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第66話

『まったくなにごとかと思えば……急げ大姫。我の力が届くうちに、戯け者を連れ戻せ』


 真っ暗な空間の中で、カゲツの声が耳に木霊した。


「カゲツ?」


 呼びかけるけれども、返答はない。

 一方通行なのか、あるいは返答するだけの余力がないのか。


 どちらにしてもあまり時間を掛けるべきではないだろうと判断し、暗闇の中、一歩、足を前に出した。


 一寸先も見えない闇の中をあてどなく彷徨う。

 右へ行き、左へ行き、ちょっと斜め後方へ下がって斜め前方へ。


「まったく、どこにいるのさ」


 あてどなく歩き続けてどれほどの時が経っただろうか。

 不意に、つま先に当たったものに足をとられ、飛び跳ねるように前に転げた。


「いったいなー……あ」


 痛みはあるものの、手足に怪我がないことを確認し、振り返った先。

 カルロが転がっていた。

 腕で目を覆い、微動だにすることなくその体の半分を闇に溶かしている。


 口を開くが、なにを言えばいいのかわからなくて口を閉ざす。

 しばし考え込み、やがて、ようようと声を発した。


「あのー、お兄さん」


 知らない体で呼びかけるも、反応はない。


「……あのー」


 沈黙。


「おーい、お兄さんやーい」


 返答はない。

 唇を尖らせて、カルロのそばにそろそろと寄る。

 それでも反応は全くない。


 ぺたぺたと両手両足をついて近づき、傍らにぺたりと座り込んだ。

 そっと腕に触れてみてもぴくりとも反応しない。

 持ち上げた腕の下から、気力も意欲も失った瞳が露わになる。


 それをじっと見つめて、手をゆっくりと横に下ろした。されるがまま動かないカルロの髪に恐る恐る触れた。

 想像通り全く反応がないことを確認し、そっと頭に右手を這わせる。


「全く、仕方ないねえ」


 よいしょと、頭を持ち上げて、その下に足を滑り込ませた。

 頭を撫でながら穏やかに口を開く。


「勝手に死んでごめんなさい。……カルロとある以上、いつかはそうなるかもしれないって思ってたから、言えなかった。忘れていてほしかった」


 自分のエゴであることは理解している。

 そのエゴが、カルロを追い詰めた。


「自分勝手な恨みとか怒りとかなかったわけじゃないけど、それでもね、お守りや鞄をまだ持っててくれて、ずっと気にかけてくれてたって知ったときは嬉しかった」


 撫でていた手を滑らせて、頬に添える。


「ありがとう。あえてなにも聞かなかったことがたくさんあるけど、それでも、私の知らないところでたくさんカルロに守られてたと思ってる。“アンジュ”も“ニクス”も」


 形は子どもだったとしても、中身はこれであるがゆえに、振り回して迷惑をかけた。

 カルロにしてあげられたことなどほとんどない気がする。


「カルロは大変よく頑張りました。だからね、これ以上頑張れとは言わないよ。帰りたくないなら私も一緒に沈む」

『大姫、なにをしておる、はようせい……!』


 急かすように響く声に小さく笑った。


「いいよ、カゲツ。始めからそのつもりだから。セツたちに会ったら、ごめんねって伝えてくれないかなあ」


 その呟きが彼女に届くことはないだろう。

 同じことを繰り返そうとしている自覚はある。それでも、どうしても、今まで手を差し伸べてくれた彼を叱咤することができなかった。

 とろとろと襲う眠気にゆっくりと目を瞬く。背中を伸ばすように上を仰いだ。


 どこ、というかなにを間違えたのだろう。

 どうしたらカルロが心を閉ざすようなことにならなかったのか。

 いくら考えても分からない。


 だが、自分の選んだ道に後悔はない。

 沈むというならばカルロには、平らで、安らかに、そうあってほしい。


 頭に浮かんだ旋律を、口ずさむ。

 子守歌のように闇に落ちる歌声がやがて切れたその時。


「アンジュ」


 震える声が、耳朶を突いた。

 頬を撫でていた手に、がっしりとした手が重なる。


「おはよう、カルロ」

「その、姿は」

「アンジェリカという肉の皮を被った中身だったもの」


 迷うように目を伏せる彼の頭を左手で撫でた。


「起きたなら聞くけど、カルロはこの後どうするの」

「この後……? そういえば、ここはどこだ……?」

「魔の奥深く、じゃないかな? 多分このまま溶けたら二度と還れない場所」


 ぼんやりとしていた茶色の瞳に、完全に生気が戻った。


「溶け……、うわっ、なんだこれ」


 温もりがなくなった足を撫でながら、くわりと欠伸を零した。

 瞼が重い。


「おい、アンジュ、寝るなっ! 戻るぞ」

「アンジュも、アンジェリカも、死んだ人間だよ」


 揺さぶられるがままに頭を揺らしながら、抗議した。

 もう一度大きく欠伸をして、完全に闇から抜け出したカルロをぼんやりと見つめた。


「死者は死者らしく死者のあるべき場所に流れていくところを、今まで一緒に生きてこられたほうが奇跡なんだよ、きっと」


 強ばった顔で、口ごもるカルロに申し訳なさを抱きながら、カルロを支えに立ち上がろうと足に力を入れた。

 けれども、足はぴくりとも動かない。


「私は寝るからカルロは帰り」

「っ、ふざけんな!」


 感情のままに声を張り上げたカルロの声が遠い。

 押し上げた瞼が再び落ちる。


「許さないからな! 勝手にいなくなるのも、置いてくのも、俺は認めない!!」


 掴まれた腕が力強く引っ張られた。

 なされるがままに彼の背中に揺れているうちに、僅かに眠気が飛んだ。

 薄目を開けた視界に、炎のように赤みを帯びた髪が視界に入った。全身を包み込むような温かさに目元を和め、小さく笑みを零す。


 ――私や私たちの分身に捧げた詞を唱えなさい。


 後ろを振り向くことなく、懸命に走るカルロの視線の先を見つめた。

 広がるのは闇だ。どこから来たのかわからない。出口なんてないのかも知れない。

 自分はそれでもいいが、折角目覚めたカルロが魔に飲まれてしまうのは癪だ。


「たかまのはらに、かむづまります」

「アンジュ?」


 朦朧とする意識の中で、参詣したときに奏上する祝詞を紡ぐ。


「あまつかみ、くにつかみ、やおよろずのかみたちともに、あめのふちこまのみみふりたててきこしめせと、かしこみかしこみもうす」 


 それが導となると言っていた。

 そのはずだった。けれども、景色はなに一つとして変わらない。


 思い出したものをいくつか唱えるけれども、声が届かないのか反応がない。

 じわりと目が熱を帯びた。


「かるろは、かえらなきゃ、いけないのに」

「アンジュも帰るんだよ! 置いていくなんてこと、誰がするかっ」


 終わりの見えない世界を走り続けていたカルロが、息を切らせながら叫ぶ。


「お前はもっと、自分も大切にしろ!」

「得てして、死者は生者を置いていくものだよ」

「だったら俺の命の半分やるから生きろ、一緒に生きろ! 置いていくのは許さねえって、認めねえって言っただろう……!」


 悲痛な叫びに、ゆるりと目を瞬いた。

 幾筋もの雫が、彼の頬を伝っていく。

 体を起こして手を伸ばし、頬に触れた。


 悲しませたいわけではないのに、死者という立場は彼を追い詰めるものでしかない。

 ここで自分が消えることを許容するわけにはいかない。


「そうだねえ。できるできないはともかくとしても、ここからは帰らなきゃいけないね」

『繋がった! 大姫!!』


 カゲツの声が耳の奥に響く。

 ふふふ、と小さく笑みを零して、祈るように瞑目した。


「帰れたら、アンジュじゃなくて、ニクスがいいなあ……」


 アンジェリカは彼女で、アンジュは私だったもの。

 帰って、もしも全部終わってその先も生きるなんて事が有り得るのなら。

 あのカルロがくれた名前で生きていきたい。


「呼ぶから、いくらでも、ニクスって呼んでやるからもう少しだけ頑張ってくれ!」


 そんなに焦らなくても、カルロを置いてここに留まったりはしないのに。


 大丈夫だよという意味を込めて、頬に当てていた手の指先を撫でた。


 ねえ、少年。カルロと一緒に帰るからさ。

 カルロの未来をよろしくお願いします――。


「っ、なんだ、光が……っ」


 頬に添えていた手が、力を失ってだらりと垂れ下がった。


















 カルロは水鏡よりも更に清涼で清廉な空気に息を詰めた。


「よく戻った!!」


 橙色の髪の男が威勢の良い声を上げる。

 前に進み出た黒い髪の女性。二、三歩後ずさり、後ろに抱える曖昧な感覚にはっと目を見開いた。

 地面に下ろした彼女の体は、人の形を保っているのもやっと。


 暗闇の中を走っているときからそうだった。時を追うごとに弱くなる声。おぼろげになる輪郭。透けていく体。

 間に合わなかったのかと、喉が引きつった。 


「ニクス!」

「大丈夫です」


 地面に膝を突いた女性がニクスの額に手を当てた。

 判然とせずただ人の形を保っているだけだった輪郭が徐々にはっきりとする。


 そこにあるのは黒髪の女性ではなく、カルロの知るニクスの姿。

 震える指で彼女の頬に触れ、くしゃくしゃに顔を歪めた。


「よく戻りました」


 黒髪の女性が労うように声を掛け、静かに立ち上がる。

 交代した彼女は最年少である少年の後ろに控え、代わりに少年が前に進み出る。


 緊張した面持ちで、そこに集う者たちを見渡した。

 冷や汗がじっとりと背中を伝う。


「おかえり。魔の底はどうだった?」

「……恐ろしいくらいに虚しくて空ろで、なにもなかったです」

「本当によくぞ戻ってくれた! 流石俺の子だ」

「父の加護の子のおかげです、ニルタ」

「僕が加護を与えただけの彼女が気に入らないのはいいけど、あまり度が過ぎると……泣いて裏返っちゃうよ?」


 ぐ、とニルタが口ごもり、忌々しげに舌打ちした。


 カルロは聞き覚えのある名に静かに動揺する。

 まて。なんでこんなことになっている。


「浅はかですね、ニルタ。私たちでさえ干渉できなかった因果律のなかで、彼女だけがわずかに因果をねじ曲げられたのですよ」


 呆れたように、碧い髪の男が小さく首を横に振る。


「そうでなければ、過去の子らと同じように彼らも私たちの許に還らず漂い飲まれていた」

「っるせーな。んなこたわかってんだよ。そのうえで腹が立つ、つってんだよ!」

「叡智、この馬鹿、祠、封じましょう」

「ざっけんなよイナンナ! なんでそうなる!?」

「彼女、いなければ、封じられた、まま。叡智、解放された、彼女、祈った。それに、文句、ある」

「はあ!? 誰もんなこと言ってねえだろ!」


 ぎゃいぎゃいと繰り広げられる舌戦の内容を頭に書き留め、カルロはニクスを見下ろした。

 知らないところで、いろいろと助けられていたらしい。


「お前は昔から本当に……」

「ニルタの子」


 最年少の少年に呼ばれて、背筋が伸びる。


「彼女をこちらに」

「なんのために、ですか」

「彼女の役目は終わったからだよ」


 ニクスの体を抱きしめて、カルロは敵意をむき出しにした。

 つきん、と頭に痛みが走る。


「ニクスはずっと、死者の居るべき場所に行くと言っていました」

「師匠なら言うだろうねえ」


 師匠とは。

 疑問を抱きつつ、なんとなく聞くのが怖くて言及はせずカルロは切々と訴える。


「俺はまだ、なにも返せてない。だから、俺の命を半分ニクスにあげるから、一緒に過ごす時間をください」


 しん、と静寂が降りた。

 耳の奥で成る拍動が、痛む頭に響き顔をしかめる。

 苦悶の声を飲み込んで、ただただ静かに返答を待った。


「それはできない、と言ったら?」


 ゆっくりと、少年が問いかける。

 間を置かずして、カルロは自らの意志を告げた。


「それなら、このままニクスが行くところへ俺も一緒に行きます」

「彼女と違って君はまだ生者だ」

「生者でなくなればいいんですよね」


 再び降りた沈黙の中に、ぱん、と乾いた音が響いた。


「アーヌイ。人が悪いですよ。彼女の成した功績に対する対価はまだあまり余っているというのに」

「ナンナ。それでも願われたからには、しないわけにはいかない」

「それで構いません。彼女、強情ですからね。成した功績に対する自覚が乏しいので、仮に対価として蘇らせても道理に反していると抗議されるでしょう」

「……せっかく蘇ったのに?」

「達観し、状況を流れるように受け入れますが、道理に悖り倫理道徳に反することを嫌いますから。押しつけることも可能ですが、返上したいと言われるよりはましかと」


 ナンナの分析に、カルロは胸の内で納得する。

 ならば、だからこそ、あのことは、――ザルイドの街で魔王化しかけたときの惨劇は伝えない。

 彼女の罪は代わりに背負う。死ぬまでも、死んでからも言わない。

 それでニクスが、自分が生きることを許せるのなら、失わずにすむのならそれでいい。


 頭痛が酷くなる。

 抱きしめながら、カルロは堪えるように息を吐き出した。


「いいよ、ニルタの子。君の命の半分を彼女の寿命に加えよう。イルカルラ」

「甘いですね」

「生と死を司どる君からすればそうだろうね。――でも、今も頑張っている君の子らの努力を無碍にしないために、ニルタの子は必要だ」


 取り繕いながら顔を上げたカルロの目の前に、少年がしゃがむ。


「目が覚めたら『魔を祓って』と伝えて。それで、きっと分かるから」


 カルロは遠のいていく意識の中で、決して離すまいと腕に力を込める。

 苦笑う声が聞こえた。


「大丈夫。師匠を頼んだよ」



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