第69話
始めに目を覚ましたのはフィーテだったそうだ。
息を吹き返したように緑広がる大地に死屍累々の如く地面に倒れる四人。介抱しながら帝国に引き返し、事情説明しその他もろもろの戦後処理に半月ほど追われ続けていた面々は、大いに安堵していたという。
一見すると眠っているようにしか見えない状態がいつまで続くかわからない、というのが医師の見解。幸いなことに、通常の眠りとは事ない飲食をせずとも生命は維持されている。
そしてフィーテが目覚めてからおよそ一ヶ月。
ようやくリーザベルが目を覚ましたという。
目覚めた当初のフィーテよりも重症で、動く事もままならず、しばらく病床での生活が続いたらしい。
ニクスが目覚めたのは、彼女が覚醒してから更に二ヶ月ほどした頃。
すでにあの闘いからは三ヶ月が過ぎていて、今ではもう四ヶ月目を迎えた。
それでもまだカルロは目を醒まさない。
「いつまで寝こけてるんかねえ」
彼が眠るベッドの傍らで椅子に座るニクスは肘掛けに頬杖をつきながらぼやいた。
昏睡状態に陥った最大の要因は神を降ろしたことだろうと言われている。
「……………………カルロには頭が下がるよなあ」
神と接触することが昏睡状態を招いたということは、過去に二年ほど眠り続けていたのもそのせいなのだろう。
その当時はなにも分からず、戦々恐々としながら面倒をみていたのかと思うと、尊敬の念しかない。
当時のカルロの苦労と心労を思えば、原因は明らかだ。目眠りの終わりが来る日をただただ待ち続けるしかない状況は、なかなかに精神が削がれる。
跳ぶように椅子から降りて、カルロが眠るベッドに腰掛けた。
大きなベッドの中央で眠る彼に身をのりだすようにして体を近づけ、つんつんと、少しかたい頬を二、三度つつく。
それになんの反応を示すこともなく昏々と眠り続ける様子に、小さく息を吐いた。
窓から見える景色は、橙色に染まりながら薄暗くなっていく。
そろそろ夕食時ではあるが、食べられないからと拒否をしているニクスに声がかかることはない。
座る位置をカルロの足下の方向へずらし、ニクスはぽてんと横たわった。
肩に掛けていたペロプスにも使っていた布を体にかけて丸くなり、再びため息をはく。
何をしようにも気もそぞろで手につかないし、そもそも何かをしたいとも思えない。
明らかに意欲を失っている自覚が、さらに気分を塞がせる。
「はあ……」
何度目になるかも分からないため息をついて、ニクスは左の腕飾りに触れた。
あれから、何度も名を呼んだ。でも彼らの姿は現れない。あの時限りの奇跡。だからこそ、気絶している間に別れを終えてしまっていたことが心残りになっていた。
視界が涙でぼやけた。鼻の奥をつんとした痛みがつく。
いつものように深呼吸をするけれど、やはりここ最近のように涙を止めることとはできなくて。
伝い落ちる熱いものを感じながら、そっと鼻をすすった。
ふっと浮かび上がった意識が、また寝落ちしたのだと冷静に判断を下す。
そうして寝落ちするのも、起きる度に覚える目の腫れぼったさも、ひと月続けば癖になっている気がしてならない。
重怠い体をベッドに投げ出したまま、深々とため息をはいた。
どうせまだ、外は暗いのだろう。
寝落ちたと言っても、たかだか二、三時間程度。一度起きてしまえばなかなか寝付けず、かといって動く気力もなく、目を閉じたまま苦悶の時間を過ごすことになる。
(でもまあ、まだ暖かいからいつもよりはましか……)
通常、未婚の男女が一緒の部屋で、二人きりで過ごすというのはいい顔をされない。
ただ、目覚めて以降、他の場所ではまともに眠れず人の気配や物音に過敏になり、前々からある対人恐怖が悪化し、食事もとれず、最終的には倒れるというのを七日の間に三回も繰り返したところ、目を瞑って貰えた。
カルロが目覚めるまで、という期限付きでどこぞのお国の城の一室を提供されている。
初めて知ったのだが、カルロは帝国の皇子らしい。なんでも出生後ほどなくして行方不明になっていたとかなんとか。
再会したときにはすでに成人済みだったというのもあり、カルロは色々と拒否しているらしいが、血族はそうではないようでなにかと構ってきてしつこいと言っていたそうだ。時折お見舞いにくるファインが面白おかしそうに話してくれた。
カルロと同じ症状、ということでファインたちとともにニクスにも一室貸し与えられた部屋はある。
ファインやリーザベルはその部屋を使っているそうだが、ニクスはかれこれ半月以上戻っていない。
一応お部屋付き、というものが割り当てられているらしく、そろそろ一回くらい戻った方がその人の為だろうなと、思ってはいる。ただ、戻ったところで隅で丸くなるだけで、何かを頼むことはまずないため、戻る意味がない。
(あー、だめ。鬱々思考だめ、もう起きる)
意識を切り替えるために深呼吸をしたとき、不意にくしゃりと頭を撫でられた。
む、と目を開けて、顔を上に向ける。
「おはよう。もう起きるのか?」
茶色の目を和めて、カルロが問いかける。
ぱちぱちと目を瞬いて、ニクスは体にかかっていたものを大きくひっぺがしながら跳ね起きた。
ベッドの上に正座して、部屋の中をきょろきょろと見渡す。
窓から差し込む光は、どこからどうみても陽の光。
記憶にあるのは夕暮れ。
盛んに目を瞬かせながら、ゆっくりと体を起こしたカルロを見上げた。
(おはようございます?)
こてん、と首を傾けながら深々と頭を下げた。
「……話すのは、難しいか?」
「話せる。あの時と比べると、起きたときから調子いい。ただの癖です」
「そうか」
カルロが安堵の息をついた。
よかった、と微笑を浮かべながら頬を撫でられて、ニクスもふにゃりと笑う。
「いつ起きたの?」
「夜中。寒いなら布団入って良かったんだぞ」
「私の状態を見て、一緒の部屋に二人は目こぼしを貰えたけど、それは流石突っ込まれるかなって思って」
不思議そうな顔をしたカルロが、しばしして、あぁ、と声を上げた。
「別にそんなんじゃないんだけどな。側から見たらそうなるのか」
「…………そうだね?」
頭に疑問符を浮かべながらニクスはにこやかに肯定した。
未だに頬を撫でていカルロの行為はつまり、そういう感情、いわゆる恋愛感情からくるものではないことは理解できた。カルロにそういうつもりが全くないことも。
(なら、どういう認識? 危うく勘違いするところだったけど、それに類似するもので、可愛がるような“なにか”)
一緒に生きろと、恥ずかしげもなく叫んだのは、本当に他意がなかったのだろう。カルロの視点で言えば、攫われてそのまま生き別れ、元気にしていると思ったら無惨な姿で捨てられていた挙げ句、目の前で命を落としたのだ。加えて同時期にリクハも失った。
(あれか、単に心配や不安から目を離せないからそばに置いておくことでの安心要因と、リクハがいない分の感情の矛先が私に向いたと。つまりこれはペット感覚)
行きついた結論が腑に落ちた。
状況が状況だ。言動がややこしいのはあるにしても、そう認識するのも仕方ない。
なるほどなるほど、とこくこくと首を縦に振る。
「どうした?」
「なんでもない」
小さく首を横に振った。
不思議そうにしながらも、頬に触れる手が離れることはなく、反対の頬にもカルロの手が触れる。
撫でたり揉んだり摘んだり、好きに触らせながらニクスは静かに心に決めた。
(カルロが大丈夫になるまで、がんばろ。やりたいことがあったらやらせてもらうけど)
どれほどの年月がかかるかはわからない。それでもいつかカルロが安心できるように、ある程度の保身を図れるようになら必要がある。
(いや、それ以前に人間不信と人間嫌いが尾を引いているのをどうにかせねば。やりたいなと思っても、道具がなかったりそういう概念がなかったりするから、辿り着くところは結局そこなんだよね。そこがどうにかならなければ働こうにも働けないし。どうにかなるのか?)
「なに小難しい顔してんだ」
「んー……カルロが起きたの報告せねばなーって」
「それなら大丈夫だ。朝、部屋に来た侍女にニクスが起きるまでそっとしておいてくれって言づてを頼んでるから」
「そうなの? なら準備しないと」
頬をこねくり回している手からすり抜けて、ニクスはベッドから降りるべく四つん這いで端を目指す。
その道中で、カルロに捕まった。引き寄せられたかと思えば足の上に降ろされて、逞しい両腕が身体を閉じ込める。
「カルロ、準備できない」
「もうちょっと」
横抱きにされるような形で、頭にカルロの顔が寄せられた。かたく抱きしめる腕はびくともしない。静寂の中でお互いの呼吸だけが大きく聞こえる。
抱きしめられる時に体と体の間に挟まれた手を引っ張り出して、カルロの背中に片腕を回した。流石に両方は届かない。
あやすように背中をさすれば、カルロの腕に力がこもる。
「ざっとでも話は聞いた?」
「いや、まだだ」
その言葉に、ニクスは知っている範囲で今の状況を告げた。
静かに耳を傾けていたカルロが、全てを聞き終えたのちようようと口を開いた。
「――とりあえず、神獣たちが言っていたお前の試練というのは、終わったということでいいんだよな」
「たぶんきっと恐らく。……結局、あの子たちは誰も残らなかったねえ……」
「それなんだが」
密着度が減り、ニクスはカルロを見上げた。
なんとも言えない表情をしている。
「寝てる間、神々に呼ばれてて色々話をしたんだ。その中で、ニクスの理想郷をつくるって話に面白そうだとのっかった神獣が多くて、しばらくあいつらの魂が循環できないからどうにか説得してくれって言われて様子を見に行ったんだが」
「うん?」
「まあ、うん、なんというか、元気だったぞ、あいつら。こーでもないあーでもないって言い争ってて。なんなら実力勝負になってて。リクハはセツとギンカだけニクスの信頼貰っててずるいから、自分も混ざって認めて貰うんだって楽しそうにしてたからな、うん。感傷に浸りすぎなくていいと思うぞ、うん」
遠い目をするカルロを見つめ、しばしののちニクスは頭を抱えた。
嘘ではないことはわかる。理想郷の話は本来カルロが知らないこと。ただ、いくらなんでもそれは、満喫しすぎではなかろうか。
「……本人たちが楽しんでることはいいけど、私を差し置いて先に行ったことだけは後で不貞腐れてやる」
「ニクス」
「大丈夫、すぐに追いかけるつもりはないよ。それだけ試行錯誤してくれてるなら、なにができるか楽しみに、こっちでのんびり過ごしす」
寿命でもなんでも、死んだときにはきっと迎えに来てくれるだろう。そうでないと拗ねてやる。
「家に帰りたい引きこもりたいって、言ってたな」
「うん」
「その“家”っていうのは、ニクスの……アンジェリカの生家のことだったりするか?」
「へ?」
アンジェリカの生家と言えば、今は亡きディルバルド公爵家。国が滅んだということは、その地位も血筋も意味をなさない。
「それはとっくの昔にもうないよね? なんで?」
「…………伯爵家にいたとき、聞いてないのか?」
「なにを?」
「…………………………まあ、ニクスだからなあ」
「なにが!?」
悟ったような顔をしたカルロに頭を撫でられた。
なにがどうしてどうしたの、と問いかけても、ちょっと待ってな、と明確な返答は返ってこない。
再び、苦しいほどにきつく抱きしめられてニクスは顔を顰めた。
耐えられないほどではないため抗議はせず、ただカルロが充足するのをじっと待つ。
やがて、深い深い息を吐いたカルロがゆっくりと体を起こした。
その表情はやや硬く、暗い。口にするのを迷うような様子で、何度も開口と閉口を繰り返す。
迷いを隠すように眉間にしわを寄せ、まるで縋るようにニクスの体を包み込む。
「確かに、カゲツがロイヒェン国を滅ぼした。でも、ニクスの父親は死んではない。現ユリーシアン王国国王が、元ディルバルド公爵だ。……ニクスは、ユリーシアン王国唯一の王女になる」
背中や腕に回された腕に力が入る。
窮屈さにまたかと若干辟易しつつ、ニクスは盛んに目を瞬いた。




