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第68話

 ――もう、遅いわよ大姫様。ほら、あの子らも呼んでください。今か今かとうずうずしているのですから。


 まるで幼子に言い聞かせるような優しい声音が耳の奥に響く。


「……ギンカ?」

 ――はい。わたくしも彼も、大姫が魔から解き放たれたその時に、守護の役割は終えましたから。ゆっくりお話したいのは山々ですが、どうか先にあの子らを呼んでください。


 足先に前足を乗せて窘める亀を救い上げて、ニクスは唇を噛んだ。


 呼びたいけれど、今ここで呼んで良いのだろうか。

 神獣、と賞される存在が呼べというのならなにかしら意味はあるのだろう。

 でも。


 ――お願いします。


 切々と訴える円らな瞳に勝てるわけはなく。


「セ……ツ……」


 左手首をなにかが撫でた。

 視線を下ろすと、蛇の形を模った腕輪がするりと解け、なにかが集約するように風を動かしながら、蛇が頭をもたげる。


「……………………」


 次に呼ぶ名に、喉が凍りつく。

 呼ぼうにも詰まらせて音にならない言葉に肩を震わせた。


 頭では理解している。理解しているのに、心は認めたくないと悲鳴をあげる。

 それでも、大丈夫だよと言わんばかりに寄り添う二匹に背中を押されるようにして、吐息とともに消え入るような声で、名を紡いだ。


 六葩リクハ、と。


 ばさりと、はばたく音がする。

 顔を上げるのが恐ろしくて、二匹の視線が向いた右手とは反対に顔を向けた。


 ――ほーほほ、ほほほ、……ほ!? ほーほほほほーほほーほほー!?


 ばっさばっさと翼をはためかせながら、リクハが鳴き叫ぶ。

 一瞬にして感傷がふっとんだ。

 首をめぐらせた先には、予想に違わず右往左往している梟がいる。


「ふふっ」


 零れ落ちた笑いに左手で口元を押さえて、肩を小刻みに揺らす。


 梟姿になるとほーほーと鳴くだけだったから、人の姿でなければ話せないことは予測できていた。だが、当の本人はそのことを忘れていて話せない、と慌てているのだろう。


 目元を和めて抱え上げようと彼に伸ばした右手は、しかしなんの感触も得られず宙をかいた。

 それに気づいたリクハも静まり返り、てしてしと可愛らしい足取りで背中を向ける。


 伸ばした手をぽとりと地面に落として、ニクスは息を吐き出した。


「……行って、おいで。必要だから、出てきたのでしょ?」

 ――もう一人、いる。


 ギンカやリクハとは違い、感情の起伏の少なそうな平坦な声でセツが告げた。

 同意するように、隣でギンカが首を縦に動かす。


 ――そうです、あの方にも声を掛けてください。大姫様が自ら名をお与えになった、あの御方に。神獣の座を降りられてしまわれましたが、それでもあの方は太古より存在する、我らが長のひとりですから。


「……………………うん?」


 今なんか、ものすごく聞き捨てならないことを聞いた気がする。

 けど知っている。これ気にしたらだめなやつ。


「……佳月カゲツ


 一拍ののち、今までよりも強く風が吹き抜けた。

 後ろに気配がある。


 ――たわけ。


 開口一番、罵られてニクスは肩を落とした。

 セツたちと同じく頭に声が響くということはそういうことなのだろう。

 魔の奥深くで、心配かけてしまったことを思い出し、ゆっくりと肩越しに振り返った。


 普段は凪いでいる金色の瞳に、今は憤然とした光が見える。


「心配、かけて、ごめんなさい」


 向き直って頭を下げた。


 ――……たわけ。

「うん」

 ――お主が魔に堕ちるのと、我が魔に染まるのでは訳が違う。

「うん」

 ――お主の選択が世界を滅ぼす可能性さえあった。

「……うん。それでも、譲れなかった」


 誰かにも大切な人がいて。その世界で生きている何千何万という人がいて。人以外にも命がある。

 大多数を守るために知っている誰かを斬り捨てられるほど強くはない。そんな生き方は選べない。


 繰り広げられていrう激戦に視線を戻す。

 その中の、たった一人を凝視して、ニクスは小さく唇を綻ばせた。


「自分の未来を、あげてもいいって、思うくらい、大切に、なってたんだよ。いつの間にか」

 ――たわけ。

 ――あらあら、だめじゃない、竜の。


 三度目の罵りを受けたとき、横から知らない声がカゲツを咎めた。

 一つ角の不思議な獣が、牛のような尾でカゲツの背中をなだめるように撫でた。


 ――ちゃんと大姫が心配だったと言わないと。許された範囲でしか干渉できなくて、安否確認ができないとかなり苛立っていたじゃない。

 ――誰がっ!

 ――竜のよ、竜の。ほかに誰がいるの。ふふふ、常に気高くあったあなたの意外な一面を知れて、不謹慎ではあるけれど、わたくしは嬉しかったわ。

 ――おぞましい事を言うでない、たわけ!


 珍しくくってかかるカゲツに、その獣は面白おかしそうに笑っている。

 知らない神獣に対して反応に困っていたニクスは、所在なさげにセツたちを見下ろした。


 びしっと、行儀良く固まっている。


 リクハを見た。


 同じく直立して動かない。


(うん、これ考えたらだめなやつ其の二)


 早々に思考を放棄して、ニクスは戦場に視線を戻した。


「行かなくて、いいの?」


 ――そこで大人しくしておれよ、たわけ。

 ――竜の。ごめんなさいね大姫。この子ったら素直じゃなくて。


「いいえ。心配して、くれていること、理解しています」


 カゲツが鼻をならして、その姿を変えて空高く飛び上がった。

 その隣に並んで、獣が駆け上がっていく。


「みんなも、行くの?」


 ――はい。そのために、こうして姿を映すことを許されたのです。役割を果たせば、わたくしたちは再び眠りにつきましょう。

 ――ほーほほほ、ほほほっ、ほ、ほー

 ――『大姫がくれた機会なのだ、だからありがとうなのだ』と、言っている。悲しまないで欲しい。大姫がいたから、俺たちは神獣として在ることができた。


 更に言い募ろうとする三匹を手で制し、ニクスは腰を下ろした。


「カルロを、よろしくね」


 静かに頷いた二匹と一羽も見送って、ニクスは深々とため息をついた。

 膝を抱えて、顎を膝にのせる。


 物語の佳境。いわゆるラスボスであろう存在と仲間たちと立ち向かう姿は人を惹きつけてやまない。


(……ものだけど、それはあくまで一丸となって立ち向かうからであって、こう完全に蚊帳の外は草も生えない)


 カゲツにだめって言われたし。でも『魔を祓え』と言付かったということは、負担を軽減する方法があるということだろうか。

 それを確認するにはそうするしかないし、ただ様子を見る限りなんとか収束しそうなようすなので素人が下手に手を出すべきではないだろう。


 いつの間にやら増えていた一人を加えて、シンと命名したそれが五色の檻に捕らわれた。

 耳汚く罵るそれから耳を塞ぎながら、しっかりと結末を見つめる。


 檻に捕らわれて動けないそれに、カルロが最後の一撃を振るう。

 白く燃え上がった刀身が、シンを貫いた。


「あぁ、終わったねえ」

『そうだけど、やることがあるから借りるよ、師匠』


 反応するより早く、世界が遠のいた。










 からんからんと音を立てて一振りの剣が地面に落ちた。


「やっ……た……?」

「いや、まだ油断するには早い」


 ――問題なさそうよ。無事に剣に封じられたみたいね。


 半透明な麒麟が剣の横に降り立ち、告げた。

 その一言に、各々が緊張から解放されて息を吐く。


「おわった……」

「今度こそ死ぬかと思ったわ」


 ペアを組んでいる冒険者が地面に崩れ落ちる。


「久方ぶりに骨が折れたのう」


 剣を収めた剣聖が、自分の肩を交互に叩く。


「もう、無理よ……生きた心地がしなかったわ……」


 リーザベルが大地に転がって悪態をつく。


「ファイン、大丈夫か」

「さすがに腰が抜けますよ。まったくなぜ商人の私がこんなところに……」

「フィーテはどうした。叡智の子はあいつだったよな?」


 ニクスが告げた五芒の檻。その言葉を聞いた直後に、脳裏をある光景がよぎった。

 天を衝く五色の輝きに囲まれたその中で悶えるシンの姿を。

 そして、直後に声が響いた。


『閉じ込めろ』


 そう告げたのは、目覚める前に聞いた剣神のもの。

 光景を再現すべく動いたが、思い返してもあの光景にフィーテのような少年の姿はなかった。


「そうでした。貴方はしばらく音信不通でしたから知らないのも無理はありませんね」

「というと?」

「簡潔に言いますと、人違いだったみたいで」

「――は?」


 曰く。

 夢に物腰柔らかい成年が出てきて、フィーテが持っている力は本来ファインが持つべきはずのものだったと説明を受け、辞退するもままならず押しつけられた。


 簡潔明瞭に告げられた事実に、カルロはしばし言葉を失い、やがて率直な感想を零した。


「お前もお前で豪毅だな」

「『そうだね。あのあとナンナが貴重な体験をしました、と面白がっていたよ。今回の神の子らは楽しい子たちばかりだ』」


 はっと、一同が声をした方を向いた。

 一部、臨戦態勢に入ったものをカルロは手で制止して、険しい目をニクスに向けた。


 気配を感じなかったこともそうだが、神の子とは言え、神と直接対峙したり声を掛けられたりすることは、体に多大な負担がかかる。

 その身に降ろしているとなるとその影響は計り知れない。最悪そのまま永劫に目覚めないことも、過去にはあったという。


「なにしてんだおい」

「『そう怒らないでよニルタの子。最大限の配慮はしている』」


 にっこりと作り物めいた笑みを向けて、ニクスは軽い足取りでカルロたちの横を通り抜ける。


 剣の傍らに立っていた麒麟が足を折った。

 人の姿をして麒麟の横に立っていたカゲツもまた、膝を突いて頭を垂れる。

 倣うようにして、顕現している神獣たちが一斉に恭順の礼を示した。


 その異様な光景に、どういうことだという何対もの視線を受け流し、カルロはニクスの行動をじっと見つめる。


「『君たちには悪いことをしたね』」

 ――申し訳ございません。

 ――わたくしからも心からお詫び申し上げます。

「『君たちの行いを非難するつもりはない。これは僕らの罪だ』」


 剣を拾い上げようとしたニクスを制止して、カゲツが恭しく剣を掲げ持つ。

 それを受け取り、ニクスは空と、そして大地を見つめ、再び神獣たちに視線を戻した。


「『麒麟と、梟はもう少しばかり、手伝ってくれるかい』」

 ――父なる神の御心のままに。

 ――……ほー……。

「『ありがとう』」


 ニクスは剣を持って、首をめぐらせた。


「『ニルタの子、ナンナの子、イルカルラの子にはまだしてもらうことがあるから協力よろしく』」


 ニクスがそう告げると同時に、すさまじい力が三人と一匹に降り注いだ。

 雰囲気を一転させた彼らに立ちすくむ、残りの人間にニクスは微笑みかける。


「『君たちにも、この世界の人々にも迷惑をかけた』」


 ニクスは天を仰いだ。

 世界の存亡を賭けた争いを終えた空は、雲ひとつない快晴。新しい時代の幕開けには申し分ない。


 ニクスと麒麟を中央に、三人と一匹が四方を取り囲んだ。


「『世界は、混沌から始まった』」


 剣から発せられる邪悪な気配と自らの清涼な気を練り合わせ、空高くに放った。

 それを剣で二つに割る。分かたれたそれは、濁っていくものと、澄んでいくとものとに二分する。


「『イルカルラ』」

「『はい』」


 手をかざしたイルカルラに引かれるように、濁ったもののなかでもより濁った一部が纏わり付く。

 それはやがて水となり、イルカルラに――正しくは、イルカルラを降ろすリーザベルの意に従う。


「『ウトゥの眷属』」

 ――ほっ。


 鳴いたリクハの元に、今度は澄んだもののなかでも特に輝かしい一部が降りる。

 青白い炎がリクハの身を包んだ。


「『ナンナ』」

「『承知致しております』」


 ナンナに呼ばれるように残っていた澄んだものが引き寄せられて、植物を生み出す。


「『ニルタ』」

「『おうよ』」


 残りの、濁ったものがニルタの新たなる剣となりて、手に収まる。


「『イナンナ』」

 ――『うん』


 四方に分断された混沌だったものから、中央へ気が流れていく。

 それら四つを練り合わせたものを大地に叩きつけた。

 音もなく吸い込まれた気は、次の瞬間、それを中心として甚大な気の奔流が視界を覆い尽くした。



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