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第67話

「うぅ……体が…………重い……」


 微睡みの中で呻いたニクスは床に手を突いた。

 手のひらを突くちくちくとした痛みに顔をしかめる。


「――え、痛い?」


 跳ね起きながら目を開いた。


「死ねぇぇぇ、小娘!」


 歪に凹んだ顔を持つ黒い物体が、怒号を上げながら眼前に迫っていた。

 ひっ、と顔を引き攣らせ、体を引く。


「ぶべらっ!?」


 見えない何かに阻まれるように、顔半分を押し当て潰しながら宙で固まる姿に、涙腺が決壊した。


「ひぁっ!」


 掠れた悲鳴を上げながら、手を勢いよく振り回した。

 左手の甲に柔らかい感触が伝わる。

 おぞましさに全身が粟立った。


「なんか、気色悪いの、いた」


 手の甲を地面にこすりつける。


「寝起きホラーとか、むり、泣ける、泣く!泣いてる、むり」


 ぱたぱたと地面が雫で濡れる。

 場所を変えて手をこすりつけるけれども、手の甲に残る喜色悪さが消えない。


 地面を踏みしめる音が響く。


 それに意識を向ける余裕がないほど、血の滲む手の甲を地面に押しつけ続けた。


「ホラーきらいホラーきらいホラーき、……けほけほっ……ホラーきらい、オカルトはいいけど、ホラーきらい、涙止まんないむり、っけほけほ……」

「ニクス!!」


 聞き覚えのある声に、顔を上げた。

 映像で見た這い寄る混沌ではなく、ニクスの知るカルロの姿で、彼が駆け寄る。

 持っている剣も装備も大分ぼろぼろで、あちこちに擦り傷切り傷が見える。


 ざっと当たりを見渡して、見知った顔がいくつかと、見知らぬ顔がいくつかある。


 これはなんですかどこまでがどっきりホラーですか。


 目の前に膝を突いたカルロに首をすくめた。

 カルロの動きがぴたりと止まる。


「ニクス?」

「……本物?」


 絞り出した声は、張り詰めた糸のように震えていた。

 衝撃を受けたような彼の表情が、ゆるやかに訝しげなものへと変わる。


「偽物がいるのか?」

「わかんない。化けの皮、破って、べろべろばーとか、ない?」

「なんの話だ?」

「首が、ぽろっと外れて、腐った死体が、大量に、追いかけてくる、とか」

「どんな夢を見たんだよ」

「目を離した、隙に、骸骨と化して、追いかけてくる、とかっ、あったら泣くよ」

「ないから落ち着け」

「ほんとに?」

「本当だ」

「ほんとの、ほんとに? 心臓に悪すぎる、びっくりホラー、大っ嫌いだから、嘘だったら、二度と、口、利かないよ?」

「それはちょっと、想像だけでも結構応えるからやめてくれ」


 使いにくい喉をなんとか動かして訴えれば、しょげたようにカルロが眦を落とした。

 なにかが吹き飛んでいった左側から音がする。そこにあるなにかを視界に納めないように視線をやや右にずらして、小さく首を縦に振った。


 安堵したように肩の力を抜いたカルロの手が、こすりつけた左手を取る。


「こんなになるまで傷つけて」

「気色悪い、より、痛いほうが、まだまし」

「だとしても痛いものは痛……い…………」


 言葉が途切れた。

 なにかを耐え忍ぶように瞳が揺れている。


 カルロと触れている左手を見て、思い出したかのように沸き起こる悍ましさ。再び手の甲を地面にこすりつけようとして、しかし、しっかりと手を掴まれた。


「いった」

「わ、悪い。……大丈夫だから、そんな風に自分を傷つけるな」

「しばらく無理」

「なら、――っ」


 不意に抱え込むようにしてカルロに抱きしめられた。

 直後、左方で爆発音のようなものが響く。


 爆風で、叩きつけるような風とそれに混ざって飛ぶ小石が地面を叩く。


「詳しい話は後だ。『魔を祓って』って、……ニクスを師匠って読んでた少年が言ってたんだ。で、気色悪いって言ってるあれが魔なんだが」

「わかるけどわかりたくないです見られないむりごめん見たくない」


 ついっと示指で指し示したカルロに、息をつかずに拒否の言葉を並べ立てた。

 なによりも嫌悪感が先立ち頭が理解を拒む。


「そうか」


 責めるわけでも食い下がるわけでもなく、静かに受け入れて引き下がるカルロに、慌てて言葉を紡いだ。


「いや、あの、ほんと、すぐには無理ってだけで、ちょっと、心の準備して、頑張ったら、見られない、こともない、かもしれない、けど」

「無理するな。悪かった、目が覚めて早々に怖い思いをさせて」


 いつものように片腕に抱え上げられ、ニクスは視線を下に落とした。


「隅っこで、大人しく、する」

「こうしてるほうが、俺が安心できる」

「闘うのに、邪魔」

「邪魔じゃない。一緒に生きろって言ったろ」

「カルロの、行動抑制、するようなこと、したくない」

「動けりゃいいんだな」

「……究極を、言えば?」


 ちくちくと突き刺さる視線に首を縮こまらせ、唇を引き結ぶ。


「おい。Sランクだかなんだか知らないが、それで本当に戦えるのかよ」

「お前と一緒にするな」


 案の定、とんできた指摘やら苦言やら忠告。それを取り付く島もなくはね除けるカルロに、胃が重くなる。


「カルロ、ほんとに、隅っこで、丸くなる、よ」

「やだ」

「やだって……」

「いやだ」


 カルロが口角を下げ、不機嫌そうに目を細めた。

 なだめるように彷徨わせていた両手をお化けのようにぶらぶらと揺らし、上目遣いに尋ねた。


「拗ねてる?」

「……目を離したら妙なことに巻き込まれてるわ死にかけてるわ、傍で自由にさせてたら自分から首突っ込んでいくようなやつを、なんで野放しにできると思う?」


 感情の読めない瞳で見つめるカルロから視線を逸らした。


 助けを求めるようにカルロの知り合いたちを見つめるが、ある者には睨まれ、ある者には首を横に振られ、ある者には肩をすくめられた。

 剣聖はほけほけと笑っていた。


 もう一度カルロに視線を戻し、ニクスはカルロの首に腕を回した。

 これは自分が悪い。

 左手は曲げられないため、肩にそっと添えるだけにする。


「アンジュちゃん」


 名前を呼ばれて視線を向けた。

 記憶を掘り起こすが、青い髪の女性は覚えがない。


(――ん? 今なんて呼ばれた?)


 ゆっくりと歩み寄った彼女が、左手に手をかざした。


「女の子なんだから、自分で傷を作ったらだめよ」


 淡い光に包まれながら、無惨だった皮膚が綺麗に治る。

 手の甲をまじまじと見つめ、気まずさに視線を逸らしつつ頭を下げた。


「ありがとう、ございます……」


 心配ゆえの一言であることは理解できる。

 しかし、瞬時によぎった過去の数々の出来事に視線を合わせられるわけがない。


「自害も自傷もだめだからな」

「気をつける。だから、はカルロも、やること、やってね」


 一瞬の沈黙ののち、ふっとカルロが笑った。


「失礼なやつだな。もうやってるっての」

「へ?」

「戦場でこんな会話しているところを、敵が悠長にまっているわけないだろ。そろそろ効力が切れるか」

「あーあれあんただったの」


 治癒士であろう女性が、呆れたように肩をすくめた。

 恐る恐る首をめぐらせる。あの黒い人の姿を模したけれど失敗したようななにかを、黒い陽炎のようなものが地面に縫い付けている。


「なにしたの?」

「腹立たしいことに、一度はあれ呑まれた影響からか魔力回路がまだ僅かながら繋がってたっぽいんだよ。だからそこから辿って、自縄自縛させただけだ。あちらさんから切られたからもうできない手だけどな」

「先程から、我を馬鹿にするでない!! こんなもの、我が力の前には役に立たぬわ!!」


 叫んだそれが、行動を封じていた陽炎を弾き飛ばした。

 はじけ飛んだ衝撃波をカルロと剣聖が難なく切り裂く。


 本格的に再開されようとしている闘いに心臓が縮み上がる。

 ニクスはカルロにぐっとしがみつきながら、呟いた。


「悠長に、会話できる、くらいには、かなり、役に立ってた……」

「黙れ小娘が!!」


 空気を切り裂く音が響く。

 跳躍しながらカルロが叫んだ。


「ニクス、意外と煽るのうまいな!」


 戦闘の衝撃に震え上がりながら、ニクスはカルロに届くように精一杯声を張り上げた。


「私は、事実を、述べただけで! 煽ってません!!」

「癪に障る小娘が!! 貴様を器としなくて正解であったわ!!」


 しょうもない挑発だと分かってはいるが、真っ向から存在を否定された気がしてニクスはこめかみに青筋を浮かべた。

 叫び返そうと顔を上げる。


「ニクスを器になんかさせるかよ!!」


 怒るより先に、カルロが怒声をあげた。


 びくりと肩を震わせて、カルロの首にしがみつく。

 耳に残る怒声に顔をしかめ、ニクスは視線を彷徨わせた。


 目の前を斬撃が飛ぶは魔法が掠るわ、命のやり取りをしているその空気に飲まれて首をすくめる。


 魔獣や盗賊相手の戦闘には何度も遭遇はしたけれども、ほぼ安全圏で過ごしていたため今ほどの恐怖はなかった。

 耳の奥に響く心臓の音がうるさい。胃の不快感に顔をしかめ、唇を引き結ぶ。

 顔をカルロの肩に押し当て、ままならない思考をなんとかめぐらせた。


 この世界が、あちらの世界にとっての物語なら、さしずめ最終決戦といったところなのだろう。

 それに参加し立ち向かうのは、あくまで覚悟を持って自ら挑んだ勇ましい者たちであって、間違ってもこんな、特殊な存在だったとしても戦闘訓練をなにひとつとして積んでいない推定一般人がいる場所ではない。


 これは絶対に世の中間違ってる。



 ぱきん、と硬い物が壊れる音が響く。


「魔を祓う……」


(そうはって言ったって、ただの見様見真似の趣味がなんだってそんな力を持つんだよう。そういうのは聖職者にあってしかるべきじゃないの……)


 間違っても、興味関心はあっても信仰してるわけでも修行してるわけでもない一般人が負える役割ではない。


「祓えるものならば祓ってみるが良い!! 問題を先送りにするだけの、愚かな行為ではあるがな!」


 ぼやきを聞き留めたそれの言葉の刃が、胸にぐさりと突き刺さった。


 問題を先送りにして何が悪い。どうせあとになってめそめそしながらやるはめになるのは理解しているのに。……人の命が関わる事なので今回はよろしくないですね、はい。


 嘲り笑う声に周囲の苦悶の声が混じる。

 人を弄んで蔑んでなにが楽しいのだろうか。はらはらどきどきスリル満点の現実は呼んでないんだよ私は。

 うんざりしたようにニクスは顔をしかめて小さく呟いた。


「破壊神シンとでも、名乗って、五芒の檻にでも、封じられれば、いいのに」


 不意に、戦場が静まりかえった。


 やだよう、やだよう。心がささくれ立つよう。

 や――だ――――、いらいらするやだ。ばか。


 それに気づくことなくニクスは深く息を吐き出した。

 カルロの肩に目頭を押し当て、弱音を吐きだす。


「やだ帰るお家帰る引きこもるお外やだお腹いっぱい引きこもりたい……」


 荒い風が背中を叩いた。

 ごうごうと吹き荒ぶ音が鼓膜を激しく震わせる。


「なんだ?」

「形が、人の姿にっ!?」

「ふはははは! 感謝するぞ小娘!! よもや我に"名"を与えるとは、無知な神の子もいたものだな!!」


 風が止み、今までよりもより流暢に、明瞭に、声が響く。

 そろそろと首をめぐらせたニクスは、視線の先にいた人外生物にぱっと顔を戻した。

 目の前にある黒い物体にぎょっと目を剥く。


「っ、後ろ!!」


 その声に反応するようにいくつもの黒い物体が飛来する。

 びくりと体を強ばらせて、衝撃に耐えるように目を瞑った。

 ――しかし、待てども衝撃はなく。


「よくやった、ニクス」

「……は?」


 かわりに、よく分からない賞賛がとんできた。


「ちょっとここで大人しくしてろな」


 先程闘っていた場所からかなり後方にの地面に、すとんと下ろされた。

 理解が追いつかないまま茫然とカルロを見上げる。

 首の後ろに回された手が、首筋に触れた。


 何ごと!?


「悪いがこれ、使わせて貰うぞ」


 その言葉とともに、白い粒が連なった首飾りがカルロの手に収められる。

 身を翻すカルロの軌跡を描いた炎が集約し、一匹の虎が彼の横に並んだ。


「…………は?」


 盛んに目を瞬かせて、ニクスは地面を見下ろした。

 とりあえず、まったくもって一切よくわからないけど、大人しくしてろっていうなら、ここにいた方がいいんだよね。

 あえてここで、って言ったわけだし。


 完全に蚊帳の外になってしまったことに居心地の悪さを覚えながら、ニクスはそろそろとその場にしゃがみ込んだ。


「リーザベル、いけるか!?」

「無理言ってんじゃないわよ、馬鹿なの!? 馬鹿だったわねあんた!!」


 リーザベル、と呼ばれた青い髪の女性が噛みつくように言い返す声が、風に乗って聞こえる。

 最前線で敵に相対している剣聖が、リーザベルを守るように前衛に立っていた人たちが、ニクスが、彼女が生み出した亀が放った水に包まれる。


「……………………ギンカ」


 水の膜に覆われたなかで、しょんぼりとニクスは呟いた。


 ――やっと呼んでくれた。


 視界の隅で、なにかが動いた。直後、周りにあった水の膜ぱん、と弾ける。

 水の欠片がはらはらと落ちていくその下。足下にちょんと佇む小さな亀が、ふわりと笑った。



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