら異性を呼ぶというのは、恥だという感覚がどこかにあった。
――おおっぴらに話すことでもない。どうにか人の少ないところで捕まえられればいいのだが。
父はかゆみを増してくる目を、しきりにごしごしとこすりながら彼女の後を追う。
彼女がほぼ駆け足で校舎を出て下校していくのは、今までの経験から把握済み。父も足を早めて彼女の後を追う。
学校の近くでは生徒や先生に見られるかもしれない。少し離れてから問い詰めようと追いかけたのだけど、その行為はほとんどストーカーといって良かった。
学校の周りは田んぼが多い。彼女はそのあぜ道を何度も曲がると、不意にぴたりと足を止める。父はそのまま疑いなく彼女へ近づいて行ったけど、いざ手が届くといった距離で不意に彼女が振り返った、
父は思わず「ひっ」と声を出してしまう。ぱっつりと揃えられた彼女の前髪が、真っ白くなっていたんだ。それは白髪じゃなく、フケがふんだんにくっついて形どられたもの。一見した父には、そう思えたんだ。
でも違った。白いフケはかすかに動いていたんだ。更によく見ると、フケのひとつひとつに、糸くずと見まごうような手足がついていて、彼女の髪の上を歩き回っている。
父の右目。彼女の髪にかすられたところが、にわかに痛み出す。たまらずうめき声をあげて目を押さえかけたけど、その手を彼女が止めた。
「私に用があるんでしょ。それって、髪の毛のことじゃない?」
父は目をぱちぱちしながら昼のことを話すと、彼女は、あれはわざとじゃないことを謝ってくれる。そのうえで、少しそのまま我慢してほしいと告げてきたんだ。
父の手を掴んでいないもう片方の手で、彼女はつむじ近くの髪の毛をぷつりと一本抜く。前髪と違い、奴らの這っていない黒髪を父の顔の前に持ってくると、とんぼを捕まえる時のように、くるくると渦のように回していく。
その髪に、どんどん白いものが浮かびあがり始めた。今もなお、彼女の前髪で動き続けている奴と同じもの。でも父は白いものが増えるたび、涙がこぼれる時のように、瞳からあふれるこそばゆさを感じていた。
――俺の目から白い奴が飛び出して、あいつの髪に飛び移っているんだ……!
鳥肌を立てている間に、彼女の髪の毛は例の白いもののために、元の数倍はあろうかという太さになっている。
その髪を、彼女はあろうことか抜いた箇所である、つむじの辺りに戻す。確かに離れていた髪の毛は落ちる気配を見せない。
「私の頭。実は発掘現場なんだ、て話したら信じる?」
彼女は地面に置いた通学カバンのファスナーを開けると、中から長いカツラを取り出した。今の髪型に劣らない、ロングヘアに仕立ててある。
父の目からは、もうすっかり違和感が消え失せていたけど、寒気は収まらない。手を離した彼女は、今度は両手で自分のこめかみのあたりを押さえると、がぼりと、水気たっぷりのフィンを外す時にそっくりな音を立てながら、カツラが外れた。
彼女の頭に、髪は一本も残っていなかったんだ。代わりに、髪についていたあの白いものたちが、また大勢這っている。奴らがいないところの皮膚は赤く腫れあがっているか、黒くて小さい穴が空いている。拷問のねじ穴とまではいかなくても、毛穴なんかで片付けられる大きさじゃなかった。
にもかからわず、彼女は顔色一つ変えずに新しいカツラを被る。学校にいる時と変わらない、ロングヘアの彼女が出来上がった。
「これ、収まる目途がつかないんだ。動きからして何かを探しているみたいなんだけど。あまりに活発に動くから、じきにカツラの破り、髪の毛をたどってあんなことになっちゃう。今日は重ね重ね、ごめんね」
彼女は頭を下げると、「早く帰らないといけないから」とあわただしく去っていく。
それから卒業まで、父が彼女のことを深く突っ込むことはなかった。だけど今でも、目にゴミが入った時の感触がするたび、あいつらが実は目の中に残っているんじゃないか、と思うようになってしまったとか。




